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#8 空中分解
8-1 空中分解
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『空想上の恋人でいいから、誰か一人を思い浮かべて?』
昨夜は食事と入浴の後、紫音は自室でイメージトレーニングに明け暮れた。
強いて初恋と呼ぶなら、実家で飼育していたホルスタインの二代目太郎。もしくは、テレビの中のアイドルたち。人との関わりを遠ざけてきた紫音が、生身の人間に恋をした経験は皆無だった。理想的な男性と出会い、頭の片隅を占めるようになった今、初めて知った感情が本物なのか確かめたかったのだ。
選んだ教材は、もちろん≪僕たちの恋するシェアハウス≫。ちょうどシーズン3が配信されたばかりで、ベッドに寝そべって小型テレビに映像を映し出した。
郊外の広い邸宅に集まった、個性豊かな10人の青年たち。
一目で恋に落ちる者もいれば、会話を重ねながら惹かれ合う者もいる。懸想する相手の気を引こうと、物静かなメンバーですら勇気を奮い立たせる。油断していれば、たちまち他の誰かに奪われてしまうのだから。シェアハウスのあちこちで、淡い恋の化学反応が起きていた。そして、手紙や電話で秘めやかな想いを伝え合う。いじらしい彼らの姿に、紫音はゴマたんに顔を埋めた。
―――これが、恋。
もどかしくて、切なくて胸が張り裂けそうで甘酸っぱい。ありとあらゆる感情をカップに溶かし込んだ、一杯のホットショコラ。早く啜らなければ、甘いチョコレートが今にも溢れそうだった。
距離が近づき合う中、一番人気の子犬系美容師・ミナトを巡って、熾烈な争いが起こっていた。三人ものハイスペ男子に狙いを定められ、そのうち敏腕商社マン・タケルが夕飯の支度中に大胆な行動に出る。二人はアイランドキッチンでシーフードカレー作りに挑戦していた。
『ミナトって髪綺麗だね。やっぱり、職業柄ケアが行き届いているのかな』
『そうだね。お客様にトリートメント勧める時も、自分が試してないと説得力ないかなって思って』
『わかるよ。俺も売り込む商材は必ず試すようにしてるんだ。魅力を全て知り尽くしておきたいからね』
『すごいな。タケルとは扱ってる金額の桁が違うもん。デキる男の人ってカッコいいな』
はにかみながらジャガイモを剥くミナトと、釣り上げた伊勢海老を雄々しく捌き終えたタケル。キッチンには艶やかな雰囲気が流れ、タケルはおもむろにミナトに近づく。すると、光沢のある髪をふわりと撫で上げ、頬に手を伸ばした。時計の刻む音と共に縮まる二人の距離。ミナトは調理の手を止め、恥ずかしそうに目を瞑った。
その映像は、紫音の中で眠っていた記憶と結びつく。相手の行動を誤解して、ただ醜態を晒す結果に終わった朝。紫音もつられてこそばゆい気分になり、両手で目を覆った。
『髪に付いてた……ジャガイモの皮』
予想通り、フラグはへし折られてしまう。タケルの手には、リボンのように長い皮が握られていた。
やはり稼ぎの良い男は、こうして思わせぶりな行動を取るのだろうか?ミナトは不憫なまでに狼狽えている。しかし、物語はそこで終わりではなかった。
『―――キス、されるかと思った?』
『っ……うん……』
俯いてしまったミナトは、消え入りそうな声で呟く。そこへ、タケルは颯爽と唇を奪った。
『少しは……俺のこと意識してくれた?』
微かに開いた指の間から見えたのは、不敵な微笑みだった。
どちらからともなく、二人は激しく抱き合う。抱擁はあまりにも刺激的で、代わりに伊勢海老が大写しになった。そこで、波乱の次回予告が流れ始める。第二のハイスペ、パイロットのケンジがキッチンに乱入し、掴み合いの様子が映し出されたのだ。最後のカットでは、力任せにぶちまけられた海老味噌でカメラは濡れていた。
恋はこうもドラマに満ち溢れている。
また一つ学びを得たところで、新たな側面を垣間見ることになった。衝動的で不安定で、荒々しい嵐のようなもの。自分は、まだほんの入り口にしか立っていなかった。一度や二度ベッドを共にしただけで、これほど過激な域にまでは達してはいない。
しかも相手は三人のハイスペ男子を上回るハイスペぶりで、タケル同様に恋に関してもきっと手練手管だ。まな板の上の伊勢海老のように、主導権を握られ、翻弄されているだけなのかもしれない。真実の恋と判断するのは時期尚早だった。
紫音が猛省していると、穏やかなノックのリズムが響く。
「林檎を剥いたんだけど、紫音も食べない?」
昨夜は食事と入浴の後、紫音は自室でイメージトレーニングに明け暮れた。
強いて初恋と呼ぶなら、実家で飼育していたホルスタインの二代目太郎。もしくは、テレビの中のアイドルたち。人との関わりを遠ざけてきた紫音が、生身の人間に恋をした経験は皆無だった。理想的な男性と出会い、頭の片隅を占めるようになった今、初めて知った感情が本物なのか確かめたかったのだ。
選んだ教材は、もちろん≪僕たちの恋するシェアハウス≫。ちょうどシーズン3が配信されたばかりで、ベッドに寝そべって小型テレビに映像を映し出した。
郊外の広い邸宅に集まった、個性豊かな10人の青年たち。
一目で恋に落ちる者もいれば、会話を重ねながら惹かれ合う者もいる。懸想する相手の気を引こうと、物静かなメンバーですら勇気を奮い立たせる。油断していれば、たちまち他の誰かに奪われてしまうのだから。シェアハウスのあちこちで、淡い恋の化学反応が起きていた。そして、手紙や電話で秘めやかな想いを伝え合う。いじらしい彼らの姿に、紫音はゴマたんに顔を埋めた。
―――これが、恋。
もどかしくて、切なくて胸が張り裂けそうで甘酸っぱい。ありとあらゆる感情をカップに溶かし込んだ、一杯のホットショコラ。早く啜らなければ、甘いチョコレートが今にも溢れそうだった。
距離が近づき合う中、一番人気の子犬系美容師・ミナトを巡って、熾烈な争いが起こっていた。三人ものハイスペ男子に狙いを定められ、そのうち敏腕商社マン・タケルが夕飯の支度中に大胆な行動に出る。二人はアイランドキッチンでシーフードカレー作りに挑戦していた。
『ミナトって髪綺麗だね。やっぱり、職業柄ケアが行き届いているのかな』
『そうだね。お客様にトリートメント勧める時も、自分が試してないと説得力ないかなって思って』
『わかるよ。俺も売り込む商材は必ず試すようにしてるんだ。魅力を全て知り尽くしておきたいからね』
『すごいな。タケルとは扱ってる金額の桁が違うもん。デキる男の人ってカッコいいな』
はにかみながらジャガイモを剥くミナトと、釣り上げた伊勢海老を雄々しく捌き終えたタケル。キッチンには艶やかな雰囲気が流れ、タケルはおもむろにミナトに近づく。すると、光沢のある髪をふわりと撫で上げ、頬に手を伸ばした。時計の刻む音と共に縮まる二人の距離。ミナトは調理の手を止め、恥ずかしそうに目を瞑った。
その映像は、紫音の中で眠っていた記憶と結びつく。相手の行動を誤解して、ただ醜態を晒す結果に終わった朝。紫音もつられてこそばゆい気分になり、両手で目を覆った。
『髪に付いてた……ジャガイモの皮』
予想通り、フラグはへし折られてしまう。タケルの手には、リボンのように長い皮が握られていた。
やはり稼ぎの良い男は、こうして思わせぶりな行動を取るのだろうか?ミナトは不憫なまでに狼狽えている。しかし、物語はそこで終わりではなかった。
『―――キス、されるかと思った?』
『っ……うん……』
俯いてしまったミナトは、消え入りそうな声で呟く。そこへ、タケルは颯爽と唇を奪った。
『少しは……俺のこと意識してくれた?』
微かに開いた指の間から見えたのは、不敵な微笑みだった。
どちらからともなく、二人は激しく抱き合う。抱擁はあまりにも刺激的で、代わりに伊勢海老が大写しになった。そこで、波乱の次回予告が流れ始める。第二のハイスペ、パイロットのケンジがキッチンに乱入し、掴み合いの様子が映し出されたのだ。最後のカットでは、力任せにぶちまけられた海老味噌でカメラは濡れていた。
恋はこうもドラマに満ち溢れている。
また一つ学びを得たところで、新たな側面を垣間見ることになった。衝動的で不安定で、荒々しい嵐のようなもの。自分は、まだほんの入り口にしか立っていなかった。一度や二度ベッドを共にしただけで、これほど過激な域にまでは達してはいない。
しかも相手は三人のハイスペ男子を上回るハイスペぶりで、タケル同様に恋に関してもきっと手練手管だ。まな板の上の伊勢海老のように、主導権を握られ、翻弄されているだけなのかもしれない。真実の恋と判断するのは時期尚早だった。
紫音が猛省していると、穏やかなノックのリズムが響く。
「林檎を剥いたんだけど、紫音も食べない?」
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