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挿話 内閣保安情報局の工作員たち

第14話

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 三分後。ジョギングからウォーキングへと切り替えていた男は、息も整ってきたので帰ろうとした刹那、全身に猛烈な痒みを覚えた。両手の甲が真っ赤になり、じんましんが出来ている。同時に目眩を覚え、立っていることができなくなる。どうしたことか呼吸が苦しくなり、遂には膝を屈してしまった。

 ジョギングの集団は前方にいるが、声を出すことも困難になっている。酸素を求めて大きく口を開けるが、鼻も口も息を吸うことを拒む。頭が酸素不足で割れるように痛む。耳鳴りもひどく、周囲の声すら聞こえない。遂に上半身も地面に伏してしまったとき、聴覚は複数の足音が伝える振動を捉えていたが、そこまでだった。

「大丈夫ですか? 誰か救急車を、早く」
「人工呼吸が出来る人は、いませんか?」

 芝生にいた連中が事態に気付き、駆けつけてきたときには、男の意識は深い闇へと落とされ、二度と戻ることはなかった。

 時を遡ること五分。

 公園の入り口に、キャップを目深に被ったあの新参者が現れた。

 タイミングを計ったかのように、シルバーのありふれた国産車が滑るように横付けされる。彼は何の躊躇いもなく後部座席のドアを開けると、乗り込んだ。何の感情も浮かんでいない目で、薄墨色のカーフィルム越しに公園を一瞥する。

「首尾は?」

 後部シートには先客が居た。グレーの仕立てが良いスーツに身を包んだ、四十代半ばの男は事務的な口調で尋ねる。異様に胸板が厚く肩幅も広い。角刈りにした髪には目立たない程度に白髪が混じり、目尻にも少し皺があった。目つきは猛禽類のように鋭く、鼻筋が通って唇は薄い。

「誰に言っているんだよ、藤井さん。俺がしくじる訳ないでしょう? ちゃんとスズメバチの毒を注入しましたよ。今頃はアナフィラキシーショックで、安らかに眠っているでしょうね」
「確認だよ。君の腕を疑っているわけではないが、一応、見届け人として」

 生真面目な藤井の返答に、若者はフンと鼻を鳴らすとキャップを脱いだ。キャップのつばの内側には、スイッチひとつで毒針が飛び出す仕掛けが施されている。先ほど、ターゲットを追い抜く直前に毒針を発射し、そのまま何食わぬ顔で公園を後にした。標的が以前、スズメバチに刺されていることなど調査済みである。確実に仕留めるためにスズメバチの毒を体温で融ける特殊な針に、たっぷりと塗って任務を遂行した。

 キャップを取ると、サラサラとした黒髪が滑り落ちてくる。少し襟足が長いが、もみあげの部分は短く刈り込んである。日本人にしては高めの鼻筋。健人けんとは乱暴にジャージのファスナーを開ける。鍛え上げられた大胸筋が、タンクトップを破らんばかりに盛り上がっていた。そのまま狭い車内で何とか上下とも脱ぎ、藤井からシャツとジャケット、スラックスを受け取り苦労しながら着替える。

「で? このまま本部に行くんですか?」
「あぁ。チーフが次の指令を用意して、待っている」
「まったく人使いの荒い組織だことで。いい加減に休暇のひとつやふたつ、与えてくれたって、罰《バチ》は当たらないんだけどな」
「仕事があることは良いことだぞ、健人」
「一般の企業なら、それは嬉しい悲鳴でしょうよ。でも俺たちの仕事に需要がありすぎるっていうのも、それはそれで問題だと思いますが? 藤井さんは、何も聞かされていないんですか?」

 手櫛で前髪をかき上げつつ健人が問えば、生真面目な男は真っ直ぐ前を向いたまま、知らん、とにべもなく返答してきた。鼻白んだ空気に包まれた車内はそれきり沈黙が下り、車は滑らかに街の中心部へと移動していった。
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