新生活はパスタとともに

矢木羽研

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本編

アンチョビと菜の花と新玉ねぎのパスタ

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2024年3月8日(金)

「先輩、おはようございます!」

 今日も後輩がやってきた。来春からは同棲予定だが、今はまだそれぞれの部屋で暮らしている。そろそろ引っ越しのための荷物整理をする必要があるだろうか。

「おはよう。その荷物は?」
「部屋を片付けてたら出てきたんですよね、ほら」

 トートバッグに入っていた平べったい箱。いかにもお中元やお歳暮のいただきものといったところだ。

「2年前、一人暮らしを始めるときに実家から持ってきたんですけど、そのまま忘れちゃってたんですよ」
「アンチョビかぁ」

 蓋を開けてみると、ちょっと高級そうなアンチョビの缶詰がぎっしりと詰まっていた。

「賞味期限が去年の12月で切れてるんですけど、大丈夫ですよね? 念のため先輩に聞いてみようかなって」
「そうだな、もともと保存食だ。それに、魚系の缶詰はむしろ時間が経って熟成したほうが美味くなると聞いたことがある」

 確かツナ缶を研究しているブログで読んだ気がする。缶詰は缶の中でも熟成が進むのだ。

「それじゃ先輩、さっそくこれでなにか作ってください!」
「よーし」

 頼まれるまでもない。俺は快く返事をすると、大鍋と小鍋に水を張って火にかけた。

「今日はこれでパスタを作ってみようと思ってたんだけど、アンチョビとの相性もよさそうだ」
「あ、菜の花ですね」

 冷蔵庫から菜の花を取り出す。つぼみのついた穂先で、今が旬の野菜だ。

「まずはこれを小鍋で茹でる」
「パスタとは別にするんですね」
「ああ。アクが出るし、花野菜は細かいゴミが隙間に入り込んでたりするから別に茹でたほうがいい」

 これがキャベツ等であればパスタと一緒に茹でてしまうところだが、菜の花を使うからには少し手間を掛ける。

「他に使うのはにんにくと唐辛子。ベースはペペロンチーノでいこう」

 困った時はペペロンチーノである。シンプルであるがゆえに、あらゆる食材を合わせることができる。にんにくと唐辛子を刻んで、まだ火にかけてないフライパンの中に入れた。

「アンチョビは刻まないんですか?」
「炒めているうちに勝手にほぐれるからな。まして熟成が進んでいればなおさらだ」

 本音としては、手やまな板が油でべたついて洗う手間が増えるのが嫌なのだが間違ってはいないだろう。

「パスタ、今日はリングイネですね。しかも国産小麦粉!」

 いつものように戸棚から彼女がパスタを取り出す。菜の花と一緒にアンテナショップで買ってきたものだ。

 *

「菜の花はこんなもんか」

 3分ほど茹でたらザルに空け、よく洗って絞る。ここまではおひたしと同じである。後輩はパスタのほうの鍋をかき混ぜている。ここからは同時進行だ。

「これを刻む。茎の太いところは1センチ弱くらい、上の方はもう少し大きくてもいいかな」
「結構、細かくするんですね」
「パスタに絡めたいからな」

 小鍋をどかして空いたコンロにフライパンを乗せ、アンチョビの缶を開けて油ごと中身を入れる。少し足りない気がしたのでオリーブオイルを足す。

「塩分5グラム、味付けはこれだけでちょうどいいか」

 缶詰の情報を確認しつつフライパンを火にかけ、先に入れておいた唐辛子、にんにくとともに弱火で炒めていく。見込み通り、アンチョビは次第に細かくなっていった。

「先輩、パスタがそろそろですね」
「それじゃ、茹で汁をお玉1杯だけ入れてくれないか」
「はーい」

 フライパンからじゅわっと音がして香りが立ち、食欲をそそる。

「パスタも入れちゃいますね」
「ああ、頼む」

 オイルを絡ませ、具をよく混ぜながら炒める。最後に菜の花を入れたら、味の素をほんの少し、2振りだけして全体に馴染ませていく。こうすることでアンチョビの尖った味の角がとれるのだ。

「最後にスライスした新玉ねぎを混ぜて、っと」
「菜の花とアンチョビのリングイネ、完成ですね!」
「このままでもいいけど、好みでレーズンを乗せたり、レモン汁をかけてもいいと思う」

 シンプルな魚介系パスタということで、シチリア料理の方向に寄せていく。

「まぁ、そのへんは食べながら味変していきますか。いただきます!」

 *

「新玉ねぎと菜の花、春の味ですねぇ」
「アンチョビとの相性は抜群だな。また作ってみよう」

 シャキシャキした玉ねぎに、柔らかく茹でた菜の花。そこにアンチョビのややクセのある旨味が絡む。さらにレーズンで甘みを加えることで、より味が複雑になっていく。

「オイルサーディンにレーズンという食べ方も先輩から教わったんですよね。アンチョビとも合いますね」
「アンチョビは単独だとクセが強いから、いろんな味と組み合わせるのがコツなんだと思う」

 あまり使ったことのない食材である。これを機会に色々試してみるのもいいかも知れない。

「ところで、部屋の片付けは進んでるか?」
「ええ、箱詰めとか始めてますね。大きいものは先輩に手伝ってもらわないとですけど」

 食べながら引っ越しの話をする。

「この部屋はそのまま弟に明け渡す予定だけど、それでも私物の整理はしなきゃな」
「冷蔵庫とか炊飯器とかは大きい方を持っていって、小さい方は弟さんに残すんですよね」

 冷蔵庫は俺のものを持っていって、かわりに彼女の使っていたものを弟のためにこの部屋に残していく予定である。逆に、炊飯器は今の俺が使っている年代物を弟に譲る。うまい具合に割り振って、ほとんど出費無しで家財道具を揃えられる算段だ。

「引越屋さんに電話しなくて大丈夫ですかね?」
「ああ、それならレンタカーで軽トラでも借りて自分たちでやろうと思ってる」

 運ぶ荷物はそれほど多いわけではない。弟の手も借りればなんとかなりそうだ。

「頼もしいですね、男の子って感じで。まあ最悪でも私の部屋のものさえ撤収すれば、残りは後からでもいいんですけど」
「大学が始まる前に片付けたいけどな」

 4月からは忙しくなりそうだ。3月中に済ませておきたい。

「私も妹に手伝ってもらうので、大丈夫ですよ」

 部屋を決めて引っ越しの準備を始めると、いよいよ新生活が始まるという実感が大きくなる。来年度はどのような年になるだろうか。
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