【完結】失った妻の愛

Ringo

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5・見つからない妻の愛

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結婚して四年が経った頃…僅かながらにふたりで過ごす時間が増えて、少しずつだが関係性を改善出来ているように思えていた。

相変わらず寝室は別で子作りの為だけにしか訪れないリリアナが、差し入れと言って手作りの焼き菓子を渡してくれることも。

なかなか二人目が出来ないのは俺が避妊薬を飲んでいたせいだが、気落ちするリリアナから『二人目が望めないようなら第二夫人を』と言われるようになり、愚かな俺は焦って飲むのをやめた。

その後すぐに懐妊となり順調に育つなか、俺が心配していたのは最低ながら子の性別。
リリアナが嫡男出産後も閨を継続してくれているのは『男児を二人』と言われているからと分かっていて、だからこそ二人目も男児が生まれれば、もう褥を共にする事はなくなる。

リリアナが何事もなく無事出産を終える事を祈っているし、生まれてくる子はどちらでも可愛い。
それでもどうか娘が生まれますようにと願う最低な俺の元に聞こえてきたのは、耳を塞ぎたくなるような噂だった。

────俺とマリナが今も通じている

マリナとはあれから一度も会っていない。
だが、平民の富豪に嫁いだマリナは身分こそ貴族でなくなったものの、夫の財力と人脈で貴族が出入りする場所へ赴くことも多かった。
そこで『ここだけの話し』として、あたかも俺と通じているかのように含みを持たせつつ話題にしている…と。
そして『一緒にいる所を見たことがある』と付け足す者もいて、噂は信憑性を増していった。

その噂は面白おかしく尾ひれをつけて広められ、しまいにはマリナが身籠っているのは俺の子とまで邪推する者まで出てくる始末。
そして真偽を確かめようとマリナへ問うと、肯定も否定もせず曖昧に笑って終わり。
だから単なる噂でしかなかった話は、徐々に『真実である事を前提』に広められていく。


【ビルトン公爵は隠れ蓑の為に愛人を富豪に嫁がせ、そこで自身の子を生ませている】


何一つ真実ではない。
だが最悪なことに、マリナの夫でさえも曖昧にはぐらかすだけで終わるというのだから、騒いだところで俺だけが割りをくう形になる。
夫が何も言わないのは、噂をネタに商売の交渉の場を設ける足掛かりにしているからだろう。
試してみたら実際そうだったと笑って報告してきた者もいた。

貴族の噂など目まぐるしく変わる。
皆、新鮮で変わり種だからと食い付いただけで、いずれ消えていくだろうとは思った。
心配だったのは、その噂がどのような形に変えられた状態でリリアナに届くのかだ。

否定をしたい。
だが今さら何を言おうと『本心を押し隠す夫』としか見てもらえず、必死になればなるほど疚しいのだと認定されてしまう。
全ては自分の身から出た錆。
自分で撒いた種が四年の月日を経て芽を出した。

危惧していた通り最悪の形でその噂はリリアナに届けられ、回復したと思えたリリアナとの関係は再び距離を置かれる形となり、元よりなくなっていたであろう俺への信用は地に落ち消え失せた。


『リリアナ、あの噂に真実はない。この四年一度も会っていないし…まして俺の子を身籠っているなどあり得ない』

『ご無理なさらないで。私の出産までは待って頂きたいですが…そのあとでしたら、マリナ様をお迎えする準備に取り掛かれます。旦那様のお心を縛るような事はしたくありませんが…子供達と過ごすお時間だけは頂戴したく存じます』


リリアナは俺がマリナへの想いを抑えているのだと曲解して、離れへ迎え入れることを提案する。
そんな事はしないと言っても信じて貰えず、子供の為にもあまり長く家を空けるなとだけ言われて終わってしまった。
つまり、愛人の元へ通うなら程々に…と。

そこから個人収支をリリアナに開示するようにして小遣いを貰う生活が始まったが、時折その額で充分に足りているのかと確認をしてきた。


『ご満足いただけておりますか?』


俺ではなく…愛人は満足しているのかを。
リリアナにしてみれば、愛人が癇癪を起こして家族に被害が襲いかかるなどもってのほか。
その為ならお金で説き伏せろと言うことだろう。

さらに、数少ない交流だった家での食事も少しずつ同席してくれなくなり、俺はひとり広い食堂で家族の好物が並ぶテーブルにつく。
子作りの際に持ち込まれていた差し入れはなくなり、唯一残された交流とも言える月に数度の触れ合いを長く望む為に避妊薬は手放せなくなり、約束でもある『男児二人』を儲けるのに十三年の月日をかけ、俺達は四人の親となった。

次男が生まれてから二年…妊娠期から数えれば三年近くリリアナを抱いていない。
口付けはおろか触れる事すら夜会のエスコートの時のみで、それさえも手袋とグローブ越しだから直接肌に触れることなど出来ず。


「旦那様、お待たせ致しました」


休暇五日目の夜。
家族で外食をしようと誘うと快諾の返事が返ってきて、ソワソワ落ち着きなく待っていると着飾ったリリアナが姿を現し…夜会でもないのにグローブを着けていることに胸がツキリと傷んだ。
俺に触れられたくないのだと…そう言われているように思うが、自業自得。
エスコートの為に差し出した手に華奢な指が乗せられて、思わずきゅっと握ってしまう。
そんな子供じみた行為にも、リリアナはなにひとつ表情を変えず反応しない。
思わず自嘲した笑みが浮かびそうになるが堪え、いつものように腕に絡ませて歩き出す。
玄関ホールから馬車まで…その僅かな距離、腕に感じる温もりと存在の重みに泣きたくなった。

どうしてあんなに軽く考えたのかと。
どうしてバレなければ大丈夫だと思えたのかと。
どうして…愛を失わないなど傲れたのかと。

馬車に乗る際、腕から離れていく温もりに縋りつきたくなってしまう。
並んで座っていた頃を懐かしく思うも、その権利を捨てたのもやはり自分なのだと己の愚かさに何も言えない。

向かいに座る妻をぼんやり見つめていると、しつこい視線を感じたのか外の景色から俺に視線を移し話しかけてきてくれた。


「折角のお休みなのに、申し訳ございません」


子供達とは別の夫婦だけの馬車の中、リリアナは至極申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。
リリアナは、俺が家族のために何かすると決まって『申し訳ございません』と言う。
俺が無理をしていると思っているのだろう。


「家族で過ごす事が俺の幸せだから」


間違っても癒しとは言わない。
その言葉がリリアナの傷を抉るのだと云う事は、さすがの俺も理解している。
それに、リリアナや子供達と過ごせることが俺の幸せであるというのは紛れもない事実。

この十五年…近付いたり遠ざけられたりを何度も繰り返し、そのたびに模索し続けてきた。
どうすればリリアナに信じて貰えるのか、どうすれば新たに愛してもらえるのか。
出会ってから交際に至るまではどうだったか思い出したりして、とにかくひっしにやってきた。

長く続く拒絶は苦しく思う時もあるが、バレたら終わりと覚悟していたし自業自得。
だけどリリアナは…何も悪いことをしていないのに、俺との結婚式を楽しみに過ごしていたところで突然地獄に落とされた。
その苦しみや傷の深さは比べるまでもない。

今日は古傷を抉っていないか。
今日は古傷が痛んでいないか。

そんな風に、リリアナに向かい合う時は緊張して顔色を窺ってしまう癖がついた。


「今夜のお店は予約が取れないと耳にしておりましたのに、大変だったのではないですか?」

「リリアナと子供達の為ならなんてことないよ」

「ふふっ、今度のお茶会で自慢しますね」


その笑みに俺の心は複雑に震える。
俺が裏切らなければ、この笑顔をいつでも隣で…それこそ寝室で見ることが出来た。
そうなるはずの未来を捨てたのは俺なんだ。
リリアナにそうさせたのが俺。

この十五年…リリアナにとってはどんな結婚生活だったのだろうか。

罵倒することも詰ることもせず…いっそそうしてくれと思ったこともあるが、そうする価値もないと思われているのか…それともそれこそが俺への罰なのか。



だけどリリアナは傍にいてくれる。

深い傷を心に負いながらも、その傷をつけた俺の妻になる事を選んでくれた。




そして……

傍にいるには捨てらざるを得ないほど、大きくて深い愛を持っていてくれた。






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