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第31話 訪問者

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「では、叔父様、行ってまいります」

 今日のテオドールは、俺が生地から見立てたオーダーメイドの細身のラインの上着を身につけている。今日も今日とて美しいテオドールに俺はため息をつく。

「うん、いってらっしゃい。気をつけてね」

 俺はテオドールに両手を広げる。

「はいっ、叔父様っ!」

 そして、テオドールは俺に力いっぱい抱きついてくる。


 ーーいつもの朝の光景。


 テオドールが朝に家を出る時、そして帰ってきたときにハグをするのは、いつの間にか俺達のルーティーンになっていた。

 そして……、

「毎日毎日、よく飽きませんこと……」

 死んだ魚のような目を毎回むけてくるエマにも、もう慣れっこだ。


「テオドールは新しい環境にまだ慣れていないんだ。だからこうやってスキンシップをはかって落ち着けてやらないと!」

 俺の言葉に、

「3ヶ月もすればどんな仕事にも慣れるっていいますけどねぇ~」

 エマは呆れ顔だ。

 いいんだ、過保護って言われたって。テオドールみたいな可愛い子どもがいたら、どんなにできた人間だって、親バカになるに決まってる!

 テオドールを学園に送り出すと、俺はほとんどすることがなくなってしまう。というのも、俺は表向きは恐ろしい呪いを受けて、療養中ということになっているからだ。だから、当然やらなければいけない仕事もなければ、しなければいけない勉強もないし、でなければいけない会合もない。

 しかし実際は、淫紋の影響以外はピンピンしているので、なんとなく居心地が悪い。

 以前、あまりにもすることがないので、エマの仕事を手伝おうとしたら心底嫌な顔をされたので、家の仕事もできない……。


  ーー仕方ない、その辺を散歩でもしてくるか……。

  上着を羽織って外へ出ようとしたところに、屋敷の門が叩かれた。


「ジュール様っ! お知り合いだといわれるものすごくいい男がお見えになっているのですがっ!?」

 興奮した様子のエマが、高速で髪型を直しながら俺に告げる。


「ものすごく、いい男……?」

 玄関の方に目をやると、紳士然とした仕立てのいいスーツの背の高い男が立っているのが見えた。

 その男は長い銀髪をひとまとめにしていて……。


「ジュール様、お久しぶりです。お元気そうで、何よりです」


 アクアブルーの瞳がこちらに向かって細められた。


「……アンドレっ!?」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ありがとう、すごくいい香りですね」

「おほほ……。どうぞ、ごゆっくり」

 いつになく愛想のいいエマが、アンドレと俺に紅茶を注いでくれる。


「アンドレ……、さん、どうしたんですか? その格好は?」

「呼び捨てでいいですよ。ジュール様。今日はこの付近で私が関わっている慈善事業のパーティがあったんです。それで、ジュール様のご様子が気になったので、こちらに伺いました。事前に連絡も入れずに申し訳ありません」

「いえ、俺はどうせいつも暇ですので……」

 アンドレの説明によると、アンドレは今はほとんどの業務が、経営に関する仕事のため、日々忙しくあちらこちらを飛び回っているらしい。

 たしかに今日のアンドレは、以前のときとはまるで違って一流の経営者のような出で立ちだった。
 
 俺はアンドレのアクアブルーの瞳に見つめられて、なんだか落ち着かない気分になる。



「実は、ジュール様にこれをお渡ししたくて」


 アンドレが革の鞄から取り出したのは、何冊かの本と……、

「これ、チケット、ですか?」

「ええ、王都で今、若い女性たちに大人気の芝居なんです」

「へえ……」

「私も仕事柄、一度見たことがあるのですが、簡単に言うと、王宮の騎士と王女との身分差を超えた恋物語です」

「騎士と、王女の恋物語……」

 いかにも女性が好きそうな王道の恋愛ストーリーだと俺は思った。

「ジュール様の計画の一助になればと思いまして」

 にっこりと微笑むアンドレ。

「計画……?」

「おっしゃっていましたよね? テオドール様を王女と結婚させる……と。この芝居をテオドール様もご覧になれば、なにか感化されるのではないかと思いまして」

「……確かに!」

 俺は膝を打った。

 若干14歳のテオドールに、いきなり将来王女と結婚しろといっても、それは無理な話。しかし、まわりからじわじわと洗脳していけば、テオドールもその気になっていくのではないだろうか!?

「それは名案ですね! ありがとうございます。ぜひテオドールと一緒に見に行かせていただきますね」

 俺の言葉に、アンドレはうなずく。

「こちらの本は、女性の間で今話題の恋愛小説です。どれも高い身分の女性と騎士との鉄板ラブストーリーです。今、王都ではご令嬢と騎士の身分差ラブストーリーが一番人気らしいですよ!」

「そういえば、テオドールは騎士を目指しているんです!」

「まさにうってつけですね。ジュール様からのすすめとあれば、テオドール様にも喜んでこの本を読んでいただけるのでは?」

「いろいろ考えていただきありがとうございます。俺も、読ませていただきますね!」

 俺はそっと本の背表紙を撫でた。
 
「私はもう読んでいますので、返却は結構ですよ」

「それにしても、アンドレさんはすごいですね! 王都でご令嬢たちに流行っているものにまで詳しいなんて!」

 アンドレは小首をかしげ、小さく笑った。

「全然すごくなんてないですよ。仕事上、必要だから知識として得ているだけです。そんなに褒めていただけると、なんだか面映いですね」

「……いえ、その……」

 アンドレの微笑みに、俺は赤面する。


 ーー俺は、このアンドレの笑った顔が、すごく、好きだ……。


「ジュール様もずっとこのお屋敷にいるばかりでは、息が詰まるでしょう。たまには王都に出て、気晴らしをしてきてくださいね」

 アンドレの言葉に、芝居のチケットをくれたのは、テオドールの計画のためだけではないことに気づく。

 俺は膝の上で拳を握りしめた。

「それで、うちのキャストたちの対応はご満足いただけているでしょうか? そのこともずっと気になっていて……」

「……全然……」

「はい?」


 俺は、真っ直ぐにアンドレの瞳を見つめた。


「俺っ、全然、満足、できていませんっ」

 俺の言葉に、アンドレの顔色が変わる。


「それは、いったい……、もしかして、なにか乱暴なことをされましたか? 興奮のあまり卑猥な言葉をかけたり、もしくは嫌がっているのに、無理やり……っ!」

「違います!」

 俺はぶるぶると拳を震わせた。

「そんなんじゃないんです。来てもらった人たちは、みんな優しくて、俺のことちゃんと気遣ってくれました。すごく巧かったから、いっぱい感じさせてくれたし、俺もすごく気持ちよくなったし、中にもいっぱい出してもらったし……」

「それなら、なぜ……」

 アンドレのアクアブルーの瞳が悲しげに揺れる。

「俺はっ、あの人たちの名前も知らないっ! いつも部屋は真っ暗で、顔もよく見えないし、キスもしてくれない……。アンドレさんは言いましたよねっ!? 身体だけじゃなく、心も満足させるのがモットーだって。でもそんなの嘘だよっ!
俺の身体はどんなに気持ちよくなっても、俺の心はずっと空っぽのままなんです!」

 アンドレはそっと俺の手を握った。



「ジュール様、お部屋に行きましょうか? ふたりで、ちゃんと話しましょう?」


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