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『やはりこの男は……!』
里の人が恐ろし気に口にする、山に棲む百年以上も生きるというあやかしなのか……。
恐ろしかった。
あやかしの存在も、男が口にしている誘いも、娘には恐ろしくてしょうがなかった。
でも、もっともっと恐いものだってある。
このまま、雨が一滴も降らない日々が続けば、どうなるか……。
娘はすでに十六歳。
小さい弟や妹たちを寝かしつけながら、炉端から聞こえてくる大人たちの話に耳をすませば、今の状態がどれほど深刻なものか分からないはずがない。
村の長であった祖父が一昨年亡くなり、その後を継いだ父の、やつれた横顔がふいに目に浮かんできた。
「私と約束をなさるつもりですね? 雨を降らすその対価をお求めなのでしょう」
慄えそうになる声を何とか張り上げて、娘は男をきっと睨んだ。
「ほ、聡いむすめじゃ。益々気に入った」
思いのほか、気が強そうな娘の態度に男は目を見開いた後、ニンマリと笑った。
「思うたよりも、気が強そうなところも良い。ならば俺も単刀直入に言わせてもらおう」
ざっ、ざっと音を立て、短くした裾からすんなりと伸びる男の逞しい足が地を蹴って迫ってくる。
「なッ……何を……!?」
先ほどよりも乱暴に、男は娘をその胸に掻き抱くと、瞳を覗き込みながら言った。
「俺の、嫁御になれ。 山に嫁に来るのだ」
ざああああっと風が鳴り、山の木々が一斉に梢を揺らした。
男がそう宣言した途端、まるでつむじ風の様な突風が渦を巻いたのだ。
長く艶のある男の髪が逆巻くように宙を舞った。
落ち着いてよく見れば、男の鼻筋はすっと通り、切れ長の目元は涼しい。
このような鄙の里には珍しい美丈夫に、ひしと抱きすくめられた娘は先ほどよりもより紅く、耳まで顔を紅潮させていた。
つむじ風が収まった後、男はふうと息を吐くと、娘の姿を見下ろしながら薄く笑った。
「もちろん、嫁にくるだけではない。いくつか約束してもらいたいことも、ある」
先ほどの荒々しさはどこへやら。赤子をあやすように静かな声で娘に語りかけてくる。
「俺の正体を聞かないこと、一生を山で暮らすこと……里へは戻らないこと」
最後の一言を聞いた途端、娘の顔がさっと蒼ざめた。
正体を聞かないこと、山で暮らすことについては異存はない。しかし、里へ戻れないとは……。
生まれた時からずっとそこで過ごした村、家族や親類、友達がいる村に二度と戻れないなどという条件を咄嗟に受け入れることはできなかった。
娘の動揺を見て取ったのか、男は娘を胸から放してやりながら、低く静かな声で言った。
「急ぐことはない、お前の心が決まったら返事をしに来い」
それだけ呟くと、急に男の気配が霞の様にかき消えた。
俯いていた娘が目を上げると、男の姿はどこにも見当たらなかった。
盛夏、いよいよ水不足は深刻さを増し、人々の暮らしは目に見えて困窮していった。
意を決した娘は再びあの山の泉を訪れた。
申し合わせたように、そこにはあの男が、先日と寸分たがわない身なりでひっそりと佇んでいた。
「私を、あなたの嫁にしてください。お約束は、全て守ります」
娘のその言葉を聞いて、男は満面の笑顔で頷いた。
すると、驚いたことに真夏の太陽が照り輝いていた空に見る間に黒雲が湧き、乾いた大地を大粒の雨が打ち始めた。
「お前の望むだけ雨を降らす。お前の祈りは常に俺には聞こえている」
茫然と村を潤す奇跡の雨を眺めている娘の耳元に男は囁いた。
里の人が恐ろし気に口にする、山に棲む百年以上も生きるというあやかしなのか……。
恐ろしかった。
あやかしの存在も、男が口にしている誘いも、娘には恐ろしくてしょうがなかった。
でも、もっともっと恐いものだってある。
このまま、雨が一滴も降らない日々が続けば、どうなるか……。
娘はすでに十六歳。
小さい弟や妹たちを寝かしつけながら、炉端から聞こえてくる大人たちの話に耳をすませば、今の状態がどれほど深刻なものか分からないはずがない。
村の長であった祖父が一昨年亡くなり、その後を継いだ父の、やつれた横顔がふいに目に浮かんできた。
「私と約束をなさるつもりですね? 雨を降らすその対価をお求めなのでしょう」
慄えそうになる声を何とか張り上げて、娘は男をきっと睨んだ。
「ほ、聡いむすめじゃ。益々気に入った」
思いのほか、気が強そうな娘の態度に男は目を見開いた後、ニンマリと笑った。
「思うたよりも、気が強そうなところも良い。ならば俺も単刀直入に言わせてもらおう」
ざっ、ざっと音を立て、短くした裾からすんなりと伸びる男の逞しい足が地を蹴って迫ってくる。
「なッ……何を……!?」
先ほどよりも乱暴に、男は娘をその胸に掻き抱くと、瞳を覗き込みながら言った。
「俺の、嫁御になれ。 山に嫁に来るのだ」
ざああああっと風が鳴り、山の木々が一斉に梢を揺らした。
男がそう宣言した途端、まるでつむじ風の様な突風が渦を巻いたのだ。
長く艶のある男の髪が逆巻くように宙を舞った。
落ち着いてよく見れば、男の鼻筋はすっと通り、切れ長の目元は涼しい。
このような鄙の里には珍しい美丈夫に、ひしと抱きすくめられた娘は先ほどよりもより紅く、耳まで顔を紅潮させていた。
つむじ風が収まった後、男はふうと息を吐くと、娘の姿を見下ろしながら薄く笑った。
「もちろん、嫁にくるだけではない。いくつか約束してもらいたいことも、ある」
先ほどの荒々しさはどこへやら。赤子をあやすように静かな声で娘に語りかけてくる。
「俺の正体を聞かないこと、一生を山で暮らすこと……里へは戻らないこと」
最後の一言を聞いた途端、娘の顔がさっと蒼ざめた。
正体を聞かないこと、山で暮らすことについては異存はない。しかし、里へ戻れないとは……。
生まれた時からずっとそこで過ごした村、家族や親類、友達がいる村に二度と戻れないなどという条件を咄嗟に受け入れることはできなかった。
娘の動揺を見て取ったのか、男は娘を胸から放してやりながら、低く静かな声で言った。
「急ぐことはない、お前の心が決まったら返事をしに来い」
それだけ呟くと、急に男の気配が霞の様にかき消えた。
俯いていた娘が目を上げると、男の姿はどこにも見当たらなかった。
盛夏、いよいよ水不足は深刻さを増し、人々の暮らしは目に見えて困窮していった。
意を決した娘は再びあの山の泉を訪れた。
申し合わせたように、そこにはあの男が、先日と寸分たがわない身なりでひっそりと佇んでいた。
「私を、あなたの嫁にしてください。お約束は、全て守ります」
娘のその言葉を聞いて、男は満面の笑顔で頷いた。
すると、驚いたことに真夏の太陽が照り輝いていた空に見る間に黒雲が湧き、乾いた大地を大粒の雨が打ち始めた。
「お前の望むだけ雨を降らす。お前の祈りは常に俺には聞こえている」
茫然と村を潤す奇跡の雨を眺めている娘の耳元に男は囁いた。
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