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第5部 砂糖
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並木道のベンチに腰を下ろし、私は眼前に広がる多量の塩水を眺めていた。深く息を吸い込むと、潮の香りがする。生き物が腐った匂いらしい。空も、海も、今は黒い。しかし、頭の上には星。前方には電飾で彩られた人工島が浮かんでいる。
電飾で彩られるべきは、この島ではなく、そちらの島の方だったらしい。何らかの影響でこちら側に状態が移ってしまったのだと、火花と名乗る少女は語った。
その彼女はというと、今は海の上にいる。陸から沖に向かって点々と並んだ岩の上を歩いていた。数歩進んではしゃがみ、また立ち上がって歩き出す。そんなふうに特定の動作を繰り返す様は、私が対面していたあのシルエットを思い起こさせた。
「彼女がターゲットなのか?」私の中で紅茶が尋ねた。
「いや、違うだろう」私は答える。「前にも言ったように、我々のターゲットは、物や人ではなく、行為だ」
「その行為に彼女が関わっているんじゃないか?」
「それはありえるかもしれない」
「具体的に、どう関わっているんだ?」
彼の問いに、私は静かに息を吐いて応じた。そうすると、口の中から彼が姿を現すように感じられた。そうした憂鬱な感情に擬する性質が、彼にはあるのだろう。紅茶とは、如何にも優雅なイメージを伴ったものだが、そうした性質を持つものは、その裏面も必ず持ち合わせているものだ。
「何かおかしいか?」本当に私の口から姿を現して、彼が言った。
「べえつうにいおかあしいくうもおなあんとおもおなあいがあねえ」彼のせいで上手く開閉できない口を使って、私は応じる。「具体的にと言われると、困ってしまうものだよ」
「何が?」
「人生、そういうものだろう?」
「どういう意味だ?」
「目的を明確に定める、ということに関してだよ」私は答えた。「子どもの頃から、私はそういうのが嫌いだった。目的を明確に定めることは、ほかの可能性を捨てることにほかならない。私は、目的というのを一点に定めるのが嫌いだ。漠然と方向だけを定めておくに留めたい。行く末は別に何だっていい。問題は、辿り着いた終着点をそのとき受け入れられるかどうかだ。受け入れられないのであれば、もう少し移動すればいいだけのことだ」
私の視界の隅で、火花と名乗る少女が両手を広げて海の上を渡っているのが見える。どうして両手を広げているのかは分からない。バランスをとる必要があるのだろうか。しかし、海の上に並んだ岩にはそれなりの幅がある。そんなふうに不思議に思って見ていると、火花が顔を上げてこちらを見た。間違いなく目があった。私が座っている場所から彼女がいる所まである程度距離があるというのに、私の瞳と彼女の瞳との間に配線が繋がれ、その上を電流が通ったように思えた。
広げていた手を閉じて、火花は進行方向を変えてこちらに向かってくる。ゆったりとした歩調で、しかし確かな足取りで、彼女は私の所まで来た。
「目的は達成されましたか?」私をじっと見つめて、火花は言った。
「私の目的を知っているのかい?」私は平静を装って尋ねる。
「自分自身を定位することにある、と」
「どうして、それを?」
「彼から聞きました」
「彼とは?」
「シルエット」
彼女の言葉を聞いて、私は話すのをやめてしまった。正確には、それ以上話す必要がないと悟った。
そうだ。私は、きっと彼女の一部だった。シルエットも、紅茶も、私の一部には違いないが、そのさらに先に彼女がいる。先ほど視線が合うように感じたのも、きっとそのせいだろう。それは合うべくして合ったのだ。もともと私は彼女の一部なのだから。
「万物は流転します」火花は言った。「この前、作ったコーヒーが売れなくて、でも、自分でもすべて飲みきれなくて、シンクに流してしまいました。その流れ着いた先が、あなた方だと思います」
「しかし、シルエットというのは、少々異質だよ」私は話す。「私も、紅茶君も、質量を伴った物質だ。しかし、シルエットというのは、要するに影だから、質量を伴わない。君が作ったコーヒーが流転したものではないんじゃないかな」
「コーヒーを捨ててしまうことに対する私の後ろめたさも、同時に流転したのでしょう」火花は話した。「気持ちというのも、影と同じく、質量を持ちません。それは、気持ちも、影も、そもそも質量という捉え方の対象ではないからです。だから、きっと、シルエットは私のそんな気持ちが流転したものです。その後ろめたさを隠すために、彼は代わりに紅茶を啜っていたのです」
「なるほど。どうやら君は私以上にエキスパートのようだ」
「何がですか?」
「色々」私は誤魔化す。「少なくとも、美しさに関しては間違いない」
半分くらい冗談で言ったつもりだったが、私がそう言うと、火花は少し笑ったみたいだった。みたいだったというのは、それが笑いか否か私には正確に判定できなかったからだ。軽く息を漏らしたような感じだった。けれど、どことなく嬉しそうに見える。そんなふうに感じられるのも、私が彼女の一部だからだろうか。
「実は、今日はパンケーキが余ってしまいました」火花は言った。「一緒に食べてもらえませんか?」
彼女を見上げたまま、私は頷く。
「是非」
火花は、正面に見える、電飾で彩られた人工島に住んでいるらしい。そんなふうに綺麗に飾りつけたのは彼女だそうだ。
もしかすると、彼女もまた、その美しい人工島の一部かもしれないと私は思った。
電飾で彩られるべきは、この島ではなく、そちらの島の方だったらしい。何らかの影響でこちら側に状態が移ってしまったのだと、火花と名乗る少女は語った。
その彼女はというと、今は海の上にいる。陸から沖に向かって点々と並んだ岩の上を歩いていた。数歩進んではしゃがみ、また立ち上がって歩き出す。そんなふうに特定の動作を繰り返す様は、私が対面していたあのシルエットを思い起こさせた。
「彼女がターゲットなのか?」私の中で紅茶が尋ねた。
「いや、違うだろう」私は答える。「前にも言ったように、我々のターゲットは、物や人ではなく、行為だ」
「その行為に彼女が関わっているんじゃないか?」
「それはありえるかもしれない」
「具体的に、どう関わっているんだ?」
彼の問いに、私は静かに息を吐いて応じた。そうすると、口の中から彼が姿を現すように感じられた。そうした憂鬱な感情に擬する性質が、彼にはあるのだろう。紅茶とは、如何にも優雅なイメージを伴ったものだが、そうした性質を持つものは、その裏面も必ず持ち合わせているものだ。
「何かおかしいか?」本当に私の口から姿を現して、彼が言った。
「べえつうにいおかあしいくうもおなあんとおもおなあいがあねえ」彼のせいで上手く開閉できない口を使って、私は応じる。「具体的にと言われると、困ってしまうものだよ」
「何が?」
「人生、そういうものだろう?」
「どういう意味だ?」
「目的を明確に定める、ということに関してだよ」私は答えた。「子どもの頃から、私はそういうのが嫌いだった。目的を明確に定めることは、ほかの可能性を捨てることにほかならない。私は、目的というのを一点に定めるのが嫌いだ。漠然と方向だけを定めておくに留めたい。行く末は別に何だっていい。問題は、辿り着いた終着点をそのとき受け入れられるかどうかだ。受け入れられないのであれば、もう少し移動すればいいだけのことだ」
私の視界の隅で、火花と名乗る少女が両手を広げて海の上を渡っているのが見える。どうして両手を広げているのかは分からない。バランスをとる必要があるのだろうか。しかし、海の上に並んだ岩にはそれなりの幅がある。そんなふうに不思議に思って見ていると、火花が顔を上げてこちらを見た。間違いなく目があった。私が座っている場所から彼女がいる所まである程度距離があるというのに、私の瞳と彼女の瞳との間に配線が繋がれ、その上を電流が通ったように思えた。
広げていた手を閉じて、火花は進行方向を変えてこちらに向かってくる。ゆったりとした歩調で、しかし確かな足取りで、彼女は私の所まで来た。
「目的は達成されましたか?」私をじっと見つめて、火花は言った。
「私の目的を知っているのかい?」私は平静を装って尋ねる。
「自分自身を定位することにある、と」
「どうして、それを?」
「彼から聞きました」
「彼とは?」
「シルエット」
彼女の言葉を聞いて、私は話すのをやめてしまった。正確には、それ以上話す必要がないと悟った。
そうだ。私は、きっと彼女の一部だった。シルエットも、紅茶も、私の一部には違いないが、そのさらに先に彼女がいる。先ほど視線が合うように感じたのも、きっとそのせいだろう。それは合うべくして合ったのだ。もともと私は彼女の一部なのだから。
「万物は流転します」火花は言った。「この前、作ったコーヒーが売れなくて、でも、自分でもすべて飲みきれなくて、シンクに流してしまいました。その流れ着いた先が、あなた方だと思います」
「しかし、シルエットというのは、少々異質だよ」私は話す。「私も、紅茶君も、質量を伴った物質だ。しかし、シルエットというのは、要するに影だから、質量を伴わない。君が作ったコーヒーが流転したものではないんじゃないかな」
「コーヒーを捨ててしまうことに対する私の後ろめたさも、同時に流転したのでしょう」火花は話した。「気持ちというのも、影と同じく、質量を持ちません。それは、気持ちも、影も、そもそも質量という捉え方の対象ではないからです。だから、きっと、シルエットは私のそんな気持ちが流転したものです。その後ろめたさを隠すために、彼は代わりに紅茶を啜っていたのです」
「なるほど。どうやら君は私以上にエキスパートのようだ」
「何がですか?」
「色々」私は誤魔化す。「少なくとも、美しさに関しては間違いない」
半分くらい冗談で言ったつもりだったが、私がそう言うと、火花は少し笑ったみたいだった。みたいだったというのは、それが笑いか否か私には正確に判定できなかったからだ。軽く息を漏らしたような感じだった。けれど、どことなく嬉しそうに見える。そんなふうに感じられるのも、私が彼女の一部だからだろうか。
「実は、今日はパンケーキが余ってしまいました」火花は言った。「一緒に食べてもらえませんか?」
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「是非」
火花は、正面に見える、電飾で彩られた人工島に住んでいるらしい。そんなふうに綺麗に飾りつけたのは彼女だそうだ。
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