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「今年の二月。鬼嶋が店に来てな。……あいつには珍しく、たいそう浮かれていたよ」

「それって……。今年の節分の後ですか?」

「そうだ。『如月家の大豆が芽を出した。これで花嫁を迎えに行ける』……そう言って、鬼嶋は泣いたんだ。店を閉めた後もずっと飲み続けてたな、あの日は」

今年の節分に窓から撒いた豆のことを百合は思い出した。

「じゃあ、あの豆を鬼嶋さんが……?」

たった一粒だけ、窓から落とした炒っていない豆粒。

「そうだ。鬼嶋はずっと、待っていたんだ。再び『如月家のゆり』が生まれてくることを。……約束を守り、今度こそ花嫁を迎えられることを」

星熊の話が真実なら、なんという孤独な年月だろう。

千年に近い、数百年を超える時間を……たった独りで鬼嶋は過ごしてきたことになる。

訪れるか分からない『いつか』をひたすらに信じて、何百年も……ずっと――?

「そんな……。そんなことって」

「鬼嶋の元に戻るか、それとも二度と戻らないか。それはアンタ次第だ」

星熊は椅子から立ち上がり、空になったカップを手にして厨房に向かった。

カチャカチャと食器がかすかに触れ合う音が遠くなっていく。

――鬼嶋さん……!

今までに出会った誰よりも百合のことを気遣い、大切にしてくれた男性ひと

二人で過ごしたこの数か月を思い起こせば、キラキラと零れ落ちる木漏れ日のような温かな幸せに満ち溢れている。

鬼嶋を思えば思うほど、百合に微笑みかけるときの極上の笑顔――会社では見せない、少しはにかんだような少年のような笑顔が目の前に浮かんでくるようだった。

彼の『秘密』を知ってしまった今、一体どうするのか。どうすればいいのか。

確かなことは一つだけ。

全てを知った今も、鬼嶋のことを思うたび、百合の胸は熱い思いで満たされていくのだった。



翌日も、夏らしいカラリと晴れた晴天だった。

一晩ホテルに泊まった百合は早朝に目覚めると手早く身支度を済ませた。

電車を乗り継ぎ、最寄りの駅まで着くと、スプレーマムの花束を一つ買って、予約していたタクシーに颯爽と乗り込む。

たった一晩がとてつもなく長く感じられた。

そんな夜を何度も超えて来た鬼嶋のことを、百合はひと晩中ずっと考えていた。

山道を登るにつれて、鬼嶋と過ごした懐かしい家が緑の中に見えてくる。

家の前でタクシーを降りると、百合は玄関へ続くアプローチを一歩一歩踏みしめた。
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