令嬢は故郷を愛さない

そうみ

文字の大きさ
上 下
15 / 31

14

しおりを挟む
 田舎の裕福な下級貴族令嬢だった母は割と気ままに生きていた。多分どこかに嫁に出されるだろうとは思っていたが、高位貴族など望んでおらず、どこか田舎の下位貴族か、裕福な商家にでも嫁ぐものと気楽に考えていた。

 それが当時まだシャガル領だった港で、辺境伯ロウ・シャガルを見た瞬間、一目で恋に落ちたのだ。

 無骨なロウは最初母を全く相手にしなかったが、母は押して押して押しまくった。いかつい顔も立派な筋肉も、低い声までなにもかもが母の好みに一致していた。

 ここまで聞いてわたしは母の手許のワインを見た。思ったほど減っていないので、酔った戯言ではないらしい。わたしも手酌で自分のグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。多分酔わないと聞いていられない。

 ロウの女性に対して潔癖すぎるほど冷たいところも好みだった。好色の助平よりよっぽど良い。さらに母は拒まれると更に燃え上がるタイプ、狩人気質だった。日をあけず戦地であるシャガルに向かい、冷たくあしらわれてもめげず、ついに挨拶を返してもらえたときには達成感に涙したという。

 戦地でまとわりつく母を追い返しても送り付けてもまた現れる。頼まれもしないのに刺繍入りのハンカチや剣帯や、その他身に着けられるものをプレゼントし、想いを綴った手紙を渡した。いつしかロウは戦場でも突然母が現れないかと心配して、守備を固めるようになり、シャガルの砦の防衛は隣国を寄せ付けぬ不落の砦となった。

 そんな折、突然母はシャガルに姿を見せなくなった。心配した両親から外出を止められてしまったのだ。母はふさぎ込んで部屋から出なくなってしまった。

 そこに奇跡が起こる。

 辺境伯ロウ・シャガルが花束を抱えて、タイナイラ子爵家に求婚に来たのだ。

 曰く、突然姿を見せなくなったりいつ現れるかわからずに困るので、いっそ手許に置いておけば安心できると思うとのこと。プロポーズにしては如何なものか、と思わないでもあるが、押せ押せで突撃を繰り返した甲斐があったと母は大変喜んだ。勢いで両親を説き伏せ、ロウの気が変わらぬうちにと強引に嫁いだ。娘アーシアの誕生は結婚して二年後、あっという間のとても幸せな期間だったそうだ。

「わたしが生まれたことで、お母さまの幸せを壊してしまったのでしょうか」

「いいえ、もともとそういう約束だったの」

 母は目を伏せて首を振った。

 子どもができたら別れよう、と初めに言われた時は頭に血が上った。だがロウの揶揄うでもない真剣な表情に、本気を悟るしかなかった。

 ここは戦場で、いつ敵襲があってもおかしくない。妻一人なら守り切れる自信はあるが、妻と子と、どちらもとなると守ることができなくなるかもしれない。もしそんな状況に陥ったとき、妻と子のどちらかを選ぶこともできないと。別居したとてそれは同じだ。ロウの手の届かない場所で辺境伯の弱点として狙われるかもしれない。だから離縁すると。

 ロウが本気で言っていることは母にもじゅうぶんわかっていた。だが母は子どもが欲しかった。母と子ども、どちらも大切にしてくれると言う不器用な男の子どもを産みたいと思った。

「でもあの方はとてもストイックでね、閨ではとても苦労したのよ。あの手この手で誘ってね……」

「お母さま、両親のあれこれはさすがに……」

 わたしが遮ると、母は不満そうに今後役立つこともあるのにとブツブツ言いながら頬を膨らませた。ワインを注ごうとボトルを持ち上げてみると、ほとんど残っていないくらい軽くなっていた。前言撤回だ。母は結構酔っている。

「それでね、子持ちの出戻りに良い再婚先もないだろうって、今の夫を探してくれたの。当時はわたくしも怒り狂ったわ。離縁する妻の再婚相手を世話する夫ってどうなのって」

 だが結局、母は義父と再婚して良かったと結んだ。穏やかな幸せも悪くないと。

 母の離縁についての誤解はわかった。少々酔ってはいるが、当事者が言うのなら間違いではないはず。世間で言われている離婚理由は敢えて広めたものだということも。

 ならば、何故わたしはそのままここで暮らすことが出来なかったのだろうか。疑問が顔に出ていたのだろう。母が少し眠そうにしながら小さな声でわたしの耳元に囁く。

「あなたに、王家から縁談が来る話があってね、正式な要請が来る前に、仕方なく辺境伯領に戻したのよ。嫡子は王家に嫁げないから」

「わたしが王子妃になると何か不都合が?」

「それは、あなたが自分の目で確かめなさいな。これから王宮に向かうのですもの」

 確かに王家には良い印象はない。十分な支援も得られず、港が陥落したときには自国に賠償責任さえ取らされた。わたしが王子妃になっていれば、何か少しは変わっていたのだろうか。

 ソファで寝落ちた母に上掛けをかけて、わたしはベッドにもぐりこんだ。今までの常識が覆される思いだ。考えることが多すぎて眠れない夜を過ごせば、ソファで酔って寝落ちている母の醜態とともに、昨日あんなに手入れしたのにこの隈はと朝から美容担当のメイドたちに大いに嘆かれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?

曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」 エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。 最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。 (王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様) しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……? 小説家になろう様でも更新中

〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····

藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」 ……これは一体、どういう事でしょう? いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。 ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全6話で完結になります。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。

あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。 夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中) 笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。 え。この人、こんな人だったの(愕然) やだやだ、気持ち悪い。離婚一択! ※全15話。完結保証。 ※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。 今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。 第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』 第二弾『そういうとこだぞ』 第三弾『妻の死で思い知らされました。』 それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。 ※この話は小説家になろうにも投稿しています。 ※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

子供なんていらないと言ったのは貴男だったのに

砂礫レキ
恋愛
男爵夫人のレティシアは突然夫のアルノーから離縁を言い渡される。 結婚してから十年間経つのに跡継ぎが出来ないことが理由だった。 アルノーは妊娠している愛人と共に妻に離婚を迫る。 そしてレティシアは微笑んで応じた。前後編で終わります。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

従姉が私の元婚約者と結婚するそうですが、その日に私も結婚します。既に招待状の返事も届いているのですが、どうなっているのでしょう?

珠宮さくら
恋愛
シーグリッド・オングストレームは人生の一大イベントを目前にして、その準備におわれて忙しくしていた。 そんな時に従姉から、結婚式の招待状が届いたのだが疲れきったシーグリッドは、それを一度に理解するのが難しかった。 そんな中で、元婚約者が従姉と結婚することになったことを知って、シーグリッドだけが従姉のことを心から心配していた。 一方の従姉は、年下のシーグリッドが先に結婚するのに焦っていたようで……。

処理中です...