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2.age.10 将来の夢と近所のおばちゃん
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「結衣ちゃん、"将来の夢"ってもう出した?」
クラスメイトからそう聞かれ、文集に載せる予定の三センチ四方の四角い紙をお道具箱から探す。自分の似顔絵と将来の夢をそこに書いて提出することになっていたが、期限はまだ先のはずだ。私は白地に青い罫線の入ったそれを取り出した。
「まだ書いてないや。茉莉ちゃんは?」
「私は書いたよ! 見る?」
私が返事をするのにかぶせて、茉莉ちゃんは自分のものを見せてくれた。
大きなキラキラの目に、花とリボンの沢山ついたドレスを着た女の子がそこには描かれていた。もっとも、紙の大きさ的に全身は描けないから、胸から上のみだったが。そしてその下には、丸っこい文字で「およめさん」と書いてある。
「茉莉ちゃん、およめさんになりたいんだ」
「うん、早く結婚したい! こないだ従姉のお姉さんの結婚式行ったんだけどね、ほんとうに可愛くて可愛くて。私もあんなドレス着て、皆におめでとうって言われたいなって思って」
「そっかあ。私も早く考えなきゃなー」
"将来の夢"なんて言われても、いまいちピンと来ない。将来って、いつ? 大人になったら、二十歳くらいになったら、そこが"将来"になるのかな。
――ふにゃあ、ふにゃあ。
放課後、家で漫画雑誌を読んでいた時のこと。ふいに猫の声のようなものが聞こえてきて、お母さんに「この辺、猫なんていたっけ?」と問いかけた。
「あら、猫じゃないわよ。下の階の新婚さんのとこ、赤ちゃんが産まれたのよ。今のは赤ちゃんの泣き声よ」
赤ちゃんって、猫みたいに泣くんだ。「おぎゃあ」って泣くんだとばかり思っていた。
後日、赤ちゃんを抱っこする新婚さんの奥さんに会った。挨拶をしてから「赤ちゃん見せて」というと、「眠ってるから、そっとね」と言いながら、少しかがんで赤ちゃんの顔を見せてくれた。
その時の匂いや雰囲気は、今でも鮮明に覚えている。
ほんわかしたミルクの匂い、そして、漫画で言えば点描というのだろうか――淡い点が無数に飛び散っている、穏やかできらきらした空気表していると思われる、そんな雰囲気を奥さんと赤ちゃんは全身に纏(まと)っていた。
茉莉ちゃんのなりたい「およめさん」は、結婚式のことを言っているんだと思う。でも、その少し先の未来がこの奥さんと赤ちゃんのようになるんだったら、素敵だなと思った。
――ゴゥラァ、宏太! 妹いじめんなっつったでしょもおお!!
――ぎゃあああああお兄ちゃんがぶったあああああああ!
――だってこいつが俺のゲーム勝手にさあああ!
また始まった。隣の家はいつも窓全開だからか、こういう会話が毎日のように聞こえてくる。
その時私は、奥さんと赤ちゃんのことを思い出していた。
「ねぇお母さん。隣の家の宏太もさ、昔は赤ちゃんだったんだよね?」
私の質問に、お母さんは少し笑って答えた。
「当たり前じゃない。宏太君も、もちろん結衣も、最初は下のおうちの赤ちゃんみたいにちっちゃかったのよ」
「じゃあさ、隣のおばさんも最初は下の奥さんみたいだったの?」
「え、うぅん……その頃は私たちはまだここに住んでなかったから知らないけど、そうなんじゃないかしら」
隣のおばさんは、まさに"おばさん"という言葉がしっくりくる。
太ってて、なんかボワボワした頭をしていて、よれよれのトレーナーを着ていて。下の奥さんはまだ"お姉さん"という感じで、おばさんと呼ぶような対象には見えないのに。
(あのおばさんが、かつてはドレスを着たおよめさんで、可愛い赤ちゃんを抱いた奥さんだったとか、想像がつかなすぎる)
そしてそれは何も隣の宏太のおばさんだけでなく、同じ社宅に住む他のおばさん達も、似たようなものだった。もちろん、自分のお母さんも。
下の奥さんも、いずれ「おばさん」に変化(へんげ)するのだろうか。
正直なところ、赤ちゃんからクソガキへの変化よりも、お姉さんからおばさんへ変化することの方が、何倍も不思議に思えた。
茉莉ちゃんは将来の夢は「およめさん」だと言った。「およめさん」になった先に、「おばさん」になってしまうことなんて、きっと考えたこともないだろう。
この「おばさん」という生き物は、自分とは別個の存在だと思っていた。「おばさん」は最初から「おばさん」であって、それ以上でも以下でもないと。
だが、「およめさん」と地続きの生き物であると知ってしまった。同級生が将来「およめさん」になって、「お母さん」になって、そして「おばさん」になっていくのだと。
その時に私に湧き上がってきたのは、一言でいえば、「恐怖」だった。
おばさんになってしまうなんて怖すぎるから、およめさんにはなりたくない。
将来の夢は、「考え中」で提出した。そうしたら、先生に注意された。何か適当な職業に書き直したのだが、今となってはもう覚えていない。
クラスメイトからそう聞かれ、文集に載せる予定の三センチ四方の四角い紙をお道具箱から探す。自分の似顔絵と将来の夢をそこに書いて提出することになっていたが、期限はまだ先のはずだ。私は白地に青い罫線の入ったそれを取り出した。
「まだ書いてないや。茉莉ちゃんは?」
「私は書いたよ! 見る?」
私が返事をするのにかぶせて、茉莉ちゃんは自分のものを見せてくれた。
大きなキラキラの目に、花とリボンの沢山ついたドレスを着た女の子がそこには描かれていた。もっとも、紙の大きさ的に全身は描けないから、胸から上のみだったが。そしてその下には、丸っこい文字で「およめさん」と書いてある。
「茉莉ちゃん、およめさんになりたいんだ」
「うん、早く結婚したい! こないだ従姉のお姉さんの結婚式行ったんだけどね、ほんとうに可愛くて可愛くて。私もあんなドレス着て、皆におめでとうって言われたいなって思って」
「そっかあ。私も早く考えなきゃなー」
"将来の夢"なんて言われても、いまいちピンと来ない。将来って、いつ? 大人になったら、二十歳くらいになったら、そこが"将来"になるのかな。
――ふにゃあ、ふにゃあ。
放課後、家で漫画雑誌を読んでいた時のこと。ふいに猫の声のようなものが聞こえてきて、お母さんに「この辺、猫なんていたっけ?」と問いかけた。
「あら、猫じゃないわよ。下の階の新婚さんのとこ、赤ちゃんが産まれたのよ。今のは赤ちゃんの泣き声よ」
赤ちゃんって、猫みたいに泣くんだ。「おぎゃあ」って泣くんだとばかり思っていた。
後日、赤ちゃんを抱っこする新婚さんの奥さんに会った。挨拶をしてから「赤ちゃん見せて」というと、「眠ってるから、そっとね」と言いながら、少しかがんで赤ちゃんの顔を見せてくれた。
その時の匂いや雰囲気は、今でも鮮明に覚えている。
ほんわかしたミルクの匂い、そして、漫画で言えば点描というのだろうか――淡い点が無数に飛び散っている、穏やかできらきらした空気表していると思われる、そんな雰囲気を奥さんと赤ちゃんは全身に纏(まと)っていた。
茉莉ちゃんのなりたい「およめさん」は、結婚式のことを言っているんだと思う。でも、その少し先の未来がこの奥さんと赤ちゃんのようになるんだったら、素敵だなと思った。
――ゴゥラァ、宏太! 妹いじめんなっつったでしょもおお!!
――ぎゃあああああお兄ちゃんがぶったあああああああ!
――だってこいつが俺のゲーム勝手にさあああ!
また始まった。隣の家はいつも窓全開だからか、こういう会話が毎日のように聞こえてくる。
その時私は、奥さんと赤ちゃんのことを思い出していた。
「ねぇお母さん。隣の家の宏太もさ、昔は赤ちゃんだったんだよね?」
私の質問に、お母さんは少し笑って答えた。
「当たり前じゃない。宏太君も、もちろん結衣も、最初は下のおうちの赤ちゃんみたいにちっちゃかったのよ」
「じゃあさ、隣のおばさんも最初は下の奥さんみたいだったの?」
「え、うぅん……その頃は私たちはまだここに住んでなかったから知らないけど、そうなんじゃないかしら」
隣のおばさんは、まさに"おばさん"という言葉がしっくりくる。
太ってて、なんかボワボワした頭をしていて、よれよれのトレーナーを着ていて。下の奥さんはまだ"お姉さん"という感じで、おばさんと呼ぶような対象には見えないのに。
(あのおばさんが、かつてはドレスを着たおよめさんで、可愛い赤ちゃんを抱いた奥さんだったとか、想像がつかなすぎる)
そしてそれは何も隣の宏太のおばさんだけでなく、同じ社宅に住む他のおばさん達も、似たようなものだった。もちろん、自分のお母さんも。
下の奥さんも、いずれ「おばさん」に変化(へんげ)するのだろうか。
正直なところ、赤ちゃんからクソガキへの変化よりも、お姉さんからおばさんへ変化することの方が、何倍も不思議に思えた。
茉莉ちゃんは将来の夢は「およめさん」だと言った。「およめさん」になった先に、「おばさん」になってしまうことなんて、きっと考えたこともないだろう。
この「おばさん」という生き物は、自分とは別個の存在だと思っていた。「おばさん」は最初から「おばさん」であって、それ以上でも以下でもないと。
だが、「およめさん」と地続きの生き物であると知ってしまった。同級生が将来「およめさん」になって、「お母さん」になって、そして「おばさん」になっていくのだと。
その時に私に湧き上がってきたのは、一言でいえば、「恐怖」だった。
おばさんになってしまうなんて怖すぎるから、およめさんにはなりたくない。
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