小さな国だった物語~

よち

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【44.王妃の代役①】

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「退きましょう!」

投石器の登場に、南西の見張り台に足を置いていたトゥーラの若き美将軍ライエルは、整った顔立ちに焦りの色を浮かべると、鋭い声で指示を発した。

彼の声が都市城壁の上を伝播していくと、ある者は梯子を使って、またある者は城壁を補う為に積まれた石積みの斜面を、腰を落として鮮やかに滑り降りていった。

「来るぞ!」

見張り台の兵士が、大声で叫ぶ。
やがて、一発の岩石が、おののきやがれと空から降ってきた――

「避けろ!」

予備の兵士は、一足先に居住区まで退いている。そのうちの一人が、青空の中を向かってくる岩石の方向と落下地点を予測して、城壁から撤退する仲間達に、頭上で腕を振るって逃げる方向を伝えた。

一発目が幸運にもドスンと音を立て、地面へと刺し堕ちる。落下の衝撃で、抉れた土がババッと周辺に飛び散った。

「ひいっ」

思った以上の衝撃に、軽装備の一人の民兵が、青い顔になって思わず叫んだ。

過去の戦いでは、投石器を使った攻撃を受ける機会が少なかった事もあって、初見の者も多いのだ。刺し堕ちた砲弾は、ゴロゴロッと転がって、住居の壁にドスンと音を立てて止まった。

砲弾は角を取り、転がり易いように加工を施してある。建造物を直接破壊する事が目的では無いのだ。
落下した後にどれだけ威力を発揮できるかは、投石器の性能だけではなく、射出角度や、こうした加工技術に依るのである。


「見張り台からも、撤退して下さい!」

敵の動きから、大量の投石器の存在を察知したライエルが、大きな声で指示を飛ばした。

「良いのですか?」
「構いません!」
「は」

部下が浮かべた疑問に対し、即座に返す。
迷いの無い返答は、不安の生じる要因を減らしていく。

都市城壁の弓兵が退いたからには、見張り台に留まっては標的にされるだけ。
数に劣る状況下、負傷者を増やす訳にはいかない。
部下に撤退を促したライエルは、最後に自身が梯子を下りると、それを両手で取り外して、えいやと地面へと投げ倒した。

「撃って下さい!」

続いて都市城壁の上から人影が消えたのを確認して指示を飛ばすと、住居の裏から持ち出された小型の投石器が、一つ、また一つと、直径15センチから30センチほどの岩石を、城壁の外へと弾き始めた。

「弓兵も、撃つように!」

並んだ投石器の後ろまで退くと、今度は自身も弓を構える。
都市城壁に配置した弓兵が退いた事により、敵は簡単に城壁に梯子を掛けて、登ってくるに違いなかった。

「いいですか! 訓練の成果を見せるのは、今からです!」
「おう!」

ライエルの掛け声に、弓兵が一斉に構えを取った。
敵の総数は多大だが、壕と柵と落とし穴によって、随分と削った。

ここからは、敵が運んできた投石器と、弓兵の熟練度の勝負になる。
飛んでくる岩石と矢羽をけつつ、いかに城壁を越えて現れた敵を、確実に射る事ができるか――

「……」

城壁の向こう。見えない敵に向かって矢羽を放ちながら、ライエルは冷静な分析を行うのだった――



「退いたぞ! 梯子を掛けろ!」

都市城壁の上に並んでいた弓兵が撤退する姿を確認して、スモレンスクの総大将ギュースは林の中の本陣で、100キロを超える体躯を立ち上げて叫んだ。

当初はトゥーラを囲う壕と柵によって足止めを食らい、城壁の上から矢羽を浴びる格好になったが、ここからは、過去の戦いと同じである。
投石器からの砲弾と、放たれる矢羽の雨を避けながら、いかにして城壁に梯子を掛け、城内へと兵を送り込めるか――

「……」

多数の投石器という新たな援護を獲得し、兵の士気は高い。
巨大な落とし穴によって直接的な攻城兵器の使用は不可能になり、南の城門を外からぶち破る事は敵わなくなったが、却って東西、加えて北の三方向からの攻撃に集中することができる。

敵の数は決して多くない。数を頼りに圧し切れる。
スモレンスクの総大将もまた、士気の高い兵士の姿を眺めながら、冷静な状況判断を行っていた――


夜明けの開戦から5時間もすると、薄い雲を突き抜けて、夏の太陽の陽射しは益々強くなっていく。

消耗戦を強いられるトゥーラの兵士にとっては長い、攻め込むスモレンスク軍にとっては短い、日没までの残り時間は、12時間を切っていた――



「南は、投石器だけに気をつけろ! 敵は東西から登って来る! 確実に仕留めろ!」

南側。唯一の都市城門の裏側で、トゥーラの大将軍グレンが叫んだ。

敵の侵攻に備え、新設した防御壁に配置していた近衛兵は早々に撤退させた。
現在彼らは弓を持ち、投石器の後ろと、住居を兼ねる射撃塔の2階と3階に、二人から三人で配置に就いている。
更に屋上では、お手製の投石器を持った少年兵が、三人一組で待機をしていた。

都市城壁の外側は確認できないが、今はただ、姿を現した敵に対して怒りをぶつければ良い。
弓兵の後ろには部屋いっぱいに大量の矢羽根が、少年兵の後ろには、握りこぶし大の石が大量に積み上げられていた。

「ここは任せるぞ! 西を見てくる!」

情勢を見るに、主戦場は西側だ。
グレンは残る兵士に鼓舞すると、10人ほどの近衛兵を引き連れて、西側へと向かった――



過去に倣って西側でも南側と同じような布陣を敷く中、ライエルは背丈ほどの投石器の骨組みを盾にして、放てるだけの矢羽を、文字通り闇雲に放っていた。

巨大な落とし穴が敵の侵攻を阻んでいる南側とは違って、相手は城壁のすぐ近くまで迫っている。
少しでも足止めになれば、あわよくば一人の戦力でもげたなら、それで良いのだ――

一箇所、また一箇所と、向かってくる砲弾の起点が増えていく。
城壁に掛けた梯子を登る兵士に当たらないように、侵略軍の投石器の砲弾は、高い弧を描いて飛んできた。

「きたぞ!」

ライエルの上、射撃塔の3階で配置についた兵士から、危険を知らせる大きな声が飛び出した。

ついに高さ10メートルを誇るトゥーラの都市城壁に、梯子が掛けられたのだ――

その先端が、城壁の向こうの白い空を背景にして、不気味となって浮かんでいる。
やがてそれを、我先にと侵略者たちが登ってくるに違いない。

「……」

10メートルの垂直を登って来るのに、何分ほど掛かるのか…
今か今かと、空に浮かぶ梯子の先端に覗くであろう敵の姿を思い描きながら、トゥーラの弓兵は射撃の構えを取った。

「え?」

だが、城壁の向こうで起こった次の変化は、予想外のものだった。

ヒョコッと、3メートルほどの間隔を置いた場所に、新たな梯子が姿を見せたのだ。
それが、もう一つ、もう一つと増えてゆく…

「おいおい…」

都市城壁の幅は、約300メートル。短い間隔で梯子が並び、一斉に登ってこられたら、いくらなんでも対処するのは難しい。

「倒せ!」

下から叫び声を上げたのは、南から走ってきた総大将、グレンであった。

「ライエル! 梯子を崩せ!」

言いながら、城壁に設けた足場へと向かって伸びる梯子に手を掛けて、いかつい身体を身軽に操って登り始めた。
別の梯子にライエルが手を掛けると、二人の兵士が後から続いた。

城壁の内側にある梯子は、石積みの斜面に沿って掛けられているので、安定していて登りやすい。
対してスモレンスク兵が登る外側は、垂直の石壁に、高さ10メートルを超える梯子を急な角度で立て掛けただけである。
無風ではない中、しなって揺れる梯子を登るのは、決して楽ではない。

「くっ」

都市城壁の上部に設けた足場にグレンが立つと、すぐさま城外のスモレンスク兵から狙われた。
しかしながら、そんな危険を犯してまでも、やらなければならない事があるのだ――

空気を切り裂く矢羽の勢いを頬に感じながらも、グレンは城壁の向こう側に掛けられた、ひょっこり浮き出た梯子に手を掛けると、それをありったけの力で横にずらそうとした。

「むむっ…」

びくともしない。
いかに腕力のあるグレンと言えど、掛けられた梯子を一人で動かすのは容易では無かった。

「ロープを!」

梯子を登り、上司の様子に気付いたライエルが、眼下の部下に指示を飛ばす。
居住区外周の民家には投石器の部品や修理道具なんかも保管されているので、大概のものは揃っているのだ。

指示を受けた兵士が数本のロープを肩に掛けて梯子を登って来ると、矢羽の標的にならぬよう中腰になって足場を移動したライエルが、腕を伸ばして受け取った。

「掛けられるか?」
「なんとか…」

腰を屈め、城壁に身を寄せながら話すグレンに対して、ライエルが同じ姿勢で答えると、ロープの先端に輪っかを作った。

「矢が止まったら、行くぞ!」
「はい」
「俺は、援護に回る。後ろの3人で、なんとか崩せ」

何を成そうとしているのか、相手も承知だ。
城壁の上に姿を現わしたら命は無いとばかりに、5人の頭の上を、幾つもの矢羽が掠め飛んでいく――

「…よし」

しばらくすると、矢羽の雨が止まった。
つまり、スモレンスク兵が乗り込んでくるのだ。

グレンは護身用に設置してある槍を手に取ると、勢いよく立ち上がった。

「うおりゃ!」

ほぼ同時に、都市城壁の向こうから、一人の兵士の鉄兜が覗いた。
それはたちまちグレンの掛け声と共に、放たれた槍の一突きによって潰れる事となる。

声すら上げる事もなく、一番乗りを目指した兵士は、都市城壁の外側10メートル下へと墜ちていった――

「引け!」

梯子の突き出た部分にロープの輪っかを引っ掛けると、ライエルが叫んだ。

「せーのっ!」

ライエルが、梯子そのものに力を加え、グレンがその先端を槍で突き押し、3人の兵士が立ち上がってロープを引っ張った。

「うお!」
「うわぁ」
「うぁぁぁ」

城壁の向こう。下の方から悲鳴と絶叫が立て続けに聞こえてきた。
引き倒した長い梯子が、ドミノ倒しのようになって、間隔の狭い隣に掛けた梯子と衝突をしたのだ。

「よし!」

大成功である。
これで隙間なく梯子を並べ、大挙して登って来るという相手の作戦は潰した。

事を成し終えると、一同はひとまず敵の矢羽を避ける為、城壁を盾にして背中を預け、安堵の息を吐き出した。

「やったな」
「はい…」

父親代わり。グレンの高揚した声に対して、ライエルも整った顔立ちに少年のような微笑みを浮かべると、同じような声色になって喜びを分かち合うのだった――

「……」

おもむろに、グレンは右の拳を頭上に掲げると、トゥーラの中央に建てられた、城の屋上へと視線を送った。

彼の視線の先では、国王付きのラッセルが、両手を頭上に突き上げて、誇らしげに作戦の成功を伝えていた――
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