令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 打たれる痛みのかわりにふわりと風が舞い、気がつくと別の誰かの腕の中にいた。
 
 見上げなければ顔がわからない。今の視界に入るのは、美しい青で染め上げられた礼服と見事な刺繍、胸には幾つもの勲章と上質なタイを留める大きな宝石。

「あの……?」

 見上げてみると、さっき王子とのダンス中に見かけて目を奪われたその人だった。

 濃いはちみつ色の髪、少し陽に焼けた肌色に、太陽を溶かしたような金色の瞳。こんなところにいるはずがない、エドにとてもよく似ている。

「間に合ってよかった。いくら治療してもらえても、痛いものは痛いからね」

「ありがとう、ございます……?」

 わからないことだらけだ。この人が誰かもわからないし、なぜ助けてくれたのかも、それから何より、魔法が封じられているはずの王宮で風魔法を使えたことも。

「お嬢様、さっき話を全然聞いていなかったね?」

 そう呼ばれてきやっと気がついた。本当にエドだった。わたしが混乱している間に、王がなにやら話していたのは知っているが、エドの話が出たことも気がついていなかった。

「どうしてエドがここに?」

「そんなことはあとで」

 突然消えたわたしを、クライブがあたりを見渡して探しているのが、踊る人混み越しに見えた。かなりの距離を風魔法で飛ばしたのだろうか。今ここは広いダンスホールの玉座と遠い側、下位貴族たちが溜まっている場所だ。上位貴族より数が多いこちら側に紛れれば目立ちにくい。

「しっかりつかまって。ここを出るよ」

「待って。少しくらい説明して」

「シャガルが危ない」

 エドはそう言うとわたしを持ち上げて、ダンスの続きようにターンしながら風に乗った。

 浮遊感に目を閉じて開くと、王宮の上に居た。空中に浮いている。

「えっ、どういうことこれ!」

「喋ると舌を噛むよ。このまま船まで飛ぶから」
 
「ダメ! サヤとスレインが待っているの!」

「サヤは先に船にいる」

 スレインは?

 そう聞きたかったけれど、これ以上はエドに二本指を唇に当てられて口を開かせてくれなかった。

 ごうっと風の音が耳の横で聞こえるが、風圧は感じない。ドレスの裾がわずかに揺れるだけ。

 あっという間に王宮が遠くなる。

 警備兵はたくさんいるのに、みんな頭の上にはあまり注意が向かないらしい。風魔法で空を飛ぶなんてわたしも見たことがなかったから、当然だろう。

 王都の形に街あかりが見えて、その外側は暗い闇。人のいない夜の森は見慣れたシャガルの森と同じ色だ。

 遠く微かに揺れる火のような何かが見えた。王都近くの集落だろうか。

 頭の上に、星が近い。

「きれい……」

 場にそぐわない言葉をうっかり漏らすくらい、真っ暗な夜に浮かんで見る星空は美しかった。夜の海に浮かぶ深海イカはこんな気分だろうか。

「楽しんで貰えたらよかった。少し飛ばすよ」

 風を切る音が大きくなっても風は感じないまま、景色だけが飛ぶように過ぎてゆく。王都からかなり離れているのはわかる。

 人の魔力がこんなに強い力を放出し続けられるものだろうか。エドが風魔法を使えることも知らなかったけれど、こんな高出力の魔法が使えるなら、もっと名を馳せた魔法使いの可能性がある。そんな高位の魔法使いが、辺境に潜入したりするのだろうか。

 わたしにとってエドはヤスールの傭兵ギルド員で、シャガルに入り込んだ内偵者、スパイだ。

 わたし自身が身分を隠して傭兵業をしていることもあって、エドについて深く追求していない。わたしの知らないエドの顔があることはなんとなくわかってはいるけれど。わたしの力はそんなにない。エドについて調べる伝手さえないのだ。

 高度が下がった。闇の中に小さな火が円を書いている。エドはそこを目掛けて着地した。

 エドは猫のように軽い着地をして、わたしを抱き下ろす。

「ようこそお嬢様。僕の船へ。とりあえず説明は後にして、少しだけ休ませて……」

 そう言ってどさりと座り込み、魂が抜けたように眠ってしまった。

「エド? ちょっと、僕の船って何なの」

 どこかもわからないところにいきなり放り出されて困ったわたしは、エドを起こそうと揺すってみるが、本当に魂が抜けたのかなんの反応もない。もしかしてわたしは誘拐されたのかと、今更思いついたところで、どすんとぶつかってきたものがあった。

「アーシアお嬢様!」

 サヤが抱きついてきたのだ。
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