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挿話 内閣保安情報局の工作員たち

第12話

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 ターゲットの指が、腰のバスタオルを解いた。臨戦態勢になっているそれを、膝立ちになった嬢が咥えこもうとした、その刹那に風が止んだ。

 何の躊躇いもなく、女はトリガーを引く。消音サプレッサーが銃声を抑え込む。薬莢が転がると同時に、ジャケットのポケットから厚手の革手袋を取り出す。素早くそれを左手にはめ、薬莢を拾い上げると携帯灰皿に放り込む。立ち上がり、屋上の出入り口へと足早に去る。

 左手がドアノブを回したと同時に、六百メートル先ではターゲットの眉間を銃弾が貫いていた。デリヘル嬢はいきなりガラスが割れる音と、客が仰向けに倒れたことに驚いた。立派な絨毯を染めていく赤い液体。それが客の血だということに気付いた時、彼女は金切り声を上げた。客の顔に穴が空いており、白目を剥いた状態で痙攣している。

 嬢は突然の事態に頭が真っ白になり、助けを求めるという思いに行き着かない。意味もなく周囲を見渡す。荒い息がおさまらない。客の頬を叩いてみても、反応がない。

「やだ、嘘。勘弁してよ」

 思わず立ちあがりかけるが、足が自分のものではないように震え、へたり込んでしまった。大きく深呼吸を繰り返し、やがて電話が目に入る。ようやくそこで、フロントに助けを求めるという思考が働いた。

 その間に狙撃手は屋上から屋内へ入り周囲に誰も居ないことを素早く確認すると、ジャケットを脱ぎ裏返しに着る。表地は白だが、裏は濃紺のリバーシブルだった。スラックスを膝の辺りで掴んで左右に開くと、ジャケットと同じく濃紺のスラックスが顔を出す。さらに髪を掴み引っ張ると、顔を覆っていた人工皮膚がかつらと共に一気に剥がれ、肩までの黒髪が現れた。地味なメイクながらも、人目を引く美貌。この雑居ビルに入っていく姿を目撃した者がいたとしても、誰も同一人物と思わないだろう。後に警察が目撃者を探しても、金髪で真っ白なパンツスーツを着た、派手なメイクの女という証言しか出ないだろう。印象に残りやすい色彩をわざとまとったのは、目撃者の目も考慮した上でのことだった。

 通路に置いておいたゴルフバッグに、素早く狙撃銃をはじめ変装道具一式と携帯灰皿に革手袋を押し込む。何食わぬ顔で女はエレベーターに乗り込み、一階を押す。この時間帯には誰も居ないことなど、事前に調査済みだ。ビルを出ると、見ていたかのようなタイミングで黒のステーションワゴンが、静かに横付けされた。当たり前のように開かれたトランクに、まずゴルフバッグを入れリアシートに身体を滑り込ませる。滑らかで、無駄のない動きだった。女を呑み込んだ車は静かに、目立たぬ動きで大通りへ向かう。一般車両の流れに乗ったことを確認してから、狙撃手の女は安堵の息を吐いた。

「お疲れさま。首尾は上々のようね」

 最初からリアシートに座っていた情報分析官の佐々木という五十代半ばの女が、銀縁メガネのブリッジを指で押し上げながら聞いた。

「即死よ。デリヘル嬢が我に返って通報するまでに、約五分ってとこかな。それから警察が到着するまでに十分。十五分もあれば、検問を敷かれる前に高速に乗れるでしょう?」
「そうね。小松基地から本部へ飛ぶから、それまでは休んでいらっしゃいな」

 佐々木はスマホを取り出すと、とある八桁の数字を押して通信を暗号化すると電話をかけた。スナイパーの任務が無事に遂行されたこと、本部へは約四時間後に到着することを告げる。

「休暇はまだ、もらえないのかしら?」

 長く張り詰めていた緊張から解き放たれたせいか、女こと倉科くらしな有紗ありさは半ば微睡みながら問う。

「さあ? もうひとつ任務をこなしてからだって、塚原つかはらチーフはおっしゃっていたけれど」

 佐々木の返答に、あの狸親父めと内心で毒を吐きつつも有紗は何も言わない。

「兄さんの結婚が決まったから、それに合わせて休暇がほしいんだけれどな」

 ちらっと佐々木の横顔を窺うも、情報分析官は何の反応も示さずポーカーフェイスのままだった。ほんの一瞬だけ有紗の顔に影が差したが、瞬きひとつ後にはもう、いつもの有紗に戻っていた。

「次の任務は、健人けんとさんも一緒らしいわよ」
「えっ兄さんと? じゃあ二人とも、怪我を負わずに戻らないと」

 兄の婚約者である高田たかだ香澄かすみの顔を思い浮かべながら、有紗は小松基地まで眠るわと言って、目を閉じた。
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