【完結】回帰する魔術師は彼女の幸せだけを願っている

平川

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 乳母の事件から二月後。

 伯爵家からの使者がコリコット村に訪れた。そろそろ来るだろうな、とは予想していた。

 死んだと思っていた嫡子が遠く離れたこの村で成長し、魔術師として暮らしていたのだ。高価な魔力放出の魔具も使わずに…
 本当かは分からないが乳母に給金三月分程の退職金と俺用に同じ額の手切金を最後に一切関与して来なかったと聞いた。どちらにせよそりゃ得したと思ったろう。乳母の旦那が失敗した商売への融資の件だって恐らく反故にする筈だ。あいつにとっては平民は虫ケラなんだから。

 勿論従うつもりは欠片も無かったが、一つ気になる事があった為少し悩んだ。そう、赤い背表紙の本の件だ。

 あれだけの術式を考案した魔術師だ。しかも俺と似た字を書く者。もしかしたら王弟の伯爵に由来のある近しい親族で、続き等の別の本があるのではないかと思い始めた。それか高度な魔術に関する本を有しているだろうかと。
 俺は魔術師育成の学業習得をしていないし、師匠が居る訳では無い。ただ本の術式を理解し暗記して施行しているだけだ。初級の魔術書を読んだが魔素の原理、や魔力を扱う方法、生活に役立つ術式組み立ての基礎のやり方やその陣を作った過去の魔術師達の業績を箇条書きにしたものしか書かれていなかった。
 だからもっと違う魔術書なりを読んでみたいのだ。そこで王宮書館へ入りたい。が、取り扱いがあるかは判らない。もしかしたら高度な術式の専門書など簡単には観覧は出来ない様に厳重に管理されているかも…下手したら王族しか観れないかも知れない。

 王弟とは言っても今の王は父の異母兄で正妃の一番目の長兄だ。二番目の王女は若い頃に病気で死んでいる。王弟は後一人。父の弟に公爵伯がいる。名は確かグラミリオル。同じ第一側室妃の子だ。
 父はこの弟を恨んでいる。回帰前に、いの一番に俺に殺させた程だ。劣等感の塊だな。自分は伯爵で弟が公爵だ。グラミリオルは高い魔力を持ち、魔術師で、俺程ではないが術式も扱える人物だった。それに引き換え同じ腹から産まれたにも関わらず無能のレッテルを貼られたのだ。悔しいだろうが、まあ、身から出た錆だ。

 今の俺には知識が必要なんだ。レシェを護らなきゃ…あの本には無い知識…せめて魔力を通さない阻害物質とか、方法が無いかヒントになるものを探さないと。

 しかし伯爵家には行きたくない。ならもう一つの選択肢…やはり王宮書館や王族への接触か…

 要は俺があの父とは無関係な魔術師であれば良いのだ。更に言うなら見つからず、魔術師とバレなければ良い。
 ……やってみるか。

「取り敢えず伯爵家の使者は追い返そう」

 ****

 温泉事業の指揮権限を丸々ノーランに預ける事にした。村の事業内容が拡大するにつれ雑務が増えていった為だ。村長を中心に各相談役を役割制にする。
 その中でも教育を主とした集まりを作った。学校とまではいかないが村民には字を覚え、計算読み書きくらいは出来る様に義務付けた。新しく村民になった老齢の夫婦が大店で帳簿付けをしていたとの事で教師役に抜擢。商会の人間と入れ替わりで文字や数字を子供達に教えてくれている。勿論総合して村から給金を払っている。

 そんな感じで今は行商の仕事の殆どを他の村民に任せている。村内にカーザの店舗も既に出来ている。もう街に近い規模にまで発展して来た。辺境にあるにも関わらず此処を訪れる旅人や行商人も増え、小規模だが市場まで出来上がっている。リンゴと織物しか無かったこの村はきっとレシェの自慢の故郷になった筈だ。彼女が幸せに思ってくれれば良いな。

 じゃあ、俺は何をしているかと言うと所謂村の利益を考え実行助言、収め役だ。王宮で言う所の王の陰で暗躍する宰相と言うところだろうか。勿論王様は村長なんだが。
 魔術師の力を使う事も多く、故にあまり目立ちたくは無いのだ。なので俺に来る案件は村長経由にしてもらっている。

 今回の伯爵家の使者の件もあり、村長に自分の出世を明らかにした。まあ、予想はしていたみたいで然程驚かれなかった。有り難い。村長も一応準男爵ではあるので、貴族の間で高い魔力を有する子が魔力過多症で捨てられる場合がある事も知っていたし、伯爵家に戻りたく無いと言う俺の意志も理解もしてくれた。何より娘婿だしな。

 例の使者からは伯爵が俺を捨てた事への謝罪や待遇等の提示も無く、伯爵家への帰還命令の書簡を一つ渡されただけだった。
 …回帰前はこの書簡が内心嬉しいと思ったんだ。漸く家族として認められたんだと…意思返しのつもりで意気揚々とこの使者と乳母とで馬車に乗り込み伯爵家に戻ったのだ。勿論直ぐにコリコット村へ帰るつもりだった。…そうはならなかったけど。

 もっとずっと大事な人が側に居たのに、俺はその手を離したのだ。戻って二年もの間父にいい様に使われ、囚われ、心がボロボロになるまで気付かなかった。

 まあ、今の俺にはそんな意思返しなど関わりたく無いからするつもりはないので、使者には俺は居なかったと記憶を改竄する術式を掛けて帰らせたが。また違う奴を送ってくるんだろうな…面倒だからこっそり伯爵を暗殺しておこうか…いや、今回の人生で俺は(極力)人を、殺さないと決めているんだ。いざとなれば人買いの連中の様に一生眠らせてやる。それに今の最優先はレシェの事だしな。

 王都は所謂広いこの国の首都だ。王族が管理する国の中心地。コリコット村から荷馬車で約三十日は掛かる。三頭引き馬車には乗った事が無いので分からないが、精々数日の違いだろうし。まあ、俺は何度となく術式で転移動しているので一瞬で行ける。

「今は仕事も落ち着いてるし、早く動きたい。まずは王宮書館へ潜入してみよう」

 と、言ったものの強固な防御が施された王城の中に入らなければならない。書館は所謂城に従事している者が利用する資料室だ。勿論ただの侍女や侍従や使用人などは入れない。主に王族、文官や王宮魔術師などが利用し、魔術術式の研究論文など王へ献上した写しなどもあるらしい。
 回帰前に次期伯爵として赴いた夜会で知り合った侯爵子息の文官の男がそこへ入れる身分だと得意げに話していたのを聞いたのだ。その部屋に入るには書館の管理者の許可がいるらしいのだが…

「管理者か。と言う事は何か漏洩しない様な術式が部屋に展開しているかも知れないな。魔術師だらけの王城に入るのも面倒だが書館も一筋縄ではいかないだろう…上手くやらないと」

 こうして俺は王都に赴き王城へと向かった。回帰後は近寄りもしなかった街の風景の奥にそびえ建つ巨大な石造りの城壁。高い金と引き換えに命を繋いだ魔術師達が居る城。捨てられた魔術師の俺。余りに不釣り合いで行きたくないがヒントが見つかるまでの辛抱だと割り切り、夜中の城の内部へと侵入を開始する。

「ヂュッ」

 …ネズミだ。俺は変化の術式でドブネズミに姿を変え城壁の防御の術式を子ネズミのサイズでこじ開け侵入したのだ。これくらいなら気付かれにくいだろう。子供の手のひら程のサイズだしな。
 城中に入ってからイタチに姿を替え移動する。魔力感知を得意とする魔術師が居れば面倒だ…が、感知の術式は魔力を張り巡らせる為魔力の消費が早く持続性に掛ける。何より追い掛けるなら転移動も必要だ。だが高度な術式である為習得している術師が居るか疑問だ。
 赤い背表紙の研究書にも終盤に書かれていたし、回帰前の俺も理論は解っていたが中々習得出来なかったくらいだ。複雑に絡み合う式を頭で構築していくのが本当に面倒であった。勿論今はもう慣れたが…

 そうこう考えている間に宮殿の長い回廊を抜け、部屋の扉が乱立する場所に辿り着く。恐らく王族や貴族達が政務や会議、儀式などを行う外朝部分の一角だろう。

「まずはこの辺りから探索してみるか…キキッ」
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