49 / 52
第44話 透明で、七色で、消えてしまいそうで、
しおりを挟む
その数秒後、札幌の夜空に、一輪の大花が咲き乱れた。間を置いて、破裂音が響く。
青黒い一枚のキャンパスに、続々と多種多様な花火が打ちあがっていく。
「わぁ……」
隣から、そんな声が聞こえてくる。
「……綺麗、だね……陽平君」
歓声やスマホのシャッター音に紛れて、彼女の小さな声が耳に届く。
見上げる視線の先に降るは、無数の光の雨。散っては咲き、散っては咲きを繰り返していく。一瞬たりとも、空から花を消すまいと言わんばかりに。
「うん、そうだね」
「……ねえ、覚えている? 陽平君。いつかさ、こうやって……二人で花火大会見に行こうねって約束したこと」
僕は、その問いに小さく頷く。
思い出している。普通なら忘れたりなんかしない、大事な約束。
このときの僕は、彼女のこの問いは、ただの台詞に過ぎないと思っていた。しかし。
「……別に花火に限った話ではないんだけどね。……桜だって、花火だって、紅葉だって、雪だって。どうして、こうも季節の風物詩って思い出に残るんだろうね?」
彼女の台詞の続きは、妙に神妙さというか、重さがあるように、思えたんだ。
問いかけられた二度目の問い。
頬を照らす明かりは次々に色を移ろわせていく。赤、青、黄色、緑色……挙げていけばきりがないくらい、多くの色が僕等を照らす。
「ね、どうしてだと思う? 陽平君」
よく耳にするのは「桜は散るから美しい」という常套句。
よく目にするのは「花火散った後」の余韻。
よく感じるのは「紅葉落ちた後」の哀愁。
よく描かれるのは「粉雪手に当てて、溶けていく姿」。
どれも「消える」ことに繋がる……?
「お、及川さん……?」
そこに思考が至ったとき、僕は初めて違和感に気づいた。
彼女は幽霊。幽霊は、夏の風物詩。
「……嘘、だよ……ね?」
ひとつの可能性に思い当たり、僕は否定の言葉を求めるため、彼女に尋ねる。なのに。
「ね、答えて?」
花火を見上げたまま、彼女は僕に答えを促すんだ。
「……消えて、また、次に見られるから、じゃないかな……」
震える声で、僕は答えを言う。
「ははは。やっぱり陽平君は優しいね……そう言うと思ったよ」
彼女は、目を細めて続きを言った。
「私はね、単純。……約束が残っていたから」
「約束」という単語を聞いた途端、僕は嫌な予感に襲われた。
「私の人生に映画のような場面なんてなかった。最期を除いてね。ただただ普通の人生を歩んでいた私がね、幽霊になってでも叶えたかった願いが、これだったの。陽平君と本の感想を言いあって、あの四葉公園のベンチやブランコに座って色々なこと話して、映画やゲームセンターで遊んだあの日々がね、楽しかったの。だから、願いはそれだったの。もう、それが今叶っちゃったから……もう、ね。私……時間切れみたいなんだ……陽平君」
彼女の告白の終わりと、打ち上げ花火の破裂音が重なる。
「お、及川さん、何言ってるの……そ、そんなの……嘘、嘘だよね……? だ、だって。まだ……ちゃんと関われるようになってから少ししか経ってないのに……それなのに……」
認めたくなかった。彼女の言葉の意味を。真意を。だから、駄々っ子のように言い訳を重ねる。
僕は、不意に視線を及川さんに向ける。
「っ──」
彼女の泣きそうな表情の奥に、花火の灯りが映った。
つまり、それは。
「……嘘だよ。そんなの……嘘だって言ってよ、及川さん……」
彼女の体は、もう消えかけているってことで。
「私だって嘘だよって言ってあげたいよ。陽平君。……もっと、陽平君と色々な、いや、違う。別に普通な日々でもいい。とにかく陽平君と共通の時間をもっと、もっと、もっと過ごしたかった。私だってそう思ってる。でも。……無理なんだよ……もう……」
零れ落ちる彼女の涙に、色がついている。それは七色に彩られた、虹にも見えて。
「……ごめんね、陽平君」
最後に、力なく添えられたお詫びの言葉は。どうしようもなく僕に現実を突きつける。
「僕は……まだ、及川さんと一緒にいたい……折角……折角……気持ちが繋がったのに」
「……ふふっ」
突然ふいに、涙を浮かべる及川さんがおかしそうに笑う。
「な、何がおかしいの」
「……だ、だってね。……陽平君がそこまで取り乱してくれるほど、私は想われているんだなあって思うと……嬉しくてね」
とうとう、僕の瞼にも熱いものがこみ上げてきた。景色が、花火が、歪んで見え始める。
「あのね、私……陽平君に出会うことができて」
「言わないで」
「本当に幸せだった。もし、出会ってなかったら、今、他の誰かの隣で花火を見ていたかもしれない。幽霊なんかじゃなく、生きた私で花火を見られたかもしれない。でも」
「言わないでよっ。及川さんっ」
僕はすぐ隣にある及川さんの手を取り、彼女の言葉を遮ろうとする。でも、彼女の指先はもう冷たくて、そして、あるはずの手が、もう消えかけていた。
「もしもう一度過去をやり直せるとしても、私は陽平君と出会うことを選ぶ」
「ぁぁ……だから、もう……やめてって……言ってるじゃないか……」
「ねえ、陽平君。陽平君は、私に出会えて、よかった?」
……そんなの、決まっている。
及川さんのおかげで、僕は人と関わることを覚えた。及川さんのおかげで、僕は終わらない片想いに終止符を打つことができた。
及川さんのせいで、僕はこんなにも人を好きになることを覚えてしまった。
「……幸せ、だったよ」
「そっか……」
再び小さく涙混じりに微笑む及川さん。
「そろそろ、花火もおしまいかな……。陽平君。最後に、二つ、いいかな」
「最後なんて言わないでよ……」
「……私のこと、忘れないでね。それで……いつか、また好きな人ができたら、その人のこと、私以上に大切にしてあげて。きっと、その人は、私以上に……陽平君のこと想ってくれる人だから」
もう、返事なんてできなかった。
「あと、ね。陽平君」
今まで一番大きな打ち上げ音が鳴り響き始める。
「……私のこと、遥香って、名前で呼んで。さん付けも無し、呼び捨てで」
今まで一番、大きな涙が零れそうになる。それを、必死にこらえて。僕は。
「──好きだよ、遥香」
夜空のなか、一番大きな、大きな光の環が花開く。
「──ありがとう。陽平君」
最後の花火が散った瞬間、僕の隣にいた彼女は、綿毛が飛んでいくようにその姿が溶けていき、やがて。
消えてしまった。
君は、本当にすぐにいなくなってしまう。
君は、勝手だ。
青黒い一枚のキャンパスに、続々と多種多様な花火が打ちあがっていく。
「わぁ……」
隣から、そんな声が聞こえてくる。
「……綺麗、だね……陽平君」
歓声やスマホのシャッター音に紛れて、彼女の小さな声が耳に届く。
見上げる視線の先に降るは、無数の光の雨。散っては咲き、散っては咲きを繰り返していく。一瞬たりとも、空から花を消すまいと言わんばかりに。
「うん、そうだね」
「……ねえ、覚えている? 陽平君。いつかさ、こうやって……二人で花火大会見に行こうねって約束したこと」
僕は、その問いに小さく頷く。
思い出している。普通なら忘れたりなんかしない、大事な約束。
このときの僕は、彼女のこの問いは、ただの台詞に過ぎないと思っていた。しかし。
「……別に花火に限った話ではないんだけどね。……桜だって、花火だって、紅葉だって、雪だって。どうして、こうも季節の風物詩って思い出に残るんだろうね?」
彼女の台詞の続きは、妙に神妙さというか、重さがあるように、思えたんだ。
問いかけられた二度目の問い。
頬を照らす明かりは次々に色を移ろわせていく。赤、青、黄色、緑色……挙げていけばきりがないくらい、多くの色が僕等を照らす。
「ね、どうしてだと思う? 陽平君」
よく耳にするのは「桜は散るから美しい」という常套句。
よく目にするのは「花火散った後」の余韻。
よく感じるのは「紅葉落ちた後」の哀愁。
よく描かれるのは「粉雪手に当てて、溶けていく姿」。
どれも「消える」ことに繋がる……?
「お、及川さん……?」
そこに思考が至ったとき、僕は初めて違和感に気づいた。
彼女は幽霊。幽霊は、夏の風物詩。
「……嘘、だよ……ね?」
ひとつの可能性に思い当たり、僕は否定の言葉を求めるため、彼女に尋ねる。なのに。
「ね、答えて?」
花火を見上げたまま、彼女は僕に答えを促すんだ。
「……消えて、また、次に見られるから、じゃないかな……」
震える声で、僕は答えを言う。
「ははは。やっぱり陽平君は優しいね……そう言うと思ったよ」
彼女は、目を細めて続きを言った。
「私はね、単純。……約束が残っていたから」
「約束」という単語を聞いた途端、僕は嫌な予感に襲われた。
「私の人生に映画のような場面なんてなかった。最期を除いてね。ただただ普通の人生を歩んでいた私がね、幽霊になってでも叶えたかった願いが、これだったの。陽平君と本の感想を言いあって、あの四葉公園のベンチやブランコに座って色々なこと話して、映画やゲームセンターで遊んだあの日々がね、楽しかったの。だから、願いはそれだったの。もう、それが今叶っちゃったから……もう、ね。私……時間切れみたいなんだ……陽平君」
彼女の告白の終わりと、打ち上げ花火の破裂音が重なる。
「お、及川さん、何言ってるの……そ、そんなの……嘘、嘘だよね……? だ、だって。まだ……ちゃんと関われるようになってから少ししか経ってないのに……それなのに……」
認めたくなかった。彼女の言葉の意味を。真意を。だから、駄々っ子のように言い訳を重ねる。
僕は、不意に視線を及川さんに向ける。
「っ──」
彼女の泣きそうな表情の奥に、花火の灯りが映った。
つまり、それは。
「……嘘だよ。そんなの……嘘だって言ってよ、及川さん……」
彼女の体は、もう消えかけているってことで。
「私だって嘘だよって言ってあげたいよ。陽平君。……もっと、陽平君と色々な、いや、違う。別に普通な日々でもいい。とにかく陽平君と共通の時間をもっと、もっと、もっと過ごしたかった。私だってそう思ってる。でも。……無理なんだよ……もう……」
零れ落ちる彼女の涙に、色がついている。それは七色に彩られた、虹にも見えて。
「……ごめんね、陽平君」
最後に、力なく添えられたお詫びの言葉は。どうしようもなく僕に現実を突きつける。
「僕は……まだ、及川さんと一緒にいたい……折角……折角……気持ちが繋がったのに」
「……ふふっ」
突然ふいに、涙を浮かべる及川さんがおかしそうに笑う。
「な、何がおかしいの」
「……だ、だってね。……陽平君がそこまで取り乱してくれるほど、私は想われているんだなあって思うと……嬉しくてね」
とうとう、僕の瞼にも熱いものがこみ上げてきた。景色が、花火が、歪んで見え始める。
「あのね、私……陽平君に出会うことができて」
「言わないで」
「本当に幸せだった。もし、出会ってなかったら、今、他の誰かの隣で花火を見ていたかもしれない。幽霊なんかじゃなく、生きた私で花火を見られたかもしれない。でも」
「言わないでよっ。及川さんっ」
僕はすぐ隣にある及川さんの手を取り、彼女の言葉を遮ろうとする。でも、彼女の指先はもう冷たくて、そして、あるはずの手が、もう消えかけていた。
「もしもう一度過去をやり直せるとしても、私は陽平君と出会うことを選ぶ」
「ぁぁ……だから、もう……やめてって……言ってるじゃないか……」
「ねえ、陽平君。陽平君は、私に出会えて、よかった?」
……そんなの、決まっている。
及川さんのおかげで、僕は人と関わることを覚えた。及川さんのおかげで、僕は終わらない片想いに終止符を打つことができた。
及川さんのせいで、僕はこんなにも人を好きになることを覚えてしまった。
「……幸せ、だったよ」
「そっか……」
再び小さく涙混じりに微笑む及川さん。
「そろそろ、花火もおしまいかな……。陽平君。最後に、二つ、いいかな」
「最後なんて言わないでよ……」
「……私のこと、忘れないでね。それで……いつか、また好きな人ができたら、その人のこと、私以上に大切にしてあげて。きっと、その人は、私以上に……陽平君のこと想ってくれる人だから」
もう、返事なんてできなかった。
「あと、ね。陽平君」
今まで一番大きな打ち上げ音が鳴り響き始める。
「……私のこと、遥香って、名前で呼んで。さん付けも無し、呼び捨てで」
今まで一番、大きな涙が零れそうになる。それを、必死にこらえて。僕は。
「──好きだよ、遥香」
夜空のなか、一番大きな、大きな光の環が花開く。
「──ありがとう。陽平君」
最後の花火が散った瞬間、僕の隣にいた彼女は、綿毛が飛んでいくようにその姿が溶けていき、やがて。
消えてしまった。
君は、本当にすぐにいなくなってしまう。
君は、勝手だ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
私の夫を奪ったクソ幼馴染は御曹司の夫が親から勘当されたことを知りません。
春木ハル
恋愛
私と夫は最近関係が冷めきってしまっていました。そんなタイミングで、私のクソ幼馴染が夫と結婚すると私に報告してきました。夫は御曹司なのですが、私生活の悪さから夫は両親から勘当されたのです。勘当されたことを知らない幼馴染はお金目当てで夫にすり寄っているのですが、そこを使って上手く仕返しします…。
にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる