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序章 過去と始まりの物語
第1話
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十年前の、春。
桜は葉桜へと変わり、徐々に初夏の空気を滲ませていくある夜のこと。知らない男と歩く母親の後ろ姿。繁華街に溶け込む、楽しげな二人。男に話しかけるその横顔を、他人の空似と間違えるはずがない。
男の方はずっと前を見ているため顔は判らない。ただその後ろ姿から察するに、中年だという事は判る。おそらく母と似たような年代だろうということは窺える。あまりの衝撃に固まっていた兄妹だが、我に返ると無意識に息を殺して尾行を始めた。私服の大学生と女子高校生というコンビが夜の繁華街をうろつくという構図は、明らかに周囲から浮いていたが二人は他人の目など気にしていない。
飲み屋が軒を連ねる通りを抜け、三つ目の十字路を右へ折れると、いかがわしい宿泊設備が建ち並ぶ通りに出る。母は男と腕を組み、楽しげに歩いて行く。慌てて兄がスマホで動画を撮り、証拠を押さえるも肝心の男の顔が映らない。悪夢を見届けるとようやく兄妹の緊張が解け、会話をする余裕が出てきた。
「有紗。俺は夢でも見てるのかな」
「二人して同じ夢を見る? 兄さんと同じ夢なんて、こんな悪夢なんて冗談じゃないってば」
苛立ちを隠そうともしない少女は、兄の横顔を睨みつけながら声を震わせた。場所が場所だけに追いかけようかどうかためらう兄妹に、背後から声がかけられた。
「君たち、ちょっといいかな」
振り返ると制服警官二人が、主に兄である健人に視線を固定して立っている。
こんな繁華街に未成年と思われる少女が若い男と連れ立っているため、不審に思った第三者によって通報されたのかもしれない。面倒なことになったと今更ながらに思うが、いかがわしいホテル通りへ消えた母と男が、今度は出てくるところを撮影したい。男の顔を映すためにも。
「君ね、この子をこんなホテル街に連れ込んで、何をしようとしているの? 彼女、未成年だよね?」
「あの、俺たち兄妹です。血の繋がった」
「そうですよ。私たちがここに居るのは、母が父以外の男と歩いていたのを見たからで。身分証、必要ですか?」
「何にせよ君たち、ちょっと署の方で話を聞くから」
「は? 冗談でしょう。疑うなら運転免許証を出しますよ」
こんなところで騒ぎになったら母に気付かれる。有紗は苛立たしさを隠そうともせずに、歩き去ろうとする母と男の後ろ姿を睨みつけている。しかし、よほど男との逢瀬に心を弾ませているのか、背後の騒ぎなど頓着せずにさっさと建物の中へと姿を消してしまった。警察官が邪魔で、男の顔を確認することが出来なかった。
「いいから署まで来なさい」
応援を呼ばれてしまった。任意同行は拒否できるが、有紗を連れていたことがまずかった。バレたら下手をすると停学か、最悪は退学処分だ。舌打ちしたい衝動を二人は必死に堪え、顔を見合わせると頷き合った。
「判りました、行けばいいんでしょう?」
二人がようやく抵抗を諦め、近くの所轄署まで連行される。氏名と住所を素直に言うと、何故あんな場所に居たのかしつこく聞かれた。
「君たちが実の兄妹ということは判ったけれど、あんな場所というのは感心しないね」
「塾の帰りです。兄に迎えに来てもらったんです」
警官たちは鋭い視線を投げかけたままだ。同じ事を言葉を換えて何度も聞かれる。いい加減に疲れてくるが、まだ解放される気配はない。兄妹は別々の取調室に入れられ、何度も何度も尋問を受ける。
桜は葉桜へと変わり、徐々に初夏の空気を滲ませていくある夜のこと。知らない男と歩く母親の後ろ姿。繁華街に溶け込む、楽しげな二人。男に話しかけるその横顔を、他人の空似と間違えるはずがない。
男の方はずっと前を見ているため顔は判らない。ただその後ろ姿から察するに、中年だという事は判る。おそらく母と似たような年代だろうということは窺える。あまりの衝撃に固まっていた兄妹だが、我に返ると無意識に息を殺して尾行を始めた。私服の大学生と女子高校生というコンビが夜の繁華街をうろつくという構図は、明らかに周囲から浮いていたが二人は他人の目など気にしていない。
飲み屋が軒を連ねる通りを抜け、三つ目の十字路を右へ折れると、いかがわしい宿泊設備が建ち並ぶ通りに出る。母は男と腕を組み、楽しげに歩いて行く。慌てて兄がスマホで動画を撮り、証拠を押さえるも肝心の男の顔が映らない。悪夢を見届けるとようやく兄妹の緊張が解け、会話をする余裕が出てきた。
「有紗。俺は夢でも見てるのかな」
「二人して同じ夢を見る? 兄さんと同じ夢なんて、こんな悪夢なんて冗談じゃないってば」
苛立ちを隠そうともしない少女は、兄の横顔を睨みつけながら声を震わせた。場所が場所だけに追いかけようかどうかためらう兄妹に、背後から声がかけられた。
「君たち、ちょっといいかな」
振り返ると制服警官二人が、主に兄である健人に視線を固定して立っている。
こんな繁華街に未成年と思われる少女が若い男と連れ立っているため、不審に思った第三者によって通報されたのかもしれない。面倒なことになったと今更ながらに思うが、いかがわしいホテル通りへ消えた母と男が、今度は出てくるところを撮影したい。男の顔を映すためにも。
「君ね、この子をこんなホテル街に連れ込んで、何をしようとしているの? 彼女、未成年だよね?」
「あの、俺たち兄妹です。血の繋がった」
「そうですよ。私たちがここに居るのは、母が父以外の男と歩いていたのを見たからで。身分証、必要ですか?」
「何にせよ君たち、ちょっと署の方で話を聞くから」
「は? 冗談でしょう。疑うなら運転免許証を出しますよ」
こんなところで騒ぎになったら母に気付かれる。有紗は苛立たしさを隠そうともせずに、歩き去ろうとする母と男の後ろ姿を睨みつけている。しかし、よほど男との逢瀬に心を弾ませているのか、背後の騒ぎなど頓着せずにさっさと建物の中へと姿を消してしまった。警察官が邪魔で、男の顔を確認することが出来なかった。
「いいから署まで来なさい」
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「君たちが実の兄妹ということは判ったけれど、あんな場所というのは感心しないね」
「塾の帰りです。兄に迎えに来てもらったんです」
警官たちは鋭い視線を投げかけたままだ。同じ事を言葉を換えて何度も聞かれる。いい加減に疲れてくるが、まだ解放される気配はない。兄妹は別々の取調室に入れられ、何度も何度も尋問を受ける。
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