令嬢は故郷を愛さない

そうみ

文字の大きさ
上 下
9 / 31

9

しおりを挟む
 ゆでたてでまだほんのりあたたかい深海イカは、オイルに漬ける前で調味料もなにもつけずにいただく。小さいイカは一口サイズで、口に入れると柔らかく、潮の匂いそのままの味がする。ひとつ、ふたつと口に含むと、いつの間にかエールを注文してしまう。

 小さい頃に食べたなら、エールは飲めなかっただろうと思うと惜しい……とふと手を止めた。

「お姉さん、折角だからオイル漬けもお願いできる? 食べ比べてみたいの」

 小鉢に盛られた深海イカのオイル漬けは、日持ちするよう強めの香辛料で味付けされて、新鮮な植物オイルに浸されている。これはこれで身が締まってとても美味しい。エールにはこちらのほうが合いそうだ。

 でもわたしが知っている、食べたことがあると思ったのは、茹でた深海イカだ。柔らかく温かい。

 このイカはこの港の近海でしか採れないので、タイナイラの港ではゆでたては食べられない。

「サヤ、スレイン、わたしはこの港に来たことがある?」

 シャガルに来てからずっと一緒にいたはずの二人ともが不思議そうな顔をしながら首を振った。

 わたしはいつ、これを食べたのだろう。


 些細なことが気になりつつ、深海イカを手土産に買い込んで夕方発の船に乗った。

 どうやらハイシーズンらしく、大きな船だが乗客は一杯で、馬車は乗せられないと断られていたので、馬で来て正解だった。

 人気の理由は日が落ちてからわかった。

 船上から深海イカの灯りを見ることができるのだ。デッキはかなり賑わっていた。

 真っ黒な海に、小さな瞬きがふわりふわりと夜空の星のよう。振り仰いで空を見ると、新月の濃い夜空に本物の星が見えて、星空に浮かんでいる気分になる。少し遠くに漁船が灯りをつけてイカを呼び寄せている。

 夢のような光景に見入っていられたのはたったのひとときだった。

 初めての船と人いきれで船酔いをおこしてしまい、何故か平気なサヤを残してスレインと二人、船尾から食べたばかりの深海イカを海に還しながら一晩を明かした。

 わたしが海に還した深海イカを、浮かんできた深海イカが食べて、その深海イカを漁師が獲ってまたわたしたちの口に入る……難しいことは酔っていないときに考えるほうがいい。

 翌日の昼前にタイナイラの港に着いた。
 こちらの海は浅いので、岸に船をつけることができず、地面まで海の上に桟橋が長く伸びている。馬車も通れる頑丈なつくりだ。

 それはわかっているのだが、正直騎乗できる状態ではない。馬もこころなしか乗って欲しくない様子で、少しぐったりしている。勝気な軍用馬なのに船旅がよっぽど堪えたらしい。地面がまだ揺れている気がする。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】無能に何か用ですか?

凛 伊緒
恋愛
「お前との婚約を破棄するッ!我が国の未来に、無能な王妃は不要だ!」 とある日のパーティーにて…… セイラン王国王太子ヴィアルス・ディア・セイランは、婚約者のレイシア・ユシェナート侯爵令嬢に向かってそう言い放った。 隣にはレイシアの妹ミフェラが、哀れみの目を向けている。 だがレイシアはヴィアルスには見えない角度にて笑みを浮かべていた。 ヴィアルスとミフェラの行動は、全てレイシアの思惑通りの行動に過ぎなかったのだ…… 主人公レイシアが、自身を貶めてきた人々にざまぁする物語──

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····

藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」 ……これは一体、どういう事でしょう? いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。 ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全6話で完結になります。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。

あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。 夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中) 笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。 え。この人、こんな人だったの(愕然) やだやだ、気持ち悪い。離婚一択! ※全15話。完結保証。 ※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。 今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。 第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』 第二弾『そういうとこだぞ』 第三弾『妻の死で思い知らされました。』 それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。 ※この話は小説家になろうにも投稿しています。 ※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

子供なんていらないと言ったのは貴男だったのに

砂礫レキ
恋愛
男爵夫人のレティシアは突然夫のアルノーから離縁を言い渡される。 結婚してから十年間経つのに跡継ぎが出来ないことが理由だった。 アルノーは妊娠している愛人と共に妻に離婚を迫る。 そしてレティシアは微笑んで応じた。前後編で終わります。

処理中です...