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久丹が目覚めたことを知ると、キリはすぐさま粥を運んできてくれた。
「元気そうね。次は、もっと滋養のあるものを持ってくるわ」
「世話をかけるな」
「いえ。そもそも、悪かったのは私たちだもの」
「もういいさ」
久丹は首を振った。
「大那にいては出来ない経験をさせてもらったよ」
皮肉ではなく、本心だった。大那にいたままだったら、空を飛ぶことなど考えもしなかったろう。
短い間だったけれど、あの翼を動かす感じは一生忘れられないと思う。肩甲骨の意識が翼の端々にまでとどき、空気を打ち、風に乗ったのだ。
景も同じ体験ができないのは残念だ。
景とて、背中に翼を秘めているはず。鳳凰を彫るときに、必ず役にたつ感覚だろうに。
粥を食べおわると、久丹は椀を傍らに置いてキリを見た。
「キリ。ミヤのことなんだが」
「ミヤ?」
「飛んでいたとき、あんたとラカタの話を聞いた」
キリは眉をよせた。
「ラカタの言っていたことは、本当なのか」
「わからない」
キリは、自問するようにつぶやいた。
「ラカタは、何を考えているかわからない男。でも、ミヤなら倉を燃やすことはできるかもしれない。あの子の思いもわたしと同じだから。命を失ってまで、龍の首はいらないもの」
「ミヤは、リンを好いているのか」
「ええ」
キリは、うなずいた。
「ずっと昔から、ミヤはリンを見ていたわ。リンは〈龍の渡り〉のことしか頭になくて、気づきもしていないけどね。ミヤはあんな子だから、思いばかりをため込んでいる」
「ミヤは、リンを失いたくないんだ」
「そうでしょうね」
「だとすれば、またなにか起きるかもしれない」
久丹の言葉に、キリは目を見開いた。
「なにか?」
「リンたちが、龍と戦えなくなる何かだ。ミヤから目を離さない方がいい」
「でもね」
キリは声を押し殺した。
「わたしもミヤと同じ気持ちよ。できるなら、誰も死なせたくない」
「男たちは、死ぬために〈龍の渡り〉を待っているわけじゃないだろう」
久丹は言った。
「生まれた時からずっと、龍を狩ることに憧れてきたんだ。生き甲斐なんだよ。それを取り上げるのはどうかと思う」
キリは黙り込み、顔を歪めた。
「わかってる。どうなっても、リンたちは本望だということはね。父者もそうだった。喜々として龍に挑んで行った」
キリは、深々とため息をついた。
「結局、わたしは自分が悲しみたくないだけなんだわ」
「信じるしかないだろう」
羽白が静かに口をはさんだ。
「リンは前回の〈龍の渡り〉を知っている。どうすれば犠牲を出さずにすむか、考えているはずだ」
「そうね」
キリは、ようやくうなずいた。
「信じて、祈るしかないわね。ミヤにも言い聞かせる」
翌日には、久丹は外を出歩けるまでになった。
背中に違和感はなかった。ほんの少し、猫背がなおったような気がするだけだ。
村を一回りして散歩から戻ると、ラカタが来ていた。
よほど暇を持て余しているのだろう。羽白が琵琶の稽古をしているので、それを珍しそうに眺めている。
「いやいや、みごと、みごと」
ラカタは言った。
「よくそんなに指が動くものよのう」
気が散ったらしい羽白は、琵琶を片付けはじめた。
「都に琵琶はないのか?」
炉の前に座りながら久丹はいった。
「同じようなものならある。割った瓢箪に棹をつけてな、四本の弦を張るから四弦と呼ばれている。しかし、小さな弓で弦をこするのさ。そんなふうに指は使わん」
「大那でも、撥を使う」
羽白は言った。
「指と撥と、半々だ。わたしは、こっちの弾き方が好きだから」
「ほう」
「四弦の弦は何でつくる?」
「獣の腸だ。裂いて乾かして糸にする」
「獣の」
羽白は興味を持ったようだ。
「どんな音だ」
「これよりも硬い音だな。曲の調子もだいぶ違う」
ラカタは大げさに肩をすくめた。
「昔は音曲など興味は無かったのだが、今となっては懐かしいわ。この村にあるのは太鼓くらいだ。それも、龍が来ないと鳴らないらしい」
「そろそろだろう?」
久丹は言った。
「今までは、十八巡を超えたことがないそうだ。長の話ではな」
ラカタは、ふふんと笑ってうなずいた。
「鳳凰の羽根は手に入った。もういつ来てもいいのに、なかなか来ない。村の連中はそわそわしている。ことに、女たちは」
「だろうな」
久丹は、キリの不安をおもんばかった。
「さっき、ミヤを見かけたから言ってやった。もうリンに弓を引かせないためには、どこかに閉じ込めておくしかないだろうとな」
「あんたはまったく」
久丹は思わず声を荒らげた。
「あんな娘をからかって、面白いのか。可愛そうに」
「ちょっと試してみたかったのさ」
ラカタは、平気な顔で言った。
「前にも、鳳凰の矢がなければ龍は狩れないのにな、と言ったことがある。そうしたら、すぐにあの雷だ」
「本当にミヤの仕業だと思っているのか」
「だから、試しているのだろう」
「ミヤが、どうするか?」
「ああ」
「人の心をもてあそんで、あんたは何をしたいんだ」
「何、と言われてもな」
ラカタは薄く笑っていた。
「ただ、成り行きを眺めていたいだけさ。龍の首などどうでもいい。都の王など、知ったことか。わしは面白いことが好きなんだ」
「ひどいやつだ」
「わしをこんな所に派遣したお上が悪い」
ラカタはひょいと立ち上がった。
「わしはただ、退屈をまぎらわせているだけさ」
ラカタは家を出て行った。
「まったく」
久丹はラカタが去った戸口をしばらくにらみつけていた。
「役人の風上にも置けない男だ」
「ラカタの見込みが本当なら」
羽白が眉をひそめた。
「リンが心配だ」
久丹は、羽白を見た。
「キリに、伝えておいたほうがいいな」
二人がリンの異変を耳にしたのは、翌朝だった。
「元気そうね。次は、もっと滋養のあるものを持ってくるわ」
「世話をかけるな」
「いえ。そもそも、悪かったのは私たちだもの」
「もういいさ」
久丹は首を振った。
「大那にいては出来ない経験をさせてもらったよ」
皮肉ではなく、本心だった。大那にいたままだったら、空を飛ぶことなど考えもしなかったろう。
短い間だったけれど、あの翼を動かす感じは一生忘れられないと思う。肩甲骨の意識が翼の端々にまでとどき、空気を打ち、風に乗ったのだ。
景も同じ体験ができないのは残念だ。
景とて、背中に翼を秘めているはず。鳳凰を彫るときに、必ず役にたつ感覚だろうに。
粥を食べおわると、久丹は椀を傍らに置いてキリを見た。
「キリ。ミヤのことなんだが」
「ミヤ?」
「飛んでいたとき、あんたとラカタの話を聞いた」
キリは眉をよせた。
「ラカタの言っていたことは、本当なのか」
「わからない」
キリは、自問するようにつぶやいた。
「ラカタは、何を考えているかわからない男。でも、ミヤなら倉を燃やすことはできるかもしれない。あの子の思いもわたしと同じだから。命を失ってまで、龍の首はいらないもの」
「ミヤは、リンを好いているのか」
「ええ」
キリは、うなずいた。
「ずっと昔から、ミヤはリンを見ていたわ。リンは〈龍の渡り〉のことしか頭になくて、気づきもしていないけどね。ミヤはあんな子だから、思いばかりをため込んでいる」
「ミヤは、リンを失いたくないんだ」
「そうでしょうね」
「だとすれば、またなにか起きるかもしれない」
久丹の言葉に、キリは目を見開いた。
「なにか?」
「リンたちが、龍と戦えなくなる何かだ。ミヤから目を離さない方がいい」
「でもね」
キリは声を押し殺した。
「わたしもミヤと同じ気持ちよ。できるなら、誰も死なせたくない」
「男たちは、死ぬために〈龍の渡り〉を待っているわけじゃないだろう」
久丹は言った。
「生まれた時からずっと、龍を狩ることに憧れてきたんだ。生き甲斐なんだよ。それを取り上げるのはどうかと思う」
キリは黙り込み、顔を歪めた。
「わかってる。どうなっても、リンたちは本望だということはね。父者もそうだった。喜々として龍に挑んで行った」
キリは、深々とため息をついた。
「結局、わたしは自分が悲しみたくないだけなんだわ」
「信じるしかないだろう」
羽白が静かに口をはさんだ。
「リンは前回の〈龍の渡り〉を知っている。どうすれば犠牲を出さずにすむか、考えているはずだ」
「そうね」
キリは、ようやくうなずいた。
「信じて、祈るしかないわね。ミヤにも言い聞かせる」
翌日には、久丹は外を出歩けるまでになった。
背中に違和感はなかった。ほんの少し、猫背がなおったような気がするだけだ。
村を一回りして散歩から戻ると、ラカタが来ていた。
よほど暇を持て余しているのだろう。羽白が琵琶の稽古をしているので、それを珍しそうに眺めている。
「いやいや、みごと、みごと」
ラカタは言った。
「よくそんなに指が動くものよのう」
気が散ったらしい羽白は、琵琶を片付けはじめた。
「都に琵琶はないのか?」
炉の前に座りながら久丹はいった。
「同じようなものならある。割った瓢箪に棹をつけてな、四本の弦を張るから四弦と呼ばれている。しかし、小さな弓で弦をこするのさ。そんなふうに指は使わん」
「大那でも、撥を使う」
羽白は言った。
「指と撥と、半々だ。わたしは、こっちの弾き方が好きだから」
「ほう」
「四弦の弦は何でつくる?」
「獣の腸だ。裂いて乾かして糸にする」
「獣の」
羽白は興味を持ったようだ。
「どんな音だ」
「これよりも硬い音だな。曲の調子もだいぶ違う」
ラカタは大げさに肩をすくめた。
「昔は音曲など興味は無かったのだが、今となっては懐かしいわ。この村にあるのは太鼓くらいだ。それも、龍が来ないと鳴らないらしい」
「そろそろだろう?」
久丹は言った。
「今までは、十八巡を超えたことがないそうだ。長の話ではな」
ラカタは、ふふんと笑ってうなずいた。
「鳳凰の羽根は手に入った。もういつ来てもいいのに、なかなか来ない。村の連中はそわそわしている。ことに、女たちは」
「だろうな」
久丹は、キリの不安をおもんばかった。
「さっき、ミヤを見かけたから言ってやった。もうリンに弓を引かせないためには、どこかに閉じ込めておくしかないだろうとな」
「あんたはまったく」
久丹は思わず声を荒らげた。
「あんな娘をからかって、面白いのか。可愛そうに」
「ちょっと試してみたかったのさ」
ラカタは、平気な顔で言った。
「前にも、鳳凰の矢がなければ龍は狩れないのにな、と言ったことがある。そうしたら、すぐにあの雷だ」
「本当にミヤの仕業だと思っているのか」
「だから、試しているのだろう」
「ミヤが、どうするか?」
「ああ」
「人の心をもてあそんで、あんたは何をしたいんだ」
「何、と言われてもな」
ラカタは薄く笑っていた。
「ただ、成り行きを眺めていたいだけさ。龍の首などどうでもいい。都の王など、知ったことか。わしは面白いことが好きなんだ」
「ひどいやつだ」
「わしをこんな所に派遣したお上が悪い」
ラカタはひょいと立ち上がった。
「わしはただ、退屈をまぎらわせているだけさ」
ラカタは家を出て行った。
「まったく」
久丹はラカタが去った戸口をしばらくにらみつけていた。
「役人の風上にも置けない男だ」
「ラカタの見込みが本当なら」
羽白が眉をひそめた。
「リンが心配だ」
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