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第四章 闇と踊る薄幸の少女

第32話 心の天秤

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――村から離れた河原


 村からの追手はなく、今夜はここで休むことにした。
 水に濡れていたリディの着替えは済ませ、今は白いワンピース姿を見せている。
 各々適当な場所に座り、私が作ったスープを振る舞い、寒さと疲れを癒す。

 スープの暖かさは怯えていたリディを優しく包み込む。その暖かさのおかげで、彼女は落ち着きを取り戻した様子。
 まだまだぎごちなさは残るが、微笑みを見せてカリンと会話を重ねている。

 
 私はスープの用意に使った鍋や食器類をまとめ、リディに声をかける。
「リディ、食器類を洗いに行く。手伝ってくれるか?」
「あ、はい」
「ちょっと、おじさん。リディはさっき大変なことに遭ったばかりで――」
「カリン、甘やかすな。旅に同行する以上、仕事はしてもらう。リディ、もう大丈夫だな?」
「だ、大丈夫です!」
「だそうだ。君は貫太郎と私たちの寝床の用意をしておけ」
「もう! リディはまだ小さいんだからもう少し……」

 彼女はぷりぷり怒りながらも、貫太郎に毛布を掛けて、寝床の準備を始めた。
 次に私は、ツキフネに声をかける。
「ツキフネ、追手はなさそうだが、念のため一回りしてきてくれ」 
 そう言って、私は見張りとは無関係の川へちらりと視線を振ってすぐに戻した。
 その意図を読み取り、ツキフネは簡素に声を返す。

「了解だ」

 彼女は河原近くの森へ姿を消していく。
 私はリディに声をかけて食器を洗いに行く。

「リディはコップ類を。私が鍋を持つ」
「はい、わかりました」



――河原

 私とリディは会話を行うことなく、川の水を使い黙々と食器類を洗う。
 夜も深いため、時折リディは小さなあくびを繰り返す。
 私は彼女へ顔を向けず、汚れた鍋に瞳を落としたまま話しかけた。

「邪魔して悪かったな」
「え? いえ、カリンさんとはあとででもお話しできますし」
「そのことではない…………君が、村から出て行こうと準備をしていたことに対してだ」
「――――っ!?」

 リディは洗っていた木製のコップをぱちゃりと川へ落す。
 そして、僅かに声を震わせ、こう返した。

「何を、仰っているんですか?」

 私は彼女を見ない。だが、見ずとも声だけで怯えているのはわかる。
 私は食器を洗いながら、ただ話を続ける。

「君の家に訪れた際、袋の中に比較的状態の良い食器類と保存食と油。そして、僅かばかりの金がまとめてあった。君は財産をひとまとめにしていると言ったが、その言い訳は苦しい。財産は分散し隠すものだ。特に村から差別を受けている君は、それを奪われる可能性があるのだから」
「…………」

 彼女は無音を纏い、月光を反射する水面みなもだけが風に揺れ、音を立てる。

「まぁ、そのことはどうでも良いのだが……問題は村の流行り病」
 無言で身を固めていたリディがびくりと体を跳ね上げた。
 私はそんな彼女へ容赦なく紐解いた真実を叩きつける。


「あれは流行り病などでない――毒による症状。そして、その毒を盛ったのは……君だ、リディ」


 半端な疑問符などを交えず、はっきりとした言葉で彼女を犯人だと名指しした。
 彼女は震える手をもう一つの震える手で押さえ、私に反論を試みようと見つめてくるが……。
「――うっ!?」

 私は瞳に殺気を乗せて彼女を黙らせる。
 そして、さらに話を歩む。

「毒はモイモイの実。君の家に大量にあったもの。アレは空腹を誤魔化すための食材だが、生で摂取すれば毒となる。初期症状は、のどの痛み。次に熱と風邪に似た症状。なかなか毒だとは気づかない」


 リディは私から視線を降ろして、何も言わず、川に浮かぶコップを見つめている。

「あれは蓄積型の毒。君はモイモイの実を井戸へ投じていた。あれはほとんど無味で味の変化に気づきにくい。そうして知らず知らずに毒を蓄積していった村人たちは、のどの痛みから変わり、激しい嘔吐を繰り返すようになり、やがては死に至る。そう、君はモイモイの実を使い、村人を皆殺しにする気でいた」

 殺しという言葉に無言だったリディが反応を示す。
「みなごろしは……」
「そうだな。実際には皆殺しは無理だろう。死者が出始めれば、どこかで『井戸水が原因』だと気づかれる可能性が高い。そして、気づかれたら真っ先に疑われるのは症状もなく、井戸を利用していない君だ。だからいつでも村から出て行けるように準備をしていた」
「……いつから、お気づきに?」

「まずは、まとめてあった財産に違和感を覚えた。次に、私たちが井戸を利用しようとして、それを強く止めたこと。あれは私たちに毒を摂取させないためだな」
「はい……」

「あれは無理に止めず摂取させておけばよかった。少量ならば、喉を傷めるだけだからな。まぁ、モイモイの実を見た私たちが喉を傷めれば、原因を特定される危険性を考えての行動だったかもしれんが」
「それらがあなたに気づかせたと?」
「いやいや、これだけではさすがにわからんよ。話は長くなるが、まだ続けてもいいかな?」


 リディは怯えもなく、小さくコクリと頷いた。
 そこにあるのはある種の諦観だろう。
 諦めに酔う少女へ、私は届いた真実を手向たむける。

「カリンがすり鉢を取ろうとして、それに合わせ、慌てた様子で君が取ろうとした。そして、床に落として壊した。あの時、少々それが不自然に思えてな。君はあのすり鉢と粉木こぎを使い、モイモイの実を潰していたのだろう?」

「はい、その通りです。あのままだと私たちも摂取してしまうから……ふふ、あなたの言うとおり、あの程度なら摂取しても大した悪影響はないのに。私って、馬鹿なんだから……」
「擂り粉木の件については馬鹿な行動ではない。気づかれることへの恐れもあっただろうが、あれに関してはカリンのことを心配してしまったがための突発的な行動だと思っている」

「っ!?」

「会ったばかりとは言え、君は優しいカリンに懐いていた。だから、少量とはいえ毒を摂取させたくなかった」
「かもしれません……」
「フフ、カリンとの出会い。ここで君の心の天秤が揺らめく」
「え?」


 何を言っているのかわからないとリディはこちらへ顔を向ける。
 私は洗い終えた鍋を拭きながら、今の言葉の意味を答える。

「正直に言えば、この時点ではまだ、君の真意を計りかねていた。君は村から出て行こうと考え、同時に復讐をしようとしていた。しかし、初めて出会った君は母の形見と共に心中を覚悟していた。そこが繋がらない」

 川に溺れていくリディはこのまま死んでも構わないと思っていた。同時に復讐と村から出て行き、新たな人生を歩む希望を抱いていた。
 
 母と共に死ぬならそれでもいい。復讐できるならどれだけ罪に手を染めようと構わない。
 諦めと憎しみが釣り合う天秤。
 しかし、その天秤が大きく揺れ動き始める。
 カリンの優しさに触れたリディは母の優しさを思い出し、生への渇望が大きくなった。
 そして……。


「深夜のカリンの言葉。彼女は君を連れて行きたいと言い出した。寝た振りをしていた君はこの言葉を聞いた。これが決定打になった。君の心の天秤には生きるというはかりが生まれて、それに傾いた。優しいカリンと共に旅をする希望を胸に抱いた」
「……その通りです」

「しかしだ、この時点ではまだ真意を計りかねていた私は意地悪をする……君を連れて行く気はないと。私はこの時、君を試していたのだよ。君が何を企み、どんな行動を起こすのか……」
「じゃあ、あれはわざと……?」

「ああ、君を追い込むためだ。その後の君の行動で、川に飛び込んだ際の君と、今の君の心の変化を知ったわけだが。さて、話を核心へと進めよう」
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