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35-3 恋人たちの森
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『どうしても、約束を守りたい――』
夢の中で美鈴が『ミレーヌ』として一心に願っていたのは夏の日にフェリクスとした約束を守ることだった。
『また、ヴァカンスを過ごしたあの場所でフェリクスに会いたい』
その願いを胸に抱いて、神殿の階段を一歩一歩、導かれるように上ったことを確かに覚えている。
『思い出したのですね』
今まで全く表情を変えることがなかった巫女がほんのかすかに微笑んだように美鈴には思えた。
一歩、二歩、巫女が美鈴に近づいて来る。
暗い神殿内でもひんやりと輝くような白い手が、美鈴の方に差し伸べられている。
恐る恐るその手を取った瞬間、封じられていた『記憶』が堰を切ったように溢れ出て美鈴の意識を支配した――。
フェリクス・ド・アルノー……
ヴァカンスからパリスイに戻り、普段通りの貴族令嬢としての毎日を送る中でミレーヌはフェリクスと出会った時のことを何度も思い返していた。
とても綺麗な、でも淋しそうな瞳をした少年。
子爵家の令嬢である彼女が、特に縁もない伯爵家の一人息子であるフェリクスに個人的に会う機会はもちろんない。
社交界に出る年齢ではないため、舞踏会や劇場で顔を見ることもできない。
加えて、リオネルやジャネットから聞くフェリクスのうわさは大概が「たいそう賢いけれど、社交嫌いで気難しがり屋」というものばかり。
――気難しがり屋じゃないわ。不器用なだけなのに……。
優しい両親に愛され、いとこのリオネルとじゃれ合いながらも、いつもどこかでフェリクスのことを気にかけていた。
秋が来て冬が過ぎ、春が訪れる頃には再び夏が巡ってくるのが待ち遠しくてたまらなかった。
あの日――6月のはじめパリスイの街角で、その亜麻色の髪の少年を見かけたのはほんの偶然だった。
両親と出かけた街中でフェリクスと同じくらいの背丈の少年がふと目にとまった。
もう少しで夏がやってくるというのにやけに肌寒いその日、雲間から鈍く光る太陽に亜麻色の髪が光っていた。
パリスイの中心街で多くの馬車が行きかう忙しい通りに、所在なげに立っている少年の姿がフェリクスと重なった。
何となく少年から目を離せないでいると、不意に少年が美鈴の前を通り抜け大通りに向かって駆け出した。
道路脇に停車していた辻馬車の影から飛び出すような形で通りに出た少年に向かって、一頭立ての馬車が走って来るのを見た瞬間、ミレーヌの身体は動いていた。
「あぶないっ……!」
身体がバラバラになるような、強い衝撃。
強かに地面に打ち付けられたミレーヌが力を振り絞って薄く目を開けると、目の前に茫然とした瞳の少年が座っていた。
――よかった、怪我はないみたい……。
痛みが薄れていく代わりにだんだんと身体が冷えて力が入らなくなっていくのが分かった。
少年が助かったことに安堵しながらも、ミレーヌの心には一つだけ気がかりなことがあった。
もう、フェリクスに会えない――。
意識がなくなる最後の瞬間にミレーヌは願った。
どんな形でもいい、もう一度フェリクスに会いたい……!
命の灯が消える瞬間に抱いた強い願いが肉体を離れたミレーヌの魂をブールルージュの森にある愛の女神の神殿に導いた。
まるで羽根が生えたようにミレーヌはパリスイの上空を飛び、ブールルージュの森へと降り立った。
――愛の女神の神殿!
神殿へと続く階段を上り切った先、大きな支柱の影にはこちらをじっと窺っている白いロングドレスを着た人物の姿があった。
プラチナブロンドの神秘的な巫女がヒスイ色の瞳をわずかに細め、まるでミレーヌを待っていたかのように呼びかけた。
『……あなたがここに来ることはわかっていました』
夢の中で美鈴が『ミレーヌ』として一心に願っていたのは夏の日にフェリクスとした約束を守ることだった。
『また、ヴァカンスを過ごしたあの場所でフェリクスに会いたい』
その願いを胸に抱いて、神殿の階段を一歩一歩、導かれるように上ったことを確かに覚えている。
『思い出したのですね』
今まで全く表情を変えることがなかった巫女がほんのかすかに微笑んだように美鈴には思えた。
一歩、二歩、巫女が美鈴に近づいて来る。
暗い神殿内でもひんやりと輝くような白い手が、美鈴の方に差し伸べられている。
恐る恐るその手を取った瞬間、封じられていた『記憶』が堰を切ったように溢れ出て美鈴の意識を支配した――。
フェリクス・ド・アルノー……
ヴァカンスからパリスイに戻り、普段通りの貴族令嬢としての毎日を送る中でミレーヌはフェリクスと出会った時のことを何度も思い返していた。
とても綺麗な、でも淋しそうな瞳をした少年。
子爵家の令嬢である彼女が、特に縁もない伯爵家の一人息子であるフェリクスに個人的に会う機会はもちろんない。
社交界に出る年齢ではないため、舞踏会や劇場で顔を見ることもできない。
加えて、リオネルやジャネットから聞くフェリクスのうわさは大概が「たいそう賢いけれど、社交嫌いで気難しがり屋」というものばかり。
――気難しがり屋じゃないわ。不器用なだけなのに……。
優しい両親に愛され、いとこのリオネルとじゃれ合いながらも、いつもどこかでフェリクスのことを気にかけていた。
秋が来て冬が過ぎ、春が訪れる頃には再び夏が巡ってくるのが待ち遠しくてたまらなかった。
あの日――6月のはじめパリスイの街角で、その亜麻色の髪の少年を見かけたのはほんの偶然だった。
両親と出かけた街中でフェリクスと同じくらいの背丈の少年がふと目にとまった。
もう少しで夏がやってくるというのにやけに肌寒いその日、雲間から鈍く光る太陽に亜麻色の髪が光っていた。
パリスイの中心街で多くの馬車が行きかう忙しい通りに、所在なげに立っている少年の姿がフェリクスと重なった。
何となく少年から目を離せないでいると、不意に少年が美鈴の前を通り抜け大通りに向かって駆け出した。
道路脇に停車していた辻馬車の影から飛び出すような形で通りに出た少年に向かって、一頭立ての馬車が走って来るのを見た瞬間、ミレーヌの身体は動いていた。
「あぶないっ……!」
身体がバラバラになるような、強い衝撃。
強かに地面に打ち付けられたミレーヌが力を振り絞って薄く目を開けると、目の前に茫然とした瞳の少年が座っていた。
――よかった、怪我はないみたい……。
痛みが薄れていく代わりにだんだんと身体が冷えて力が入らなくなっていくのが分かった。
少年が助かったことに安堵しながらも、ミレーヌの心には一つだけ気がかりなことがあった。
もう、フェリクスに会えない――。
意識がなくなる最後の瞬間にミレーヌは願った。
どんな形でもいい、もう一度フェリクスに会いたい……!
命の灯が消える瞬間に抱いた強い願いが肉体を離れたミレーヌの魂をブールルージュの森にある愛の女神の神殿に導いた。
まるで羽根が生えたようにミレーヌはパリスイの上空を飛び、ブールルージュの森へと降り立った。
――愛の女神の神殿!
神殿へと続く階段を上り切った先、大きな支柱の影にはこちらをじっと窺っている白いロングドレスを着た人物の姿があった。
プラチナブロンドの神秘的な巫女がヒスイ色の瞳をわずかに細め、まるでミレーヌを待っていたかのように呼びかけた。
『……あなたがここに来ることはわかっていました』
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