小さな国だった物語~

よち

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【58.一人の少年②】

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出陣の日を迎えた、夜明け頃――

「あ…」

深夜に徴兵だと駆り出され、支給された防具を渋々その身に纏った少年は、人でごった返すスモレンスク城から広場へと続く大通りで仲間の一人を見つけると、思わず安堵の声を漏らした。

「なんだ、お前も来たのか」

仲間の一人は、少年の冴えない風貌を意外そうに受け止めた。

「ああ。夜中に、連れてこられてさ…」

まいったといった風に、少年は虚しさを滲ませる。

「お前が来るって事は、ほんとに大戦おおいくさなんだな」
「え?」

返ってきた風聞ふうぶんに、小さな戸惑いを少年は返した。

「どういうことだ?」

不安が灯って、仲間の隣に腰を下ろした。
慣れない防具の湾曲が、どうにも座り心地を悪くする。

「そのままだよ。ロマン様、意地になってんだろうな」
「……」

声を吐き出した横顔が、少年の方を覗くことは無かった。
酔った勢いもあって肩を組み合った仲ではあったが、出陣前の重たい空気の膜が、彼を覆っているように感じた――

「行った事、あるのか?」

それでも、少年は尋ねた。
圧されて黙ってしまったら、未来の空気に耐えられない――

「…これで、三回目だよ」
「三回目?」

相手は同い年で、身分も同じだった筈だ。少年は、思わず訊き返した。

「お前のところも、貴族だろ?」
「……」

何気ない質問の回答は、暫くの時間を要した。

「お前は、お気楽だな…」

やがて侮蔑を含んだ言葉がやってきて、それでも男は呆れたような声で発言を続けた。

「貴族ったって、階級があるんだよ。俺やお前のところなんて最下層だ。貴族の権利を守る為に、ウチは兵役を、お前のとこは、金を払ってんだよ」
「……」

そんな筈は… と浮かんだ疑問を、少年は呑み込んだ。

目の前の男は自分と同じで、安酒を飲み回し、無為な時間を共に過ごす貧乏貴族の仲間同士だと思い込んでいたが、確かに一ヶ月ほど姿を見せないことは何度か有った気がする――



「すまん…な…」

およそ8時間前。
やってきた憲兵に徴兵だと告げられた昨夜のこと。

厚い玄関扉から覗く微かな明かりと共に届いた父親の声が、少年の頭を過ぎった――

弟だけではなかったのだ――
深夜の路頭で見下した父親は、自分の為にも尽力してくれていた――

想えば、そこかしこに支えの跡がある――

「……」

下級の貴族が地位を保つには、上級貴族に対して何らかの貢献が求められる――

下級貴族は、上級貴族にはなれない――

絶対では無いが、なれないのだ――


「……」

知らなかった、国家のからくり…

いや、そうではない。知ろうとはしなかった――

少年の心を、恥ずかしさが襲った。


「……」

地図を頼りに、歩くこと。

楽なのだ――

靴跡に合わせて、足を置く。

安全なのだ――

しかし、彼が渇望するものではない――


少年が抱える焦燥は、過ごした時間が懈怠けたいだったと認めることへの嫌悪――

仲間が前へと進み、離れる事への苛立ち――


彼は、ほんの少しの自覚を灯した――



「立て! これより、大広場を通って、城門を出る!」

朝日に輝く銀色の甲冑を身に纏った上級兵士が、胴回りとひたいに防具をあしらった栗毛馬の上から、高らかな声で指示を叫んだ。

「大広場か」

立ち上がった仲間の強調するような声色が、少年の鼓膜へと届いた。

その場所は、軍の副将ブランヒルやカプス、ベインズが、出陣前に酒を酌み交わした場所である。

上級貴族だけが足を踏み入れる事を許される、特別な場所――

「名誉だな…」

どこからか、心の声。

そうなのか? と口から出そうになって、少年の動きは止まった。

沈んでいた筈の仲間の表情には赤みが差して、瞳には、未来を見据える希望の光が、確かに宿っていたのだ――


やがて、隊列が動く。

大広間の中央には石畳を埋め尽くすように踏み台が敷かれ、その一団高い位置には、ラッパや打楽器、グースリを手にした音楽隊が、それぞれの音色を厳かに鳴らし合っていた。(*)
楽譜も何もない音の羅列ではあったが、勇壮な雰囲気を作り上げるには十分なシロモノであった。

更に一段高い位置には、上級貴族の官職が数十人、更には緑、白、紫の布地に金銀の刺繍を施した神官服を纏った司祭達が、天に向かって両腕を広げ、熱心な祈りを捧げていた。

広場の周囲には、上級貴族と思われる身なりの整った者達が集い、目の前を進む隊列に対して、それぞれが、思い付いた励ましの言葉を無責任に投げ掛けている――


少年が石畳の大広場に足を踏み入れると、白い朝の眩しい光が、目の前の視界を覆った――

サッと少年は、思わず右手を翳した。

「神に、祝福されているようだ…」
「ああ…」

同時に周囲から、崇めるような声が届いた。

(確かにな…)

熱気をいっぱいに含んだ、夏の力強い朝の光は、何かしらの大きな力を与えてくれる気がした――

沿道に並ぶ上級貴族の見送りを受けた少年の表情は、少なからず未来を窺う、誇らしげなものへと変化していた――



トゥーラへと向かう経由地。カルーガの村。
大軍ゆえに村に入れなかった二人は、剥き出しの地面の傾斜を見つけると、そこで一晩を過ごすことにした。

腰を下ろし、配給された固い丸パンを犬歯で齧った。
慣れない具足に脚の痛みは増していて、あちこちで同僚の嘆きの声が上がっていた――

同じ新参者や不慣れな者が、それだけ多いのだ――

「……」

安堵を求めた少年が夕焼けの空を見上げると、隊列を組んだ鳥の羽ばたき達が西へと流れていった――



「なんで、お前なんだ?」

一息ついたところで、友から尋ねられた。

「何が?」
「お前のとこの割り当ては、一人なんだろ?」
「……」

その通りである。
しかしながら、彼の父親は何度も戦地へと赴いて、貴族の称号を手に入れた。

前回の出征から、4年ほど経っている。子供だった自分も、大人になった。
加えて今回の出兵は、急な通達であった。

貴族の地位を保つために怠惰となった父親が、いまさら戦地へ赴くというのは、到底無理に思えた。


では、弟は?

少年の心に、一つの疑問が灯った。
弟はあの日、在宅していなかったのだろうか?

「……」
 
居たはずである。
若しくは徴兵が行われることを知った両親が、どこかへ使いにでも出したのだ。

「……」

それでも少年の心に、怒りが生じる事は無かった。

詮索したところで、虚しくなるだけである。

なにより自身でさえ、未来を想って机に向かう、弟の姿を認めたのだ――


背中を震わす母親に、あの日、声を掛けたのは弟だった――

兄である自分は、立ち入る事をしなかった――
すなわち、現実から逃げたのだ――

どちらを頼りとするか、比べるまでもない――



「そういえば、お前のところは…」
「ウチは、三人だ。兄弟三人、全員参加してる」

まるで他人事のように、答えが軽い調子でやってきた。

「一緒に、居ないのか?」
「居ないようにしてるのさ。全員が同じ部隊で、全滅でもしたら、ウチは終わりだ」
「……」

言われてみると、合点がいく。
少年には考えが及ばない事ばかりで、自然と言葉に詰まった。

「まあ…そんなに悲観する事もないさ」
「そう…なのか?」

落胆の表情に対して、経験者が気休めの言葉を吐き出した。

「ああ。これだけの大軍だ。負けるわけがねえ。トゥーラなんて、小さな城だろう? 一気に潰せるさ。それにな、下っ端とはいえ、俺たちは貴族なんだぜ。まともに戦うことなんて、ねえよ」

友の声は平坦で、明るいものであった。

「……」
「不安か?」

それでも憂いを帯びた表情に、再び声が掛けられる。

「まあ…」
「それじゃあ先輩として、戦場で一番大事なことを教えてやる。分かるか?」

友の顔が、誇らしげになって尋ねた。

「そりゃあ…武功を上げること?」
「違うね」

しばらく考えて浮かんだ答えは、正しいものだと思ったが、即座に否定された。

「じゃあ、なんだよ」

苛立ちを覚えた少年が答えを求めると、口角を上げた表情から、短い一言が放たれた。

「死なねえこと」



それから、三日が経った。
林立する白樺の間に、二人の姿があった。

地表に届いた力強い夏の陽射しは湿気を生み出して、兵士達の不快な気分を十二分に高止まりさせていた――

(俺は…なんでここに居るんだ?)

重い防具に全身を覆われた少年は、僅かな鉄兜の隙間から、隊列の前方で濛々と立ち昇っている黒煙を、不思議そうに眺めていた――


不穏な空気は、嫌でも感じた。

初日の戦いで、敵の抵抗が予想以上だという話が知れ渡った。
逃げ戻って来る先輩たちは、誰もが疲弊していた――

無理もない。狭い視界と熱気の中、矢羽の雨が降り注ぐ道中を、重たい鎧を纏って突撃しては、意気消沈して戻って来るのだ。

「クソッ! アイツら強い…」

鎧兜を脱ぎ捨てて、前のめりになって膝をつき、大地にゴロリと転がった一人の兵士が、荒い息遣いの中から苛立った言葉を搾り出す。
何度も徴兵に応じているベテラン兵士の重たい発言は、瞬く間に広がった――



二日目に入ると、焦りは全軍の感じるところとなっていた。

太陽の位置を確かめる度に、気温が上がっていく。
待機を命じられているだけなのに、顎の下には、じわりと汗が滲んだ――


決戦の二日目に、早朝から総攻撃を仕掛け、トゥーラの城内へと一気に雪崩れ込む――

そんな青写真を、彼らは伝え聞いていた。
役目を担うのが、多くの下級貴族が集まった、少年が配属された部隊であると――

「より多くの戦利品を獲るために、各自奮闘せよ!」

しかしながら、勝利に繋がる号令が、上官から発せられることは無かった――



「立て!」

命令が飛び、周りの兵士に釣られるようにして立ち上がる。

「これより、全軍を挙げての総攻撃を行う!」

暫くすると、銀色の甲冑姿が集まる前の方から力強い声が届いた。

(え?)

ざわっとした重たい空気が、嫌でも伝播していくのを少年は感じた――

「なんか、ヤバイ気がするな…」
「……」

左の鎧姿から、友の声がした。

前からの訓示は、なおも続いている――

「スモレンスクの栄光は、明るいものである! 神の審判を、皆で見届けようではないか!」

やけっぱちのような、大きな歓声が沸き上がる。
隊全体を奮わせる演出に覆われて、少年の心は戸惑った――

だからといって、何をどうすれば逃れられるのか――

「人を殺すなんて、やったことねえよ…」
「俺だってねえよ!」

決して大きな声ではないが、不安となった心の叫びが方々で漏れ出した。

ふっと左に目をやると、決戦を前にした友人が、腰を落として軍靴の紐を結び直していた――


「無心になれ!」

誰かが説いた。

「でも…」
ったことがねえからって、下がるのかよ!」
「……」
「未経験だからって、死ぬのか!?」
「……」

やがて、隊列が動く。
ぼやけた大きな意志の塊が、抗う術を圧し潰した――



「突撃!」

最期の時。
少年は、熱気の籠った号令を耳にした――

士気を鼓舞する大声が、一斉に大きな人波を作り出す――
抗えない圧力に、少年の足はおのずと前へと踏み出した――

起伏の富んだ林の中。
歩みの鈍い甲冑の背中たちによって塞がれていた視界が僅かに開くと、煙の向こうに灰白色のトゥーラ城を捉えた――

意気に感じた集団は、自然と足の運びを速くする。

「うわわっ!」

その時だ。
少年の左から、予兆の無い驚嘆が耳に届いた――

「お、おい…」

少年が思わず首を捻ると、友の姿が消えていた。軍靴が脱げたようだった。

流れる隊列の中で後方を見やると、仲間はその身を地面に預けて、左手だけを無念そうに翳していた――


少年は、この時17才。

己の死について考えるのは、残り時間を考える事でもある。

若さゆえの鈍感は、大層な傲慢を生み出して、己の生が途切れることを遺却する――


トゥーラ城の南側では、黒煙が昇っていた。
少年の進む西側は、風下となる。
それでも得体の知れない悪臭は、容赦なく鼻腔を襲った――

「うっ…」

壕に掛けられた木製の梯子を渡ろうと足元を見やると、銀色の甲冑を土で汚した、積み上がった無残な屍たちが覗いていた――


 死ぬ…


少年は、真実を思った――

それは頭脳で考える理ではなく、生命としての、終焉の刹那――


ふと、一つに気付く。

倒れたアイツは、逃げたのだ――

軍靴の紐を、解いたのだ――

「……」

確証は無い。しかし――


卑怯者…

頭に浮かんでも、少年は思わず打ち消した――


抗ったのだ――

アイツは、未来を望んで、選択をした――

それで、俺はいったい何をした?



――――――――――――――

「……」

一方の、対峙するトゥーラの一番高い場所。

赤みの入った癖のある髪の毛を、南東からの風に任せた小さな王妃の頬には、涙が伝っていた――


 歪んだ口元には、悔しさが

 見据える瞳には、怒りが

 生気の消えた乾いた顔の表皮には、絶望が浮かんでいた――


目の前には、横陣に並んだ敵の姿がある。

「なんで?」

何故なにゆえ、向かってくる足を止めないのか…理解ができない。

「帰りなさいよ…」

これ以上の戦いに、どんな望みを託そうというのか…


リアの頭の片隅に、養父ルシードの言葉が過ぎった――

『総てが思うようには行かないって事は、忘れるな』
『次にスモレンスクと戦う時、それが分かろう…』

「……」

分かりたくもない。

それが、何だと言うのか。
知ったところで、どうしろと言いたかったのだ…

理解のできない怒りが湧いて、リアの小さな身体が、小刻みに震えた――


「…ヵなの?」

掠れたような怒りの声を発した刹那、くらっと頭が揺れて、ぐにゃりと視界が歪んだ――

沈黙していた疲労が、再び彼女を襲ったのだ――


それは、幾多の争いで散った生命たちの、魂の叫びである――


命あるものは、等しい筈なのに、彼らを下等なものとして呼称する

ヒトの構造は大きく変わらず、知能が発達しただけである

それだけで一線を画し、凌駕したと自惚れる愚かな生きもの

培った能力を誤りに向け、続けていることは同種を滅するまでになったナワバリ争い

動物以下の所業…



「バカなの!!」

太陽の光に照った大粒の涙が、宙に舞った――

思いの丈を込めた叫びが、空しく、空へと響く――

力尽きた小さな身体は、崩れた両の膝を藁に落とすと、前のめりに、ふわりと…

枯れ落ちた葉っぱが大地へと朽ちるように、柔らかに崩れた――



例えば、人は想う。

死ぬ時は、安らかに――

しかし、生涯に渡って灯すことなく――

この日、一人の少年が、砂塵の向こうからやってきた一発の砲弾に頭を吹き飛ばされて、大地に散り堕ちた――




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*グースリ
膝の上に置き、両手で奏でる古代ロシアの琴。大きさは様々で、概ね50cm~1Mほど。
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