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#7 誰かの光に
7-2 誰かの光に
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幼稚園を出てコンビニに立ち寄った紫音は、お遣いのついでに求人誌を持ち帰った。
牛丼騒動の一件以降、命が脅かされる事案が起こり、参入したばかりのデリバリーから完全撤退することを決めたのだ。
一昨日はハンバーガーの大量オーダーに喜び勇んだが、配達先に指定されたのは歌舞伎町のヤクザ御用達マンションだった。応対に出た構成員の顔面の圧を忘れることはできない。ハッ〇ーセットのおもちゃが希望通りでないとかで舌打ちをされた時は、足が震えてその場から動くことができなかった。
芸能業との両立のために、柔軟なスケジュールに対応してくれる飲食系は何かと都合が良い。だが、配膳ではすぐにひっくり返してしまうわで、縁が無さそうだ。
(次もダメだったら……幼稚園でバイトさせてもらおうかな……)
感傷的な気分になった紫音は、茜色の夕焼け空を見上げた。
本業であるアイドル業も、いくら童顔とはいえ花の盛りを過ぎた24歳だ。最年長である奏多は、作詞作曲の才能と安定した集客力があるからこそ続けられているのだろう。このまま芽が出なければ、田舎に帰るしかない。
事務所からの給与も雀の涙ほどではあったが、一番の売上貢献者である姉の結婚資金、そして両親の老後の資金のために貯金しておきたかった。
そこへ、ジーンズのポケットに入れていたスマホが振動する。
仕事中であるはずの姉からのLIMEメッセージだった。
≪子豚の新作も超可愛かったよ!≫
アップロードしたばかりの制作動画への感想を送ってくれたのだ。動画チャンネルは事務所が管理しているので、こうして直接連絡をくれる。またしても地の底に沈みそうだった気分が引き上がった。一人でも応援してくれる人がいれば、歩みを止めるべきではない。
脇道に入れば、見慣れた二棟続きの戸建てが現れる。
紫音は石畳を通り抜けて、玄関の鍵を開けた。廊下を歩く途中、リビングの方から落ち着いた話し声が聞こえてくる。声の主の気品を伺わせるとともに、かぐわしい蜜の香りが運ばれてきた。
「お帰り、紫音」
オーク材のテーブルには、目にも鮮やかな花材が広げられている。卓の中央には、撮影スタンドに固定されたスマホが映像を配信していた。
「――ごめん!邪魔しちゃったよね」
紫音は慌てて二階に上がろうとしたが、咄嗟に呼び止められた。
「いや、むしろ助かる。良ければ、アシスタントをお願いできるだろうか」
「あ、うん!僕で良ければ……お邪魔します」
画面に向かって一礼すると、すでに三桁の視聴者によるコメントで溢れかえっていた。
ハートが飛び交う盛況ぶりに、紫音は少しだけ羨ましくなった。
「綺麗。今回は何のアレンジメント?」
華道師範の櫂人は池坊の古典的な立花だけでなく、ヨーロピアンアレンジメントも得意とし、こうしてレッスン動画を定期的に配信している。シェアハウスからほど近い彼の実家で開催される教室の生徒がファンの中核を占めるが、高貴な容貌と柔らかな物腰もあらゆる層を惹きつけていた。
「今日はスカシユリだ。越冬もできる品種で、たおやかで美しいだろう?」
「へえ、そうなんだ!控えめなオレンジがすごく素敵だね」
空間を彩るビタミンカラーは、中秋の沈みがちな気分を明るくさせてくれる。
白の花器を前に、櫂人は早速愛用の鋏で、繊維を潰さないよう花材を切っていく。
「三輪のうち、咲いている方を斜め前に……少し後ろを起こして深く挿す」
花弁の角度や茎の形に合わせて、鮮やかな手つきでシルエットを作っていく。
百合の周りには、青々としたテマリシモツケやソケイでボリュームを出す。紫音は指示された通りに、花材を渡したり針金を切り分けたりした。
「ワンポイントにはデンファレ。白だが先端が黄緑で、他のグリーンとも相性が素晴らしい」
花の最も美しい顔を見せられるよう考えられるのは、審美眼の成せる業。
最後にヒペリカムとアセビの実、リモニウムを飾って完成。次々と花材がスポンジに挿されていく様子に、『成仏』『浄化』『救済』と奇怪なコメントが飛び交っている。
ファンネームである≪フラワー≫は、櫂人の稼業からも着想を得たものだったが、視聴者たちは花材を自分自身に重ね合わせているのだろう。
「百合そのものは通年手に入ります。夏でも日持ちする花材を選んだので、どの季節にもお試しください」
『8888888888888』というコメントの嵐で配信は恙なく終了する。
全方位隙の無い華やかなアレンジメントは、作者の美貌を代弁しているようだった。
「急にすまなかった、紫音。茶を点てるから、休憩しよう」
「ううん、見てて面白かったよ。やっぱり先生はすごいね」
紫音は花弁に顔を近付け、百合の甘い香りを楽しんだ。
「基本を覚えればすぐにできる。いつでも道具を貸そう」
「ありがとう、櫂人君。少しずつ勉強してみようかな」
「ああ。最初はスーパーの切り花から試しても構わない」
さらさらと茶筅を振る心地好い音が響く。
裏千家師範である母直伝の抹茶が、上生菓子とともに供された。ハロウィン限定というジャックオランタンの練り切りは崩すのが勿体ない。茶と花の香りに包まれ、ひと時だけ世間の煩わしさを忘れることができた。
「ところで、紫音。一昨日の朝の事だが……」
そんな時、普段は毅然とした彼にしては珍しく、躊躇いがちに切り出した。
牛丼騒動の一件以降、命が脅かされる事案が起こり、参入したばかりのデリバリーから完全撤退することを決めたのだ。
一昨日はハンバーガーの大量オーダーに喜び勇んだが、配達先に指定されたのは歌舞伎町のヤクザ御用達マンションだった。応対に出た構成員の顔面の圧を忘れることはできない。ハッ〇ーセットのおもちゃが希望通りでないとかで舌打ちをされた時は、足が震えてその場から動くことができなかった。
芸能業との両立のために、柔軟なスケジュールに対応してくれる飲食系は何かと都合が良い。だが、配膳ではすぐにひっくり返してしまうわで、縁が無さそうだ。
(次もダメだったら……幼稚園でバイトさせてもらおうかな……)
感傷的な気分になった紫音は、茜色の夕焼け空を見上げた。
本業であるアイドル業も、いくら童顔とはいえ花の盛りを過ぎた24歳だ。最年長である奏多は、作詞作曲の才能と安定した集客力があるからこそ続けられているのだろう。このまま芽が出なければ、田舎に帰るしかない。
事務所からの給与も雀の涙ほどではあったが、一番の売上貢献者である姉の結婚資金、そして両親の老後の資金のために貯金しておきたかった。
そこへ、ジーンズのポケットに入れていたスマホが振動する。
仕事中であるはずの姉からのLIMEメッセージだった。
≪子豚の新作も超可愛かったよ!≫
アップロードしたばかりの制作動画への感想を送ってくれたのだ。動画チャンネルは事務所が管理しているので、こうして直接連絡をくれる。またしても地の底に沈みそうだった気分が引き上がった。一人でも応援してくれる人がいれば、歩みを止めるべきではない。
脇道に入れば、見慣れた二棟続きの戸建てが現れる。
紫音は石畳を通り抜けて、玄関の鍵を開けた。廊下を歩く途中、リビングの方から落ち着いた話し声が聞こえてくる。声の主の気品を伺わせるとともに、かぐわしい蜜の香りが運ばれてきた。
「お帰り、紫音」
オーク材のテーブルには、目にも鮮やかな花材が広げられている。卓の中央には、撮影スタンドに固定されたスマホが映像を配信していた。
「――ごめん!邪魔しちゃったよね」
紫音は慌てて二階に上がろうとしたが、咄嗟に呼び止められた。
「いや、むしろ助かる。良ければ、アシスタントをお願いできるだろうか」
「あ、うん!僕で良ければ……お邪魔します」
画面に向かって一礼すると、すでに三桁の視聴者によるコメントで溢れかえっていた。
ハートが飛び交う盛況ぶりに、紫音は少しだけ羨ましくなった。
「綺麗。今回は何のアレンジメント?」
華道師範の櫂人は池坊の古典的な立花だけでなく、ヨーロピアンアレンジメントも得意とし、こうしてレッスン動画を定期的に配信している。シェアハウスからほど近い彼の実家で開催される教室の生徒がファンの中核を占めるが、高貴な容貌と柔らかな物腰もあらゆる層を惹きつけていた。
「今日はスカシユリだ。越冬もできる品種で、たおやかで美しいだろう?」
「へえ、そうなんだ!控えめなオレンジがすごく素敵だね」
空間を彩るビタミンカラーは、中秋の沈みがちな気分を明るくさせてくれる。
白の花器を前に、櫂人は早速愛用の鋏で、繊維を潰さないよう花材を切っていく。
「三輪のうち、咲いている方を斜め前に……少し後ろを起こして深く挿す」
花弁の角度や茎の形に合わせて、鮮やかな手つきでシルエットを作っていく。
百合の周りには、青々としたテマリシモツケやソケイでボリュームを出す。紫音は指示された通りに、花材を渡したり針金を切り分けたりした。
「ワンポイントにはデンファレ。白だが先端が黄緑で、他のグリーンとも相性が素晴らしい」
花の最も美しい顔を見せられるよう考えられるのは、審美眼の成せる業。
最後にヒペリカムとアセビの実、リモニウムを飾って完成。次々と花材がスポンジに挿されていく様子に、『成仏』『浄化』『救済』と奇怪なコメントが飛び交っている。
ファンネームである≪フラワー≫は、櫂人の稼業からも着想を得たものだったが、視聴者たちは花材を自分自身に重ね合わせているのだろう。
「百合そのものは通年手に入ります。夏でも日持ちする花材を選んだので、どの季節にもお試しください」
『8888888888888』というコメントの嵐で配信は恙なく終了する。
全方位隙の無い華やかなアレンジメントは、作者の美貌を代弁しているようだった。
「急にすまなかった、紫音。茶を点てるから、休憩しよう」
「ううん、見てて面白かったよ。やっぱり先生はすごいね」
紫音は花弁に顔を近付け、百合の甘い香りを楽しんだ。
「基本を覚えればすぐにできる。いつでも道具を貸そう」
「ありがとう、櫂人君。少しずつ勉強してみようかな」
「ああ。最初はスーパーの切り花から試しても構わない」
さらさらと茶筅を振る心地好い音が響く。
裏千家師範である母直伝の抹茶が、上生菓子とともに供された。ハロウィン限定というジャックオランタンの練り切りは崩すのが勿体ない。茶と花の香りに包まれ、ひと時だけ世間の煩わしさを忘れることができた。
「ところで、紫音。一昨日の朝の事だが……」
そんな時、普段は毅然とした彼にしては珍しく、躊躇いがちに切り出した。
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