上 下
15 / 30

15

しおりを挟む
『やはりこの男は……!』

 里の人が恐ろし気に口にする、山に棲む百年以上も生きるというあやかしなのか……。

 恐ろしかった。

 あやかしの存在も、男が口にしている誘いも、娘には恐ろしくてしょうがなかった。

 でも、もっともっと恐いものだってある。

 このまま、雨が一滴も降らない日々が続けば、どうなるか……。

 娘はすでに十六歳。

 小さい弟や妹たちを寝かしつけながら、炉端から聞こえてくる大人たちの話に耳をすませば、今の状態がどれほど深刻なものか分からないはずがない。

 村の長であった祖父が一昨年亡くなり、その後を継いだ父の、やつれた横顔がふいに目に浮かんできた。

「私と約束をなさるつもりですね? 雨を降らすその対価をお求めなのでしょう」

 慄えそうになる声を何とか張り上げて、娘は男をきっと睨んだ。

「ほ、聡いむすめじゃ。益々気に入った」

 思いのほか、気が強そうな娘の態度に男は目を見開いた後、ニンマリと笑った。

「思うたよりも、気が強そうなところも良い。ならば俺も単刀直入に言わせてもらおう」

 ざっ、ざっと音を立て、短くした裾からすんなりと伸びる男の逞しい足が地を蹴って迫ってくる。

「なッ……何を……!?」

 先ほどよりも乱暴に、男は娘をその胸に掻き抱くと、瞳を覗き込みながら言った。

「俺の、嫁御になれ。 山に嫁に来るのだ」

 ざああああっと風が鳴り、山の木々が一斉に梢を揺らした。

 男がそう宣言した途端、まるでつむじ風の様な突風が渦を巻いたのだ。

 長く艶のある男の髪が逆巻くように宙を舞った。

 落ち着いてよく見れば、男の鼻筋はすっと通り、切れ長の目元は涼しい。

 このような鄙の里には珍しい美丈夫に、ひしと抱きすくめられた娘は先ほどよりもより紅く、耳まで顔を紅潮させていた。

 つむじ風が収まった後、男はふうと息を吐くと、娘の姿を見下ろしながら薄く笑った。

「もちろん、嫁にくるだけではない。いくつか約束してもらいたいことも、ある」

  先ほどの荒々しさはどこへやら。赤子をあやすように静かな声で娘に語りかけてくる。

「俺の正体を聞かないこと、一生を山で暮らすこと……里へは戻らないこと」 

 最後の一言を聞いた途端、娘の顔がさっと蒼ざめた。

 正体を聞かないこと、山で暮らすことについては異存はない。しかし、里へ戻れないとは……。 

 生まれた時からずっとそこで過ごした村、家族や親類、友達がいる村に二度と戻れないなどという条件を咄嗟に受け入れることはできなかった。

 娘の動揺を見て取ったのか、男は娘を胸から放してやりながら、低く静かな声で言った。

「急ぐことはない、お前の心が決まったら返事をしに来い」

 それだけ呟くと、急に男の気配が霞の様にかき消えた。

 俯いていた娘が目を上げると、男の姿はどこにも見当たらなかった。



 盛夏、いよいよ水不足は深刻さを増し、人々の暮らしは目に見えて困窮していった。 

 意を決した娘は再びあの山の泉を訪れた。

 申し合わせたように、そこにはあの男が、先日と寸分たがわない身なりでひっそりと佇んでいた。 

「私を、あなたの嫁にしてください。お約束は、全て守ります」

 娘のその言葉を聞いて、男は満面の笑顔で頷いた。

 すると、驚いたことに真夏の太陽が照り輝いていた空に見る間に黒雲が湧き、乾いた大地を大粒の雨が打ち始めた。 

「お前の望むだけ雨を降らす。お前の祈りは常に俺には聞こえている」

 茫然と村を潤す奇跡の雨を眺めている娘の耳元に男は囁いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編

タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。 私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが…… 予定にはなかった大問題が起こってしまった。 本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。 15分あれば読めると思います。 この作品の続編あります♪ 『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

JC💋フェラ

山葵あいす
恋愛
森野 稚菜(もりの わかな)は、中学2年生になる14歳の女の子だ。家では姉夫婦が一緒に暮らしており、稚菜に甘い義兄の真雄(まさお)は、いつも彼女におねだりされるままお小遣いを渡していたのだが……

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...