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最終章

名前

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「はい兄上、召し上がれ」

 遥星は蜜柑とお茶を机の上に置いた。

「ふーん、これは?」

「蜜柑って言う柑橘類の一種だって。柔らかくて生でそのまま食べられるよ」

 遥星は蜜柑の皮を剥こうとしたが、力を入れすぎたのか少し潰れてしまった。

「あれ? うーん、自分でやるとまだ上手くいかないなぁ」

「へぇ、前は誰かにやって貰ったの?」

「うん、詩音が綺麗に剥いてくれて」

「……なんか、仲良しだね、君たち。健全な意味で」

 健全、なのだろうか。
 詩音が怪我をした日以来、毎日彼女の部屋に通っているが、基本的にはお喋りをするだけだ。そういう意味では、健全中の健全なのだろう。一方で、彼女の所作一つ一つが煽情せんじょう的に感じて、心持ち的には全然健全でなかった。慣れれば、これも少しはましになるのだろうか。

「でね、こっちは安吉白茶アンジーバイチャっていう緑茶。ちょっと甘くて蜜柑と合うと思うんだ」

「白なのか緑なのかどっちだよ」

「白茶って付いてるけど白茶じゃない、緑茶」

「紛らわしい名前付けんな」

「いや、名前付けたの俺じゃないし……」


「紛らわしい名前と言えばさ、お前これ覚えてるか?」


 佑星がお茶を啜ってから竹簡を広げ、それを見た遥星は動きを止めた。

「いや、覚えてないというか、初めから知らなかった」

「お前ほんとに薄情だな、興味なさすぎだろ」

「一応書類には目を通したけどさ、姓しか書いてなかったし、特に会話という会話もする前にああなったからね」

「ま、単なる偶然だと思うけどな。女の名前なんて公式には残るもんじゃないし、不要な情報だったかもしんないけど」

 この国では、女性は実家の姓で呼ばれることが通常だった。名はあってないようなもので、記録として記されることはなく、単に呼び名として親しい者が使うに過ぎないものだった。

「いや、これは……なんか、つながるかも」

「ふーん、なら良かった。それよりも相当な箱入りだったみたいでさぁ、交友関係が全然出てこないのには苦労したわ。屋敷の使用人も散り散りになってたしな。でも、女の横の情報網はすごいねー。やっぱ持つべきものは、幅広い種類の女友達だよね」

「兄上のそれって、友達なのか?」

「俺の為に色々してくれるオトモダチよ、だーいぶお姉様だけど。あ、謝礼は弾んどいたからな」

「それは構わないけど。で、肝心の情報ってのは?」

「そう、これ。その友達の知り合いに悪趣味なババアがいてさ。そのお陰で手に入ったからな、ババアに感謝しろ」

「あんまりババアとか言うなよ」


 遥星はが書かれた箇所をじっくりと読み込んだ。


「ま、外側からわかる情報はそれが限度だな。あとは自白させるしかねーかな」

「初めのやつはこれでほぼ確定として、一連の件との繋がりは正直こっちの推論の域を出ないけどね。賭けだけど、外れたら一からやり直しだ」

「それは勘弁して欲しいなおい。僕疲れちゃったよ、オヤツちょーだい」

「はは、いくらでも」


 佑星は受け取った蜜柑を意外にも綺麗に剥いて、豪快に頬張った。


 。.。.+゜


 しばらくして詩音の怪我も快復し、公務に復帰できるようになった。

「詩音殿、お怪我の方はもうよろしいのですかな?」

こう大臣、お疲れ様です。休んでいる間、ご迷惑をおかけしました」

「なんのなんの。陛下も随分と精力的に過ごされておりました。貴方さまがいればこそですよ」

 大臣はそう言うが、いまいち実感はわかない。
 遥星は確かに婚儀の日を境に変わったのだろうが、それは詩音自身は何も関与した覚えはなかった。

(あの日、拒否られただけだし)

 思い出して少し凹み、その後の少し甘いやりとりを思い出して、顔がにやける。

「若いって、いいですなぁ」

 大臣にそう言われて、おかしな顔をしていたことに気付く。

(うわぁ恥ずかし。なんか初めて彼氏ができた時みたいな浮かれっぷりかも? アラサーのくせに私ってば)

 年甲斐もないとは理解しつつも、そうなってしまうのは止められなかった。ただ、せめて人前では出さないようにしようと決意した。


 遥星からは、怪我をする以前と同じように過ごして欲しいと言われていた。これまで通り、公務後の夕方は二人で宮殿のあちこちを周る、ということを続けた。詳しい"作戦"とやらは教えて貰えなかったし敢えて聞かなかったが、以前の話であればこのタイミングで"来る"のだろうと、詩音も覚悟していた。

 荷捌場にさばきばの担当者は、特におとがめはなかったそうだ。それを聞いた詩音は、ほっと胸を撫でおろした。


 そしてほどなくして、"勝負"の日は訪れた。
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