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 ドアの前に立つ。
 夕陽は、この施設に連れてこられた日のことを思い出していた。ずいぶん前のような気がするが、実際は一か月とちょっとしか経過していない。

「はー……」

 自然と、ため息がこぼれた。
 鹿野はここまで案内した後「ゴウの飯の算段をしてくる」と、部屋に入らず去っていった。少し、恐れているようにも見えて、それが夕陽の不安を増幅させる。

「……ヘンな人だったら、やだな」

 過去の、あまり思い出したくない記憶が、滲み出でてくる。振り払うように頭を振り、その勢いでドアをノックした。

「こんにちは、今日からお世話になります」
「はーい、いらっしゃーい」

 今回はすぐにドアが開く。中から出てきたのは、くせっ毛な亜麻色の髪を筆頭に、全体的に色素の薄い少年だった。あどけなさの残る、13,4歳くらいの子供だ。

「えっ?あ、あの、僕、ケアテイカーの……」
「夕陽だよね?よろしく!あとさっき、僕の事チビだと思ったでしょ~?」

 確かに、自分より頭ひとつ分以上背が低いが、この年齢なら平均値くらいではないだろうか、と夕陽は思った。

「いえ、僕もそんなに高くないですし、これからきっと伸びますよ」
「伸びるかなぁ?19歳でも?」
「ええ!19!?」
「あっ、そっちか!まあ、入って入って」

 ナンバー4の部屋は、ゴウの部屋と全く同じ間取りだった。違う点は、彼の部屋には大量のぬいぐるみやブロックは無く、必要最低限のものしか置いていない。今いるナンバー4の寝室も、ベッドと小さなサイドテーブルと、棚しかない。その本棚には、たくさんの本がタイトル順に並べてある。

「ナンバー4さんは、本が好きなんですか?」
「ううん、何か最初からあった。それと、僕の事はフォースって呼んでね」
「フォースさん、今日からよろしくお願いします」

 夕陽が深く礼をすると、フォースも「こちらこそ~」と頭を下げた。

「ね、僕たちには2週間しかないから、早く親睦を深めるためにさ、一緒にお風呂入らない?」

 一応、こちらの意見をうかがってくれるが、拒否権はない。夕陽は「フォースはお風呂プレイが好き」と、頭のメモに書き込んだ。

「じゃあ僕、お湯ためてきますね」
「大丈夫。もうためてるよっ、入浴剤もいれといたから、行こう!」

 いつもは十分な広さだが、2人で浸かるには少し狭い。向かい合って座ると、お互いの身体をよく見ることができる。

「……白くにごるやつ入れたらよかった。僕は平気だけど、夕陽、嫌じゃない?」

 フォースが、申し訳なさそうに尋ねる。

「いえ、平気です。入浴剤、良い匂いですね」

 フォースの表情が、パッと明るくなる。これだけ顔に出してくれたら、とても分かりやすい。こちらの対応もずいぶん楽だ。夕陽は無意識に、誰かと比べていた。

「ふふふ~。夕陽可愛い。お肌もすべすべ」
「いえ、そんな……」

 フォースが、夕陽の顔や腕を撫でまわした。夕陽は、久しぶりに他人に身体を触られて、どう反応していいか迷う。

「……この太腿の傷跡と、夕陽が今ここに居るのって、関係ある?」

 夕陽は反射的に傷跡を隠す。右足の内腿に、複数の切り傷の跡があった。ケロイド状になっていて、痛々しい。

「す、すいません。気持ち悪いですよね」

 いつも裸になる時は、ファンデーションテープを使って隠すのだが、今回は急にこの部屋に来たため、そんな余裕がなかった。フォースがそっと夕陽の手を払って、そこに触れる。

「気持ち悪くなんかないよ。夕陽の事、もっと知りたいな」

 とても、懐かしい感じがする。程よい温度の湯につ浸かっているのも相まって、ふわふわと包み込まれるようで、安心して息ができる感覚だ。

「小さい時に、父さんが……割れたビンを……」

 それ以上は、どんなに頑張っても声が出てこなかった。下を向いて震える夕陽の手を握り、フォースがなだめる。

「教えてくれて、ありがとう。夕陽は特Sだよね?僕たちの事も、知ってほしいな」
「はい。知りたい、です」

 そうだ。彼らについて、知っておかなければならない。夕陽は、フォースの手を握り返した。「ありがと
う」と、落ち着いた声で語り始める。

「ゴッドブレスの力はね、先天的な能力じゃなくて作られた力なんだ。もちろん、誰でもなれるわけじゃない。いくつか条件を満たす子どもに、処置をするんだって。僕も、よく思い出せないんだけど、狭くて暗い部屋と、境界がわかんなくなるくらい明るい部屋を何回も行き来した記憶だけある」

 フォースが、苦しそうな表情を浮かべる。あまり、思い出したくない記憶のようだ。

「でね、その条件の一つが、心に深い傷を負っている事なんだ。……夕陽とおそろいだね」

 夕陽は微笑み、ゆっくりとうなずく。
 心の傷。目には見えない、深さもわからない。そんな曖昧なものに、時にひどく乱される。癒える事はなく、何かの拍子に、ついさっきできたみたいにじくじくと疼きだす。とても厄介だ。

「だから僕たち、お互いに傷を猫のようにペロペロなめあって、協力して行こうね!」

 確かに、フォースはふわふわしているので猫みたいだな、と夕陽は思った。

「……フォースさん、体調が悪いって聞きました。もう大丈夫なんですか?」
「だいじょーぶもだいじょーぶ!周りが騒いでるだけー。その証拠に、今日も治療が入ってるんだよっ。夕陽も手伝ってね」
 
 夕陽は記憶をたどる。風呂は、滑るし、響くし、寒くなってくるのであまり得意ではない方だ。しかし、ゴウの時のように不安定なままで治療に挑めば、彼に負担がかかるに違いない。夕陽は腹をくくった。


「……はい」
「じゃあ、のぼせないうちにあがりますか!」
「はい……え?」

どうやら、お風呂プレイが好きなわけではなさそうだ。
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