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第二十章 それぞれの道

老練か老獪か

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――ヴァンナス・王都オバディア


「へっくしゅん!」
「陛下、風邪ですかな? 鼻水を盤上に飛ばすのはおやめください」

 王都オバディアにそびえ立つ城の一室。
 そこで、ヴァンナス国王・ネオ=ベノー=マルレミと大貴族ジクマ=ワー=ファリンは忙しい政務の合間を縫い、盤上遊技に興じていた。

 百と三十を超えるネオは、その年とは相反して二十代にも見える若々しい容姿を持ち、瑞々しい金の髪を揺らして、柔和な紫の瞳を傍にあったティッシュ箱に振り、そこからティッシュを数枚取り出して鼻を盛大にかむ。

 それを、六十へ差し掛かろうとする老体とは思えぬ巨体に白き外套を纏う白髪はくはつのジクマはしかめ面で咎めた。


「ぶぶぶぶ~、ぶぶぶ~、はぁ。誰かが私の噂をしたな。こりゃ、美女だね」
「いや、敵でしょう。鼻水が駒に掛かってます。ちゃんとお拭きください」
「クッ、冷たいし細かいな。そんなことよりも、新たな研究所の進捗具合は、っと。これでどうだ?」

 会話を行いながらもネオは駒を動かし、ジクマの眉間に皺を生ませる。
「ぬっ……問題なく進んでおります。もはや、レイやアイリたちを頼る必要もなくなるでしょう。すでに試作品を十ほど」
「そっか、彼らから場所を奪うことになるね~」

「ヴァンナスの繁栄。魔族の活性化に対応するため。そして何より、遺跡の記録に残っていた化け物の存在から世界を守るために必要なこと。仕方のないことです」
「いいの? アイリが悲しむよ。大事な娘みたいなもんだろ?」
「娘は三十年前に亡くなっていますよ。あの子は……アステ=ゼ=アーガメイトの誤った優しさ故の存在」

「ふふ、その割にはアイリに甘いような気もするけどねぇ」
「…………」
「なんだ、怒った?」


 ネオは無言に身を包むジクマに対し、口元をわざとらしく歪ませてとても軽い口調で挑発するが、ジクマはため息でその挑発を吹き消した。
「はぁ、人をからかうことが生きがいである陛下にお付き合いすることに少々疲れただけです」
「おいおい、私は陛下だぞ。敬え」
「ならば、敬られるような所作を見せてほしいものですな」

「すまないねぇ、親しみ深い王を目指しているもんで」
「官僚・政治家・軍と親しみからほど遠い感情を抱かれておいて、何を仰られるか」
「ううん? 私って、そんなに嫌われているの?」

「なぜ、レイをアグリスへ? 他の者でも十分に役目を果たせたでしょう」
「こっちの問いを無視かよ、ひどいな。まぁ、あれだ。何十年もアグリスを放置していたからね。少しは釘を刺しておかないと。レイには魔族調査ついでに、アグリスの内部を引っ掻き回してもらうつもり」
「引っ掻き回すのは、ルヒネ派ですか? それとも二十二議会ですか?」


「議会の方。あれらは頭が固すぎる。そろそろ粛清の必要な時が来ているだろ」
「フィコンは?」

 この問いに、ネオは少々面倒そうであり、同時に同情の混じる表情を見せた。
「あ~、あれは賢い。賢すぎる。まだ、彼女が九つの頃に母のフェンドに連れられ王都の会合に出席したときに二・三ほど会話を交わしたが、ありゃ、天才だ。しかも、サノアの力を譲り受けているし」
「だからこそ、危険だと思うのですが」

「逆だよ。見え過ぎるから臆病になる。私たち年寄りのようにね。荒れ狂う流れを見つめるだけで、飛び込もうとしない。流れの分岐を見定め行動を起こす。受動的すぎる」
「非常に賢い方法かと」
「その賢さを手に入れるのはまだ先だろう。子どもが手にするものじゃない」
「たしかに、そうでしょうな」

「彼女はまだまだ子どもだというのに、選択できる可能性の限りを知り、最良のものを選ぶことに躍起になってる。力を手にしてしまったために、フィコンには無謀なる挑戦という、素晴らしき若者の特権が失われてしまったようだ」

「持つことが幸福とは限らない。金も経験も名声も同じ。力はみなそうということですか」
「残念なことに、持てば持つほど不自由になるからね。ほどほどの力と金があるってのが一番幸せかもなぁ」

「だが、そのような泣き言を口にするのは卑怯。我らは導く者として光も闇も知り、善も悪も平らげることはもちろん、それを表に出すことも許されない」
「相変わらず厳しいねぇ。ともかく、アグリスのことはレイの報告待ち。魔族の活性化についてもね。これらとは別に、テイローのおさファロムが引退し、孫に譲ったという話を聞いたが?」

「ええ、そのようで。ですが、実践派は長の譲位の場など設けませぬし、公表することもありませんから。いつ誰がどうなったのかわかりにくうございますな」
「長となった孫の名はわかるかい?」

「ファロムの孫は二十はいます。その誰かまではわかりかねます。また、表に出ていない血筋もいますから」
「いい加減だねぇ。理論派とは真逆だ。ま、そのいい加減さのおかげで実態が掴みにくくなっているんだけどね」

「実践派と親しかったアステ=ゼ=アーガメイトを失い、理論派と実践派の繋がりが薄くなりましたから、そのため余計に把握できなくなっていますよ」

「だね。その理論派も王家に協力的とは言えないし。彼らは独立性をうたい、私たちをパトロン程度にしか見ていない。あ~あ、ろくでもない連中ばっかりだよ」
「類は友を呼ぶという言葉がありますから」
「このっ」


 ネオはジクマに向かい笑みを見せながら青筋を立てるが、彼は気にすることなく盤面を注視し、ネオへ言葉を返す。

「実践派の実態は掴めませんが、理論派は理論派で様々な秘密を握っているでしょう。ですが、理論派の一部は我々に対して積極的に力を貸していますから」

「ケントを後継と認めず、財のほとんどを奪い取ったアーガメイト一族の革新派か。あまり上品とは言えないが、彼らの知識は役に立った。だけど、彼らが束になっても稀代の錬金術師・アステ=ゼ=アーガメイトの才には全く及ばない。ジクマ、君は友人であるアステから何か役立ちそうな情報は聞いていないのかい?」

「友人であっても、公私混同を行うような男ではありませんでしたから」
「はぁ~、アーガメイトにファロムにフィコンにジクマと、私の周りには清廉さの欠片もない者ばかりがいるな」

「目の寄る所へは玉も寄るという言葉がありますから」
「類友と同じ意味じゃないか! それよりも、いつまで考え込むつもりなんだよ? そろそろ駒を動かせ」
「そうですね」


 ジクマは駒を持ち上げ、ネオの陣地へと深く切り込んだ。
 これにはネオも目を大きく見開く。

「そんな手が……」
「いつまでも、ご自分一人が全てを見通せているというわけではありませんよ。いずれは年老い、場所を奪われる。あなたも、私も……」
「ふふ、言うねぇ~。今回は負けておこう。さて、我々のような老いれに噛みつくことのできる若者は何を思い、何を抱くか。楽しみだ……だが、道を譲る気はない。全力で叩き潰す。この脳漿が腐れ落ちるその時まで……」
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