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第82話 異国の空の下

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「いったいどういうこと?」

 俺はシモンを店の外に連れ出して、日陰にあった平たい石の上に座らせた。

「うっ、ヒック、だって、僕のせいで、ジュールさんは、こんな、所にっ!」

 嗚咽を漏らすシモンの小さな背中を、俺はゆっくりとさすってやる。

「大丈夫だから、俺に教えて。泣かなくてもいいよ……」

 俺はシモンの隣に腰掛けると、シモンの手を握った。

「僕……、7歳の時に奴隷としてこの国に連れてこられたんです」

「奴隷っ!?」

 いきなりのびっくり発言に、俺は声を上げた。確か俺の国では奴隷制度はとっくの昔に撤廃されていたはずだ。

「お父さんとお母さんが事故にあって死んじゃって、
身寄りがなくなった僕を引き取ってくれるところがどこにもなくて……、
気づいたら人買いのおじさんにこの国に連れてこられていました」

「そんな……!」

 ――ひどすぎる!

「でもその時はそこまでつらくなかったんです!
たまたま大きな宿屋の旦那さんが僕を買ってくれて……、人手不足だったから、僕は宿屋の手伝いをさせられていました。
仕事は忙しかったけど、きちんとご飯も食べさせてもらえたし、おかみさんは優しくて、この国の言葉も教えてもらったりしていました。
でも……」

 シモンは俺の手をぎゅっと手を握りかえした。

「3か月くらい前、砂漠を南に超えたところにある国のお客さんが来たんです。庭の掃除をしていた僕を見て、僕を言い値で買うと言い出しました。
そのお客さんは、すごくお金持ちだったから、旦那さんは喜びました。でもその日の夜、部屋に来いと言われて……。
僕が部屋に入った途端、そのおじさんは僕をベッドに押し倒して、服を脱がせてきて……」

 両手で顔を覆うシモン。
 こんな小さな男の子が、どうしてこのような苛烈な目にあわなければならないのか……。
 俺は胸が締め付けられる思いだった。

「僕は怖くて……、そのおじさんの腕に噛みついて、なんとか宿屋から逃げ出しました。でも旦那さんが僕を捕まえにきて、すぐに部屋に戻れって言いました。
僕は絶対に嫌だって言ってその場で言い争いになって……。そんなときに、ファウロスが声をかけてくれたんです」

「ファウロスが……」

 俺はあの屈託のない笑顔を思い出していた。

「ファウロスは僕の話をちゃんと聞いてくれて、それで、僕を買うって言ってくれたんです! でも、お金持ちのお客さんはすごく怒っていたから余計に僕の金額をつりあげてきて……。
結局ファウロスは僕を買ってくれたけど、その時払った大金のせいで、教会とそこにいる子たちに使うためのお金が全部なくなっちゃって、それで……」

 シモンの大きな瞳から、また涙があふれてきた。

 俺はシモンの頬をぬぐい、栗色の髪を撫でた。


「そっか、それでファウロスはお金に困っていて、俺に関する依頼を引き受けたってことだね」

「ううっ、ごめんなさいっ、僕のせいでジュールさんはっ……」

「シモン、俺は大丈夫だよ」

 俺はシモンの身体を抱き寄せた。

「…‥ヒック、だって、だって……、ジュールさんは貴族の、偉い人なのに……」

「偉くなんてないよ。それに、もしファウロスがあの仕事を受けてくれていなかったら、今頃俺は悪い奴に殺されてたところなんだ。
ファウロスがいたから、ファウロスが俺を助けてくれたから、俺は殺されずにこの国で生き延びることができた。
だから、俺が今生きてるのは、もとはといえばシモンのおかげだね!
シモン、ありがとう。俺の命を救ってくれて!」

「ジュールさんっ……」

 俺はシモンの小さく、温かい身体を強く抱きしめた。


 そしてその時、俺はテオドールのことを思い出していた。

 置かれた環境は全く違うが、かつてのテオドールも、このシモンと同じように大人の男の性欲の犠牲になろうとしていた……。

 昔のテオドールを思い起こさせるシモンと俺がこうして巡り合ったのは、何かの運命なのかもしれない。


 初めて会ったときは人形のように表情がなかったテオドール。
 でも次第に打ち解けて、俺にははにかんだ笑みを見せるようになってくれた。
 そしてあっという間に成長して、俺の背を追い抜き、体つきはすっかり逞しくなって、それで……。

 それで……。


 ――会いたい。

 空を見上げると、雲一つない青い空が広がっていた。


 ――同じ空を、テオドールも見ているのだろうか?



 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 結局、俺とシモンは、俺用のシャツとズボン、サンダル、そして教会にいるという11人の子供たちのための新しい衣服を買った。

 エディマの半袖のシャツと丈の短いズボンは、風通しがよくとても涼しかった。俺がいつも着ていた服とは違って、ざらざらした肌触りだったが、肌にまとわりつくことがない。
 常夏の国ならではの素材なのだろう。


「ファウロス、俺に必要なものは全部買いそろえたよ」

 教会に戻り、着替えた俺の姿を見て、ファウロスは破顔した。

「ははっ、ジュールって本当に面白い奴だね。……気に入ったよ!」

「あのさ、俺のこと、特別扱いしなくていいよ。そんなことされたら、かえっていたたまれないし、居心地悪くなっちゃうから。
服はこれで十分だし、好き嫌いもないからなんだって食べられる。
教会の仕事だって手伝うから、なんでも言ってよ」

 ファウロスは目を丸くした。

「驚いた。貴族って特別扱いが大好きな人種だと思ってたよ。でも、あんたは違うんだな。
わかった。でも……」

 ファウロスは俺の肩を抱いて、耳元でそっと言った。

「ここの主食は芋だぜ。しかも、すごくぱさぱさしてる。
好き嫌いはないって言ってたけど、たぶんジュールの想像の上をいくね!
でも残すとシスターに怒られるから、頑張って食べるんだぞ!」

「だ、大丈夫だよっ! 芋は好きだからねっ!」


 しかし、ファウロスの言った通り、その晩教会の食堂で食べたふかし芋は、俺の口の中の水分を猛烈に奪った。
 俺は何度も水を飲んで、目を白黒させながらむりやり腹に流し込んだのだった。
 そんな俺の姿に、ファウロスも、シスターも、子どもたちも、みんな大笑いだった。
 
 とんでもない事態に巻き込まれてしまった俺だったが、意外にも俺は新しい環境でもたくましく生きていけそうだった。

 ファウロスが言うように、しばらくたって俺の無実が完全に証明されれば、俺はきっと国に戻れる。
 だからそれまで、この国で元気に生きていこうと俺は心に決めた。


 そう、俺はその時、俺がこの新しい土地で生きていくためにとても大事なことをすっかり忘れていたのだ。



 ――淫紋という、俺とは切っても切り離せないやっかいなものの存在を!!!!

 
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