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 鬼の嫁取……あの話は、まさか。

 ほとんど車も通らない山道を駆けながら、百合は繰り返し聞かされた昔話を思い返していた。

『鬼のお嫁さんになっちゃいけないの? どうして?』

 そんな質問をして祖母を困らせたこともあった。

 お話を何度聞いても百合には何故だが腑に落ちなかった。

 鬼が、何か悪いことをしたのだろうか。

 雨を降らせて村を救ったのは鬼なのに。

 娶った娘に何か嫌なことをしたわけでもない。

 鬼というだけで――里を去って、二度と娘に会えなかったのか。


 ――なぜ、鬼の嫁になっては……鬼を愛してはいけないのか。

 急なカーブを過ぎようとしたその瞬間、眩いヘッドランプが百合を照らし出した。

 闇の中から現れたのはごつくて渋い黄褐色ジープだった。

 すれ違って数秒後にジープは道の脇にハザードを点灯して止まり、運転席から大柄な男が飛び出してきた。

「如月さん……? 」

「……星熊さん」

 心底驚いた顔で星熊は百合に駆け寄った。

「暗い中、何だって一人でこんなとこを歩いてんですか? 家にいくなら、俺が送って……」

「……それは。あの、今は」

 先ほど見た光景――鬼火が照らし出した鬼嶋の姿を思い出し、百合の身体は小刻みに震え始めた。

「私、家には戻れません……! どうしたらいいのか……わからない」

 くるりと背を向けて、夜道を歩き出そうとした百合の腕を星熊が掴んだ。

「……鬼嶋と、何かあったのか。なら、無理に家に帰れとはいわない。アンタの好きなところに送ってやる」

 そのままぐいぐいと腕を引き、星熊は助手席のドアを開けると百合を中に押し込んだ。

「夜に一人でこんなところを歩いてたら駄目だ。……鬼に、攫われるかもしれん」

 鬼……

 百合の顔色がさっと蒼ざめた。まるで心の中を見透かされたようだった。

「とにかく、送っていくよ。それでいいな?」

 大きな体を折り曲げて視線を百合と会わせてから、星熊は確認した。

 百合がこっくりと頷くと、緊張が解けたように星熊の表情がふっと緩んだ。

 闇の中、車は麓に向かってゆっくりと走り出した。

 森の木々のシルエットの向こうに街の灯りがきらめいているのが見える。

 山道を下るにつれ、灯りは少しずつ近くなっていき、だんだんと闇も濃さも失いつつあった。

 ――これから、どうしたらいいんだろう。どこへ行けば…?

 実家に戻る気にはなれない。籍を入れる少し前に東京のマンションは引き払っているし――。

 鬼嶋と共に暮らしていくことを選択した。

 あの山にある家以外、百合の帰る場所はどこにもないのだった。

 あと少しで麓を走る道路に出るというところで星熊は静かな声で百合に尋ねた。

「行くところが思いつかないなら、俺の店に行くか? 鬼嶋と何かあって、話をしたいなら……つきあうよ」

 信号待ちで停車した車内。

 ずっと俯いていた顔を上げると、街灯の光を受けて浮かび上がった星熊の生真面目な横顔が目に入った。

「星熊さんは……鬼嶋さんとは古い友人なんですよね」

 百合の問いかけに星熊はフッと軽い笑みを漏すと悪戯っぽい表情を浮かべて言った。

「古い……そうだな。千年以上の腐れ縁……、てところかな」

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