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陸幕 蔭始末記

第67話

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 未だ越前一向一揆の制圧はならず。

 織田が完全に越前国を我が物にできたのは、天正三年のことであった。この間に於小夜は女児を産み、名を奈津なつとつけた。天正二年のことである。

 約定通り乳離れがすむと、書状を受け取った庄助の使いで佐助が迎えに現れた。傍らには於小夜よりも十五歳年長の、たよという女三ツ者がいて、彼女が忍び術の師匠となるらしい。

 四十半ばのおたよは年齢に見合った、がっしりとした体躯の持ち主で小柄な佐助と並ぶと親子のように見える。事実、これから真田庄までは親子のふりをして旅を続けるのだ。於奈津がどのような忍びに成長するか、母として楽しみなようであり心苦しかった。

 母と引き裂かれることを敏感に察した於奈津は、激しく泣き喚いた。泣いて泣いて泣き疲れた隙に、おたよと佐助は越前の国を出立する。あれほど覚悟を決め、泣くまいと心に誓った於小夜だが、いざ我が子が他人の手で養育されるとなると心が張り裂けた。

 駆け出しおたよの腕から於奈津を奪い去りたいが、その気配を察する小十郎と佐助からすさまじい殺気を放たれる。おたよも振り返りはしないが右手に容赦なく手裏剣を携え、寄らば投げ打つと背中で語っている。

 実母の小里も姉と自分を忍びにするために里子に出したとき、こんな苦痛を味わったのだと思うと、袖を涙でしとどに濡らす。拭っても拭ってもあとからわき出す涙は、いつ涸れるのか。

 母と離される於奈津も、ふっと目を覚ますとまた泣いた。おたよの腕の中で、いつまでも泣き喚いていた。母子の涙は尽きることを知らず。いつしか、おたよたちの姿は坂の向こうへと消えていった。

 我が子を奪われる哀しみが癒えぬまま、於小夜はお市の許に戻った。子は死産して、哀しみが癒えるまで帰参できなかったことを訥々と訴えた。これにはお市のみならず他の侍女たちも大いに同情し、口々に慰めの言葉を投げかけてきた。

 実際には生きている我が子だが、二度と会えなければ死産したも同然。日ごと夜ごとに於奈津はどうしているかと案じつつも、日々の仕事に抜かりはない。於小夜はもう、忍びとしては使い物にならなくなっている。おなごではなく母となった彼女は、長年の侍女暮らしも相まって、すっかりなまくらになってしまった。

 府抜けた妻を見かねた小十郎が、於小夜の様子を見に行ってくれるが自分も行きたいと束の間の逢瀬で泣く始末。ささやかながら正式に祝言を挙げたとはいえ、柴田家に仕える小十郎とお市の傍に仕える於小夜は、一緒の家に住んでいない。お市が気を遣って二、三日の宿下がりを命じると、とたんに喜色満面となり小十郎と共に、信濃まで一走りする。

 娘に会いに行くときだけは、府抜けた於小夜は何処へやら。全身に気力が満ち満ちて、小十郎と遜色ない健脚ぶりを見せた。
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