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弐幕 浅井家の女として

第24話

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 いよいよ尾張を出立する前夜、小十郎は於小夜の許に忍びこみしばしの別れを告げに来てくれた。

「於小夜、達者でな」

 そのとき小十郎の目の中に宿っていた光は、特別なものだったと今にして思い返すことが出来る。

(ああ。小十郎どのは、私を好いておるのだ。思えば桶狭間の時から、私たちはつかず離れずの縁だった)

 三ツ者同士が、男女の情を交わし合うことは禁じられていない。その気になれば、頭領の許しを得て夫婦になることも可能だが、そうなると於小夜は忍びを一時的に辞めねばならない。己の恋心とお市への確かな忠誠心。そして武田の忍びとしての使命に挟まれ、彼女は小十郎への想いを口にすることができなかった。小十郎へ想いを告げたならば、彼も受け入れてくれるだろう。小十郎も口には出さぬが、於小夜を我が物にしたいと目が物語っているのだから。

(なれど、私が小十郎どのへの想いを打ち明けたら、お市さまと離れなければならぬ。私は、お市さまのお傍で働きたい)

 女忍びに裏切りが多いというのは、おなご特有の心の移り変わりが原因である。他国での仕事で男を好きになり、そのまま出奔というのが殆どだが、於小夜の場合は違う。純粋に、信玄と同じ尊敬の念と忠誠をお市に覚えてしまった。

「於小夜、どうしたのか?」

「あ、いえ何でもございませぬ。ただ、琵琶湖からの風があまりにも心地ようて、つい」

 その言葉に、お市のみならず他の侍女たちも同意するように微笑んだ。この七年の間に於小夜も侍女の中ではすっかり古株となり、彼女を慕う若い侍女も多い。

「清々しい情景よの。兄上さまや義姉上さまにも、いずれこの湖を見て頂ける日が来よう」

 しばしの休憩はそこで終わり、小谷城から迎えがやって来た。いよいよ小谷城の城主で浅井家当主の浅井長政と、対面する刻限が近付いてきた。緊張してきたのはお市だけではない。侍女たちも皆、慣れぬ土地での暮らしに不安を覚えている。

 一行は小谷山(伊部山)から、南の尾根すじや谷すじをそのまま活用して、各曲輪や本丸が建てられている堅固な山城へと案内された。大石垣がそびえ立ち、難攻不落の山城という印象を忍びとして冷静な目で判断した。下忍の九郎が自分を訪ねてくるとき、身を隠しやすい。そういう点でも忍びからしたら与し易い城だと、内心で笑みがこぼれてしまう。

 於小夜と甲斐国との連絡役を務める下忍の九郎は、長政とお市の婚約がまとまったときから小谷城下で琵琶湖の漁師として働いている。輿入れ行列が堂々と小谷城に入ったとき、鍛え抜かれた於小夜の目は木陰に隠れ頭を自分に向けて下げた九郎の姿を、しかと捉えていた。
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