上 下
81 / 85

35-3 恋人たちの森

しおりを挟む
『どうしても、約束を守りたい――』

 夢の中で美鈴が『ミレーヌ』として一心に願っていたのは夏の日にフェリクスとした約束を守ることだった。

『また、ヴァカンスを過ごしたあの場所でフェリクスに会いたい』

 その願いを胸に抱いて、神殿の階段を一歩一歩、導かれるように上ったことを確かに覚えている。

『思い出したのですね』

 今まで全く表情を変えることがなかった巫女がほんのかすかに微笑んだように美鈴には思えた。

 一歩、二歩、巫女が美鈴に近づいて来る。

 暗い神殿内でもひんやりと輝くような白い手が、美鈴の方に差し伸べられている。

 恐る恐るその手を取った瞬間、封じられていた『記憶』が堰を切ったように溢れ出て美鈴の意識を支配した――。



 フェリクス・ド・アルノー……

 ヴァカンスからパリスイに戻り、普段通りの貴族令嬢としての毎日を送る中でミレーヌはフェリクスと出会った時のことを何度も思い返していた。

 とても綺麗な、でも淋しそうな瞳をした少年。

 子爵家の令嬢である彼女が、特に縁もない伯爵家の一人息子であるフェリクスに個人的に会う機会はもちろんない。

 社交界に出る年齢ではないため、舞踏会や劇場で顔を見ることもできない。

 加えて、リオネルやジャネットから聞くフェリクスのうわさは大概が「たいそう賢いけれど、社交嫌いで気難しがり屋」というものばかり。

 ――気難しがり屋じゃないわ。不器用なだけなのに……。

 優しい両親に愛され、いとこのリオネルとじゃれ合いながらも、いつもどこかでフェリクスのことを気にかけていた。

 秋が来て冬が過ぎ、春が訪れる頃には再び夏が巡ってくるのが待ち遠しくてたまらなかった。

 あの日――6月のはじめパリスイの街角で、その亜麻色の髪の少年を見かけたのはほんの偶然だった。

 両親と出かけた街中でフェリクスと同じくらいの背丈の少年がふと目にとまった。

 もう少しで夏がやってくるというのにやけに肌寒いその日、雲間から鈍く光る太陽に亜麻色の髪が光っていた。

 パリスイの中心街で多くの馬車が行きかう忙しい通りに、所在なげに立っている少年の姿がフェリクスと重なった。

 何となく少年から目を離せないでいると、不意に少年が美鈴の前を通り抜け大通りに向かって駆け出した。

 道路脇に停車していた辻馬車の影から飛び出すような形で通りに出た少年に向かって、一頭立ての馬車が走って来るのを見た瞬間、ミレーヌの身体は動いていた。

「あぶないっ……!」

 身体がバラバラになるような、強い衝撃。

 強かに地面に打ち付けられたミレーヌが力を振り絞って薄く目を開けると、目の前に茫然とした瞳の少年が座っていた。

 ――よかった、怪我はないみたい……。

 痛みが薄れていく代わりにだんだんと身体が冷えて力が入らなくなっていくのが分かった。

 少年が助かったことに安堵しながらも、ミレーヌの心には一つだけ気がかりなことがあった。

 もう、フェリクスに会えない――。

 意識がなくなる最後の瞬間にミレーヌは願った。

 どんな形でもいい、もう一度フェリクスに会いたい……!

 命の灯が消える瞬間に抱いた強い願いが肉体を離れたミレーヌの魂をブールルージュの森にある愛の女神の神殿に導いた。

 まるで羽根が生えたようにミレーヌはパリスイの上空を飛び、ブールルージュの森へと降り立った。

 ――愛の女神の神殿!

 神殿へと続く階段を上り切った先、大きな支柱の影にはこちらをじっと窺っている白いロングドレスを着た人物の姿があった。

 プラチナブロンドの神秘的な巫女がヒスイ色の瞳をわずかに細め、まるでミレーヌを待っていたかのように呼びかけた。

『……あなたがここに来ることはわかっていました』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?

藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。 結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの? もう、みんな、うるさい! 私は私。好きに生きさせてよね。 この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。 彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。 私の人生に彩りをくれる、その人。 その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。 ⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。 ⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。

同級生の異世界転移に巻き込まれた直後に前世を思い出した結果、乙女ゲームの世界だと判明しました

吉瀬
恋愛
《完結 校正中》 旧題名 大団円エンディングの作り方 乙女ゲーム『隔たれし君を思う』は、ヒロインが聖女として魔法の世界に召喚され、モンスターを倒し世界を救い、ぶっちゃけ逆ハーレムしながらヒーロー達を籠絡していくゲームだ。 高校に入学したばかりの山下えいこは、何故か見覚えのある美少女やイケメン男子と知り合いになり、彼らと関わるうちに巻き込まれる形で異世界転移してしまう。 と、その衝撃で前世を思い出し、この世界が前世にプレイしていた乙女ゲームの中である事が判明した。 モブキャラA子も一緒に転移するなんて知らないんですけど? 着いた先は滅びかけの魔法の世界。 なのにまさかのMPゼロ。魔法何それ美味しいの? 健気、純粋、鈍感、天然の1つも当て嵌まらない全てが『並』のえいこだけど、 魔法が使えなくて最弱だけど、 紆余曲折あってヒーロー倒しちゃうけど、 それでも大団円エンド目指してます(自己都合) 小説家になろうでも公開しています。 if的エロ話は別で纏めていくので、平気な方はそちらもどうぞ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

処理中です...