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4.スターライナー
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『異世界人(イレギュラー)』たちは、示し合わせたように、異世界時空移動のときの感覚を『落ちる』と口にした。
『落ちる』『落下』『降下』『ダイブ』『ドロップ』『剥落』『転落』――――――。
東(あずま)シオンもまた、自身の体験をそう表現した一人だった。
(……突然、足の下の地面が消えるみたいなんだ。目の前の景色が変わって、風の向きと、空気の味が変わる。首から下にびっしょり汗をかいて、腰の先から冷たくなって、足の感覚が無くなって、口の中には血の匂いがする。絶望の味だ)
東シオンが16歳の母の前に『落ちて来た』とき、シオンは14歳だった。
アブ=オーヴォという世界がある。アブ=オーヴォの海原の片隅にエルバーン海と呼ばれる閉ざされた海域があり、『魔法使いの国』と呼ばれる島国がある。『魔法使いの国』の首都には、『銀蛇』という国いちばんの『魔法の杖』の工房があった。
工房の煙突に引っかかっていた少女のような男の子は、ここではないどこかから来たという。しかし不思議なことに、魔法の素養のある、魔法使いになることができる少年だった。
母は、彼に杖を与え、魔法と教えた。彼が『別の世界から来た』ことを知るのは、彼女とその養父だけだった。街の人は、臆病でも優しく善良な彼の性質を受け入れ、親しんだ。
それでもシオンは、異質であった。
ある日、彼がいないことに気が付いた。彼がやって来たのと同じ、夏の盛りのころだった。母はシオンを探したが、見つからず、彼は忽然と消えたまま、三日後に帰って来た。
背中に大きな刀傷を負って。
傷が癒えようとしたころ、また彼の姿は消えた。こんどは帰ってくるまでに6日を要した。工房の中庭で、自分のものではないもので真っ赤に濡れた彼は、三日眠って目を覚ました。
次は十日かかった。彼は、母の知らない異世界の魔法を会得していた。
それが何度も繰り返された。
19の秋、17歳のシオンは、アイリーン・クロックフォードの手を握っていった。
(……おれは怖いよ、アイリさん。何度繰り返したって、おれはあの落下に慣れない。あれがあるたびに、おれはもうあなたに会えないんじゃあないかと思う。あなたが待っているのだと思う。でも今度こそ帰れないのかもしれないとも思う。また帰る家を失くすんじゃあないかって思う。あれは絶望の味をしている)
そう言って、彼はアイリーンから離れた。
(……だから、さよならも言えないまま消えたくないんだ。もうおれを待たないでほしい。ここで『お別れ』しよう)
手を離さなかったのは、アイリーンのほうだった。
涙に濡れる横面を拳で殴り飛ばし、床に押し倒して首を絞め上げたアイリーンは、シオンの悲壮を笑い飛ばして、鼻の先にキスをした。彼はそのあと、子供のように散々泣いたという。
(ここに帰ってくるよ)
プロポーズは、それからすぐだった。
父が最後に消えたのは、母が『わたし』を産んだその日。
(……あとを頼む)
雨の酷い秋の初め。親友であるライト伯爵夫妻が、最後に言葉を交わしていた。
(おれは、死んでもアイリさんたちを守りに行くつもり。そのために行くんだ)
写真の中の父は、18歳の姿をしている。
※※※※
『異世界人(イレギュラー)』たちは、示し合わせたように、異世界時空移動のときの感覚を『落ちる』と表現するという。
まだびっこを引く思考で、誰かの声を思い出した。
(……突然、足の下の地面が消える。目の前の景色が変わって、風の向きと、空気の味が変わる。首から下にびっしょり汗をかいて、腰の先から冷たくなって、足の感覚が無くなって、口の中には血の匂いがする。絶望の味だ。おれもわかるよ……なんど味わったことか)
溜息で締めくくった男の声の記憶がある。
それがいつのことだったのか、さきほどのフラッシュバックのときの『ぼくに手を差し伸べる人影』と同様に思い出せずにいる。
けれど、直感的に、『声』と『人影』は、どちらも同じ男のものだと感じていた。それは、微かな記憶の残滓の中にぼくの感情も含まれていたからだ。
『彼』は前述の言葉をぼくに言ったとき、ひどく穏やかな眼差しを空に向けていた。その瞳の色も覚えていないけれど、きっと『前』のぼくは、あの人のことを心から信頼していたのだと思う。
頭を打ったことが、逆に良かったのだろうか。
今日はいろんなことを思い出している。
ぼくは、いつか思い出すのだろうか。
『佐藤幸一』があの図書館のあと、どんなふうに生きて死んだのか。そのエンディングまでを思い出せるときは、近いような気がした。
エリカの指先が闇の膜を破り、彼女の肩が入ると同時に、ぼくも『どこか』との境界に触れた。
ぼくはそのあいだ目を見開いて、彼女の険しい横顔だけを見ていた。紫紺の瞳は限りなく黒に近いのに、闇の中でも淡く青と赤と銀が混じり合っている。瞳の奥で光を湛えるように。
『どこか』は、満天の星空だった。星の光で明るくなった夜空のグラデーションは、彼女の瞳の色に似ていると思った。
へそを置き去りにしたような浮遊感のあとの重力。体が回転したのが分かる。ちくちくする草を右半身で押し倒して、ぼくはようやく息を吐いた。
ぼくもエリカも、しばらく全身を冷や汗で濡らして震えていた。
炎と血を上塗りする、『落下』の恐怖。行ってはいけない『境界』の膜を破ってしまった背徳感。
これが、『管理局』の異世界人(イレギュラー)たちが―――――エリカが幾度となく感じていたはずの『落下』の衝撃。
奥歯を噛み締めた彼女が先に立ち上がり、袖を引きちぎるような勢いでまくり上げる。白い腕に、もっと白いものがらせん状に巻き付いている。
星空に細腕を掲げると、水銀が重力に流れるように彼女の手の中で歪曲した杖が形成される。それは鎌首をもたげる蛇に似ている。
青白く硬質な輝きをもった『それ』が、エリカのいう『銀蛇』――――魔女の『魔法の杖』だった。
杖先から、夜空に青い炎が尾を引いて打ちあがった。
―――――そのとき。
『星』だと思っていたものが、文字通り『蜘蛛の子を散らすように』空だと思っていた天蓋の外へと逃げていく。
声とも鳴き声とも言えない『星』たちの抗議と、驚いたいくつかの『星』が、あたりの草むらにぼとぼと肉感ある音をもって落ちていった。
ほんの二歩先に落ちて来た『星』に、エリカが小さくかわいらしい悲鳴をあげる。
ぼくは、自分の顔がこれ以上なく引き攣っているのがわかった。
ぼくとエリカは顔を見合わせ、お互いに酷い顔をしていることに気が付いた。
喉から笑い声のようなものは出るのに、顔は笑い損ねて引き攣っている。疲れていた。
目の前の少女の顔が、『どうしよう』というように眉が下がる。きっと鏡のようにぼくも同じ顔をしている。
『星』が逃げたために、周囲はずいぶん暗くなってしまっていた。もう、お互いの表情が分かるのが奇跡というくらいだ。
ぼくは、神話の教訓や、信仰における『○○しましょう』という文句を哲学だと思っているし、哲学を統計学だという説を支持している。
決まった時間の礼拝の習慣は、労働中の休憩になる。定期的な休憩は、仕事の効率化に繋がる。ぼくは昔の人に、そういったことに気が付いた人がいたのだろうと思う。気が付いたからこそ、大衆にうまくルールを浸透させるために『礼拝』という信仰のシステムを作ったのではないか。 ルールのデメリット・メリットを懇切丁寧に一人一人に理解させるより、『○○しましょう。そうすれば良い方向に進みますよ』というシンプルなルールのほうが、多くを動かす理由になりやすい。
そのとき気が付いていなくても、ルールが浸透してから気が付いたパターンは確実にあったはずだ。効果的だからこそ、誰もそのルールを撤回せず、現存することができる。
だからぼくは、あの師範代の塾に通うことにした。
あの師範は宗教家だったけれど、無意味な精神論や根性論は否定して、実践を教える先生だったからだ。
『なぜならば、誰であっても、『悪』の路は拓かれているからです』
『心の平和は、余裕を産みます。そして心の平和とは、日々の鍛錬によって築き上げられるものです』
『もし、あなたたちが不幸にも肉体が損なったとしても、鍛え上げられた精神は、肉体の欠損を補います。逆もまたしかり』
体を鍛えよと師範は言った。精神はおのずとついてくる。まずは目先、肉体を整えよと師範は言った。健康は、命を使うすべての基礎である。よく食べ、よく眠り、それからでないと学ぶことはできない。
朝食を抜いてきた生徒は、どんな家の子供でも授業を受けさせなかった。別室で果物と粥を与えられ、それを食べ終わるまで教室には入れない。
戦うすべは、自分の財産を守るときに必要になる。様々な『戦うすべ』がある中で、戦闘技能は分かりやすい。
『業(わざ)は和の内に在る』。
『技』と『業』をかけた師範代の口癖だ。
『和』とは、争いの無い集団。争いを収めるには『わざ』がいる。個々の努力によってのみ、健全なコミュニティが保たれる。そう師範は言った。
そういう教えを、ぼくは実践的だと感じた。
不安な人がいるとき、自分も不安に思っているとき。
そういうときの方法も、師範代は教えてくれた。
ぼくは、すこし汚れた手をエリカに向けた。
「手を繋ごう。はぐれたら怖いから」
「……うん。そうね」
小さな手が上から重ねられ、ぼくの手が包むように握る。
彼女のほうが経験は上だ。彼女が上げたさっきの青い火花を見た誰かが来るのを、ぼくらは待つしかない。
「……いつもこうしてきたの? 」
エリカは「ええ」と頷いた。もう互いのシルエットしか分からない。
「でも、今日はけっこう平気よ。あなたがいるもの。だいじょうぶ。焦っちゃだめ。疑わない。じっくりと待つの。辛抱すれば、必ず戻れるわ」
「きみはすごいなぁ……」
『業(わざ)は和の内に在る』。
いま『わざ』は彼女の中にある。
「エリカ。ぼくはきみを信じるよ」
彼女は返事のかわりに、ぎゅっと手を握り返してくれた。
『落ちる』『落下』『降下』『ダイブ』『ドロップ』『剥落』『転落』――――――。
東(あずま)シオンもまた、自身の体験をそう表現した一人だった。
(……突然、足の下の地面が消えるみたいなんだ。目の前の景色が変わって、風の向きと、空気の味が変わる。首から下にびっしょり汗をかいて、腰の先から冷たくなって、足の感覚が無くなって、口の中には血の匂いがする。絶望の味だ)
東シオンが16歳の母の前に『落ちて来た』とき、シオンは14歳だった。
アブ=オーヴォという世界がある。アブ=オーヴォの海原の片隅にエルバーン海と呼ばれる閉ざされた海域があり、『魔法使いの国』と呼ばれる島国がある。『魔法使いの国』の首都には、『銀蛇』という国いちばんの『魔法の杖』の工房があった。
工房の煙突に引っかかっていた少女のような男の子は、ここではないどこかから来たという。しかし不思議なことに、魔法の素養のある、魔法使いになることができる少年だった。
母は、彼に杖を与え、魔法と教えた。彼が『別の世界から来た』ことを知るのは、彼女とその養父だけだった。街の人は、臆病でも優しく善良な彼の性質を受け入れ、親しんだ。
それでもシオンは、異質であった。
ある日、彼がいないことに気が付いた。彼がやって来たのと同じ、夏の盛りのころだった。母はシオンを探したが、見つからず、彼は忽然と消えたまま、三日後に帰って来た。
背中に大きな刀傷を負って。
傷が癒えようとしたころ、また彼の姿は消えた。こんどは帰ってくるまでに6日を要した。工房の中庭で、自分のものではないもので真っ赤に濡れた彼は、三日眠って目を覚ました。
次は十日かかった。彼は、母の知らない異世界の魔法を会得していた。
それが何度も繰り返された。
19の秋、17歳のシオンは、アイリーン・クロックフォードの手を握っていった。
(……おれは怖いよ、アイリさん。何度繰り返したって、おれはあの落下に慣れない。あれがあるたびに、おれはもうあなたに会えないんじゃあないかと思う。あなたが待っているのだと思う。でも今度こそ帰れないのかもしれないとも思う。また帰る家を失くすんじゃあないかって思う。あれは絶望の味をしている)
そう言って、彼はアイリーンから離れた。
(……だから、さよならも言えないまま消えたくないんだ。もうおれを待たないでほしい。ここで『お別れ』しよう)
手を離さなかったのは、アイリーンのほうだった。
涙に濡れる横面を拳で殴り飛ばし、床に押し倒して首を絞め上げたアイリーンは、シオンの悲壮を笑い飛ばして、鼻の先にキスをした。彼はそのあと、子供のように散々泣いたという。
(ここに帰ってくるよ)
プロポーズは、それからすぐだった。
父が最後に消えたのは、母が『わたし』を産んだその日。
(……あとを頼む)
雨の酷い秋の初め。親友であるライト伯爵夫妻が、最後に言葉を交わしていた。
(おれは、死んでもアイリさんたちを守りに行くつもり。そのために行くんだ)
写真の中の父は、18歳の姿をしている。
※※※※
『異世界人(イレギュラー)』たちは、示し合わせたように、異世界時空移動のときの感覚を『落ちる』と表現するという。
まだびっこを引く思考で、誰かの声を思い出した。
(……突然、足の下の地面が消える。目の前の景色が変わって、風の向きと、空気の味が変わる。首から下にびっしょり汗をかいて、腰の先から冷たくなって、足の感覚が無くなって、口の中には血の匂いがする。絶望の味だ。おれもわかるよ……なんど味わったことか)
溜息で締めくくった男の声の記憶がある。
それがいつのことだったのか、さきほどのフラッシュバックのときの『ぼくに手を差し伸べる人影』と同様に思い出せずにいる。
けれど、直感的に、『声』と『人影』は、どちらも同じ男のものだと感じていた。それは、微かな記憶の残滓の中にぼくの感情も含まれていたからだ。
『彼』は前述の言葉をぼくに言ったとき、ひどく穏やかな眼差しを空に向けていた。その瞳の色も覚えていないけれど、きっと『前』のぼくは、あの人のことを心から信頼していたのだと思う。
頭を打ったことが、逆に良かったのだろうか。
今日はいろんなことを思い出している。
ぼくは、いつか思い出すのだろうか。
『佐藤幸一』があの図書館のあと、どんなふうに生きて死んだのか。そのエンディングまでを思い出せるときは、近いような気がした。
エリカの指先が闇の膜を破り、彼女の肩が入ると同時に、ぼくも『どこか』との境界に触れた。
ぼくはそのあいだ目を見開いて、彼女の険しい横顔だけを見ていた。紫紺の瞳は限りなく黒に近いのに、闇の中でも淡く青と赤と銀が混じり合っている。瞳の奥で光を湛えるように。
『どこか』は、満天の星空だった。星の光で明るくなった夜空のグラデーションは、彼女の瞳の色に似ていると思った。
へそを置き去りにしたような浮遊感のあとの重力。体が回転したのが分かる。ちくちくする草を右半身で押し倒して、ぼくはようやく息を吐いた。
ぼくもエリカも、しばらく全身を冷や汗で濡らして震えていた。
炎と血を上塗りする、『落下』の恐怖。行ってはいけない『境界』の膜を破ってしまった背徳感。
これが、『管理局』の異世界人(イレギュラー)たちが―――――エリカが幾度となく感じていたはずの『落下』の衝撃。
奥歯を噛み締めた彼女が先に立ち上がり、袖を引きちぎるような勢いでまくり上げる。白い腕に、もっと白いものがらせん状に巻き付いている。
星空に細腕を掲げると、水銀が重力に流れるように彼女の手の中で歪曲した杖が形成される。それは鎌首をもたげる蛇に似ている。
青白く硬質な輝きをもった『それ』が、エリカのいう『銀蛇』――――魔女の『魔法の杖』だった。
杖先から、夜空に青い炎が尾を引いて打ちあがった。
―――――そのとき。
『星』だと思っていたものが、文字通り『蜘蛛の子を散らすように』空だと思っていた天蓋の外へと逃げていく。
声とも鳴き声とも言えない『星』たちの抗議と、驚いたいくつかの『星』が、あたりの草むらにぼとぼと肉感ある音をもって落ちていった。
ほんの二歩先に落ちて来た『星』に、エリカが小さくかわいらしい悲鳴をあげる。
ぼくは、自分の顔がこれ以上なく引き攣っているのがわかった。
ぼくとエリカは顔を見合わせ、お互いに酷い顔をしていることに気が付いた。
喉から笑い声のようなものは出るのに、顔は笑い損ねて引き攣っている。疲れていた。
目の前の少女の顔が、『どうしよう』というように眉が下がる。きっと鏡のようにぼくも同じ顔をしている。
『星』が逃げたために、周囲はずいぶん暗くなってしまっていた。もう、お互いの表情が分かるのが奇跡というくらいだ。
ぼくは、神話の教訓や、信仰における『○○しましょう』という文句を哲学だと思っているし、哲学を統計学だという説を支持している。
決まった時間の礼拝の習慣は、労働中の休憩になる。定期的な休憩は、仕事の効率化に繋がる。ぼくは昔の人に、そういったことに気が付いた人がいたのだろうと思う。気が付いたからこそ、大衆にうまくルールを浸透させるために『礼拝』という信仰のシステムを作ったのではないか。 ルールのデメリット・メリットを懇切丁寧に一人一人に理解させるより、『○○しましょう。そうすれば良い方向に進みますよ』というシンプルなルールのほうが、多くを動かす理由になりやすい。
そのとき気が付いていなくても、ルールが浸透してから気が付いたパターンは確実にあったはずだ。効果的だからこそ、誰もそのルールを撤回せず、現存することができる。
だからぼくは、あの師範代の塾に通うことにした。
あの師範は宗教家だったけれど、無意味な精神論や根性論は否定して、実践を教える先生だったからだ。
『なぜならば、誰であっても、『悪』の路は拓かれているからです』
『心の平和は、余裕を産みます。そして心の平和とは、日々の鍛錬によって築き上げられるものです』
『もし、あなたたちが不幸にも肉体が損なったとしても、鍛え上げられた精神は、肉体の欠損を補います。逆もまたしかり』
体を鍛えよと師範は言った。精神はおのずとついてくる。まずは目先、肉体を整えよと師範は言った。健康は、命を使うすべての基礎である。よく食べ、よく眠り、それからでないと学ぶことはできない。
朝食を抜いてきた生徒は、どんな家の子供でも授業を受けさせなかった。別室で果物と粥を与えられ、それを食べ終わるまで教室には入れない。
戦うすべは、自分の財産を守るときに必要になる。様々な『戦うすべ』がある中で、戦闘技能は分かりやすい。
『業(わざ)は和の内に在る』。
『技』と『業』をかけた師範代の口癖だ。
『和』とは、争いの無い集団。争いを収めるには『わざ』がいる。個々の努力によってのみ、健全なコミュニティが保たれる。そう師範は言った。
そういう教えを、ぼくは実践的だと感じた。
不安な人がいるとき、自分も不安に思っているとき。
そういうときの方法も、師範代は教えてくれた。
ぼくは、すこし汚れた手をエリカに向けた。
「手を繋ごう。はぐれたら怖いから」
「……うん。そうね」
小さな手が上から重ねられ、ぼくの手が包むように握る。
彼女のほうが経験は上だ。彼女が上げたさっきの青い火花を見た誰かが来るのを、ぼくらは待つしかない。
「……いつもこうしてきたの? 」
エリカは「ええ」と頷いた。もう互いのシルエットしか分からない。
「でも、今日はけっこう平気よ。あなたがいるもの。だいじょうぶ。焦っちゃだめ。疑わない。じっくりと待つの。辛抱すれば、必ず戻れるわ」
「きみはすごいなぁ……」
『業(わざ)は和の内に在る』。
いま『わざ』は彼女の中にある。
「エリカ。ぼくはきみを信じるよ」
彼女は返事のかわりに、ぎゅっと手を握り返してくれた。
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