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マルカ国の侵攻

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 隣国マルカの第二王子が、王軍を率いて辺境サスティアの対岸に集結したのは、リラたちが王都を出発した頃だった。その数およそ千、サスティア砦に詰める、騎士と兵士合わせての五倍強の人数だ。
 知らせを持って早馬を駆けた伝令は、宿の厩で他の馬より大きく目立つスバトを見て、ケインの宿泊先はすぐにわかったと言う。

「王軍……」

 マルカ国の川辺あたりの地域は、王領と幾つかの貴族の領が複合している。アイム国から攻められた場合に、領兵で即対応しつつ迅速に応援を配置できるように、との理由だったが、そんな形骸化した過去を学んで執政している貴族はあまりいない。ニ国間の緊張状態が長すぎて皆戦を忘れてしまっている。現に今回のアイム国攻撃軍には他領の旗印はなかったようだ。他の貴族たちの了承を得る前に単独で出てきたのだろう。王軍がサスティアを破れば残りの領からも兵が出てくる可能性がある。そうなったら全面戦争だ。

 リラは唇を噛んだ。
 迷惑をかけたくない。戦争になればきっと誰かが傷ついたり死んだらするだろう。この数ヶ月で砦にいた領兵全員と知り合った。皆リラのオムレツを食べて喜んでくれ、仕事を手伝ってくれて、クッキーを取り合っていた。
 第二王子が攻め込んできたのは明らかにリラのためだ。安易に姿を見せるべきではなかった。
 あの時、リラがクリオスフィートの言葉通りに連れ戻されておけば。またはハルトヒュールの婚約話を受けておけば、こんな事にはならなかっただろう。

 隣で一緒に報告を聞いているケインが、リラの手をそっと撫でた。握ってくれないのは力加減がわからないせいか、それとも今更でもリラの身柄をマルカ国に引き渡すことを視野に入れているせいか。リラにはその手を握り返すことができなかった。

「こちらにサインを」

 伝令は領主代行を務める領宰のハイネスが記載した報告書を持っていた。ケインが領主としてサインをしたものを、このまま王都へ持っていくそうだ。
 ケインは難しい顔で報告書を読み始め、読み進めていくうちに少しずつ顔が緩みはじめた。
 それから素早くサインをして、伝令に書類を渡した。

 伝令は、それではあとはごゆっくり、などと言ってまた慌ただしく宿を後にした。このまま王都まで駆け続けるようだ。

「大丈夫だ」

 ケインがひどく優しくリラに言う。慰めなのか、鼓舞なのか。リラが戸惑っていると、ケインは口の端を上げた。

「砦の兵に怪我人はひとりも出なかった。第二王子殿下は捕獲している」

 勝敗は一瞬で着いた。
 
 男神の武技を持った愛し子に毎日練兵を受けて、女神の魔法の加護を持った愛し子の作った食事を摂り、愛し子が洗濯して繕って磨いた装備を身につけて。領兵たちは強かった。文字通り神がかっていたといっていい。
 だいたい五倍の兵力がいるといっても、こちらは防衛に徹すればいい。全員を倒さなくても司令を獲れば勝ちだ。あっという間にクリオスフィートを捕獲して、ほぼ無血で戦端を閉じた。

 リラはほっと胸を撫で下ろした。
 伝令は捕らえたクリオスフィートの身柄について国王の裁可を貰うものと、マルカ国侵攻の事後報告についてだった。
 安心すると、伝令が去り際に言ったごゆっくり、の言葉が気になり出した。
 ごゆっくりとは。
 耳年増のリラはその裏の意味を知っているが、果たしてケインにも伝わっているのだろうか。
 さっき振り絞った勇気はすでに萎んでいるが、もう一度頑張るべきだろうか。
 そこでふとリラは不安にかられた。
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