海辺の光、時の手前

夢野とわ

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放課後になって、有紀が教室の中を掃除していた。
金魚鉢の中の、金魚たちが静かにスイスイと泳いでいる。
有紀は、思ったよりも真剣に、細い腕でモップがけをしている。
付けはじめたストーブの音が、静かに唸っている。
「長谷川さん」と、僕が言った。
「ああ、幸人くん」と、有紀が目を落としたまま言った。
僕は教室の中の机の椅子を一つ引くと、そこに座った。
そして有紀の様子を眺める。
「どうしたの」と、有紀が言った。
「いや」と、僕が言った。
「気になっていることがあるんでしょう。すぐ分かった」と、有紀が言って、モップを動かしながら笑う。
「そうだよ」と、僕が言った。
へえ、とまた有紀が言った。
「あの夏のこと一体何だったんだろう」と、僕は言った。
「気にしているのね」と、有紀が言った。
「そうだ」と、僕は真剣になって言う。
有紀が、モップの手を止めた。僕は静かに、教室の中で立ち尽くしていた。
秋が深まって、窓の外の木々の梢が、さやかに揺れている様だった。
あの夏――。僕は確かに、札幌にいた。そして、僕は「高梨幸人」ではなくて、「森島明」だったのだ。
「君はあのとき、私が動かなければ、と言った。あれは一体どういう意味だったんだい」と、僕が長々と言う。
「ええ。きちんと話しましょう」と、有紀も席を引いて、そこに腰掛けた。
「図に書いてみよう」と、僕は黒板の前に立って、こう書いた。


11時51分 音楽室
僕がいた場所 新見高校(夏)
行った場所 冬の札幌

「これは一体どうしてだい」と、僕がチョークを静かに置いて言った。
有紀は、静かに頷いて、黒板の前に近付いた。


並行した世界

新見高校(A)→ 札幌(B)

Aは、現実の世界 Bは、あったかも知れない世界
B→A A←B 動かす

意志の疎通(頭痛がする)

AからBへ呼びかける

有紀はこう書くと、チョークを置いた。

「呼びかける?」と、僕が有紀に聞いた。
「ええ。ある時、私はあったかも知れない世界に呼びかけられる様になった」と、有紀がそう言った。
そう、有紀は囁くように言うと、学校鞄の中から、ノートを取り出した。
そして、ノートの一枚をビリビリに破くと、閉まっていた窓を開け放った。
「何してるの。寒いよ」と、僕が言う。
有紀は、破いたノートを両手で、窓の外に放りなげた。
白い紙くずは、花弁の様になって、ひらひらと秋の校庭に落ちて行った様だった。
有紀はすぐにまた窓を閉めると、黒板の前に立って、チョークでこう書いた。


A 教室の中で高梨幸人が見ていた光景
B 下に落ちて行った、見えない落下したノート


「Aは見えているわね?」と、有紀が僕に訊いた。
「ああ」と、僕が言った。
有紀は、赤いチョークでAの項目を消した。
「じゃあBは?」と、有紀が僕に訊いた。
「窓の下は、ここからは見えない」と、僕が言う。
有紀が息を飲んだのが、分かった。
「分かったわね。そういうことよ」と、有紀が言った。
僕は、少しだけだが、有紀の言いたいことが分かった様な気がした。
それよりも、有紀が窓を開け放って、白いノートを校庭に投げ落とした時の背中に、何か言いようのない悲しみがあるような気がした。
「もうこれ以上は、聞かないことにするよ」と、僕が言った。
「ええ。ありがとう」と有紀が言った。
「少し分かった――。僕は長谷川さんほど、頭が良くないけど、何かそういう――」
「ええ。それで充分だわ」
僕らは、秋の教室の中で立ち尽くしていた。
そして、有紀の眼から涙が、何か生き物の様に、勢い良く流れ出した。
僕はただそれを見ていて、泣き続ける有紀を後に、教室のドアをそっと閉めた。

※(第一部終わり)※
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