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琵琶の替え弦は、大那に置いたままだった。
羽白はしかたなく、切られた弦の代わりに弓の麻弦をもらい受けた。
龍の革でしごいてもっと細くなめらかにし、張ってみる。絹とは違って好みの音は出なかったが、稽古には使えそうだ。
久丹の眠りを乱したくないので、音を出さずに弾いていた。久丹と出会ったいま、鳳凰の曲は少し違ったものになりそうだった。
「それも呪力か」
声が聞こえて、はっとした。
「器用だな。音を消して弾けるのか」
久丹が目を開け、ほほえみかけていた。
羽白は琵琶を置いた。
「どんな具合だ?」
「まあ、悪くはない。痛みもないし」
久丹は、確かめるように両手を上に伸ばした。
「どのくらい眠ってた?」
「ちょうど四日だ。無理はするな」
「まだ〈龍の渡り〉は来ないよな」
「ああ」
「よかった」
久丹は、息をはき出した。
「夢を見ていたんだ、羽白。〈龍の渡り〉の中を飛ぶ夢だ」
「そうか」
久丹は、まだ飛びたかったのだろうと羽白は思った。せっかく手に入れた翼を、すぐに手放してしまったのだから。
「夢の中で考えた。おれたちが大那に帰る方法があるかもしれないと」
羽白は眉を上げた。
久丹は、身を起こし、胡座をかいた。
「龍は別の空間からやってくる。この世界の出入り口が開くということだ。龍について行って出口に行く。そこで念ずれば、大那に帰れるかもしれない。今のおれたちには、それだけの呪力はあると思う」
「だが」
一瞬希望がよぎったが、羽白は首を振った。
「どうやってその出口まで行く。リンたちの話では、西の峰の上空にあるらしい」
「おれが飛ぶ。あんたをおぶって」
「羽がない」
久丹は軽く笑った。
「羽がなくとも飛べるんだ。龍はあの身体で、翼もなく空を飛んでいる」
羽白は、はっとうなずいた。
「鳥のことを考えると、人の身体が飛ぶには、とてつもなく大きな翼が必要なんだよ。あんな翼じゃ最初から無理だ。あれは、舵のようなものだな。一直線に飛ぶぶんには、なくてもかまわない」
鳳凰の一門は、龍のように呪力で空を飛んでいたのだ。大那の地霊が衰えると、翼があっても飛ぶことは不可能になった。飛べない生活に順応するために、彼らはいち早く翼を捨てたのだろう。
しかし、この世界にはふんだんに地霊がある。
「西の峰の上までは飛んで行ける。ただ」
久丹は、真顔になって羽白を見つめた。
「あんたはそれでかまわないのか?」
「どういうことだ」
「ここにいれば‥‥、この地霊豊かな世界に残れば、呪力も使える。昔の〈龍〉のように、たぶん何百年も生きることができる」
羽白は眉をひそめた。
確かに、今の大那は〈龍〉が生きるには地霊が少なすぎるのだ。地霊の衰えとともに龍の一門は目の紫を失い、呪力を失い、普通の人間よりも寿命が短くなった。大那で、あと何年生きることができるのか、羽白にも見当がつかない。
「久丹も同じだ」
「いや、おれたちは翼を失ったことで普通の人間に近くなったんだと思う。村には年寄りも結構いたよ」
「そうか」
「おれは、景がいるし、残した仕事もある。だがあんたは、好きにしてかまわないんだ」
羽白は黙り込んだ。
そう、ここは魅力的な世界だ。たっぷりと時間が得られる。思うさま琵琶を弾き、好きなだけの曲を創ることができる。
数百年もあれば、自分の琵琶の腕はどれほどのものになっているだろう。
大那か、この世界か。
迷うのは、あたりまえだな、と羽白は思った。
だが、答えが出るのは思いのほか早かった。
久丹のように待つ者はいないが、羽白とて友人や知人がいる。
めったに会える人々ではないが、同じ空の下にいると思えば満足だ。
羽白は、大那が恋しかった。
大那で、大那の曲を弾きたかった。
だいたい、どんな人間だって自分の命がいつ尽きるかわからないのだ。その時々に生きていることを実感できれば、充分だろう。
羽白は、琵琶を引き寄せた。
「ここには、欲しい糸がない」
久丹を見つめて、はっきりと言った。
「大那に帰りたいんだ。連れて行ってくれるか」
久丹は一呼吸おき、うなずいた。
「もちろんさ」
久丹は、笑みを浮かべた。
「あんたが軽そうでよかったよ」
羽白は、微笑み返した。
あとは、〈龍の渡り〉を待つだけだ。
羽白はしかたなく、切られた弦の代わりに弓の麻弦をもらい受けた。
龍の革でしごいてもっと細くなめらかにし、張ってみる。絹とは違って好みの音は出なかったが、稽古には使えそうだ。
久丹の眠りを乱したくないので、音を出さずに弾いていた。久丹と出会ったいま、鳳凰の曲は少し違ったものになりそうだった。
「それも呪力か」
声が聞こえて、はっとした。
「器用だな。音を消して弾けるのか」
久丹が目を開け、ほほえみかけていた。
羽白は琵琶を置いた。
「どんな具合だ?」
「まあ、悪くはない。痛みもないし」
久丹は、確かめるように両手を上に伸ばした。
「どのくらい眠ってた?」
「ちょうど四日だ。無理はするな」
「まだ〈龍の渡り〉は来ないよな」
「ああ」
「よかった」
久丹は、息をはき出した。
「夢を見ていたんだ、羽白。〈龍の渡り〉の中を飛ぶ夢だ」
「そうか」
久丹は、まだ飛びたかったのだろうと羽白は思った。せっかく手に入れた翼を、すぐに手放してしまったのだから。
「夢の中で考えた。おれたちが大那に帰る方法があるかもしれないと」
羽白は眉を上げた。
久丹は、身を起こし、胡座をかいた。
「龍は別の空間からやってくる。この世界の出入り口が開くということだ。龍について行って出口に行く。そこで念ずれば、大那に帰れるかもしれない。今のおれたちには、それだけの呪力はあると思う」
「だが」
一瞬希望がよぎったが、羽白は首を振った。
「どうやってその出口まで行く。リンたちの話では、西の峰の上空にあるらしい」
「おれが飛ぶ。あんたをおぶって」
「羽がない」
久丹は軽く笑った。
「羽がなくとも飛べるんだ。龍はあの身体で、翼もなく空を飛んでいる」
羽白は、はっとうなずいた。
「鳥のことを考えると、人の身体が飛ぶには、とてつもなく大きな翼が必要なんだよ。あんな翼じゃ最初から無理だ。あれは、舵のようなものだな。一直線に飛ぶぶんには、なくてもかまわない」
鳳凰の一門は、龍のように呪力で空を飛んでいたのだ。大那の地霊が衰えると、翼があっても飛ぶことは不可能になった。飛べない生活に順応するために、彼らはいち早く翼を捨てたのだろう。
しかし、この世界にはふんだんに地霊がある。
「西の峰の上までは飛んで行ける。ただ」
久丹は、真顔になって羽白を見つめた。
「あんたはそれでかまわないのか?」
「どういうことだ」
「ここにいれば‥‥、この地霊豊かな世界に残れば、呪力も使える。昔の〈龍〉のように、たぶん何百年も生きることができる」
羽白は眉をひそめた。
確かに、今の大那は〈龍〉が生きるには地霊が少なすぎるのだ。地霊の衰えとともに龍の一門は目の紫を失い、呪力を失い、普通の人間よりも寿命が短くなった。大那で、あと何年生きることができるのか、羽白にも見当がつかない。
「久丹も同じだ」
「いや、おれたちは翼を失ったことで普通の人間に近くなったんだと思う。村には年寄りも結構いたよ」
「そうか」
「おれは、景がいるし、残した仕事もある。だがあんたは、好きにしてかまわないんだ」
羽白は黙り込んだ。
そう、ここは魅力的な世界だ。たっぷりと時間が得られる。思うさま琵琶を弾き、好きなだけの曲を創ることができる。
数百年もあれば、自分の琵琶の腕はどれほどのものになっているだろう。
大那か、この世界か。
迷うのは、あたりまえだな、と羽白は思った。
だが、答えが出るのは思いのほか早かった。
久丹のように待つ者はいないが、羽白とて友人や知人がいる。
めったに会える人々ではないが、同じ空の下にいると思えば満足だ。
羽白は、大那が恋しかった。
大那で、大那の曲を弾きたかった。
だいたい、どんな人間だって自分の命がいつ尽きるかわからないのだ。その時々に生きていることを実感できれば、充分だろう。
羽白は、琵琶を引き寄せた。
「ここには、欲しい糸がない」
久丹を見つめて、はっきりと言った。
「大那に帰りたいんだ。連れて行ってくれるか」
久丹は一呼吸おき、うなずいた。
「もちろんさ」
久丹は、笑みを浮かべた。
「あんたが軽そうでよかったよ」
羽白は、微笑み返した。
あとは、〈龍の渡り〉を待つだけだ。
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