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21-1 伯爵家の御曹司

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 プラチナブロンドの女性が歩くたびに細いプリーツの入った裾の長いスカートがユラユラと揺れる。

 金色の輪状の髪飾りが陽の光を受けてキラリと光った。

「この神殿の巫女だ……めったに人前には姿を見せないらしい」

 リオネルは小声で美鈴にそう言うと、神妙な表情で作り、膝を曲げて軽く礼をした。

 美鈴もリオネルに倣って腰を落として礼をする。

 真っ白な肌に金色の睫毛。

 薄い澄み切ったグリーンのヒスイの玉のような瞳。

 まだ10代後半といった年頃だろうか。小柄な巫女はゆっくりと二人の方に近づいてくる。

 リオネルと美鈴の前を通り過ぎようとしたその時、巫女がふと足を停めて美鈴の方を見た。

「……もし、そこの女人」

 鈴のような透き通った声音だったが、何とも時代がかった口調で巫女は美鈴に話しかけた。

「以前、ここに来たことがありますね」

 巫女の言葉は確信に満ちていた。

 つい数か月前に異世界からやって来た美鈴がこの場所に来たのはもちろん今回が初めてだ。

 誰かと勘違いをしているのだろうか……。

「いえ、わたくしはここには今日初めて参りました」

 美鈴がそう答えると、巫女は何を思ったのかふっと微笑んだ。

「覚えていないのなら、いいのです。それも、神の御計らい……。いずれ思い出す日が来るでしょう」

 そう言い残して巫女は美鈴たちの横を通り過ぎると、バラの茂みの中に吸い込まれるように消えていった。

 ……何だったのかしら、今の問いかけは。

 単なる誤解と決めつけてしまうには、巫女の謎めいた言葉には不思議な説得力があった。

「ミレイ……?」

 バラの茂みに駆け寄り、さして広くない庭園を透かし見ても、彼女の姿をみつけることはもうできなかった。



 バラ園を散策した後、ルクリュ家に美鈴を送り届けるとリオネルは屋敷の玄関口で暇乞いをした。

「待って、お義父さまがあなたに会いたがっていたわ。昨晩のお礼を……」

 美鈴が人を遣って子爵にリオネルの来訪を伝えようとするのを制して、彼は言った。

「いや、まだ店の方に用もあるからな。ここで失礼するよ。叔父上によろしく」

 軽く会釈してからいつもと変わらない笑顔で美鈴に微笑いかける。

「ドレスは、明日にでもこちらに届けさせるから。……楽しみに待っていてくれ」

 そう言って身を翻すと彼は悠々とした足取りで屋敷を出て行ってしまう。

 あのバラ園での一件の後、リオネルが婚活やルクリュ夫妻の話を蒸し返すことはなかった。

 今年の夏の天気について、庭園に咲くバラの品種について……。

 女性の扱いをよく心得ている男性らしく、リオネルは花の種類には詳しかった。

「華やかな紅バラもいいが……。俺はもっと深みがあって柔らかな色合いが好きだ」

 ゆっくりと園を散策しながらリオネルは美鈴にそう語った。

「……特にオールドローズ。イグラントの流行色だ。何とも言えない気品があって、エレガントな大人の女に相応しい」

 そう言って美鈴にオールドローズのドレスを仕立てた張本人は流し目で彼女を見つめた。

 悪戯っぽい表情、軽い微笑みを湛えた優美な唇のカーブを思い出したところで、美鈴は頭を振った。

 ……今は、目の前のことに集中しなければ。

 次の休日にはドパルデュー家の子息と会うことになっている。

 場所は、貴族たちが散策に訪れるラトゥール公園。

 多くの貴婦人、令嬢、紳士が散策にやってくるそこは、ブールルージュの森と同じくいわば紳士淑女の出会いの場、デートスポットのようなものだ。

 そこで、美鈴はドパルデュー家のフィリップと「散策中に、偶々」出会う手はずになっている。

 入念にセッティングされた、しかしあくまで偶然を装ったそれは、非公式の『お見合い』のようなものだ。

 子爵家の令嬢にとっては玉の輿にのる千載一隅のチャンス――。

『自分の気持ちに素直になったほうがいい』

 リオネルの言葉を何度も頭の中で反芻した美鈴だったが、肝心の自分の気持ちだけがどうにも掴めない。

 ……これまで、自分のことは全て自分で決めて来たのに。

 自分の最も苦手とする分野。

 恋愛、結婚――。

 今までひたすら避けて来たことが、異世界で最大の弱点になるなんて。

 それでも、フィリップとのお見合いはすでに決まったこと。

 選択肢はない、自分で決めたことなのだから……。

 美鈴は去っていくリオネルに背を向け、屋敷の中へ一歩踏み出した。

 休日までに用意することはまだ、たくさんある。

 グズグズと考えている暇なんか、ないんだから……。

 そう自分に言い聞かせながら。
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