上 下
43 / 85

21-2 伯爵家の御曹司

しおりを挟む
 爽やかなレモンイエローのドレスに身を包み。

 丁寧に結われた髪には小ぶりのトルコ桔梗のような白と紫の花飾り。

 鏡を覗き込み、優雅に腰を落としてカーテシーをしてみる。

 ――これで、お見合いの装いは、完璧……。

「素敵ですわ、お嬢様……でも」

 口の端を少し上げじっと鏡とにらめっこしている美鈴に、ジャネットが恐る恐る声をかけた。

「何だか……お顔が……勇ましいですわ」

「……いやだわ、そんなに『悪い顔』をしていたかしら」

 フィリップとのお見合いの準備は全て整った。

 後は、車寄せに待たせてある馬車に乗り込めばいいだけだ。

 恐らく人生一番の勝負所を目前に控えて、美鈴には華麗なドレスも戦場に向かう騎士の鎧のように思えてくる。

 相手は、伯爵家の御曹司!……失敗はできないわ。

 ルクリュ家のためにも、自分のためにも、これが「最善」の選択なのだと――。

 美鈴はこの数日間考えに考えた結果を、もう一度頭の中で繰り返した。

 この数日間、珍しくリオネルがルクリュ家を訪れなかったのも幸いだった。

 全ては、滞りなく進んでいる。美鈴はそう確信していた。

「いってらっしゃいませ、お嬢様!」

 ルクリュ夫妻とジャネットをはじめとした屋敷の召使いたちが見送る中、美鈴はにっこりと笑って皆に応える。

「楽しんでいらっしゃいな」

 そう言って朗らかに笑う夫人の横で、子爵がはにかんだような、泣き出しそうな何とも言えない表情で立っている。

 ……お義父様、そんなに心配しないで! きっと成功させてみせますから。

 子爵に向けてそっと馬車の窓から手を振ると、美鈴はルクリュ家の執事と邸を後にしたのだった。



 正午を少し回った頃から、ラトゥール公園は散策にやってくる上流階級の人々で賑わいはじめる。

 公園のほぼ中央に位置する塔と噴水に向かって馬車道とそれに並行して並木道が続く公園は、貴族社会の人々が遅い朝食を摂った後に繰り出し、散歩するのに絶好の場所だった。

 ここでも、貴族たちは贅を凝らした馬車で乗りつけ、夫人や令嬢は夜会ほど派手ではないものの、それぞれに趣向を凝らした装いに身を包んでいる。

 天蓋を折りたたんだ、さながらオープンカーのような華麗な馬車が列をなす中、ドパルデュー伯爵家の紋章入りの四輪馬車がゆっくりと通りを進んでくる。

 先に公園に着いていた美鈴の馬車からも、艶々と黒光りする馬車の車体とその中央の金色の紋章がよく見える。

 伯爵家の馬車は次第に速度を落とし、ルクリュ家の馬車に横付けすると先ず伯爵家の召使いが降車し、続いてフィリップがゆったりとした動作で扉を開けて馬車を降りた。

 ふっくらとした白い指、色の薄い金髪に水色のビー玉のようなぱっちりとした瞳。

 濃紺の上衣にグレーのズボンを着た身体のラインはお世辞にもスマートとはいい難い。

 少々心もとなさげな表情を浮かべた人の好さそうな青年は召使いとともにルクリュ家の馬車に歩み寄る。

 執事に手を取られて、美鈴も馬車から降り、フィリップの前に進み出た。

 ……やっぱり、似ているわ。

 再び間近にフィリップを見て、美鈴は確信した。

 ルクリュ家にある子供の天使の陶製人形によく似たつるりとした頬にブルーの瞳、チョンと突き出た鼻に小さな唇。

 ……いけない、余計なことを考えていては。

 美鈴はフィリップを前にゆっくりと腰を落として跪礼をした。

「お久しぶりでございます。フィリップ様」

 すかさず、伯爵家の召使いがフィリップの耳元で何事かを囁く。

「あ、ああ……奇遇ですね。こんなところでお目にかかるとは……!」

 白い頬をうっすらと桃色に染めながらフィリップが美鈴に話しかける。

「せっかくですから、少しその辺を歩きませんか? 良いお天気ですし……」

「光栄ですわ。ぜひ、ご一緒させてください」

 ……ここまではあらかじめ打ち合わせたシナリオ通り。

 この後、メインストリートから少し脇道にそれた場所にある、丸い屋根を備えた円形の東屋へ向かうことになっている。

 二人がゆっくり話せるように、伯爵家の人間が人払いをしているはずだ。

 丸い小さな池の脇に立つその東屋は小さな階段を数段重ねた上に建てられており、10本の柱が天蓋を支えている。

 内部には椅子が配されており、座ってゆったりと時を過ごすのにうってつけの場所だった。

 フィリップにエスコートされて東屋につくと、美鈴は椅子に腰を下ろした。

 緑の木々が茂り、小鳥の鳴き声が聞こえてくる穏やかな午後。

 向かいに座るフィリップの穏やかな笑顔にたわいない会話。

 ……愛とか、好きだとか、そんなことだけが結婚の条件じゃないわ。

 美鈴はここ数日間繰り返し考えてきたことを反芻する。

 愛はいつかは冷めるもの。

 自分はそのことをよく知っている。

 愛のある結婚なんて求めないし、激しい感情は要らない……。

 それが、元の世界でまったく結婚に興味がなかった美鈴がこの世界で見出した結婚観だった。

 事実、貴族社会の古いしきたりでは、結婚は当人の結びつき以上に家と家同士のそれであったし、本人の意思などは結婚についてまわる家格や富の問題に比べたら取るに足らないこととされていた。

 その点、目の前のフィリップは家柄は申し分なく、人物評も悪くない。

 ただ、奥手な性格と女性に対する興味の無さで婚期が遅れていた……ということだが。

 美鈴はこの数日で頭の中に叩きこんだドパルデュー家とフィリップの情報と当人の印象を比較し、予想通りのフィリップの好人物ぶりに安堵した。

 フィリップの胸元を飾るジャボレースの胸飾りの後ろに複雑な文様の縁取りに中央部にはバラの花が彫られた銀のロケットを発見した美鈴はさり気なくそれを話題にあげた。

「素敵なロケットですわね。複雑な文様が彫り込んであって……素晴らしいお品なのでは?」

 ドパルデュー家のフィリップの一風変わった趣味。

 彼が居城に彫金の師匠まで召し抱えて、余暇に金銀細工の加工にいそしんでいるという情報を美鈴はドパルデュー家の召使いを通して入手していた。

「こ……これですか?」

 召使いから得た情報によれば、フィリップはかなりの腕前の持ち主で、公にはされていないけれども王室に頼まれてタイピンやカフスなどいくつかの品を献上したこともあるという。

 フィリップが恐る恐る差し出した銀のロケットはところどころ透かし彫りの細工が使われた見事な出来栄えだった。

 間近に見れば見るほど、細部まで丁寧に仕上げられた逸品であることが分かる品だ。

「なんて、美しい……。細かなところまで文様がちりばめられていて……わたくし、こんな素晴らしいものはいままで……」

 ロケットから顔を上げて美鈴が見たものは。

 両手で顔を抑えた上、その顔を真っ赤にしているフィリップの姿だった。

「フィリップ様!?」

 慌てて美鈴が声をかけるとフィリップは恐る恐る開いた指の隙間からぱっちりとした瞳をのぞかせた。

「……いえ、すみません……」

 ハンカチを取り出して玉の汗が浮かんだ額を抑えながらフィリップは言った。

「何だか、恥ずかしくなってしまって……。でも、貴女にそんなに褒めていただけるとは嬉しい」

 美鈴からロケットを受け取りながらフィリップは愛おしそうに蓋を指先でそっと撫でた。

「実は、これを作ったのは僕なのです」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

伯爵閣下の褒賞品

夏菜しの
恋愛
 長い戦争を終わらせた英雄は、新たな爵位と領地そして金銭に家畜と様々な褒賞品を手に入れた。  しかしその褒賞品の一つ。〝妻〟の存在が英雄を悩ませる。  巨漢で強面、戦ばかりで女性の扱いは分からない。元来口下手で気の利いた話も出来そうにない。いくら国王陛下の命令とは言え、そんな自分に嫁いでくるのは酷だろう。  互いの体裁を取り繕うために一年。 「この離縁届を預けておく、一年後ならば自由にしてくれて構わない」  これが英雄の考えた譲歩だった。  しかし英雄は知らなかった。  選ばれたはずの妻が唯一希少な好みの持ち主で、彼女は選ばれたのではなく自ら志願して妻になったことを……  別れたい英雄と、別れたくない褒賞品のお話です。 ※設定違いの姉妹作品「伯爵閣下の褒章品(あ)」を公開中。  よろしければ合わせて読んでみてください。

陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました

夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、 そなたとサミュエルは離縁をし サミュエルは新しい妃を迎えて 世継ぎを作ることとする。」 陛下が夫に出すという条件を 事前に聞かされた事により わたくしの心は粉々に砕けました。 わたくしを愛していないあなたに対して わたくしが出来ることは〇〇だけです…

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。

たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。 わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。 ううん、もう見るのも嫌だった。 結婚して1年を過ぎた。 政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。 なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。 見ようとしない。 わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。 義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。 わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。 そして彼は側室を迎えた。 拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。 ただそれがオリエに伝わることは…… とても設定はゆるいお話です。 短編から長編へ変更しました。 すみません

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

処理中です...