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第四章賢君への道
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一
建保二年、西暦一二一四年。
二月初め。将軍一行が二所詣から帰って来た。
「お帰りなさいませ。みなさま、お疲れ様でございました」
安達景盛は、準備万端で酒の用意をしていた。一行はたちまち大宴会に突入した。
「楽しんでいるか、太郎」
実朝の言葉に、泰時は遠慮がちに答えた。
「私は、合戦での失敗以来、断酒を決心しましたので」
泰時の言葉に、実朝は笑った。
「できぬ誓いなど、最初からたてぬ方がよいぞ。正体を失うほど飲み過ぎなければよいのだ。ほどほどならば、問題はあるまい」
「それも、そうでございますね」
泰時の誓いは早くも破られてしまった。実朝も、日頃の憂さを晴らしたいと思ったのか、杯を飲み干すのがいつもよりも早かった。
実朝は、遠くを見つめるように、ぽつりとある人物の名を口にした。
「朝盛は、どうしているのであろうか。生きているのか、生きていたとしても、もはや会うことはかなうまい」
泰時は、主君へのかなわぬ熱情を込めた朝盛の切なげな瞳と、泣き笑いのような顔を思い浮かべた。
「首は見つからなかったそうですから。きっと、どこかで、御所様との思い出を偲びながら、生きながらえていると、私は信じております」
泰時の言葉に、実朝は、ますます苦しげな表情を浮かべながら、吐き出すように言った。
「思い出、か。朝盛は、どうしても私との思い出が欲しいのだと言った。だが、私には御台だけだから。私は結局、朝盛を傷つけることしかできなかった……」
実朝の突然の告白に、泰時は言葉を失った。生真面目な性格の泰時から見ても、朝盛は思いつめやすい男だった。
(御所様は、一体どのような状況で、あの男の本当の想いをお知りになったのだろうか)
実朝と朝盛のその時の状況を想像した泰時は、胸が痛かった。
「まさか、家臣の男が、主人である私にそのような想いを抱いてそれを告白してくるなど思ってもいなかった。あのようなことを言うのは、後にも先にも朝盛だけだろうが。一体、私などのどこがよかったのだろうなあ」
自嘲気味に笑う実朝に対して、妙な苛立ちを感じた泰時は声を荒げた。
「御所様は、鈍すぎます!」
もっとも、酒で判断能力が鈍っていた実朝は、たいして泰時の言葉を特に気にした様子もなかった。
「まあいい。今夜はこころゆくまで共に楽しもうではないか」
「はい御所様!今夜は、大いに飲みましょう!」
赤い顔をしている泰時もかなり出来上がっていた。そんな泰時に対して、飲んでも全く顔に出ない時房は、呆れたように言った。
「太郎。お前は、さっき断酒を決意したとか言っていなかったか?」
「あれは、正体を失うほど飲まないという意味での断酒なのです!」
いつもの堅物ぶりはどこへやら。泰時は、酒が入ったとたん、父親の義時や弟の朝時と同様の調子者に変化してしまった。
「たまにはよいではないか」
そう言って、実朝も泰時と共に、調子に乗って杯をどんどん重ねていく。
「御所様も。明日は、栄西和尚様との面会日でしょう!」
しかし、すでにへべれけ状態の二人の耳には、時房の諫言は全く入っていない。
酔っぱらいのつけは忘れた頃にやって来る。気の向くまま杯を重ね続けた主従は、いつの間にか記憶が無くなっていった。目が覚めて気が付いたとき、実朝は強烈な吐き気と頭痛を感じて、泰時に訴えた。
「太郎、頭が痛くて、気分が悪い。なんとかしてくれ」
泰時にも、実朝を介抱する余裕などなかった。
「恐れながら、御所様。私も、同様です」
「そう言えば、今日は、栄西和尚との面会日だった!どうしよう!」
「どうしようと私に言われましても。帰っていただくのは失礼に当たりますし。本当のことを言って会うしかないのではありませんか」
面会に来た栄西は、実朝と泰時の様子を見て、おやおやと言った顔で笑って言った。
「これはこれは。いかがされましたかな。御所様」
「面目ない、和尚。飲み過ぎた」
同じ体たらくの泰時に対しても、栄西はからかうように言った。
「いけませんなあ。御諫めすべきご近習までが御一緒では」
若い主従は、老僧の前で、恐縮するばかりだった。
「それでは、二日酔いに効く妙薬がございますので、寺から届けさせましょう」
栄西が言った妙薬とは茶のことであった。栄西は、実朝に茶とともに、茶の効能を説いた『喫茶養生記』という書物を献上した。
栄西から届いた茶の苦みが全身に行き渡たり、主従への効果はてきめんだった。
酒で憂さを晴らしたところで一時しのぎに過ぎず、現実から逃げ出すことはできない。どうしたら敬愛する院の信頼を取り戻せるか。解決すべき問題は山積みだった。
大倉新御堂の落成式に、実朝は、京から名僧を呼びたいと考えていた。
だが、昨年の合戦、地震などで民心が疲弊している中で、民にさらなる負担をかけるのはどうかという意見が広元ら重臣達から出された。実朝は、重臣たちの意見に従って、関東の僧を招くことにした。
重臣達と力を合わせて、善政を行い、民心を安定させること、実朝は、今自分がすべきことはそれだと思った。
あるとき、時房と実朝は、和気あいあいとした雰囲気の中、さらりととんでもないことを語り合っていた。
「御所様、私は、三位になりたいのです!」
実朝に、甘えたような声でねだる叔父時房に対して、実朝もまたにこやかに答えた。
「今すぐは無理だが、いつか望みはかなえてしんぜよう、五郎叔父」
それを聞いた泰時は、とんでもないと言った顔で口を挟んだ。
「叔父上、三位と言えば、公卿の位ではありませんか!何という身の程知らずな!御所様も、そんな簡単に承諾してはなりません!」
そんな泰時に対して、時房はぷっと吹き出しながら言った。
「相変わらず、融通のきかない奴だな、太郎は」
「冗談に決まっているではないか、なあ五郎叔父」
時房と実朝は、息が合ったように笑いながら泰時に言った。
「冗談でも言っていいことと悪いことがあります!」
「五郎叔父くらいの図々しさがなければ、京のやんごとなき方々とはやっていけんのだ」
ますますむきになる泰時に対して、実朝はやや真剣な表情で言った。
(和田義盛は、私との個人的な親しさから、内々に官位の昇進をねだってきたことがあった。それも、昨年の合戦の遠因となったのやもしれぬ。今後はそのようなことは改めねば)
それからしばらくして、実朝は、官位の嘆願は、一族の長を通じてのみ許可することとし、個人的な自薦は認めないとの決定を行っている。
昨年の合戦や地震で民達が疲弊しているうえに、その年は日照り続きだった。実朝は、雨ごいの儀式を行った。民を安心させるために、これも為政者として必要な公務の一つだった。やがて、実朝の願いが届いたのか、恵みの雨がもたらされた。
実朝は、重臣達と協議し、関東御料の年貢の減免を検討する。それも一度に実施すれば、混乱のおそれが大きいため、箇所を決めて、毎年順番に行うこととした。
叔父義時や重臣達の協力を得ながら、まつりごとに対して真摯に向き合っていく若い将軍の姿は、少しずつ、確実に、人々の心に届いていく。
その年も終わりに近づいてきたころ。
和田合戦のきっかけとなった泉親衡の乱で旗頭にされた頼家の遺児千寿が、再び和田の残党に担ぎあげられた事件が起きた。二度目の謀反となれば許されるはずもなく、千寿は討伐対象となって追われた末に、自害して果てた。
園城寺にいた公暁は、それを聞いて、我が身と重ね合わせずにはいられなかった。
(三浦義村は、和田側を裏切って、将軍側についた。北条も三浦も、将軍である叔父上のことを認めている。叔父上は、命令一つで多くの兵を動かす力を持っている。叔父上自身がどのような心情であったかに関わらず、和田と千寿の討伐は、間違いなく叔父上自身の判断で行われたのだ)
そのことに気づいたとき、公暁は、誰よりも優しい人であるはずの叔父実朝が、北条よりも、三浦よりも、ずっと強くて恐ろしいと思わずにはいられなかった。
(俺は、千寿のように、知らぬ間に誰かの操り人形のように旗頭にされて、生涯を終えるなどまっぴらごめんだ。どうせ死ぬなら、せめて、自らの意思でもって華々しく戦って散っていきたい。だが、仮に、俺が自分の意思で叔父上にとって代わろうとしても、俺の後見人である三浦も他の御家人達も俺には従うまい)
若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏の前で、公暁の心に、新たな暗い闇が生まれ始めていた。
二
建保三年、西暦一二一五年。
年が明けて、実朝の祖父北条時政が伊豆で静かに息を引き取った。実朝の中で、もはや時政に対するわだかまりは残っていなかった。己の過去を悔いるかのように仏道に励み、穏やかな余生を過ごした末の最期だったことを聞いた実朝は、心から安堵した。
その年の六月には、禅僧栄西が亡くなっている。渡宋の話、昨年酒で失敗した際に茶を献上してくれたことなど、実朝の脳裏には、偉大な高僧との様々な思い出が蘇った。
人の生死は世の常とはいえ、実朝は、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
旅人の負担となる関錢の廃止。京在住の御家人達がさぼりがちな宮中警護について、勤務態度によって賞罰を与えるとの決定。鎌倉の経済発展のため、鎌倉の町人や様々な種類の商人の人数を決めて座を設けさせることなど。徐々に穏やかさを取り戻していく日常の中で、実朝は、その後も、まつりごとにおいて、地道な努力を続けていく。
朝廷との対応も気を抜くわけには行かなかった。京の院から、仙洞御所で行われた和歌の会の様子を詳しく記した巻物が贈られてきた。和歌の世界の美しさに心惹かれる実朝であったが、和歌は同時に院との間を取り持つための重要な手段の一つであり、まつりごとの一環でもあった。
実朝は、和田合戦以来塞ぎがちで、父である前内大臣坊門信清が病がちで出家したとの報を聞いて一層沈みがちになった御台所倫子への配慮も忘れなかった。
「女の子もいいものだなあ。久米、お前は本当に可愛いなあ」
実朝が愛しそうに抱き上げて頬ずりしているのは、実朝が倫子のために新たに飼うことにした雌の子犬の久米である。
久米は始め、下総局という実朝が生まれた時から仕えている千葉一族出身の古女房のところにいた。可愛がっていた幼い孫娘が亡くなり、ひどく落ち込んでいた下総局を慰めようと、縁戚にあたる東重胤が雌の子犬を贈り、下総局はその子犬に亡き孫娘と同じ名をつけた。その愛らしさが評判となり、将軍夫妻の愛犬となったのである。
しかし、飛梅は背中としっぽを実朝の方に向け、すっかり不貞腐れた様子を見せている。
「御所様が、新しい女子(おなご)をお召しになって可愛がっていらっしゃるせいで、飛梅は御寵愛を奪われたと思ってすっかりご機嫌斜めですよ」
そう言ってからかう時房に対して、実朝は苦笑した。
「ずいぶんと酷い言い草だなあ、五郎叔父。私も御台も、久米は飛梅にお似合いだと思っているのだがなあ」
その御台所倫子の側に仕える者の順番を実朝は決めたのだが。これに選ばれなかった北条朝時が文句を言ってきた。
朝時は、三年ほど前に、倫子に仕える佐渡という女房に不埒なことをしでかして、実朝と父の義時を激怒させ、一時鎌倉を追われていたが、和田合戦での奮闘ぶりが認められて、再び御所への出仕が許されていた。
「何で、五郎叔父ばっかり!儂だって、御台様のお側にお仕えしたいのに!」
洗練された美男で人当たりの良い時房は、御台所付きの女房達に大変人気があったが。朝時は、過去の醜聞事件が災いして、女性陣に大層嫌われており、御所への出仕が許されるようになっても、御台所の近くに寄ることを厳禁されていた。
「過去の悪行を忘れて何を抜かすか!この大馬鹿者が!」
朝時に対して、父義時の雷が落ちた。
(相変わらず、懲りない奴だ)
兄の泰時と叔父の時房は、その様子を呆れながら傍観していた。
地震だの鷺の出現だの気味の悪いことが続くので、実朝は、方違えも兼ねて、しばらくの間、御台所倫子らを伴って、叔父の義時の屋敷に移ることになった。
「面倒をかけてすまないな、叔父御」
「何をおっしゃいますか。我が家と思って、存分にお寛ぎください」
実朝の言葉に、義時は笑って言った。
御台所らが父の屋敷に移って来たことを知った朝時は、浮かれまくっていた。三年前の一件で、御台所付きの女房佐渡に不埒なことをしでかした朝時は、山賊を撃退した武勇伝を持つこの女房に手痛い反撃をされていた。
(まさか、あんなおっかなくて恐ろしい女だとは思わなかったな。都の人間だからといって人は見かけによらんな)
朝時は、そんなことを思いながら、勝手知ったる実家の父の屋敷に、隙を見つけては入り込み、御台所の様子をこそこそと覗き見していた。
(だが、やはり御台様だけは別格だな。淑やかで、可憐で、まさにこれぞ高貴な姫君って感じで、たまわんわい!御所様が羨ましすぎる!)
とうとう我慢できなくなった朝時は、周りに人がいない時に、御台所の側に姿を表してしまった。
朝時は、ぼうっとなったり、うっとりしたりしながら、倫子の可憐な姿をしばらく見つめていたが、やがて何かの気配に気づいた倫子が声を発した。
「そこに、どなたかいらっしゃるのですか?」
(くう!声も可愛くてたまらんわ!)
朝時は、ニヤニヤヘラヘラした気持ちの悪い助平面を倫子に向けながら、言った。
「どうも、お久しぶりです、次郎です。御台様。へへへへへ」
朝時の姿と声を認識した倫子は、朝時が佐渡にしでかそうとしたことを思い出し、自分のことのように恐怖を感じた。
「いやあ!御所様、御所様!」
実朝、泰時は実朝の番犬飛梅を連れて外を散策中だったのだが。倫子の声に反応して、飛梅は大声で吠えたてながら倫子のいる殿舎の方に走って行った。実朝と泰時も、何かを感じて飛梅を追いかけて行った。
そこには、ヘラヘラニヤニヤした朝時が、恐怖のあまり震えている倫子と向かい合っていた。飛梅は、女主人を守るべく、大きく吠えたてて朝時に噛みついた。
「いってえ!何しやがる!犬の分際で!」
飛梅に噛みつかれた朝時は悲鳴を上げた。
「大事ないか?御台」
実朝は、朝時の目にこれ以上倫子の姿をさらさせないようにして、恐怖で震える倫子を強く抱きしめた。
「何をやっている!この不埒者が!」
泰時は、そのまま弟を引っ張って御前を退出した。
実朝と二人きりになってからも、倫子の震えは止まらない。
「御台、御台。私の方を見ておくれ。」
そう言って、実朝は、倫子の頬を優しく挟んで倫子を見つめた。
「私のことも怖い?」
夫の問いかけに倫子は首をゆっくりと横に振る。
泣き出しそうな妻の顔を見つめながら、実朝は困ったように言った。
「私も人のことは言えないな。いつも、御台に対しては不埒なことを考えて、実行しているのだから」
「私に不埒なことをしてよいのも、私が不埒なことをされたいと思うのも、御所様だけですわ」
恥ずかし気に、けれども潤んだような瞳で倫子は実朝を見つめてはっきりと言った。
「そんな可愛いことを言われると、止められなくなるよ?」
そう言って、実朝は、妻の唇にかすめ取るような軽い口付けをした。
「嫌だったり、怖かったら言っておくれ。できるだけ善処する」
夫に優しく抱かれながら、倫子の恐怖はやがて甘い疼きに変わっていった。
(叔父御の屋敷には随分と長居してしまったが。さすがにもういいだろう。警備の問題もあるし、やはりそろそろ御所に戻って御台を安心させたい)
かれこれ二月半ものあいだ叔父の義時邸で過ごした将軍夫妻は、ようやく御所に戻った。
初めて夫婦の契りを交わしてから随分と経つのに、実朝と倫子との間にはなかなか子どもができない。周りの者達の中には、側室を持つように言う者もいたが、実朝には全くその気がない。
「私に遠慮なさらないで」
悲し気に言う妻に対して、実朝は妻を気遣うように言った。
「私は、もともと体が弱いから。子どもができないのは、きっと私に原因があるのだよ」
「けれど……」
実朝は、妻の唇を塞いで、それ以上言わせずに、妻を抱く腕に力を込めた。
「私だって、不埒なことをしたいと思うのは、御台だけだから」
中には、将軍夫妻に子ができないのは、和田一族の祟りだという者さえいる。和田一族とて、己の誇りをかけて戦った末の最期だったのだ。そんな馬鹿なことがあるわけがない。実朝はそう思ってはいたが、心のどこかで気にしていたのかもしれない。夢で和田一族の亡霊にうなされる日々が続いた。
実朝は、改めて、和田一族の法要を、行勇の指導のもと行った。
実朝も倫子もまだ若いが、もし、このまま夫婦の間に実子が生まれなければ、後継者問題が生じるのは必須である。実朝に一番近い血筋の者と言えば、兄頼家の子ども達ということになる。頼家の次男公暁と四男禅暁がいるが、二人とも仏門に入っており、実朝が兄と兄の長男一幡を廃して将軍に就いた経緯と、三男の千寿が謀反の旗頭とされた末の最期を迎えたことを考えれば、彼らを後継者とするのは支障がある。
だが、女児だったら問題はない。頼家には、竹姫と呼ばれる娘が一人いた。実朝と倫子との間に子が生まれなかった場合の備えとして、竹姫に婿を迎えて、その系統に後を継がせるという手も考えられる。
しかし、関東の有力御家人の中から竹姫の婿を選べば、御家人間の均衡が崩れ、新たな問題が生じることになる。
ならば、いっそ、京のやんごとなきあたりに、竹姫を嫁がせて、その子をもらい受けるというのはどうだろうか。御台所倫子の姉は、院の後宮として冷泉宮頼仁親王をもうけている。頼仁親王と竹姫は年も近い。竹姫を頼仁親王の御息所として京に嫁がせ、その子を後継者候補として確保する。
(これなら、源氏の血も北条の血も残り、御台や院とも縁繋がりになって、申し分ないのではないか)
実朝は、まだ若く、愛する妻との間に実子を持つことを諦めてはいない。
その一方で、実朝は、実子ができなかった場合に備えて、後継者の確保を模索し始めていた。
三
建保四年、西暦一二一六年。
後継者問題の布石として、実朝は、御台所倫子、母政子にある話をしていた。
「竹姫を御台の猶子にと思うのだが」
頼家の娘、竹姫は数え年で十五歳になる。孫娘の身の上を案じていた政子は快諾した。
「私が、母になるのですか?」
倫子も嬉しそうに尋ねた。
「娘というよりも、年が近いから、妹と言った方がいいかもしれないね。裳着を行って、縁談のことも考えようと思うのだよ」
「御所に心当たりがおありなのですか?」
母の問いに、実朝は答えた。
「昔、三幡姉上に入内の話が出ていたでしょう。とはいえ、帝がお相手では、いろいろと難しい問題が出てくる。それで、帝の弟君冷泉宮様(頼仁親王のこと)の御息所として、竹姫を京に嫁がせる話を持ちかけてみようかと思うのですよ。宮様の御生母は、御台の姉君だから、御台や院様とも縁繋がりとなるし、宮様は竹姫と年も近い」
「このうえないよいお話ではありませんか。御所の心遣いを嬉しく思いますよ」
まもなく、竹姫は、御台所倫子の猶子となり、裳着を行った。
祖母、若い母親となった御台所、孫娘とが加わり、将軍の周りには、家族団らんの明るく温かい雰囲気が広がっていた。
御台所倫子が陸続きとなった江の島詣から戻ってきた頃、倫子の父前内大臣坊門信清の訃報が鎌倉に届いた。
「寂しいことになってしまったな、御台」
実朝は、妻を気遣い、抱きしめた。
「昨年あたりから、体調がすぐれないということは聞いていましたから。私は大丈夫です。優しい母上様と可愛い姫がいるのですから」
倫子は、寂しげな表情を浮かべながらも、穏やかに答えた。
重臣達との協力のもと、実朝の政治改革の方も着実に進んで行った。その頃から、実朝は、御家人達の陳情を直接聴取し、再び和田合戦のような悲劇がおこらないよう、御家人達の不満解消に努めている。
和田合戦では同族への裏切り者という汚名を着ることを覚悟の上で、将軍方についた三浦義村であったが。義村は、実朝から、愁訴聴断の担当者の一人に任じられている。実朝は、船団の扱い、橋の改修工事などの交通政策をはじめとする義村の実務能力を高く評価しており、従兄の和田義盛と同様に、義村が義理堅く情に厚い人物であることをよく分かっていた。
また、政所の別当も従来の五人から九人に増やされ、より多くの意見が反映される仕組みが整えられた。兄頼家が鎌倉殿の地位を継いだ際にも、十三人の重臣達による支援体制がとられたが、父頼朝が亡くなった直後で派閥争いが顕在化してすぐにそれは壊れてしまった。そうした過去の反省も踏まえて、実朝は、義時や広元ら重臣達と協力して、安定したまつりごとを行おうと努力していった。
京の院も、実朝の努力を認め、実朝への信頼回復を官位の上昇という形で示していく。和田合戦後三年ほどの間、実朝の官位は据え置きのままだったのだが、実朝は、その年の六月には権中納言、七月には左中将に任じられている。
実朝の政治改革が軌道に乗り出したころ、鎌倉に東大寺大仏の復興に貢献した、宋の陳和卿という人物が面会を求めてきた。
「なんでも、御所様は、菩薩の化身の尊いお方だから、恩顔を拝みたいと言っているそうですよ」
「なんだそれは。随分と胡散臭い奴だな」
茶化すようにどこか楽し気に言う時房に対して、実朝は眉をひそめた。
「和卿は、恐れ多くも故右幕下(頼朝のこと)が御自ら面会を求められたというのに、多くの命を奪った罪深い方だから会いたくないと言って拒否した無礼者です!そのような者にお会いになってはなりません!」
堅物の泰時は、真っ赤になって実朝が和卿と会うのを反対した。
「和卿は、東大寺といろいろと確執があったらしいですね。まあ、西国に居づらくなって、東国へ移って来る者は少なくないですからね」
時房の言うとおり、官人や僧侶など、西国で活躍することができなかった者にとって、鎌倉を中心とする東国の地は、一種の希望に満ちた新天地のようなところがあった。文官達の中には、元は京の下級貴族出身でその才を買われて鎌倉に仕えることになった者も多い。
前年に亡くなった栄西を始め、法然の弟子である親鸞もその頃常陸国に移り住んで東国での布教活動を行っている。西国の旧仏教との確執から逃れて、東国に新しい仏の教えを広めようとやって来た僧侶は少なくなく、熊谷直実、宇都宮頼綱などのようにそれに帰依する坂東の有力者も結構いたのである。和卿が自らの活躍の場を求めて東国にやって来たというのも、ありえない話ではないのだ。
「噂によると、和卿は、資材の横領が発覚して東大寺と揉め事を起こして、船を造って宋へ帰る計画を立てているとか。きっと、そのための費用を御所様に出していただこうと企んでいるに違いありません!御所様、騙されてはなりません!」
鷹揚に構えている時房に対して、泰時はむきになって声を荒げた。その時、泰時の言葉を聞いた実朝の瞳が、面白いことを見つけたいたずらっ子のようにきらりと光った。
「厚かましそうな奴ではあるが、中にはいろいろと役立つ話もあるだろう。会うだけなら別によいではないか」
こうして、実朝は和卿と面会することになった。
「お懐かしうございます!御所様は、前世は育王山の長老であられ、私はその弟子でした!」
和卿は、実朝の顔を見たとたん、不可解な言葉を口にし、いきなり泣き出した。
(思ったとおり、大げさで胡散臭い男だな)
実朝は苦笑しながら、歌を口ずさんだ。
「世も知らじわれえも知らず唐国の岩倉山にたきぎこりしを」
「はっ?今何と」
日常生活での会話には不自由のない和卿であったが、さすがに和歌の心得まではない。
実朝の呟きを聞いて、時房は実朝の意図をすぐに察したようだ。
実朝は、何やらえらく真剣な表情を作って和卿に言った。
「その話ならば、私も知っている。元暦元年の六月三日の丑の刻に私もそなたと同じ夢を見たのだ。世の人も知らないし、私もよくは覚えてはいないが。前世で私は、唐(から)の国の山の中で薪をきって、仏道修行に励んでいたはずなのだ」
話を聞いていた泰時は唖然となって、隣にいる時房にひそひそ声で言った。
「そんな話、私は御所様から聞いたことありませんよ。何でまた、いきなり御所様はそんな突拍子もないことを」
時房は、相変わらずのほほんとした表情で言った。
「御所様も、騙されたふりをして一芝居打つとは、お人が悪い」
実朝の言葉を聞いた和卿は、ますます感激して涙を流した。
「これぞ、御仏のお導き!」
そんな和卿に対して、実朝は、和卿の手を取って、和卿の瞳を見つめながら言った。
「我が弟子よ!私は、誰も見たことがないような大きな船を造って、それに乗ってそなたと共に故郷の育王山に帰りたいと思う!」
実朝の父頼朝は、策略的な人たらしで有名だったが。実朝は、天然無自覚で、人が自分に寄せる好意には無頓着で鈍感なところがある分、なお始末が悪かった。
「はい!我が師よ!」
和卿は、やけに熱っぽい瞳で実朝の手を握り返し、頬ずりまでし出した。
鈍感な実朝は、「異国の者は感情表現が大袈裟なのだな」とこれまたのほほんと構えていた。
それを見た泰時のこめかみの血管が浮き出た。
「あんな得体のしれない男にいいようにされるなど!」
和卿との面会の後、くどくどと説教を繰り返す泰時に、実朝はややうんざりしていた。
時房が泰時を宥めるように言った。
「前に、太郎に、御所様が、鎌倉を拠点として、宋と直接交易を行い、東国の活性化を図りたいと言われたことがあっただろう。御所様は、それを実行に移したいとお考えなのだ」
時房の指摘で初めて実朝の意図に気づいた泰時は、なお声を荒げた。
「それならそうと、どうして前もってはっきりおっしゃってくださらなかったんですか!」
「状況を見れば、はっきり言わなくても分かるだろうと思って」
要領がよく、勘の鋭い時房ならともかく、堅物で融通のきかない泰時にそれを悟れというのが無理な話である。
その後、実朝は、「自分は大船を造って宋に行く。自分に続いて宋へ行きたいと思う者は名乗りをあげよ」との触れを御家人達に出した。
寝耳に水状態の叔父の義時は、広元を伴って、珍しく声を荒げた。
「勝手に鎌倉を留守にするなど、できるわけないでしょう!突然、何を訳の分からないことをおっしゃるのですか!」
血相を変えて飛んできた義時と広元を前に、実朝は笑いながら言った。
「叔父御も、大官令も落ち着け。何も、船ができてから、本当に、すぐにでも私が宋に渡るというわけではない。まあ、栄西和尚から話を聞いて、いつか行ってみたいとそれくらいの夢は私にもあるが。太郎には、前々から話していたことなのだが。私は、鎌倉を拠点として、宋との交易を行って東国の活性化を図りたいのだ」
若い将軍の未来への希望にあふれる話を聞いた者たちは、我も我もと名乗りを上げ、あっという間に、御所の周りは、興奮と熱気で包まれた雰囲気となっていた。
「面白いではありませんか!船のことならば、我ら三浦にぜひお任せを!」
大いに乗り気になった三浦義村が、楽しげに言った。
「貴殿まで、いい年して、何を寝ぼけたことを言っておるのだ!大船の建造など、いかほどの費用がかかるか分かっておるのか!」
頭を抱えながら、義時は、義村を睨みつけた。
だが、若い将軍は、叔父に対する強気の姿勢を崩そうともしない。
「確かに、大船建造には、多くの費用がかかるであろう。しかし、今後、鎌倉を拠点として宋と直接交易ができれば、経済面でも文化面でも、それにより得られる利益ははるかに大きいはずだ。かの清盛入道の例を見てみよ。大船を造る過程一つとってみても、様々な知識や技術がこの鎌倉にもたらされ、人々の交流が活発となる。未だに多くの荘園を持つ西国に対しても、経済力で坂東が対抗することもできるはずだ。それに、この間、東寺で尊い仏舎利が盗まれるというとんでもない事件が起きたばかりではないか。宋へ使節を派遣して、仏法を学ばせることは王法を守ることにもなるはずだ」
実朝に便乗するように時房も言った。
「京のやんごとなきあたりにも、坂東の底力を見せてやろうではありませんか!」
「将軍自ら大きな志を持っていることを見せる良い機会だ。かの清盛入道に可能だったことが、源頼朝の息子である私にできないということがあろうか?」
「ございません!」
前々から実朝の夢を内密に聞かされていた泰時もまた、実朝に同意した。
しかし、慎重派の年配者である義時と広元は、大船建造のことだけでなく、将軍に物申したいことがあった。
和田合戦以来、据え置きだった実朝が急に昇進したことについて、朝廷側に何か裏があるのではないか。朝廷が関東に余計な干渉をしてきたり、関東が朝廷の言いなりになっては困る。これは俗にいう官打ちではないか。子孫の繁栄を望むなら、父頼朝のように、今の官職は辞退し、武家の棟梁としての征夷大将軍だけにして、年をとってから大将を兼務するべきだ。などなど、慎重派で心配性な義時や広元らは、若い将軍に様々なことを諫言した。
実朝は、この機会に義時らにはきちんと話しておかなければなるまいと思い、話し始めた。
「諫言の趣旨はよく分かる。だが、私は生まれつき体が弱く、もしかしたら実子に恵まれず、それほど長生きもできぬかもしれぬ。母上には、竹姫を御台の猶子とした際にお話したのだが。私は、院様の皇子で御台の甥に当たる冷泉宮様を第一候補として、京のやんごとなきお方に竹姫を嫁がせようと考えている。私に万が一のことがあったときの布石として、私は竹姫の子の系統を後継者候補とすることも頭に入れている」
先代頼家との確執から、頼家の男系を後継者とすることには大きなわだかまりが残る北条にとっても、実朝の候補案は納得できる路線のものだ。そこまで先のことを考えている甥に対して、義時には返す言葉がなかった。
それでもなお心配がちに実朝を見つめている義時と広元に対して、実朝は、努めて明るく言った。
「官打ちか。呪詛それ自体で私がどうこうなるはずもない。ああいうのは、結局、呪詛されているという心の弱さが己を衰弱させるのだ。そんなものを恐れるなど、武勇を誇る坂東武者の名が泣くぞ。院様は豪気なうえに厄介な性格のお方だ。官位も、権威も、もらえるものはもらって、逆にこちら側が利用できるものは利用するくらいの気構えでなくてはやっていけぬぞ」
義時と広元は、やれやれと言った表情でお互いの顔を見た。とうとう慎重で心配性な年配者達も若い将軍の説得に根負けした。
その年の十一月、大船建造計画が決定され、始動した。
翌建保五年、西暦一二一七年。
若い将軍の夢と威光を示すかのように、大船建造は着々と進んで行く。
ある晴れた春の終わりの夕方。実朝は、急に思い立って、御台所倫子を伴って、永福寺へ出かけた。二人きりになった牛車の中で、実朝はぎゅっと妻を抱きしめたまま、妻の頬を撫でたり、唇を吸ったりして、その感触を楽しんでいる。
やがて、カタンと牛車が止まる音がした。実朝は、手を差し出して妻を降ろした後、「さあ、行こう」と促した。
満開の桜の木の下を、実朝と倫子は手をつないで歩きながら、景色を堪能している。
「梅も良いが。満開の桜もまた格別だ。御台には、これを見せたかったのだよ」
そう言って、実朝は、倫子の髪を手にすくいとり、くっついていた花びらごと口に含んでから、その髪に口付けた。
「お船の完成が楽しみでございますね」
微笑む妻に対して、実朝もまた笑みを返す。
「もしも、私が本当に宋に、いやもっと遠い天竺まで行くとしたら、御台も一緒に来てくれるだろうか?」
夫の問いに、倫子は嬉し気に答える。
「御所様と御一緒でしたら、どこまでも」
桜の木の下で、実朝は、愛する妻との甘く幸せな時間を過ごした。
将軍の威光を示すかのように、大船はわずか五か月の速さで完成した。進水式は、海面の水位の上がる日を選んで行われた。
しかし、進水式の当日。人々の期待を背負った大船だったが。由比浦はもともと浅瀬だったことが原因で、船が座礁してしまい、結局大船が浮かぶことはなかった。
「ああ!何てことだ!」
がっくりと肩を落として、一番意気消沈し、さめざめと嘆き悲しんだのは、実朝ではなく、実は義時だった。
当初は大船建造に反対していた義時であったが、元々調子者の性格もあってか、大船が完成に近づいてゆく姿を目の当たりにして、いつになく興奮状態となって大船が完成して浮かぶのを楽しみにするようになり、すっかりその気になっていたのだ。
当の実朝はと言うと、若いだけあって立ち直りも早かった。実朝は、繊細なようでいて、大胆で怖いもの知らずな一面があり、たった一度の失敗で諦めるような気弱な性格ではなかった。
「船を造るよりも、まず、船出に必要な港を整備する必要があったのだな。大船で大きな損害を生じさせた手前、今すぐというわけには行かぬが。いずれ、よい場所を見つけて港を造りたい。できることなら、清盛入道の造った大輪田泊に負けぬ大きなものがよいなあ。まずは、皆の苦労を無駄にせぬためにも、使われた資材で再利用できるものは活用して、船の修理をしなくては」
そう言って、実朝は逆に義時を明るく励ました。
「近習の中から、ひとまず九州へ行かせて、そこから宋へ向かわせてはいかがでしょうか」
自分が行きたそうな期待を込めて言う時房に対して、実朝は少し意地の悪そうな顔をして言った。
「五郎叔父と太郎は、鎌倉を離れられぬ私と小四郎叔父の側で何かと役に立ってもらわねばならぬから、行かれぬぞ」
それを聞いた朝時が、調子に乗って口を挟んできた。
「なら、年齢からいって、北条の代表として儂が行きます!」
「お前のような馬鹿息子が行っても、物の役にも立たぬわ!」
「異国で羽目を外して、我が国の恥となるだけだ!身の程知らずが!」
朝時の言葉に、父の義時と兄の泰時が一斉に異議を唱えた。
「葛山五郎が熱心に異国の言葉を学んでいたな。落ち着いたら、彼にとりあえず九州に出向いてもらうとするか」
「海のことなら、やはり我ら三浦の出番ですな!ご助力いたしますぞ!」
三浦義村も笑いながら実朝の話に乗った。
おおらかで明るい実朝の姿を見て、皆笑っていた。若い将軍は、どんなときも、前へ進んで皆を導こうとしていた。
四
建保五年、西暦一二一七年五月。
普段は、温厚で穏やかな実朝であるが、結構言いたいことをはっきり言うし、強気で図々しい。本気で怒らせて、父頼朝並みの迫力で一喝されたら、ひとたまりもない。自分自身はその対象となったことはないが、泰時や時房ら実朝と親しい関係にある者達は、そんな実朝の性格をよく知っている。実朝にガツンとやられたことのある坂東武者から、実朝は、口うるさい若年寄だの、説教将軍だの、雷将軍だのと揶揄され恐れられていた。
実朝は、自分の師匠的な立場に当たる年上の高僧に対しても容赦がなかった。
寿福寺の高僧行勇が、檀家の争いの一方に肩入れして、実朝に、何とかしてほしいとしつこく言ってきた。それにうんざりした実朝は、広元を通じて行勇に対して言った。
「僧侶ともあろうお方が、世俗のまつりごとについて盛んに口出しされるとは何事か。僧侶にあるまじき行為である。そんなことより、僧侶としての修行をちゃんとするように」
実朝のこの言葉を聞いた行勇は、それを恨んで号泣しながら寺へ帰り、そのまま閉じこもってしまった。
「あれは、さすがに、言い過ぎですよ。御所様」
呆れた顔をした時房に対して、実朝は納得がいかないといった表情で言った。
「私は間違ったことは言ってはおらぬ!」
いくら将軍とはいえ、二十代の若者に、厳しい修行を積んだ高僧が、僧侶としての修行をちゃんとしろと言われたのでは立場がない。泰時は、遠回しながら、控えめにそのことを指摘した。
実朝は、何とも言えないばつの悪い顔をした。
数日後、実朝は、時房と泰時を供にして、行勇のもとを訪れた。
「この前は言い過ぎてしまった、すまなかった」
将軍自ら頭を下げて謝罪の言葉を口にする姿を見て、行勇はますます恐縮した。しばらく歓談の後、実朝は御所に戻ったが。
その後も、実朝は、若い自分が高僧に対して言い過ぎたことを相当気にしていたのか。
広元が「何もそこまでしなくても」と止めるのも聞かず、お守りとして持っていた牛玉を寿福寺に布施として寄進し、御台所倫子も同寺に参詣するなど、何かと行勇を気遣った。
六月。
鶴岡八幡宮の別当だった定暁が亡くなったため、公暁は新しい鶴岡八幡宮の別当となるために、六年ぶりに鎌倉に戻って来た。
「また、大きゅうなったなあ。背丈もとうに私を超えてしまったようだ」
そう言って、実朝は、懐かしそうに公暁を見つめて、公暁が鎌倉を離れた時と同じように慈愛に満ちた表情で公暁の肩を強く抱きしめた。その様子を、祖母の政子、御台所倫子、倫子の猶子となった異母妹の竹姫が、女同士打ち解けた様子で微笑ましく見守っていた。
しかし、家族の団らんそのものといった光景が、あまりにも眩しすぎて公暁には直視できなかった。
(この人たちの優しさに嘘はないはずなのに。そこに俺の入っていく余地などない。どこにも、俺の居場所などありはしない)
心にぽっかりと穴の開いた公暁は、甥の肩を抱く若い叔父の姿をぼんやりとした瞳で見つめ返した。
実朝は、公暁の沈んだような表情がひどく気になっていた。園城寺での公暁の荒んだ生活状況を知った実朝は、鎌倉から外に出したことをひどく後悔した。
(私が、御台や母上、多くの者達の愛情に囲まれて過ごしている中、あの子は、どれほどの孤独を抱えて暮らさなければならなかったのか。兄上と北条との確執を思えば、あの子を後継者にすることはできない。仏に仕えるしかあの子に道はないのだ。私とは真逆の道を歩むことを運命づけられたあの子に、私が中途半端な同情を示せば、かえってあの子を傷つけるだけだ)
結果として兄を廃して就いた、自ら望んだわけではない将軍の地位。それでも、実朝は己の責務を果たそうと懸命に努力してきたつもりだった。
だが、自分の地位は、多くの犠牲のうえに成り立っているのだという事実を認識するたびに、実朝はひどい疲れを感じずにはいられなかった。実朝には、己自身の血筋を残すことに対するこだわりも、将軍の地位への未練もない。
(そろそろ、潮時ではないのか。誰かにこの地位を譲って、少しだけでいい。心の重荷をおろしたい。それは、許されぬわがままだろうか)
そう思った実朝の中で、残された後継者問題に対して、ある案が浮かんできた。
院の皇子冷泉宮頼仁親王の御息所として、京に実朝の姪の竹姫を嫁がせ、その系統を後継者候補として確保する。万が一の場合に備えて、その路線を頭に入れておいた実朝であったが。それならば、いっそのこと、竹姫の婿として親王を鎌倉に呼び寄せて、実朝の後を継がせ、自分は京の院のように隠居して大御所となり、親王の後見をつとめるというのはどうか。
「院様の皇子を鎌倉に呼び寄せるなど、なんと恐れ多いことを」
母政子は、実朝の突然の提案に、言葉も出ない様子だった。
「坂東のことを何も知らない親王様に、鎌倉殿が務まりますのか。これを機に朝廷の余計な干渉が増えたらいかがなさいますのか」
まくし立てる広元に対して、実朝の説得は続く。
「私が大御所となり、そなたら重臣達がこれまでどおり、補佐していくという体制は変わらぬ」
義時も、懸念を口にする。
「御所様はまだお若い。この先、御台所との間に御子がお生まれにならないとも限りますまい。その時、親王様と竹姫様との間にも御子がお生まれになっていた場合、いかがなさいますのか」
実朝は、一息ついて、落ち着いた様子で叔父に対して答えた。
「その場合には、当然、親王様と竹姫の系統が次の将軍家の血筋となる。私と御台の子が姫ならば問題ないが、男子ならば、僧籍に入れるか、京の公家に養子に出すか。それは、叔父御と北条にまかせようと思う」
「そこまで、お考えならば、そのとおりにいたしましょう」
重臣達はやっと折れたが、義時はそれでも心配そうに言った。
「ですが、一番の問題は、院様が承諾してくださるかです。一体誰がそんな恐れ多い交渉事をまとめられるというのか」
それに対して、実朝は、母政子の方を見つめて笑いながら言った。
「何も、最初から直接院様と話をするわけではないのだから。母上、来年あたり、また熊野詣でもされたらいかがですか。そのついでに、京に立ち寄って、院様の乳母の卿二位殿あたりと世間話でもして来られたらいい」
実朝の言葉に、政子は仰天した。
「この母に、そんな恐れ多い話をまとめて来いというのですか!」
「何かと図々しくて抜け目のない五郎叔父あたりをお供にすれば安心でしょう」
何でもないことのように言う息子に対して、政子は卒倒しそうになった。
(全く、御所様は、相変わらず怖いもの知らずなお方だ)
義時は、母子の様子を苦笑しながら見つめていた。
後継者問題の見通しがつきそうで安心した実朝は、御台所倫子と母政子らと共に、鶴岡八幡宮へ流鏑馬を見に行ったり、永福寺に舞楽を見に行ったりなどして、家族団らんの時間を過ごした。
「今日も楽しゅうございましたね」
「兄上様も御一緒だったらよかったのに」
「本当にねえ。公暁もこちらに戻って来て、これからはいつでも会える場所にいるのだから」
「修行に専念したいからと断られてしまったのですよ」
実朝はごまかすような作った笑顔で答えた。
実朝が妻と母と姪に言ったことは嘘ではなかった。孤独を抱えたまま自分の殻に閉じこもり気味な公暁を気遣って、実朝は公暁にも声をかけたが、公暁はそれを受け入れなかった。
三浦の領地へ出かけた際、実朝は海辺の月を見つめながら、公暁の後見人である義村に公暁のことを話した。
「家族や保護者と離れて、寂しい少年時代を過ごしたあの子に対して、今更家族だからとその輪に入るように勧めたことも。家族が打ち解け合っている姿を目の当たりにすることも。今のあの子にとっては辛すぎるのだろう。私の存在それ自体があの子を傷つけているのかもしれない。私はあの子に何もしてやれない。どうか、私の分まで、あの子のことを見守ってやってほしい」
「若君にも、いつか、御所様のお心が通じる日が参りましょう」
憂いがちな実朝を気遣うように義村は言った。
その年の暮れ、実朝は、方違えのために行った永福寺の僧に、次のような歌を贈った。
春待ちて霞の袖にかさねよと霜の衣の置きてこそゆけ
霞のような春着と、霜がおりたような粗末な小袖とをお礼に置いてゆきます。春を待っている間、二枚を重ねて着てください。
実朝の優しい心根を偲ばせるような歌である。
だが、この歌を贈られた僧とは違い、望まずして大人の都合で仏に仕えることを余儀なくされ、孤独な生活を送って来た公暁には、暖かな衣を差し出されること自体辛すぎて拒絶するしかなかった。
鶴岡八幡宮の公暁のもとに、異母妹の竹姫に、やんごとなき婿を迎えて、次の将軍候補とする、どこからかそのような噂が入って来た。
(誰からも必要とされず。俺は、何のために、何をしに鎌倉に戻って来たのだ)
若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏がじっと公暁を見つめている。
広く強く優しい心。美しく高貴な妻との一途なまでの愛。家族の暖かな情愛。公暁には決して手に入れることのできないものを手にし、多くの者に慕われ華やかな場所で光り輝いている若い叔父実朝。自分と叔父との決定的な差に気づいたときに、公暁の運命はすでに決まっていたのかもしれない。
公暁の中に、さらに新たな闇が生まれていく。公暁は、目の前の仏に対し、呪いの言葉を繰り返し、その仏の面差しによく似た若い叔父を心の中で何度も殺すようになっていく。
五
建保六年、西暦一二一八年。
その年に入って間もなく、実朝は権大納言に任官。院の皇子を実朝の次の後継者として迎える策を実現するため、計画が実行に移されようとしていた。
二月四日。尼御台政子は、弟の時房を供に、表向きは熊野詣という触れ込みで、院の乳母で、頼仁親王を養育している卿二位兼子との交渉のため、京へ向かった。
「母上、お気をつけて。五郎叔父、いろいろと頼んだぞ」
「お任せください!御所様!」
実朝の言葉に、時房ははりきっていたが、政子の方は、皇子推戴の交渉という自分に課された任務の重さ、あまりの恐れ多さに、緊張した面持ちを隠せなかった。
その頃、朝廷である面倒な事件が起きた。西園寺公経と大炊御門師経との間に、官職を巡る争いが起き、公経が院に官職をせがんだが、院がこれを断ったので、公経が縁戚関係にある実朝に仲介を頼むといった趣旨のことを言ったため、公経は院の怒りを買って謹慎させられたのである。実朝は、院と公経との間に入って取りなしをしたが、このことで、叔父の義時らは、院と実朝との間に隙間風が吹き、交渉に悪影響をもたらすのではないかとひどく心配した。
「母上と五郎叔父の苦労を無駄にするわけには行かない。弱気な姿勢を見せてはならぬ」
実朝は、自分自身の大将の任官につき、広元を使者に立てたが、数日後、右大将ではなく、必ず左大将に任命してくれるようにと、念押しするかのように再度使者を立てた。あくまで、朝廷に対して強気な姿勢を崩そうとしない実朝に対し、広元と義時はますます心配になった。
「図々しすぎではありませんか。院様を怒らせたらどうするのですか」
怖い者知らずな若い甥を案じた義時の発言に、実朝は笑って言った。
「いや、これくらいがちょうどいいのだ。五郎叔父の図々しさと抜け目のなさは大いに見習わなければな。院様は、豪気なお方だ。ささいなことを根に持つようなお方ではなかろう」
義時らの心配をよそに、院と実朝との間には、今のところ、それほど大きな波風は立っていないようだ。
母政子と時房は無事重大任務を終えて鎌倉に帰ってきた。
政子は、院の格別のはからいで従三位の位を授かり、この時正式に「政子」と名乗ることになる。鎌倉では、将軍の母として大変敬われ重きを置かれていた政子であるが、出家した無位の女性に、公卿に相当する位を授けられるのは破格のことだった。
時房もまた、得意な蹴鞠を通じて院から格別のお言葉を賜った。
これらは、卿二位兼子と尼御台政子との間でなされた親王を鎌倉へ迎える話を院が内諾したことを意味していた。交渉は成功に終わったのである。
「母上、本当にお疲れさまでした。都人は、一見優しいように見えて、底意地の悪い人が多いと聞いておりましたから。心配しておりましたよ」
母を気遣う実朝に対し、政子は勝気な笑みを見せて答えた。
「この母とて、御所の父上の上洛の際に、それなりに経験しておりますからね。恐れ多くも院様からご体面のお許しがありましたが、『私のような田舎の尼が院様にお会いするなど恐れ多い』と言ってご遠慮したのですよ。おかげで、立ち振る舞いについて、田舎者よと馬鹿にされずにすみました」
「母上も、なかなか強かなお方だ」
母子は笑い合った。
実朝は、御台所倫子も呼んで、時房に都の様子を話すよう促した。
「しきたりも何も分からないので困っていましたが、そのことを御台様のおいとこの尾張中将様にご相談申し上げたら、何かとご親切にしてくださいました」
倫子も、京の縁者の者達の話を嬉しそうに聞いていた。
時房は、興奮しながら、実朝に対して、自慢話を続けていく。
「何と、院様が、私の蹴鞠をご覧になりたいと内々におっしゃって、梅宮大社で私の蹴鞠をご覧に入れたのです!院様は、宮中でも、御簾をお上げになって、何度も私と息子の蹴鞠を御覧くださったのです!『呑み込みがうまくてたいしたものだ』とお褒めの言葉までいただいたのです!」
「それは何とも羨ましいことだ。五郎叔父の蹴鞠が大いに役に立ったな」
上機嫌の時房に対して、実朝もまたひどく喜んで答えた。
実朝は左大将に任じられ、六月に鶴岡八幡宮での左大将の直衣始めの儀が行われた。
この時、三浦義村が、同僚との席次を巡ってちょっとした騒動を起こした。席次は、義村の方が上席の左で、長江明義の方が下座で右となっていた。長幼の序を重んじ、年配者を立てようとした義村はこれに異を唱えた。
「長江殿は、一族の御長老です。私が上席となるわけには参りません」
「何を言われる。三浦殿は、官職をいただいており、三浦殿こそが左に並ぶべきです」
長江明義は、義村の義理堅さに恐縮しながらも、あらかじめ決められていたことを覆すわけには行かないとこちらも譲らなかった。三浦と長江がどちらも引かなかったため、出発の時間は大幅に遅れてしまった。
「どちらも頑固で、引こうとせず、大事な儀式に支障が生じてしまいます!」
呆れた二階堂行村が、実朝に事態を報告した。実朝は、二階堂、三浦、長江それぞれの顔を立てた。
「自分の方が先にと争ったわけではないのだ。互いに譲り合う心は美しい。ただ、大事な儀式の進行をこれ以上遅らせるわけにはいかない。三浦はまだ若いが、長江は年配者なのでその機会もないかもしれない。ここは、長江が上席で、子孫への誉れとするがよい」
実朝のいうとおり、長江が上席となり、儀式は無事進められた。
実朝にとって、院は敬愛すべき人ではあったが、根が単純な坂東の者達とは違って、やはり油断のできない部分があり、警戒を怠るわけにはいかなかった。
八月。広元の息子時広が、朝廷に仕えるために京へ上りたいと二階堂行村を取次ぎとして、実朝に申し入れてきた。せっかく皇子を鎌倉に迎えるための交渉がうまく行っているこの時期に、重臣の子息が今京に出向いては、朝廷に取り込まれることになりはしないか、逆に広元親子に何か裏があるのではないか、そこまで勘ぐった実朝は、時広の申し入れに不機嫌を隠せなかった。
「鎌倉では出世できないと思って、京へ上りたいと思っているのであろう。鎌倉のことを蔑ろにするとは、何という不忠者か!」
二階堂行村が、いらだった様子の実朝の言葉を伝えると、時広は行村に必死に弁明した。
「私は、京のことばかりを考えて鎌倉を蔑ろにしているわけでは決してありません。朝廷での務めを終えたならば、必ず鎌倉に戻って来て日夜忠勤に励みますから。そう御所様にお取次ぎください」
しかし、行村もまた、実朝の剣幕に恐れをなし、そのまま引き下がってしまった。時広は、将軍の叔父である義時に何とかしてくれと泣きついた。
(何が原因かは分からぬが、御所様の雷がさく裂したな)
普段は温厚な実朝であるが、意外と怒りの沸点が低い面があり、実朝を本気で怒らせたら父頼朝並みに恐ろしいことをよく知っている義時は、時広のことをあわれに思い、実朝に取りついでやった。
義時が、時広の事情を伝えたところ、実朝は、時広の京行きを許した。
「言い過ぎた私も悪かったが。時広も、事情があれば、直接私に言えばよいではないか。何故、そんなにびくびくするのか。あのような様子で、伏魔殿のような朝廷でやっていけるのか」
実朝の言葉に、義時は苦笑した。
九月。
実朝が、泰時ら近習達と夜間、御所で和歌の会を開いていたときのこと。
鶴岡八幡宮である騒ぎが起きた。ある若い僧と少年が月を楽しみながら歩いていて、それを見とがめて見張りの者が注意をしたところ、その見張りの者は、その若い連中に暴行を受けてしまったのだ。詳しく調べると、その若い者達の中には、公暁付きの近侍の少年で、公暁のめのとをつとめる三浦義村の息子駒若丸が含まれていた。
息子の不祥事を知った義村は、すっ飛んできた。
「このたびは、不祥の息子がとんでもないことを。お詫びの申し上げようもございません」
恐縮しながら、ひたすら頭を下げて謝罪する義村に対して、実朝は言った。
「駒若丸はまだ子どもだ。この一件は、主人である公暁の責任も大きい。公暁の心の乱れが、下の者にも良からぬ影響を与えたのだ。あの子の心情を慮ってあまりうるさく言わぬようにしていたが、上に立つ者の心構えについて、厳しく申し渡さねばなるまい」
「仰せはごもっともなことなれど。今の若君は、お心がひどく弱っておられるように思われます。どうか、今少しのご宥恕のほどを」
義村は、このたびの駒若丸の不祥事に加えて、精神的に不安定な状態にある公暁の様子に、保護者としての責任を感じずにはいられなかった。義村の心痛を察した実朝は、ひどく心配気な様子で、義村に今の公暁の様子を尋ねた。
「大丈夫なのか、あの子は。引き籠って、人と会うことも話をすることも拒否していると聞いているが」
「今の若君は、誰にもお心を開こうとなさいません。中には、恐れ多くも、若君が御所様を呪詛しているのだと噂する者までおります。私も、どうしたらいいのか……」
「そなたも、あまり思い詰めるでないぞ。恐れ多くもやんごとなきあたりが、官打ちで私に呪詛をかけていると噂する者さえいるが。私はこのとおり、何ともない。呪詛それ自体が直接の原因で、本当に人がどうこうなるはずもない。あの子が、仮に私を呪っていたとしても、それであの子の気が済むのなら、それでいい。そっとしておいてやろう」
悲痛な面持ちで答える義村を気遣うように実朝は言った。
十月。実朝は、内大臣に昇進し、母政子には従二位が授けられた。いずれも、親王を次の後継者として迎えるに際して格式を整えるための院の気遣いであり、実朝への院の信頼の証でもあった。
十一月。実朝の和歌仲間で、東重胤の息子胤行が、領地に帰ってなかなか帰って来なかった。実朝は、まだ少年だった時代に、父重胤の振る舞いに癇癪を起こして、叔父義時に諫められたことを懐かしく思い出した。
恋しとも思はで言はばひさかたの天照る神も空に知るらむ
そなたのことを恋しいと思ってもいないと言ったならば、天照大神も空で嘘を御知りになって天罰を下されるだろうよ。
そう言って、実朝は、恋の歌になぞらえて、父親と同じようにうっかりして連絡を寄越すのを忘れるなよと言った趣旨の文を胤行に送った。
恐縮した胤行は、さすがに父と同じ二の舞は踏まず、きちんと文を寄越した。
また、その頃、昨年座礁してしまった大船の修理が完了した。
「修理したら、当初より随分と小回りなものになってしまったが。私は、諦めたわけではないぞ」
力説して言う主君に対し、近習の葛山五郎景倫も笑って頷いた。
「存じております。私も、この時をどれほど楽しみにしていたことか」
「親王様をお迎えして、私が大御所になって少し身軽な身になったならば、御台と一緒に京へ行って、様々な方々とお会いして和歌の話などをしてみたいものだ。それどころか、私自身が宋の国へ行くことも本当にかなうかもしれぬ。そなたは、一足先に博多に行って、かの国をじっくりと見て来てくれ」
そう言って、実朝は、景倫を旅立たせた。
十二月二日、九条良輔の薨去により、実朝は、ついに右大臣となった。摂関家の出身でもないまだ二十代の若い武家の棟梁が、京に在住することなく、坂東にいたまま右大臣という貴職につくのは、異例のことであったといってもよい。院の皇子を後継者に迎えるため、そして何より院の実朝への深い信頼の表れに他ならなかった。咲き誇る花のように、実朝の権勢は今ここに極まっていた。
一方で、引き篭もり、荒んだ生活を続けている公暁の良くない噂は広がっていくばかりだった。鎌倉が、朝廷の重要な使者を迎えようとしている大事な時期でもあった。保護者として、もはやこれ以上黙っているわけにはいかないと考えた三浦義村は、無理やり公暁に面会して、厳しく諫言した。
「いい加減になさってください。若君はいつまで、このような荒んだ生活を続けるおつもりなのですか。中には、若君が、御所様を呪詛しているなどと、心ないことを申す者さえいるのです。これらはすべて、若君の普段の生活態度が原因ではありませんか」
義村の言葉に、公暁は、ぼんやりと虚空を見つめながら、乾いたような笑いを浮かべて言った。
「それが本当だったら、叔父上はどうされるのだろうなあ」
「御所様は、『呪詛されたことが直接の原因で、私が死んだりすることはないよ。あの子の気が済むのなら、それでよいではないか。そっとしておいてやれ』とおっしゃっておられます。若君は、一体、いつまで、叔父君のお優しさに甘え続けるおつもりなのですか」
義村の言葉を聞いて、公暁の心は完全に壊れた。
(やはり、叔父上は、何もかもお見通しなのだ。叔父上は、誰よりも強く、恐ろしい。俺が呪ったくらいで、それを恐れて衰弱して死ぬような人じゃない)
このとき、公暁は、今度こそ、確実にやれる方法で、己自身の手によって叔父を葬ろうと決心した。
叔父は若くしてついに右大臣という地位にまで上り詰め、親王を鎌倉に呼び寄せる準備が着々と進んでいる。そうなれば、自分の出る幕などどこにもない。もはや、自分の居場所はどこにもなく、捨て去られるのみ。
多くの者に慕われ、自分が決して手に入れることのできないすべての物を手にし、華やかな場所で眩しいばかりに輝いている叔父。その叔父をこの手で抹殺して初めて、自分は全てを手に入れて、解放されるのだ、公暁はそう思った。
翌年には、実朝の右大臣昇進を祝う鶴岡八幡宮での拝賀の儀式が控えており、院から、装束や車などの豪華な贈り物が届けられた。
それに合わせて、式次第などの具体的な調整が進められていく。その際に、左大将の直衣始めの儀で儀式を遅らせるという失態に加え、息子の暴行事件という不祥事に対する責任から、このたびの儀式に、三浦を参列させることが問題視された。
実朝は、義村にすまなさそうに詫びた。
「長男の朝村を代理とする参列は認めるが。そなたにはまことにすまないことになった」
「もったいないお言葉にございます」
義村は、主君の気遣いに頭を垂れた。
年の暮れる日の夜、実朝は、愛する妻の柔肌の温もりの中で眠りについた。
「待ちなさい!千幡!」
「男のくせに、逃げるな!千幡!」
「ととさま、ととさま!助けて!怖いよう!」
おっかない兄頼家と次姉三幡に追いかけられて、幼い千幡は泣きながら御所中を逃げ回り、必死で大好きな父の名を呼ぶ。そうすると、父は、いつだって、頬ずりをして頭を撫で、千幡を優しく抱き上げてくれる。
千幡が、梅の一枝をもって御所の庭を歩いていると、千幡よりもまだ小さい男の子が泣いていた。
「ととさま!ととさま!」
幼い男の子は、千幡と同じように、必死に父の名を呼んでいるが、その子の父はなかなかその子を迎えには来てくれない。
「ねえ、泣かないで」
千幡が、梅の一枝をその子にあげて、その子の涙を拭いてやろうとしたとき。その子の父がやって来た。
「余計なことをするな!そのような軟弱者は、朽ち果てていくが定めよ!」
声の主は、兄頼家だった。
「ひどいよ!にいさま!善哉は、まだこんなにちっちゃいのに!」
兄の言い方が悲しくて、泣き止まない善哉と一緒に千幡も泣き出してしまった。
夢から覚めた実朝は、泣いていた。
「御所様?何か、怖い夢でもご覧になられましたか?」
ひどく心配気に、妻の倫子が実朝をぎゅっと抱きしめる。実朝は、その温かさに安堵しながらも、涙が止まらなかった。
公暁には、実朝のように、無条件に己を抱きしめてくれる優しい父も妻もいなかった。慶賀を祝う雰囲気の中、一人孤独な公暁だけが闇を抱えたまま、年が明けていった。
六
建保七年、西暦一二一九年。
年が明け、実朝と御台所倫子は、手をつないで、御所の庭の梅林を散策していた。まだ、ようやくぽつぽつと花を咲かせ始めた木がほとんどであったが、それでも新しい春の訪れが感じられた。
「御覧になって、御所様」
倫子は、梅の木の下でじゃれ合っている愛犬の飛梅と久米を見つけていった。
「ふふ。あちらも仲良しだ」
実朝も微笑み返して言った。
飛梅と久米は、夫婦となって、白雲、白珠、白露、白波、白雪といういずれも飛梅譲りの真っ白な子犬をもうけていた。
「御所様にお願いして一匹いただこうかな」
時房は、子犬達とたわむれながらのんびりと言った。
「儂は白雪にしようかな。久米に似て一等の別嬪じゃ」
「父上、それは白珠です。というか、全員雄ですから」
「違うぞ、太郎、それは白露だ、憂いがちで儚げな風情をしているだろう?白珠の方はもう少し瞳が大きいこっちだ。白雪は、雪玉のように少しふっくらしている。白雲は、やや目つきが細い感じがたなびく雲のように見える。白波は、やや上がり目で、よく見ると額の辺りに波のような小さい筋がある。それぞれの特徴を踏まえてそれに合った名前を御所様がつけられたんだ」
「こんなにそっくりなのに、よく間違えませんね」
「儂も全然見分けがつかんぞ」
正確に指摘する時房に泰時と義時は唸るように言った。
穏やかな時間が流れている御所とは裏腹に、鶴岡八幡宮のある部屋の中では、暗雲が立ち込めていた。薄暗い部屋の中、公暁は、確実に自分の駒となって動く屈強な体格をしたわずかな僧兵たちを前に、燃えたぎるような憎しみを瞳に浮かべて計画を練っていた。
右大臣拝賀の儀式が行われる鶴岡八幡宮は、同八幡宮の別当である公暁の管轄領域であり、己の庭のようなものだった。前年の左大将の儀式の際に、一行がどのような行動をとったのかについての情報もすでに入手している。警備が手薄になる時間と場所も分かった。
仏に仕えることを余儀なくされた公暁は、大規模な独自の軍を持っておらず、叔父実朝のように命令一つで兵を集めるだけの力も人望もない。事前の情報漏洩には細心の注意を図らなければならなかった。めのと一族である三浦に事前に決起を促したとしても、実朝に忠誠を誓っている義村が公暁に従うはずがないことは分かり切っている。側近の白川義典を伊勢神宮の奉幣使の名目で立たせ、ことが成就した時に備えて、西国の寺社の縁者と連絡を取る、公暁が打てる布石はせいぜいそれくらいだった。
極めて不安定な精神状態にある公暁は、もうどうにもならないところまで追い詰められていた。公暁が決して手に入れることのできないものを持っている叔父実朝。たとえ、公暁自身がすべてを失ったとしても、叔父のすべてを奪ってしまいたい。右大臣拝賀という鎌倉でこれまでにない最も華やかで重要な儀式の最中に、叔父のすべてを壊して、人々を地獄に陥れる。唯一それだけが、今の公暁にとって、己を開放して楽になれる方法だった。
右大臣拝賀の日の数日前。御台所倫子の兄、大納言坊門忠信が京から鎌倉にやって来た。倫子が久方ぶりに兄と語り合った後。妻と寝所で二人きりになった実朝は、翡翠の数珠を手に持ったまま、妻を抱きしめて言った。
「御台は、京が恋しい?」
夫の問いに、倫子は少し考えてから答えた。
「生まれ故郷ですから、懐かしくないと言えば嘘になります。けど、今も、これからも、御所様がおられるところが、私のいる場所です」
実朝は、翡翠の数珠ごと妻の手を強く握りしめた。
「私が京に行ったのは、一度だけだ。それも、とても幼かったから、ほとんど覚えていない。今となっては、はっきりと覚えているのは、数珠をとりかえっこした小さな女の子だけだ。大御所になって、少し重荷を降ろすことができたなら、今度は御台と一緒に、もう一度京へ行ってみたいものだ」
倫子は夫の手を握り返して、微笑んだ。
「御所様と御一緒なら、私はどこへでもお供いたしますわ。九州だって、からの国だって、天竺だってついて参ります」
「ありがとう、御台。もう少し待っておくれ。そうしたらきっと……」
その夜、実朝はそのまま、愛する妻と二人、押し寄せてくる内なる波に流れを任せたまま、夢の国へとたどり着いた。
右大臣拝賀の日の当日。実朝と倫子は、御所の庭で、降りしきる雪の中で咲き誇る梅の花を共に眺めていた。
倫子がそっと紫水晶の数珠を懐から取り出した。
「綺麗だ」
そう言って、実朝は、紫水晶の数珠ごと妻の手を握りしめ、うっとりとしたような表情を向けたまま、妻に口付けた。
「それなら、とりかえっこしましょう」
倫子が微笑んで実朝に言葉を返すと、実朝もまた懐から翡翠の数珠を取り出した。
「帰ったら、またとりかえっこだ」
実朝は笑って、さっきよりも深く妻の唇を吸った。
暗闇の銀世界の中、あちこちに松明が掲げられていて、鶴岡八幡宮の中は何とも神々しい雰囲気があふれていた。
「このように、目が弱くなって、立派な右大臣様のお姿を目にすることができないとは」
老臣大江広元は、若い将軍の晴れの日に感激して涙を流していた。
「赤ん坊の時以来泣いたことがないと言われる大官令の涙を拝める日が来ようとは」
茶化すような実朝の言葉に、広元は、ますます涙を流して言った。
「きっと、素晴らしく立派なお姿なのでしょうな」
「それはもう。我ら自慢の鎌倉の右大臣様ですから!」
義時は、いつになく誇らしげな顔で答えた。
鶴岡八幡宮の中門にたどり着いた頃、急に義時の顔色が悪くなったのに実朝は気づいた。
「いかがした、叔父御」
心配そうに声をかける実朝に、義時は、面目なさそうな顔で答えた。
「この寒さで冷えたのと、大事な儀式で失敗でもしたらと緊張したせいか、ちと腹具合が悪くなってしまって、震えがとまりませんわい」
「それはいかんな」
実朝が心配して叔父のそばへ駆け寄ろうとしたところ。
「ワンワン!!」
雪の中を紫色の首紐を巻いた飛梅が、大声で吠えながら走って来た。
「飛梅。お前、こんなところまでついてきていたのか!」
実朝は呆れたように言った。
周り一面雪景色の中、白い犬が一匹行列の後を追いかけてきたとしても、保護色に隠れて誰も気づかなかったか、気づいたとしてもそれほどたいして気にとめるほどのことでもないと思ったのだろう。
「忠犬殿も、ご立派な右大臣様のお姿をこの目に焼き付けておきたいのでしょう」
義時は目を細めながら言った。
なおも、寒さでぶるぶると震えながらしぶり腹をさすって堪えている義時に実朝はさらに気遣いように言った。
「今夜は特に冷える。ここは仲章に代わってもらった方がよかろう」
「大事な時に、本当に申し訳ございません、御所様」
恐縮しながら言葉を返す義時に対し、実朝は首を軽く横に振って明るく笑った。
「留守番だと言ったのに、仕方ない子だね。お前もここで、しばらく待っていなさい。それではな、叔父御、飛梅。行って参る」
それが、若い甥と義時とが交わした最期の言葉となる。実朝は、闇夜の銀世界を先に進んで行った。
実朝と京からやって来た公卿、文官達とわずかな供しかいない静まり返った空間。そこに、若い男と数人の僧兵たちが突然押し寄せてきた。
「おのおの方、早く逃げられよ!」
異変を察知した実朝は、そう叫んで、武家の棟梁らしく、毅然としたまま、恐怖で震える殿上人達を先に逃がした。
白い頭巾をかぶった若い男が、実朝に刃を向けて攻撃してきた。実朝は、それを持っていた笏で防ぎながら、文官らしき男を目で追い、「そなたも逃げよ!仲章!」と叫んだ。
源仲章らしき男は、一瞬の隙をつかれて、僧兵に斬られた。
実朝に太刀で向かって来た若い賊の男は、仲章の顔を確認した後、「しまった!義時ではなかったか!」と叫んだ。
その声に、実朝は聞き覚えがあった。甥の公暁だった。
「お前らは、我が父の仇だ!」
狂ったように叫んで歪んだ顔を向ける甥を見て、実朝は全てを理解した。心を閉ざしてしまった甥の様子を義村から聞いていた実朝は、いつかこんな日がくるかもしれないと心のどこかで感じていた。
父頼朝を始めとして慈愛に満ちた大人たちに囲まれ、成長してからも、辛く悲しいことの連続であったが、妻倫子を始め多くの者に支えられて生きて来れた自分とは違い、この子は本当に一人ぼっちだったのだ。皆にはすまないと思うが、この子の怒りの刃をそのまま受け止めてやる。それだけが、きっと今の自分が寂しいこの子にしてやれる唯一のことなのだ。実朝はそう思った。
「ととさま!ととさま!」
必死に泣いて父を求める幼い善哉に、父頼家は冷たく言い放つ。
「お前のような軟弱者は、我が子にあらず!とっとと朽ち果てて死んでしまえ!」
公暁の脳裏に、父頼家の声が繰り返し聞こえてくる。
公暁は、叔父に向かって再び刃を向けた。歳の変わらぬ若い叔父は、雪の中で綻ぶ紅梅のように静かに優しく笑い、今度は抵抗することなく、公暁の刃をそのまま受け止めた。実朝が懐にしまっていた、愛する妻から預かった紫水晶の数珠が切れて、パラパラと白い雪の上に零れ落ちていく。
実朝は、甥を抱きしめるかのように、両の手を広げて、最期の言葉を吐いた。
「善哉、お前はよい子だ」
それは、公暁がとうに捨てたはずの名だった。
「ああ!!」
絶叫した公暁は、叔父の首を掻き切った。やっと、本当の仏の首を手に入れた、これで自分は解放される、そう思った公暁は、実朝の首を頬ずりして抱きしめながら、大音声で叫んだ。
「源頼家が遺児、阿闍梨公暁。親の仇を取った!ただいまから、我こそが大将軍なり!」
寒さで震える義時に、飛梅は毛皮で覆われた体をくっつけるようにして寄り添っていた。
「忠犬殿は温かいな」
義時と飛梅は、共に主人の帰りを待っていた。
どれくらいの時間がたったであろうか。一面の雪景色の中、人間の耳には聞こえぬであろう不穏な音を飛梅は耳にした。それは、遠くから聞こえるキーンという金属音と若い男の叫び声だった。
「どこへ行くのだ!」という義時の声を無視して、飛梅は、突然走り出して、主人が向かった先に一目散にかけていった。
飛梅が見たのは、首のない主人の遺体だった。血の匂いを嗅いで主人であることを確認した飛梅は、クーンと主人に甘えるような声でないてみたが、主人は何も答えてくれない。飛梅の主人を殺害した犯人はもうその場にはいなかった。
飛梅は、大声で吠えたてながら、中門の方へ走って行った。義時のもとへかけて行った飛梅は、怒りを隠せぬように吠え続けた。やがて、義時のもとに、将軍が公暁に討たれ、公暁とその手下らが逃亡してその場を立ち去った旨の報告がもたらされた。
頭が真っ白になり、放心状態の義時は、目の前で何が起こったのか全く理解できないままだった。義時がはっきりと理解できたのは、異常なほどに吠えたてて何かを伝えようとする犬の声だけだった。
「父上!父上!」
泰時が、義時の体を強くゆすぶっても、義時は、焦点の揃わぬ両目で空の闇をぼんやりと見つめて何の反応も示そうとしない。泰時は、父に代わって、逃亡した公暁一味を追うようにとの指示を飛ばした。
義時は、いつの間にか自分の屋敷に戻っていたが、どうやってここまで戻って来たのかまるで記憶がなかった。
左大将の直衣始めの儀での失態と息子の暴行事件の責任を取って、このたびの儀式の参列を遠慮して自分の屋敷にとどまっていた三浦義村のもとに、突然公暁の使者だと名乗る僧兵が、公暁が将軍を討ったことと、公暁が東国の大将軍であるから、三浦はそれに従うようにと言って来た。
義村は、我が耳を疑った。心を閉ざし、精神状態が不安定だった養い子が、まさか本当にこのような恐ろしいことをしでかしてしまったというのか。
(嘘だろう!嘘に違いない!)
そう思った義村は、公暁の使者だという僧兵をその場で直ちに切り捨てた。同時に、切り捨てた僧兵の言ったことが本当だったらどうするのか。義村は、もたらされた報告が嘘であってほしいと願いながら、北条義時の屋敷に使いを出した。
義時は、自分の屋敷に戻っても、相変わらずぼんやりと虚空を見つめているだけだった。衝撃が大きすぎて、現実を受け入れるのを心が拒否しているに違いなかった。
やがて、義時の屋敷に三浦義村からの報告がもたらされた。使者を寄越した主人の動揺そのままに、三浦の使者もまた相当動揺していた。
思考が止まった義時は、一言も発せない状態のままだった。やっとのことで、何か重大事が起こったらしいと認識した義時は、ぽつりと言った。
「御所様にお伝えしなければ」
「父上!父上!しっかりしてください!その御所様が、謀反人公暁に討たれて亡くなられたのです!」
義時は、息子が何を言っているのか分からないと言った表情をしていたが、やがて、暗闇の空を見上げて泣き叫んだ。
「儂が御所様を殺したようなものだ!あの方は、儂の罪をすべて一人で背負って逝かれてしまった!」
目を真っ赤にして涙を堪えている泰時は、気力を振り絞って父に言った。
「父上、今は泣いている場合ではありません。謀反人公暁を討つように、直ちに三浦に指示を出されますよう!」
義時は、ぎゅっと固く目を閉じて開けた後、意を決したように、謀反人公暁を討つべしとの命を発した。
三浦に送った使者がなかなか戻ってこないことに痺れを切らした公暁は、実朝の首を抱えたまま、少数の僧兵を従えて、三浦の屋敷に向かった。その途中で、義村の兵が公暁らを出迎えた。三浦の追手を全力で蹴散らした公暁だったが、多勢に無勢だった。
「御所様は、あなた様の叔父君は、皆の希望だった!そのお方を討った謀反人に、まことに皆が従うと思われたのですか!若君!」
耐えられないといった悲痛の表情で養い子に問いかける義村に対し、公暁は叫んだ。
「俺は、叔父上とは違っていつもずっと一人だった!叔父上のようになりたくてもなれぬのに、叔父上のような立派な人間になれと言われ続けた俺にとって、それがどれだけ苦しいものだったか。お前には決して分かるまい!壊れた俺には、こうすることしかできなかった!」
義村は、養い子のことを何一つ分かっていなかったことを心から悔いた。せめて、最期は自分がと思った義村は、「若君、御免!」そう言って、公暁を自ら討とうとしたが、どうしてもできなかった。
その様子を見た公暁は、狂ったように笑いながら、「俺こそが、将軍、源実朝だ!」そういって、公暁を押さえつけていた義村の家来たちを渾身の力で押しのけて、再び反撃を開始し始めた。
「情に流されますな!三浦殿!」
公暁は、そう叫んだ長尾定景によって討たれた。義村は、公暁の討たれた首を抱きしめ、長い間泣き続けた。
降り積もる闇夜の雪の中、三つか四つくらいの幼児(おさなご)がうずくまって一人で泣いていた。
「ととさま、ととさま」
幼子は必死で父の名を呼ぶが、父は幼子をなかなか迎えに来てくれなかった。
そこに、一人の若い貴公子がやってきた。
「ととさまが、いないよう」
貴公子は、目に涙をいっぱいためて泣きじゃくる幼児に視線を合わせ、その手を握って、涙をぬぐってやってから、ぎゅっと懐に抱き留めた。
「寒い中、一人で寂しかったであろう。善哉」
善哉は、小さな手で縋りつくように叔父に抱きつき返した。
実朝は、幼い甥を抱き上げて闇夜の中を進んで行く。そこに、善哉と面影の似通った別の若い貴公子が現れた。実朝の兄で、善哉の父頼家だった。
実朝に抱かれている善哉が「ととさま!」と小さく呟いた。
頼家は、善哉の方をぎろっと睨んだ。それを見た幼い善哉はびくっとなって、叔父の腕の中で再び泣き出してしまった。
幼い甥を優しくあやしながら、実朝は、兄の方に近づいて行く。
「一人で立ち上がれぬ軟弱者は、我が子にあらず!勝手に朽ち果ててしまえ!」
頼家は、善哉に向かって怒ったように叫んだ。
「善哉が弱虫だから!ととさまは、善哉のことが嫌いなんだ!」
容赦ない実父の言葉に善哉はますます泣きじゃくった。
「相変わらず、天邪鬼の意地っ張りであられる。可愛い我が子に、心にもないことをおっしゃいますな、兄上」
そう言って、実朝は、善哉を抱き上げたまま、そっと頼家の腕に手渡した。頼家は、不貞腐れたような顔で、実朝から善哉を受け取って抱き上げた。
「心配させおってからに!」
善哉を懐に抱いた頼家は、ぼろぼろと涙を流した。
「ととさま!ととさま!」
善哉はやっと探し求めていた父の腕の中で初めての安らぎを感じていた。
その姿を実朝は慈愛に満ちた顔で見つめていた。
七
将軍実朝が亡くなった後、御台所倫子は直ちに髪をおろした。
実朝を慕う多くの御家人達もまた、髻を切って亡き主君の死を悼んだ。その中には大江広元の息子の長井時広、安達景盛、二階堂行村らの他、実朝の和歌仲間の塩谷朝業らも含まれている。実朝の命で宋へ渡るため博多で待機していた葛山景倫は、主君の訃報を聞いて直ちに引き返したが、鎌倉に戻ることなくそのまま高野山に入った。
実朝という支柱を失った後、鎌倉も京も混乱状態に陥った。
政子や義時らは、実朝の意思を継ぐべく、院に親王の下向を要請した。
しかし、実朝亡き後、その混乱に乗じて様々な武力紛争が生じやすい状況となっていた。信頼する実朝を失った院の怒りは大きく、危険な場所に親王を送って国を二分するようなことはしたくないと言って、院は鎌倉方の要請を拒否した。
妥協の結果、摂関家出身のまだ襁褓もとれていない数え二歳の三寅が鎌倉へ送られることが決まった。それと入れ違うように実朝の御台所倫子は京へ戻ることになった。
御台所倫子が京へ戻る日の前日。
尼御台政子が、やってきてある物を倫子に手渡した。それは、実朝が倫子から預かって懐に大切にしまっておいた紫水晶の数珠だった。
「雪の中必死で探させたのですが、どうしても百八つ揃わず。中には欠けているものも多くて。後から作り直させたのですが」
「御所様と、とりかえっこのお約束をしたのに。それはかなわないませんでした。ですから、母上様にこれを」
そう言って、倫子は懐から、翡翠の数珠を取り出して、政子の手に握らせた。倫子のもとに紫水晶の数珠が戻り、実朝が受け取るはずだった翡翠の数珠は母のもとに戻っていった。
「あなたは、どこにいても私の娘ですよ」
そう言って、政子は倫子を抱きしめて送り出した。
親王推戴の内諾が決裂し、摂関家出身の三寅が実朝の次の後継者と定まっていく過程の中で、阿野全成の息子の阿野時元、頼家の四男で公暁の弟の貞暁などの源氏の男系も粛清されていった。
実朝の死後、朝幕関係は悪化の一途をたどっていく。
そして、承久三年、西暦一二二一年、ついに院が義時追討の院宣を発した。後に言う承久の乱が勃発したのである。
和歌などの交流を通じてつながりの深かった貴種の実朝とは違い、院にとって義時は無礼で粗野な田舎者にしか思えなかった。義時とて、自ら進んで朝敵となりたいわけではなかった。
承久の乱は、尼御台政子の鼓舞のもと、一致団結して立ち向かうことを決めた幕府軍の圧勝に終わり、院は隠岐に流 された。
戦後の処理で京にいた泰時は、和田合戦で行方不明となっていた和田義盛の孫の和田朝盛が朝廷方として参戦して捕らえられたが、隙を見て逃亡したとの噂を耳にした。
袂を分かったかつての同僚は、亡き主君実朝を守れなかった北条に対しどのような思いを抱いていたのだろうか。院に忠誠を誓った実朝が生きていたならば、今のこの状況をどう思っていただろうか。泰時の脳裏には様々な想いが駆け巡った。
承久四年、西暦一二二二年春。
義時は、実朝が愛した御所の梅の木の近くの石塚に静かに手を合わせていた。そこには、頼家の愛犬だった白梅、紅梅、実朝の愛犬だった雪、飛梅、久米と鎌倉殿の代々の忠犬達が眠っていた。
飛梅は、主人である実朝の最期を目撃した衝撃で食を受け付けなくなって衰弱死した。飛梅の妻久米も、その半年後に夫の後を追うように静かに逝った。
梅の木の下では、飛梅と久米の子である五匹の白い雄犬達が、小弓を持って向かってくる幼い三寅から必死に逃げ回っていた。三寅は、先日初めての犬追物を見て以来、犬を追いかけ回すのにすっかり夢中になってしまっていた。
「待て待て!待て待て!」
「これこれ、若君。そのような無体なことをしては、犬達が可哀そうではありませんか」
そう言って、義時は三寅を抱き上げた。
義時に抱かれたまま、三寅は実朝が愛した菅原道真ゆかりの梅の木を見ながら無邪気に言った。
「ねえ、執権。梅のお歌を作って」
「これは、困りましたな」
義時は、うーんと考えながら、やがて、歌を一首口ずさんだ。
「いでていなば、ぬしなきやどと、なりぬとも、のきばの梅よ、春を忘るな」
「菅原道真公の真似ですか。それにしても下手ねえ」
それを聞いた姉の政子が茶化すように言った。
「悪かったですね!」
ムッとなった義時に対して、政子は五匹の犬達を撫でながら答えた。
「でも、右大臣殿だったら、きっと喜んでくれるんじゃないかしら」
「ワンワン!ワンワン!」
飛梅の息子達も同調するように嬉しそうに吠えて、梅の木の周りを走り回っている。
鎌倉右大臣源実朝が愛した梅の花は、懐かしく親しい人達に春を告げるかのように咲き誇っていた。
貞永元年、西暦一二三二年。
泰時は、最近できたばかりの式目を片手に、海を眺めていた。
和賀江島。それは、泰時が式目と同様に実朝の意思を実現しようと新設した人工の港である。由比浦の東にできたこの港のおかげで、巨舟の出入りの煩いがなくなり、実朝が考えていたとおり、今後はより交易が盛んになり、鎌倉の活性化が進むであろう。
「なかなかに、よき眺めにございますな、執権殿。右大臣様がご覧になられたら、さぞお喜びになられることでしょう」
三浦義村が目を細めながら、懐かしそうに話しかけてきた。
「それにしても、この式目な何じゃ!悪口で流罪、軽くて入牢とは!あの説教ばかりで、口うるさい若年寄の右大臣様でさえ、もっと軽い処分で、最後には笑って許してくれたもんだ!」
「そうですよ、兄上!たかが、色恋沙汰で所領の半分を没収というのはどうみてもおかしいじゃありませんか!」
そこに、長沼宗政と泰時の弟の朝時が口を挟んできた。
(かつて馬鹿なことをしでかした奴らが何を抜かすか!)
堅物の泰時は眉間に青筋を立てながら、皮肉気に言い返した。
「聖人達がおわした古(いにしえ)の時代には、その徳をもって世を治めることができたから、厳格な法というものは必要がなかったのだ。右大臣様は、まことに徳が高く、度量の広いお方であった。しかし、私には、右大臣様のような器量はないから、言いたい放題やりたい放題の馬鹿者に対して、厳格な法が必要となるのだ!」
「こんなんだったら、若年寄の時代の方がよっぽどよかったよな!」
「さよう。若年寄の時代が懐かしい」
朝時と宗政は、それでもまだ不満げな様子で軽口をたたいた。
世の中に麻は跡なくなりにけり心のままの蓬のみして
(右大臣様は、いつだって、麻のようにまっすぐと立って、皆を導いておられた。今の世は、好き勝手やりたい放題の馬鹿な蓬のような奴らばかりだ。右大臣様は、こんな連中相手に、最後は笑って許しておられたが、私はとてもそんな心境にはなれそうにないな)
泰時は盛大なため息とともにそう思った。
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
漁師が小舟の綱を張って渚を漕ぐ、そんな日常の風景が愛しいと感じられるように、世の中もこのように常に穏やかなものであってほしい。家臣と民を心から慈しんだ鎌倉右大臣源実朝の歌である。泰時の目の前には、実朝が愛した海といくつもの船がどこまでも続いていた。
文永十一年、西暦一二七四年の秋も深まった頃。西八条禅尼と呼ばれる高貴な老尼僧が静かに息を引き取った。
「倫子、倫子」
「御所様、ずっとお会いしとうございました」
夫も、自分も、最後に会った若い時の姿のままだった。
実朝と倫子は手をつないで、はしゃぐように海辺を走って行く。
「見てごらん、私たちの船だよ。さあ、どこへ行こうかな」
「御所様と御一緒ならどこへでも」
実朝と倫子は笑い合い、大海原に旅立って行った。
完
建保二年、西暦一二一四年。
二月初め。将軍一行が二所詣から帰って来た。
「お帰りなさいませ。みなさま、お疲れ様でございました」
安達景盛は、準備万端で酒の用意をしていた。一行はたちまち大宴会に突入した。
「楽しんでいるか、太郎」
実朝の言葉に、泰時は遠慮がちに答えた。
「私は、合戦での失敗以来、断酒を決心しましたので」
泰時の言葉に、実朝は笑った。
「できぬ誓いなど、最初からたてぬ方がよいぞ。正体を失うほど飲み過ぎなければよいのだ。ほどほどならば、問題はあるまい」
「それも、そうでございますね」
泰時の誓いは早くも破られてしまった。実朝も、日頃の憂さを晴らしたいと思ったのか、杯を飲み干すのがいつもよりも早かった。
実朝は、遠くを見つめるように、ぽつりとある人物の名を口にした。
「朝盛は、どうしているのであろうか。生きているのか、生きていたとしても、もはや会うことはかなうまい」
泰時は、主君へのかなわぬ熱情を込めた朝盛の切なげな瞳と、泣き笑いのような顔を思い浮かべた。
「首は見つからなかったそうですから。きっと、どこかで、御所様との思い出を偲びながら、生きながらえていると、私は信じております」
泰時の言葉に、実朝は、ますます苦しげな表情を浮かべながら、吐き出すように言った。
「思い出、か。朝盛は、どうしても私との思い出が欲しいのだと言った。だが、私には御台だけだから。私は結局、朝盛を傷つけることしかできなかった……」
実朝の突然の告白に、泰時は言葉を失った。生真面目な性格の泰時から見ても、朝盛は思いつめやすい男だった。
(御所様は、一体どのような状況で、あの男の本当の想いをお知りになったのだろうか)
実朝と朝盛のその時の状況を想像した泰時は、胸が痛かった。
「まさか、家臣の男が、主人である私にそのような想いを抱いてそれを告白してくるなど思ってもいなかった。あのようなことを言うのは、後にも先にも朝盛だけだろうが。一体、私などのどこがよかったのだろうなあ」
自嘲気味に笑う実朝に対して、妙な苛立ちを感じた泰時は声を荒げた。
「御所様は、鈍すぎます!」
もっとも、酒で判断能力が鈍っていた実朝は、たいして泰時の言葉を特に気にした様子もなかった。
「まあいい。今夜はこころゆくまで共に楽しもうではないか」
「はい御所様!今夜は、大いに飲みましょう!」
赤い顔をしている泰時もかなり出来上がっていた。そんな泰時に対して、飲んでも全く顔に出ない時房は、呆れたように言った。
「太郎。お前は、さっき断酒を決意したとか言っていなかったか?」
「あれは、正体を失うほど飲まないという意味での断酒なのです!」
いつもの堅物ぶりはどこへやら。泰時は、酒が入ったとたん、父親の義時や弟の朝時と同様の調子者に変化してしまった。
「たまにはよいではないか」
そう言って、実朝も泰時と共に、調子に乗って杯をどんどん重ねていく。
「御所様も。明日は、栄西和尚様との面会日でしょう!」
しかし、すでにへべれけ状態の二人の耳には、時房の諫言は全く入っていない。
酔っぱらいのつけは忘れた頃にやって来る。気の向くまま杯を重ね続けた主従は、いつの間にか記憶が無くなっていった。目が覚めて気が付いたとき、実朝は強烈な吐き気と頭痛を感じて、泰時に訴えた。
「太郎、頭が痛くて、気分が悪い。なんとかしてくれ」
泰時にも、実朝を介抱する余裕などなかった。
「恐れながら、御所様。私も、同様です」
「そう言えば、今日は、栄西和尚との面会日だった!どうしよう!」
「どうしようと私に言われましても。帰っていただくのは失礼に当たりますし。本当のことを言って会うしかないのではありませんか」
面会に来た栄西は、実朝と泰時の様子を見て、おやおやと言った顔で笑って言った。
「これはこれは。いかがされましたかな。御所様」
「面目ない、和尚。飲み過ぎた」
同じ体たらくの泰時に対しても、栄西はからかうように言った。
「いけませんなあ。御諫めすべきご近習までが御一緒では」
若い主従は、老僧の前で、恐縮するばかりだった。
「それでは、二日酔いに効く妙薬がございますので、寺から届けさせましょう」
栄西が言った妙薬とは茶のことであった。栄西は、実朝に茶とともに、茶の効能を説いた『喫茶養生記』という書物を献上した。
栄西から届いた茶の苦みが全身に行き渡たり、主従への効果はてきめんだった。
酒で憂さを晴らしたところで一時しのぎに過ぎず、現実から逃げ出すことはできない。どうしたら敬愛する院の信頼を取り戻せるか。解決すべき問題は山積みだった。
大倉新御堂の落成式に、実朝は、京から名僧を呼びたいと考えていた。
だが、昨年の合戦、地震などで民心が疲弊している中で、民にさらなる負担をかけるのはどうかという意見が広元ら重臣達から出された。実朝は、重臣たちの意見に従って、関東の僧を招くことにした。
重臣達と力を合わせて、善政を行い、民心を安定させること、実朝は、今自分がすべきことはそれだと思った。
あるとき、時房と実朝は、和気あいあいとした雰囲気の中、さらりととんでもないことを語り合っていた。
「御所様、私は、三位になりたいのです!」
実朝に、甘えたような声でねだる叔父時房に対して、実朝もまたにこやかに答えた。
「今すぐは無理だが、いつか望みはかなえてしんぜよう、五郎叔父」
それを聞いた泰時は、とんでもないと言った顔で口を挟んだ。
「叔父上、三位と言えば、公卿の位ではありませんか!何という身の程知らずな!御所様も、そんな簡単に承諾してはなりません!」
そんな泰時に対して、時房はぷっと吹き出しながら言った。
「相変わらず、融通のきかない奴だな、太郎は」
「冗談に決まっているではないか、なあ五郎叔父」
時房と実朝は、息が合ったように笑いながら泰時に言った。
「冗談でも言っていいことと悪いことがあります!」
「五郎叔父くらいの図々しさがなければ、京のやんごとなき方々とはやっていけんのだ」
ますますむきになる泰時に対して、実朝はやや真剣な表情で言った。
(和田義盛は、私との個人的な親しさから、内々に官位の昇進をねだってきたことがあった。それも、昨年の合戦の遠因となったのやもしれぬ。今後はそのようなことは改めねば)
それからしばらくして、実朝は、官位の嘆願は、一族の長を通じてのみ許可することとし、個人的な自薦は認めないとの決定を行っている。
昨年の合戦や地震で民達が疲弊しているうえに、その年は日照り続きだった。実朝は、雨ごいの儀式を行った。民を安心させるために、これも為政者として必要な公務の一つだった。やがて、実朝の願いが届いたのか、恵みの雨がもたらされた。
実朝は、重臣達と協議し、関東御料の年貢の減免を検討する。それも一度に実施すれば、混乱のおそれが大きいため、箇所を決めて、毎年順番に行うこととした。
叔父義時や重臣達の協力を得ながら、まつりごとに対して真摯に向き合っていく若い将軍の姿は、少しずつ、確実に、人々の心に届いていく。
その年も終わりに近づいてきたころ。
和田合戦のきっかけとなった泉親衡の乱で旗頭にされた頼家の遺児千寿が、再び和田の残党に担ぎあげられた事件が起きた。二度目の謀反となれば許されるはずもなく、千寿は討伐対象となって追われた末に、自害して果てた。
園城寺にいた公暁は、それを聞いて、我が身と重ね合わせずにはいられなかった。
(三浦義村は、和田側を裏切って、将軍側についた。北条も三浦も、将軍である叔父上のことを認めている。叔父上は、命令一つで多くの兵を動かす力を持っている。叔父上自身がどのような心情であったかに関わらず、和田と千寿の討伐は、間違いなく叔父上自身の判断で行われたのだ)
そのことに気づいたとき、公暁は、誰よりも優しい人であるはずの叔父実朝が、北条よりも、三浦よりも、ずっと強くて恐ろしいと思わずにはいられなかった。
(俺は、千寿のように、知らぬ間に誰かの操り人形のように旗頭にされて、生涯を終えるなどまっぴらごめんだ。どうせ死ぬなら、せめて、自らの意思でもって華々しく戦って散っていきたい。だが、仮に、俺が自分の意思で叔父上にとって代わろうとしても、俺の後見人である三浦も他の御家人達も俺には従うまい)
若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏の前で、公暁の心に、新たな暗い闇が生まれ始めていた。
二
建保三年、西暦一二一五年。
年が明けて、実朝の祖父北条時政が伊豆で静かに息を引き取った。実朝の中で、もはや時政に対するわだかまりは残っていなかった。己の過去を悔いるかのように仏道に励み、穏やかな余生を過ごした末の最期だったことを聞いた実朝は、心から安堵した。
その年の六月には、禅僧栄西が亡くなっている。渡宋の話、昨年酒で失敗した際に茶を献上してくれたことなど、実朝の脳裏には、偉大な高僧との様々な思い出が蘇った。
人の生死は世の常とはいえ、実朝は、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
旅人の負担となる関錢の廃止。京在住の御家人達がさぼりがちな宮中警護について、勤務態度によって賞罰を与えるとの決定。鎌倉の経済発展のため、鎌倉の町人や様々な種類の商人の人数を決めて座を設けさせることなど。徐々に穏やかさを取り戻していく日常の中で、実朝は、その後も、まつりごとにおいて、地道な努力を続けていく。
朝廷との対応も気を抜くわけには行かなかった。京の院から、仙洞御所で行われた和歌の会の様子を詳しく記した巻物が贈られてきた。和歌の世界の美しさに心惹かれる実朝であったが、和歌は同時に院との間を取り持つための重要な手段の一つであり、まつりごとの一環でもあった。
実朝は、和田合戦以来塞ぎがちで、父である前内大臣坊門信清が病がちで出家したとの報を聞いて一層沈みがちになった御台所倫子への配慮も忘れなかった。
「女の子もいいものだなあ。久米、お前は本当に可愛いなあ」
実朝が愛しそうに抱き上げて頬ずりしているのは、実朝が倫子のために新たに飼うことにした雌の子犬の久米である。
久米は始め、下総局という実朝が生まれた時から仕えている千葉一族出身の古女房のところにいた。可愛がっていた幼い孫娘が亡くなり、ひどく落ち込んでいた下総局を慰めようと、縁戚にあたる東重胤が雌の子犬を贈り、下総局はその子犬に亡き孫娘と同じ名をつけた。その愛らしさが評判となり、将軍夫妻の愛犬となったのである。
しかし、飛梅は背中としっぽを実朝の方に向け、すっかり不貞腐れた様子を見せている。
「御所様が、新しい女子(おなご)をお召しになって可愛がっていらっしゃるせいで、飛梅は御寵愛を奪われたと思ってすっかりご機嫌斜めですよ」
そう言ってからかう時房に対して、実朝は苦笑した。
「ずいぶんと酷い言い草だなあ、五郎叔父。私も御台も、久米は飛梅にお似合いだと思っているのだがなあ」
その御台所倫子の側に仕える者の順番を実朝は決めたのだが。これに選ばれなかった北条朝時が文句を言ってきた。
朝時は、三年ほど前に、倫子に仕える佐渡という女房に不埒なことをしでかして、実朝と父の義時を激怒させ、一時鎌倉を追われていたが、和田合戦での奮闘ぶりが認められて、再び御所への出仕が許されていた。
「何で、五郎叔父ばっかり!儂だって、御台様のお側にお仕えしたいのに!」
洗練された美男で人当たりの良い時房は、御台所付きの女房達に大変人気があったが。朝時は、過去の醜聞事件が災いして、女性陣に大層嫌われており、御所への出仕が許されるようになっても、御台所の近くに寄ることを厳禁されていた。
「過去の悪行を忘れて何を抜かすか!この大馬鹿者が!」
朝時に対して、父義時の雷が落ちた。
(相変わらず、懲りない奴だ)
兄の泰時と叔父の時房は、その様子を呆れながら傍観していた。
地震だの鷺の出現だの気味の悪いことが続くので、実朝は、方違えも兼ねて、しばらくの間、御台所倫子らを伴って、叔父の義時の屋敷に移ることになった。
「面倒をかけてすまないな、叔父御」
「何をおっしゃいますか。我が家と思って、存分にお寛ぎください」
実朝の言葉に、義時は笑って言った。
御台所らが父の屋敷に移って来たことを知った朝時は、浮かれまくっていた。三年前の一件で、御台所付きの女房佐渡に不埒なことをしでかした朝時は、山賊を撃退した武勇伝を持つこの女房に手痛い反撃をされていた。
(まさか、あんなおっかなくて恐ろしい女だとは思わなかったな。都の人間だからといって人は見かけによらんな)
朝時は、そんなことを思いながら、勝手知ったる実家の父の屋敷に、隙を見つけては入り込み、御台所の様子をこそこそと覗き見していた。
(だが、やはり御台様だけは別格だな。淑やかで、可憐で、まさにこれぞ高貴な姫君って感じで、たまわんわい!御所様が羨ましすぎる!)
とうとう我慢できなくなった朝時は、周りに人がいない時に、御台所の側に姿を表してしまった。
朝時は、ぼうっとなったり、うっとりしたりしながら、倫子の可憐な姿をしばらく見つめていたが、やがて何かの気配に気づいた倫子が声を発した。
「そこに、どなたかいらっしゃるのですか?」
(くう!声も可愛くてたまらんわ!)
朝時は、ニヤニヤヘラヘラした気持ちの悪い助平面を倫子に向けながら、言った。
「どうも、お久しぶりです、次郎です。御台様。へへへへへ」
朝時の姿と声を認識した倫子は、朝時が佐渡にしでかそうとしたことを思い出し、自分のことのように恐怖を感じた。
「いやあ!御所様、御所様!」
実朝、泰時は実朝の番犬飛梅を連れて外を散策中だったのだが。倫子の声に反応して、飛梅は大声で吠えたてながら倫子のいる殿舎の方に走って行った。実朝と泰時も、何かを感じて飛梅を追いかけて行った。
そこには、ヘラヘラニヤニヤした朝時が、恐怖のあまり震えている倫子と向かい合っていた。飛梅は、女主人を守るべく、大きく吠えたてて朝時に噛みついた。
「いってえ!何しやがる!犬の分際で!」
飛梅に噛みつかれた朝時は悲鳴を上げた。
「大事ないか?御台」
実朝は、朝時の目にこれ以上倫子の姿をさらさせないようにして、恐怖で震える倫子を強く抱きしめた。
「何をやっている!この不埒者が!」
泰時は、そのまま弟を引っ張って御前を退出した。
実朝と二人きりになってからも、倫子の震えは止まらない。
「御台、御台。私の方を見ておくれ。」
そう言って、実朝は、倫子の頬を優しく挟んで倫子を見つめた。
「私のことも怖い?」
夫の問いかけに倫子は首をゆっくりと横に振る。
泣き出しそうな妻の顔を見つめながら、実朝は困ったように言った。
「私も人のことは言えないな。いつも、御台に対しては不埒なことを考えて、実行しているのだから」
「私に不埒なことをしてよいのも、私が不埒なことをされたいと思うのも、御所様だけですわ」
恥ずかし気に、けれども潤んだような瞳で倫子は実朝を見つめてはっきりと言った。
「そんな可愛いことを言われると、止められなくなるよ?」
そう言って、実朝は、妻の唇にかすめ取るような軽い口付けをした。
「嫌だったり、怖かったら言っておくれ。できるだけ善処する」
夫に優しく抱かれながら、倫子の恐怖はやがて甘い疼きに変わっていった。
(叔父御の屋敷には随分と長居してしまったが。さすがにもういいだろう。警備の問題もあるし、やはりそろそろ御所に戻って御台を安心させたい)
かれこれ二月半ものあいだ叔父の義時邸で過ごした将軍夫妻は、ようやく御所に戻った。
初めて夫婦の契りを交わしてから随分と経つのに、実朝と倫子との間にはなかなか子どもができない。周りの者達の中には、側室を持つように言う者もいたが、実朝には全くその気がない。
「私に遠慮なさらないで」
悲し気に言う妻に対して、実朝は妻を気遣うように言った。
「私は、もともと体が弱いから。子どもができないのは、きっと私に原因があるのだよ」
「けれど……」
実朝は、妻の唇を塞いで、それ以上言わせずに、妻を抱く腕に力を込めた。
「私だって、不埒なことをしたいと思うのは、御台だけだから」
中には、将軍夫妻に子ができないのは、和田一族の祟りだという者さえいる。和田一族とて、己の誇りをかけて戦った末の最期だったのだ。そんな馬鹿なことがあるわけがない。実朝はそう思ってはいたが、心のどこかで気にしていたのかもしれない。夢で和田一族の亡霊にうなされる日々が続いた。
実朝は、改めて、和田一族の法要を、行勇の指導のもと行った。
実朝も倫子もまだ若いが、もし、このまま夫婦の間に実子が生まれなければ、後継者問題が生じるのは必須である。実朝に一番近い血筋の者と言えば、兄頼家の子ども達ということになる。頼家の次男公暁と四男禅暁がいるが、二人とも仏門に入っており、実朝が兄と兄の長男一幡を廃して将軍に就いた経緯と、三男の千寿が謀反の旗頭とされた末の最期を迎えたことを考えれば、彼らを後継者とするのは支障がある。
だが、女児だったら問題はない。頼家には、竹姫と呼ばれる娘が一人いた。実朝と倫子との間に子が生まれなかった場合の備えとして、竹姫に婿を迎えて、その系統に後を継がせるという手も考えられる。
しかし、関東の有力御家人の中から竹姫の婿を選べば、御家人間の均衡が崩れ、新たな問題が生じることになる。
ならば、いっそ、京のやんごとなきあたりに、竹姫を嫁がせて、その子をもらい受けるというのはどうだろうか。御台所倫子の姉は、院の後宮として冷泉宮頼仁親王をもうけている。頼仁親王と竹姫は年も近い。竹姫を頼仁親王の御息所として京に嫁がせ、その子を後継者候補として確保する。
(これなら、源氏の血も北条の血も残り、御台や院とも縁繋がりになって、申し分ないのではないか)
実朝は、まだ若く、愛する妻との間に実子を持つことを諦めてはいない。
その一方で、実朝は、実子ができなかった場合に備えて、後継者の確保を模索し始めていた。
三
建保四年、西暦一二一六年。
後継者問題の布石として、実朝は、御台所倫子、母政子にある話をしていた。
「竹姫を御台の猶子にと思うのだが」
頼家の娘、竹姫は数え年で十五歳になる。孫娘の身の上を案じていた政子は快諾した。
「私が、母になるのですか?」
倫子も嬉しそうに尋ねた。
「娘というよりも、年が近いから、妹と言った方がいいかもしれないね。裳着を行って、縁談のことも考えようと思うのだよ」
「御所に心当たりがおありなのですか?」
母の問いに、実朝は答えた。
「昔、三幡姉上に入内の話が出ていたでしょう。とはいえ、帝がお相手では、いろいろと難しい問題が出てくる。それで、帝の弟君冷泉宮様(頼仁親王のこと)の御息所として、竹姫を京に嫁がせる話を持ちかけてみようかと思うのですよ。宮様の御生母は、御台の姉君だから、御台や院様とも縁繋がりとなるし、宮様は竹姫と年も近い」
「このうえないよいお話ではありませんか。御所の心遣いを嬉しく思いますよ」
まもなく、竹姫は、御台所倫子の猶子となり、裳着を行った。
祖母、若い母親となった御台所、孫娘とが加わり、将軍の周りには、家族団らんの明るく温かい雰囲気が広がっていた。
御台所倫子が陸続きとなった江の島詣から戻ってきた頃、倫子の父前内大臣坊門信清の訃報が鎌倉に届いた。
「寂しいことになってしまったな、御台」
実朝は、妻を気遣い、抱きしめた。
「昨年あたりから、体調がすぐれないということは聞いていましたから。私は大丈夫です。優しい母上様と可愛い姫がいるのですから」
倫子は、寂しげな表情を浮かべながらも、穏やかに答えた。
重臣達との協力のもと、実朝の政治改革の方も着実に進んで行った。その頃から、実朝は、御家人達の陳情を直接聴取し、再び和田合戦のような悲劇がおこらないよう、御家人達の不満解消に努めている。
和田合戦では同族への裏切り者という汚名を着ることを覚悟の上で、将軍方についた三浦義村であったが。義村は、実朝から、愁訴聴断の担当者の一人に任じられている。実朝は、船団の扱い、橋の改修工事などの交通政策をはじめとする義村の実務能力を高く評価しており、従兄の和田義盛と同様に、義村が義理堅く情に厚い人物であることをよく分かっていた。
また、政所の別当も従来の五人から九人に増やされ、より多くの意見が反映される仕組みが整えられた。兄頼家が鎌倉殿の地位を継いだ際にも、十三人の重臣達による支援体制がとられたが、父頼朝が亡くなった直後で派閥争いが顕在化してすぐにそれは壊れてしまった。そうした過去の反省も踏まえて、実朝は、義時や広元ら重臣達と協力して、安定したまつりごとを行おうと努力していった。
京の院も、実朝の努力を認め、実朝への信頼回復を官位の上昇という形で示していく。和田合戦後三年ほどの間、実朝の官位は据え置きのままだったのだが、実朝は、その年の六月には権中納言、七月には左中将に任じられている。
実朝の政治改革が軌道に乗り出したころ、鎌倉に東大寺大仏の復興に貢献した、宋の陳和卿という人物が面会を求めてきた。
「なんでも、御所様は、菩薩の化身の尊いお方だから、恩顔を拝みたいと言っているそうですよ」
「なんだそれは。随分と胡散臭い奴だな」
茶化すようにどこか楽し気に言う時房に対して、実朝は眉をひそめた。
「和卿は、恐れ多くも故右幕下(頼朝のこと)が御自ら面会を求められたというのに、多くの命を奪った罪深い方だから会いたくないと言って拒否した無礼者です!そのような者にお会いになってはなりません!」
堅物の泰時は、真っ赤になって実朝が和卿と会うのを反対した。
「和卿は、東大寺といろいろと確執があったらしいですね。まあ、西国に居づらくなって、東国へ移って来る者は少なくないですからね」
時房の言うとおり、官人や僧侶など、西国で活躍することができなかった者にとって、鎌倉を中心とする東国の地は、一種の希望に満ちた新天地のようなところがあった。文官達の中には、元は京の下級貴族出身でその才を買われて鎌倉に仕えることになった者も多い。
前年に亡くなった栄西を始め、法然の弟子である親鸞もその頃常陸国に移り住んで東国での布教活動を行っている。西国の旧仏教との確執から逃れて、東国に新しい仏の教えを広めようとやって来た僧侶は少なくなく、熊谷直実、宇都宮頼綱などのようにそれに帰依する坂東の有力者も結構いたのである。和卿が自らの活躍の場を求めて東国にやって来たというのも、ありえない話ではないのだ。
「噂によると、和卿は、資材の横領が発覚して東大寺と揉め事を起こして、船を造って宋へ帰る計画を立てているとか。きっと、そのための費用を御所様に出していただこうと企んでいるに違いありません!御所様、騙されてはなりません!」
鷹揚に構えている時房に対して、泰時はむきになって声を荒げた。その時、泰時の言葉を聞いた実朝の瞳が、面白いことを見つけたいたずらっ子のようにきらりと光った。
「厚かましそうな奴ではあるが、中にはいろいろと役立つ話もあるだろう。会うだけなら別によいではないか」
こうして、実朝は和卿と面会することになった。
「お懐かしうございます!御所様は、前世は育王山の長老であられ、私はその弟子でした!」
和卿は、実朝の顔を見たとたん、不可解な言葉を口にし、いきなり泣き出した。
(思ったとおり、大げさで胡散臭い男だな)
実朝は苦笑しながら、歌を口ずさんだ。
「世も知らじわれえも知らず唐国の岩倉山にたきぎこりしを」
「はっ?今何と」
日常生活での会話には不自由のない和卿であったが、さすがに和歌の心得まではない。
実朝の呟きを聞いて、時房は実朝の意図をすぐに察したようだ。
実朝は、何やらえらく真剣な表情を作って和卿に言った。
「その話ならば、私も知っている。元暦元年の六月三日の丑の刻に私もそなたと同じ夢を見たのだ。世の人も知らないし、私もよくは覚えてはいないが。前世で私は、唐(から)の国の山の中で薪をきって、仏道修行に励んでいたはずなのだ」
話を聞いていた泰時は唖然となって、隣にいる時房にひそひそ声で言った。
「そんな話、私は御所様から聞いたことありませんよ。何でまた、いきなり御所様はそんな突拍子もないことを」
時房は、相変わらずのほほんとした表情で言った。
「御所様も、騙されたふりをして一芝居打つとは、お人が悪い」
実朝の言葉を聞いた和卿は、ますます感激して涙を流した。
「これぞ、御仏のお導き!」
そんな和卿に対して、実朝は、和卿の手を取って、和卿の瞳を見つめながら言った。
「我が弟子よ!私は、誰も見たことがないような大きな船を造って、それに乗ってそなたと共に故郷の育王山に帰りたいと思う!」
実朝の父頼朝は、策略的な人たらしで有名だったが。実朝は、天然無自覚で、人が自分に寄せる好意には無頓着で鈍感なところがある分、なお始末が悪かった。
「はい!我が師よ!」
和卿は、やけに熱っぽい瞳で実朝の手を握り返し、頬ずりまでし出した。
鈍感な実朝は、「異国の者は感情表現が大袈裟なのだな」とこれまたのほほんと構えていた。
それを見た泰時のこめかみの血管が浮き出た。
「あんな得体のしれない男にいいようにされるなど!」
和卿との面会の後、くどくどと説教を繰り返す泰時に、実朝はややうんざりしていた。
時房が泰時を宥めるように言った。
「前に、太郎に、御所様が、鎌倉を拠点として、宋と直接交易を行い、東国の活性化を図りたいと言われたことがあっただろう。御所様は、それを実行に移したいとお考えなのだ」
時房の指摘で初めて実朝の意図に気づいた泰時は、なお声を荒げた。
「それならそうと、どうして前もってはっきりおっしゃってくださらなかったんですか!」
「状況を見れば、はっきり言わなくても分かるだろうと思って」
要領がよく、勘の鋭い時房ならともかく、堅物で融通のきかない泰時にそれを悟れというのが無理な話である。
その後、実朝は、「自分は大船を造って宋に行く。自分に続いて宋へ行きたいと思う者は名乗りをあげよ」との触れを御家人達に出した。
寝耳に水状態の叔父の義時は、広元を伴って、珍しく声を荒げた。
「勝手に鎌倉を留守にするなど、できるわけないでしょう!突然、何を訳の分からないことをおっしゃるのですか!」
血相を変えて飛んできた義時と広元を前に、実朝は笑いながら言った。
「叔父御も、大官令も落ち着け。何も、船ができてから、本当に、すぐにでも私が宋に渡るというわけではない。まあ、栄西和尚から話を聞いて、いつか行ってみたいとそれくらいの夢は私にもあるが。太郎には、前々から話していたことなのだが。私は、鎌倉を拠点として、宋との交易を行って東国の活性化を図りたいのだ」
若い将軍の未来への希望にあふれる話を聞いた者たちは、我も我もと名乗りを上げ、あっという間に、御所の周りは、興奮と熱気で包まれた雰囲気となっていた。
「面白いではありませんか!船のことならば、我ら三浦にぜひお任せを!」
大いに乗り気になった三浦義村が、楽しげに言った。
「貴殿まで、いい年して、何を寝ぼけたことを言っておるのだ!大船の建造など、いかほどの費用がかかるか分かっておるのか!」
頭を抱えながら、義時は、義村を睨みつけた。
だが、若い将軍は、叔父に対する強気の姿勢を崩そうともしない。
「確かに、大船建造には、多くの費用がかかるであろう。しかし、今後、鎌倉を拠点として宋と直接交易ができれば、経済面でも文化面でも、それにより得られる利益ははるかに大きいはずだ。かの清盛入道の例を見てみよ。大船を造る過程一つとってみても、様々な知識や技術がこの鎌倉にもたらされ、人々の交流が活発となる。未だに多くの荘園を持つ西国に対しても、経済力で坂東が対抗することもできるはずだ。それに、この間、東寺で尊い仏舎利が盗まれるというとんでもない事件が起きたばかりではないか。宋へ使節を派遣して、仏法を学ばせることは王法を守ることにもなるはずだ」
実朝に便乗するように時房も言った。
「京のやんごとなきあたりにも、坂東の底力を見せてやろうではありませんか!」
「将軍自ら大きな志を持っていることを見せる良い機会だ。かの清盛入道に可能だったことが、源頼朝の息子である私にできないということがあろうか?」
「ございません!」
前々から実朝の夢を内密に聞かされていた泰時もまた、実朝に同意した。
しかし、慎重派の年配者である義時と広元は、大船建造のことだけでなく、将軍に物申したいことがあった。
和田合戦以来、据え置きだった実朝が急に昇進したことについて、朝廷側に何か裏があるのではないか。朝廷が関東に余計な干渉をしてきたり、関東が朝廷の言いなりになっては困る。これは俗にいう官打ちではないか。子孫の繁栄を望むなら、父頼朝のように、今の官職は辞退し、武家の棟梁としての征夷大将軍だけにして、年をとってから大将を兼務するべきだ。などなど、慎重派で心配性な義時や広元らは、若い将軍に様々なことを諫言した。
実朝は、この機会に義時らにはきちんと話しておかなければなるまいと思い、話し始めた。
「諫言の趣旨はよく分かる。だが、私は生まれつき体が弱く、もしかしたら実子に恵まれず、それほど長生きもできぬかもしれぬ。母上には、竹姫を御台の猶子とした際にお話したのだが。私は、院様の皇子で御台の甥に当たる冷泉宮様を第一候補として、京のやんごとなきお方に竹姫を嫁がせようと考えている。私に万が一のことがあったときの布石として、私は竹姫の子の系統を後継者候補とすることも頭に入れている」
先代頼家との確執から、頼家の男系を後継者とすることには大きなわだかまりが残る北条にとっても、実朝の候補案は納得できる路線のものだ。そこまで先のことを考えている甥に対して、義時には返す言葉がなかった。
それでもなお心配がちに実朝を見つめている義時と広元に対して、実朝は、努めて明るく言った。
「官打ちか。呪詛それ自体で私がどうこうなるはずもない。ああいうのは、結局、呪詛されているという心の弱さが己を衰弱させるのだ。そんなものを恐れるなど、武勇を誇る坂東武者の名が泣くぞ。院様は豪気なうえに厄介な性格のお方だ。官位も、権威も、もらえるものはもらって、逆にこちら側が利用できるものは利用するくらいの気構えでなくてはやっていけぬぞ」
義時と広元は、やれやれと言った表情でお互いの顔を見た。とうとう慎重で心配性な年配者達も若い将軍の説得に根負けした。
その年の十一月、大船建造計画が決定され、始動した。
翌建保五年、西暦一二一七年。
若い将軍の夢と威光を示すかのように、大船建造は着々と進んで行く。
ある晴れた春の終わりの夕方。実朝は、急に思い立って、御台所倫子を伴って、永福寺へ出かけた。二人きりになった牛車の中で、実朝はぎゅっと妻を抱きしめたまま、妻の頬を撫でたり、唇を吸ったりして、その感触を楽しんでいる。
やがて、カタンと牛車が止まる音がした。実朝は、手を差し出して妻を降ろした後、「さあ、行こう」と促した。
満開の桜の木の下を、実朝と倫子は手をつないで歩きながら、景色を堪能している。
「梅も良いが。満開の桜もまた格別だ。御台には、これを見せたかったのだよ」
そう言って、実朝は、倫子の髪を手にすくいとり、くっついていた花びらごと口に含んでから、その髪に口付けた。
「お船の完成が楽しみでございますね」
微笑む妻に対して、実朝もまた笑みを返す。
「もしも、私が本当に宋に、いやもっと遠い天竺まで行くとしたら、御台も一緒に来てくれるだろうか?」
夫の問いに、倫子は嬉し気に答える。
「御所様と御一緒でしたら、どこまでも」
桜の木の下で、実朝は、愛する妻との甘く幸せな時間を過ごした。
将軍の威光を示すかのように、大船はわずか五か月の速さで完成した。進水式は、海面の水位の上がる日を選んで行われた。
しかし、進水式の当日。人々の期待を背負った大船だったが。由比浦はもともと浅瀬だったことが原因で、船が座礁してしまい、結局大船が浮かぶことはなかった。
「ああ!何てことだ!」
がっくりと肩を落として、一番意気消沈し、さめざめと嘆き悲しんだのは、実朝ではなく、実は義時だった。
当初は大船建造に反対していた義時であったが、元々調子者の性格もあってか、大船が完成に近づいてゆく姿を目の当たりにして、いつになく興奮状態となって大船が完成して浮かぶのを楽しみにするようになり、すっかりその気になっていたのだ。
当の実朝はと言うと、若いだけあって立ち直りも早かった。実朝は、繊細なようでいて、大胆で怖いもの知らずな一面があり、たった一度の失敗で諦めるような気弱な性格ではなかった。
「船を造るよりも、まず、船出に必要な港を整備する必要があったのだな。大船で大きな損害を生じさせた手前、今すぐというわけには行かぬが。いずれ、よい場所を見つけて港を造りたい。できることなら、清盛入道の造った大輪田泊に負けぬ大きなものがよいなあ。まずは、皆の苦労を無駄にせぬためにも、使われた資材で再利用できるものは活用して、船の修理をしなくては」
そう言って、実朝は逆に義時を明るく励ました。
「近習の中から、ひとまず九州へ行かせて、そこから宋へ向かわせてはいかがでしょうか」
自分が行きたそうな期待を込めて言う時房に対して、実朝は少し意地の悪そうな顔をして言った。
「五郎叔父と太郎は、鎌倉を離れられぬ私と小四郎叔父の側で何かと役に立ってもらわねばならぬから、行かれぬぞ」
それを聞いた朝時が、調子に乗って口を挟んできた。
「なら、年齢からいって、北条の代表として儂が行きます!」
「お前のような馬鹿息子が行っても、物の役にも立たぬわ!」
「異国で羽目を外して、我が国の恥となるだけだ!身の程知らずが!」
朝時の言葉に、父の義時と兄の泰時が一斉に異議を唱えた。
「葛山五郎が熱心に異国の言葉を学んでいたな。落ち着いたら、彼にとりあえず九州に出向いてもらうとするか」
「海のことなら、やはり我ら三浦の出番ですな!ご助力いたしますぞ!」
三浦義村も笑いながら実朝の話に乗った。
おおらかで明るい実朝の姿を見て、皆笑っていた。若い将軍は、どんなときも、前へ進んで皆を導こうとしていた。
四
建保五年、西暦一二一七年五月。
普段は、温厚で穏やかな実朝であるが、結構言いたいことをはっきり言うし、強気で図々しい。本気で怒らせて、父頼朝並みの迫力で一喝されたら、ひとたまりもない。自分自身はその対象となったことはないが、泰時や時房ら実朝と親しい関係にある者達は、そんな実朝の性格をよく知っている。実朝にガツンとやられたことのある坂東武者から、実朝は、口うるさい若年寄だの、説教将軍だの、雷将軍だのと揶揄され恐れられていた。
実朝は、自分の師匠的な立場に当たる年上の高僧に対しても容赦がなかった。
寿福寺の高僧行勇が、檀家の争いの一方に肩入れして、実朝に、何とかしてほしいとしつこく言ってきた。それにうんざりした実朝は、広元を通じて行勇に対して言った。
「僧侶ともあろうお方が、世俗のまつりごとについて盛んに口出しされるとは何事か。僧侶にあるまじき行為である。そんなことより、僧侶としての修行をちゃんとするように」
実朝のこの言葉を聞いた行勇は、それを恨んで号泣しながら寺へ帰り、そのまま閉じこもってしまった。
「あれは、さすがに、言い過ぎですよ。御所様」
呆れた顔をした時房に対して、実朝は納得がいかないといった表情で言った。
「私は間違ったことは言ってはおらぬ!」
いくら将軍とはいえ、二十代の若者に、厳しい修行を積んだ高僧が、僧侶としての修行をちゃんとしろと言われたのでは立場がない。泰時は、遠回しながら、控えめにそのことを指摘した。
実朝は、何とも言えないばつの悪い顔をした。
数日後、実朝は、時房と泰時を供にして、行勇のもとを訪れた。
「この前は言い過ぎてしまった、すまなかった」
将軍自ら頭を下げて謝罪の言葉を口にする姿を見て、行勇はますます恐縮した。しばらく歓談の後、実朝は御所に戻ったが。
その後も、実朝は、若い自分が高僧に対して言い過ぎたことを相当気にしていたのか。
広元が「何もそこまでしなくても」と止めるのも聞かず、お守りとして持っていた牛玉を寿福寺に布施として寄進し、御台所倫子も同寺に参詣するなど、何かと行勇を気遣った。
六月。
鶴岡八幡宮の別当だった定暁が亡くなったため、公暁は新しい鶴岡八幡宮の別当となるために、六年ぶりに鎌倉に戻って来た。
「また、大きゅうなったなあ。背丈もとうに私を超えてしまったようだ」
そう言って、実朝は、懐かしそうに公暁を見つめて、公暁が鎌倉を離れた時と同じように慈愛に満ちた表情で公暁の肩を強く抱きしめた。その様子を、祖母の政子、御台所倫子、倫子の猶子となった異母妹の竹姫が、女同士打ち解けた様子で微笑ましく見守っていた。
しかし、家族の団らんそのものといった光景が、あまりにも眩しすぎて公暁には直視できなかった。
(この人たちの優しさに嘘はないはずなのに。そこに俺の入っていく余地などない。どこにも、俺の居場所などありはしない)
心にぽっかりと穴の開いた公暁は、甥の肩を抱く若い叔父の姿をぼんやりとした瞳で見つめ返した。
実朝は、公暁の沈んだような表情がひどく気になっていた。園城寺での公暁の荒んだ生活状況を知った実朝は、鎌倉から外に出したことをひどく後悔した。
(私が、御台や母上、多くの者達の愛情に囲まれて過ごしている中、あの子は、どれほどの孤独を抱えて暮らさなければならなかったのか。兄上と北条との確執を思えば、あの子を後継者にすることはできない。仏に仕えるしかあの子に道はないのだ。私とは真逆の道を歩むことを運命づけられたあの子に、私が中途半端な同情を示せば、かえってあの子を傷つけるだけだ)
結果として兄を廃して就いた、自ら望んだわけではない将軍の地位。それでも、実朝は己の責務を果たそうと懸命に努力してきたつもりだった。
だが、自分の地位は、多くの犠牲のうえに成り立っているのだという事実を認識するたびに、実朝はひどい疲れを感じずにはいられなかった。実朝には、己自身の血筋を残すことに対するこだわりも、将軍の地位への未練もない。
(そろそろ、潮時ではないのか。誰かにこの地位を譲って、少しだけでいい。心の重荷をおろしたい。それは、許されぬわがままだろうか)
そう思った実朝の中で、残された後継者問題に対して、ある案が浮かんできた。
院の皇子冷泉宮頼仁親王の御息所として、京に実朝の姪の竹姫を嫁がせ、その系統を後継者候補として確保する。万が一の場合に備えて、その路線を頭に入れておいた実朝であったが。それならば、いっそのこと、竹姫の婿として親王を鎌倉に呼び寄せて、実朝の後を継がせ、自分は京の院のように隠居して大御所となり、親王の後見をつとめるというのはどうか。
「院様の皇子を鎌倉に呼び寄せるなど、なんと恐れ多いことを」
母政子は、実朝の突然の提案に、言葉も出ない様子だった。
「坂東のことを何も知らない親王様に、鎌倉殿が務まりますのか。これを機に朝廷の余計な干渉が増えたらいかがなさいますのか」
まくし立てる広元に対して、実朝の説得は続く。
「私が大御所となり、そなたら重臣達がこれまでどおり、補佐していくという体制は変わらぬ」
義時も、懸念を口にする。
「御所様はまだお若い。この先、御台所との間に御子がお生まれにならないとも限りますまい。その時、親王様と竹姫様との間にも御子がお生まれになっていた場合、いかがなさいますのか」
実朝は、一息ついて、落ち着いた様子で叔父に対して答えた。
「その場合には、当然、親王様と竹姫の系統が次の将軍家の血筋となる。私と御台の子が姫ならば問題ないが、男子ならば、僧籍に入れるか、京の公家に養子に出すか。それは、叔父御と北条にまかせようと思う」
「そこまで、お考えならば、そのとおりにいたしましょう」
重臣達はやっと折れたが、義時はそれでも心配そうに言った。
「ですが、一番の問題は、院様が承諾してくださるかです。一体誰がそんな恐れ多い交渉事をまとめられるというのか」
それに対して、実朝は、母政子の方を見つめて笑いながら言った。
「何も、最初から直接院様と話をするわけではないのだから。母上、来年あたり、また熊野詣でもされたらいかがですか。そのついでに、京に立ち寄って、院様の乳母の卿二位殿あたりと世間話でもして来られたらいい」
実朝の言葉に、政子は仰天した。
「この母に、そんな恐れ多い話をまとめて来いというのですか!」
「何かと図々しくて抜け目のない五郎叔父あたりをお供にすれば安心でしょう」
何でもないことのように言う息子に対して、政子は卒倒しそうになった。
(全く、御所様は、相変わらず怖いもの知らずなお方だ)
義時は、母子の様子を苦笑しながら見つめていた。
後継者問題の見通しがつきそうで安心した実朝は、御台所倫子と母政子らと共に、鶴岡八幡宮へ流鏑馬を見に行ったり、永福寺に舞楽を見に行ったりなどして、家族団らんの時間を過ごした。
「今日も楽しゅうございましたね」
「兄上様も御一緒だったらよかったのに」
「本当にねえ。公暁もこちらに戻って来て、これからはいつでも会える場所にいるのだから」
「修行に専念したいからと断られてしまったのですよ」
実朝はごまかすような作った笑顔で答えた。
実朝が妻と母と姪に言ったことは嘘ではなかった。孤独を抱えたまま自分の殻に閉じこもり気味な公暁を気遣って、実朝は公暁にも声をかけたが、公暁はそれを受け入れなかった。
三浦の領地へ出かけた際、実朝は海辺の月を見つめながら、公暁の後見人である義村に公暁のことを話した。
「家族や保護者と離れて、寂しい少年時代を過ごしたあの子に対して、今更家族だからとその輪に入るように勧めたことも。家族が打ち解け合っている姿を目の当たりにすることも。今のあの子にとっては辛すぎるのだろう。私の存在それ自体があの子を傷つけているのかもしれない。私はあの子に何もしてやれない。どうか、私の分まで、あの子のことを見守ってやってほしい」
「若君にも、いつか、御所様のお心が通じる日が参りましょう」
憂いがちな実朝を気遣うように義村は言った。
その年の暮れ、実朝は、方違えのために行った永福寺の僧に、次のような歌を贈った。
春待ちて霞の袖にかさねよと霜の衣の置きてこそゆけ
霞のような春着と、霜がおりたような粗末な小袖とをお礼に置いてゆきます。春を待っている間、二枚を重ねて着てください。
実朝の優しい心根を偲ばせるような歌である。
だが、この歌を贈られた僧とは違い、望まずして大人の都合で仏に仕えることを余儀なくされ、孤独な生活を送って来た公暁には、暖かな衣を差し出されること自体辛すぎて拒絶するしかなかった。
鶴岡八幡宮の公暁のもとに、異母妹の竹姫に、やんごとなき婿を迎えて、次の将軍候補とする、どこからかそのような噂が入って来た。
(誰からも必要とされず。俺は、何のために、何をしに鎌倉に戻って来たのだ)
若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏がじっと公暁を見つめている。
広く強く優しい心。美しく高貴な妻との一途なまでの愛。家族の暖かな情愛。公暁には決して手に入れることのできないものを手にし、多くの者に慕われ華やかな場所で光り輝いている若い叔父実朝。自分と叔父との決定的な差に気づいたときに、公暁の運命はすでに決まっていたのかもしれない。
公暁の中に、さらに新たな闇が生まれていく。公暁は、目の前の仏に対し、呪いの言葉を繰り返し、その仏の面差しによく似た若い叔父を心の中で何度も殺すようになっていく。
五
建保六年、西暦一二一八年。
その年に入って間もなく、実朝は権大納言に任官。院の皇子を実朝の次の後継者として迎える策を実現するため、計画が実行に移されようとしていた。
二月四日。尼御台政子は、弟の時房を供に、表向きは熊野詣という触れ込みで、院の乳母で、頼仁親王を養育している卿二位兼子との交渉のため、京へ向かった。
「母上、お気をつけて。五郎叔父、いろいろと頼んだぞ」
「お任せください!御所様!」
実朝の言葉に、時房ははりきっていたが、政子の方は、皇子推戴の交渉という自分に課された任務の重さ、あまりの恐れ多さに、緊張した面持ちを隠せなかった。
その頃、朝廷である面倒な事件が起きた。西園寺公経と大炊御門師経との間に、官職を巡る争いが起き、公経が院に官職をせがんだが、院がこれを断ったので、公経が縁戚関係にある実朝に仲介を頼むといった趣旨のことを言ったため、公経は院の怒りを買って謹慎させられたのである。実朝は、院と公経との間に入って取りなしをしたが、このことで、叔父の義時らは、院と実朝との間に隙間風が吹き、交渉に悪影響をもたらすのではないかとひどく心配した。
「母上と五郎叔父の苦労を無駄にするわけには行かない。弱気な姿勢を見せてはならぬ」
実朝は、自分自身の大将の任官につき、広元を使者に立てたが、数日後、右大将ではなく、必ず左大将に任命してくれるようにと、念押しするかのように再度使者を立てた。あくまで、朝廷に対して強気な姿勢を崩そうとしない実朝に対し、広元と義時はますます心配になった。
「図々しすぎではありませんか。院様を怒らせたらどうするのですか」
怖い者知らずな若い甥を案じた義時の発言に、実朝は笑って言った。
「いや、これくらいがちょうどいいのだ。五郎叔父の図々しさと抜け目のなさは大いに見習わなければな。院様は、豪気なお方だ。ささいなことを根に持つようなお方ではなかろう」
義時らの心配をよそに、院と実朝との間には、今のところ、それほど大きな波風は立っていないようだ。
母政子と時房は無事重大任務を終えて鎌倉に帰ってきた。
政子は、院の格別のはからいで従三位の位を授かり、この時正式に「政子」と名乗ることになる。鎌倉では、将軍の母として大変敬われ重きを置かれていた政子であるが、出家した無位の女性に、公卿に相当する位を授けられるのは破格のことだった。
時房もまた、得意な蹴鞠を通じて院から格別のお言葉を賜った。
これらは、卿二位兼子と尼御台政子との間でなされた親王を鎌倉へ迎える話を院が内諾したことを意味していた。交渉は成功に終わったのである。
「母上、本当にお疲れさまでした。都人は、一見優しいように見えて、底意地の悪い人が多いと聞いておりましたから。心配しておりましたよ」
母を気遣う実朝に対し、政子は勝気な笑みを見せて答えた。
「この母とて、御所の父上の上洛の際に、それなりに経験しておりますからね。恐れ多くも院様からご体面のお許しがありましたが、『私のような田舎の尼が院様にお会いするなど恐れ多い』と言ってご遠慮したのですよ。おかげで、立ち振る舞いについて、田舎者よと馬鹿にされずにすみました」
「母上も、なかなか強かなお方だ」
母子は笑い合った。
実朝は、御台所倫子も呼んで、時房に都の様子を話すよう促した。
「しきたりも何も分からないので困っていましたが、そのことを御台様のおいとこの尾張中将様にご相談申し上げたら、何かとご親切にしてくださいました」
倫子も、京の縁者の者達の話を嬉しそうに聞いていた。
時房は、興奮しながら、実朝に対して、自慢話を続けていく。
「何と、院様が、私の蹴鞠をご覧になりたいと内々におっしゃって、梅宮大社で私の蹴鞠をご覧に入れたのです!院様は、宮中でも、御簾をお上げになって、何度も私と息子の蹴鞠を御覧くださったのです!『呑み込みがうまくてたいしたものだ』とお褒めの言葉までいただいたのです!」
「それは何とも羨ましいことだ。五郎叔父の蹴鞠が大いに役に立ったな」
上機嫌の時房に対して、実朝もまたひどく喜んで答えた。
実朝は左大将に任じられ、六月に鶴岡八幡宮での左大将の直衣始めの儀が行われた。
この時、三浦義村が、同僚との席次を巡ってちょっとした騒動を起こした。席次は、義村の方が上席の左で、長江明義の方が下座で右となっていた。長幼の序を重んじ、年配者を立てようとした義村はこれに異を唱えた。
「長江殿は、一族の御長老です。私が上席となるわけには参りません」
「何を言われる。三浦殿は、官職をいただいており、三浦殿こそが左に並ぶべきです」
長江明義は、義村の義理堅さに恐縮しながらも、あらかじめ決められていたことを覆すわけには行かないとこちらも譲らなかった。三浦と長江がどちらも引かなかったため、出発の時間は大幅に遅れてしまった。
「どちらも頑固で、引こうとせず、大事な儀式に支障が生じてしまいます!」
呆れた二階堂行村が、実朝に事態を報告した。実朝は、二階堂、三浦、長江それぞれの顔を立てた。
「自分の方が先にと争ったわけではないのだ。互いに譲り合う心は美しい。ただ、大事な儀式の進行をこれ以上遅らせるわけにはいかない。三浦はまだ若いが、長江は年配者なのでその機会もないかもしれない。ここは、長江が上席で、子孫への誉れとするがよい」
実朝のいうとおり、長江が上席となり、儀式は無事進められた。
実朝にとって、院は敬愛すべき人ではあったが、根が単純な坂東の者達とは違って、やはり油断のできない部分があり、警戒を怠るわけにはいかなかった。
八月。広元の息子時広が、朝廷に仕えるために京へ上りたいと二階堂行村を取次ぎとして、実朝に申し入れてきた。せっかく皇子を鎌倉に迎えるための交渉がうまく行っているこの時期に、重臣の子息が今京に出向いては、朝廷に取り込まれることになりはしないか、逆に広元親子に何か裏があるのではないか、そこまで勘ぐった実朝は、時広の申し入れに不機嫌を隠せなかった。
「鎌倉では出世できないと思って、京へ上りたいと思っているのであろう。鎌倉のことを蔑ろにするとは、何という不忠者か!」
二階堂行村が、いらだった様子の実朝の言葉を伝えると、時広は行村に必死に弁明した。
「私は、京のことばかりを考えて鎌倉を蔑ろにしているわけでは決してありません。朝廷での務めを終えたならば、必ず鎌倉に戻って来て日夜忠勤に励みますから。そう御所様にお取次ぎください」
しかし、行村もまた、実朝の剣幕に恐れをなし、そのまま引き下がってしまった。時広は、将軍の叔父である義時に何とかしてくれと泣きついた。
(何が原因かは分からぬが、御所様の雷がさく裂したな)
普段は温厚な実朝であるが、意外と怒りの沸点が低い面があり、実朝を本気で怒らせたら父頼朝並みに恐ろしいことをよく知っている義時は、時広のことをあわれに思い、実朝に取りついでやった。
義時が、時広の事情を伝えたところ、実朝は、時広の京行きを許した。
「言い過ぎた私も悪かったが。時広も、事情があれば、直接私に言えばよいではないか。何故、そんなにびくびくするのか。あのような様子で、伏魔殿のような朝廷でやっていけるのか」
実朝の言葉に、義時は苦笑した。
九月。
実朝が、泰時ら近習達と夜間、御所で和歌の会を開いていたときのこと。
鶴岡八幡宮である騒ぎが起きた。ある若い僧と少年が月を楽しみながら歩いていて、それを見とがめて見張りの者が注意をしたところ、その見張りの者は、その若い連中に暴行を受けてしまったのだ。詳しく調べると、その若い者達の中には、公暁付きの近侍の少年で、公暁のめのとをつとめる三浦義村の息子駒若丸が含まれていた。
息子の不祥事を知った義村は、すっ飛んできた。
「このたびは、不祥の息子がとんでもないことを。お詫びの申し上げようもございません」
恐縮しながら、ひたすら頭を下げて謝罪する義村に対して、実朝は言った。
「駒若丸はまだ子どもだ。この一件は、主人である公暁の責任も大きい。公暁の心の乱れが、下の者にも良からぬ影響を与えたのだ。あの子の心情を慮ってあまりうるさく言わぬようにしていたが、上に立つ者の心構えについて、厳しく申し渡さねばなるまい」
「仰せはごもっともなことなれど。今の若君は、お心がひどく弱っておられるように思われます。どうか、今少しのご宥恕のほどを」
義村は、このたびの駒若丸の不祥事に加えて、精神的に不安定な状態にある公暁の様子に、保護者としての責任を感じずにはいられなかった。義村の心痛を察した実朝は、ひどく心配気な様子で、義村に今の公暁の様子を尋ねた。
「大丈夫なのか、あの子は。引き籠って、人と会うことも話をすることも拒否していると聞いているが」
「今の若君は、誰にもお心を開こうとなさいません。中には、恐れ多くも、若君が御所様を呪詛しているのだと噂する者までおります。私も、どうしたらいいのか……」
「そなたも、あまり思い詰めるでないぞ。恐れ多くもやんごとなきあたりが、官打ちで私に呪詛をかけていると噂する者さえいるが。私はこのとおり、何ともない。呪詛それ自体が直接の原因で、本当に人がどうこうなるはずもない。あの子が、仮に私を呪っていたとしても、それであの子の気が済むのなら、それでいい。そっとしておいてやろう」
悲痛な面持ちで答える義村を気遣うように実朝は言った。
十月。実朝は、内大臣に昇進し、母政子には従二位が授けられた。いずれも、親王を次の後継者として迎えるに際して格式を整えるための院の気遣いであり、実朝への院の信頼の証でもあった。
十一月。実朝の和歌仲間で、東重胤の息子胤行が、領地に帰ってなかなか帰って来なかった。実朝は、まだ少年だった時代に、父重胤の振る舞いに癇癪を起こして、叔父義時に諫められたことを懐かしく思い出した。
恋しとも思はで言はばひさかたの天照る神も空に知るらむ
そなたのことを恋しいと思ってもいないと言ったならば、天照大神も空で嘘を御知りになって天罰を下されるだろうよ。
そう言って、実朝は、恋の歌になぞらえて、父親と同じようにうっかりして連絡を寄越すのを忘れるなよと言った趣旨の文を胤行に送った。
恐縮した胤行は、さすがに父と同じ二の舞は踏まず、きちんと文を寄越した。
また、その頃、昨年座礁してしまった大船の修理が完了した。
「修理したら、当初より随分と小回りなものになってしまったが。私は、諦めたわけではないぞ」
力説して言う主君に対し、近習の葛山五郎景倫も笑って頷いた。
「存じております。私も、この時をどれほど楽しみにしていたことか」
「親王様をお迎えして、私が大御所になって少し身軽な身になったならば、御台と一緒に京へ行って、様々な方々とお会いして和歌の話などをしてみたいものだ。それどころか、私自身が宋の国へ行くことも本当にかなうかもしれぬ。そなたは、一足先に博多に行って、かの国をじっくりと見て来てくれ」
そう言って、実朝は、景倫を旅立たせた。
十二月二日、九条良輔の薨去により、実朝は、ついに右大臣となった。摂関家の出身でもないまだ二十代の若い武家の棟梁が、京に在住することなく、坂東にいたまま右大臣という貴職につくのは、異例のことであったといってもよい。院の皇子を後継者に迎えるため、そして何より院の実朝への深い信頼の表れに他ならなかった。咲き誇る花のように、実朝の権勢は今ここに極まっていた。
一方で、引き篭もり、荒んだ生活を続けている公暁の良くない噂は広がっていくばかりだった。鎌倉が、朝廷の重要な使者を迎えようとしている大事な時期でもあった。保護者として、もはやこれ以上黙っているわけにはいかないと考えた三浦義村は、無理やり公暁に面会して、厳しく諫言した。
「いい加減になさってください。若君はいつまで、このような荒んだ生活を続けるおつもりなのですか。中には、若君が、御所様を呪詛しているなどと、心ないことを申す者さえいるのです。これらはすべて、若君の普段の生活態度が原因ではありませんか」
義村の言葉に、公暁は、ぼんやりと虚空を見つめながら、乾いたような笑いを浮かべて言った。
「それが本当だったら、叔父上はどうされるのだろうなあ」
「御所様は、『呪詛されたことが直接の原因で、私が死んだりすることはないよ。あの子の気が済むのなら、それでよいではないか。そっとしておいてやれ』とおっしゃっておられます。若君は、一体、いつまで、叔父君のお優しさに甘え続けるおつもりなのですか」
義村の言葉を聞いて、公暁の心は完全に壊れた。
(やはり、叔父上は、何もかもお見通しなのだ。叔父上は、誰よりも強く、恐ろしい。俺が呪ったくらいで、それを恐れて衰弱して死ぬような人じゃない)
このとき、公暁は、今度こそ、確実にやれる方法で、己自身の手によって叔父を葬ろうと決心した。
叔父は若くしてついに右大臣という地位にまで上り詰め、親王を鎌倉に呼び寄せる準備が着々と進んでいる。そうなれば、自分の出る幕などどこにもない。もはや、自分の居場所はどこにもなく、捨て去られるのみ。
多くの者に慕われ、自分が決して手に入れることのできないすべての物を手にし、華やかな場所で眩しいばかりに輝いている叔父。その叔父をこの手で抹殺して初めて、自分は全てを手に入れて、解放されるのだ、公暁はそう思った。
翌年には、実朝の右大臣昇進を祝う鶴岡八幡宮での拝賀の儀式が控えており、院から、装束や車などの豪華な贈り物が届けられた。
それに合わせて、式次第などの具体的な調整が進められていく。その際に、左大将の直衣始めの儀で儀式を遅らせるという失態に加え、息子の暴行事件という不祥事に対する責任から、このたびの儀式に、三浦を参列させることが問題視された。
実朝は、義村にすまなさそうに詫びた。
「長男の朝村を代理とする参列は認めるが。そなたにはまことにすまないことになった」
「もったいないお言葉にございます」
義村は、主君の気遣いに頭を垂れた。
年の暮れる日の夜、実朝は、愛する妻の柔肌の温もりの中で眠りについた。
「待ちなさい!千幡!」
「男のくせに、逃げるな!千幡!」
「ととさま、ととさま!助けて!怖いよう!」
おっかない兄頼家と次姉三幡に追いかけられて、幼い千幡は泣きながら御所中を逃げ回り、必死で大好きな父の名を呼ぶ。そうすると、父は、いつだって、頬ずりをして頭を撫で、千幡を優しく抱き上げてくれる。
千幡が、梅の一枝をもって御所の庭を歩いていると、千幡よりもまだ小さい男の子が泣いていた。
「ととさま!ととさま!」
幼い男の子は、千幡と同じように、必死に父の名を呼んでいるが、その子の父はなかなかその子を迎えには来てくれない。
「ねえ、泣かないで」
千幡が、梅の一枝をその子にあげて、その子の涙を拭いてやろうとしたとき。その子の父がやって来た。
「余計なことをするな!そのような軟弱者は、朽ち果てていくが定めよ!」
声の主は、兄頼家だった。
「ひどいよ!にいさま!善哉は、まだこんなにちっちゃいのに!」
兄の言い方が悲しくて、泣き止まない善哉と一緒に千幡も泣き出してしまった。
夢から覚めた実朝は、泣いていた。
「御所様?何か、怖い夢でもご覧になられましたか?」
ひどく心配気に、妻の倫子が実朝をぎゅっと抱きしめる。実朝は、その温かさに安堵しながらも、涙が止まらなかった。
公暁には、実朝のように、無条件に己を抱きしめてくれる優しい父も妻もいなかった。慶賀を祝う雰囲気の中、一人孤独な公暁だけが闇を抱えたまま、年が明けていった。
六
建保七年、西暦一二一九年。
年が明け、実朝と御台所倫子は、手をつないで、御所の庭の梅林を散策していた。まだ、ようやくぽつぽつと花を咲かせ始めた木がほとんどであったが、それでも新しい春の訪れが感じられた。
「御覧になって、御所様」
倫子は、梅の木の下でじゃれ合っている愛犬の飛梅と久米を見つけていった。
「ふふ。あちらも仲良しだ」
実朝も微笑み返して言った。
飛梅と久米は、夫婦となって、白雲、白珠、白露、白波、白雪といういずれも飛梅譲りの真っ白な子犬をもうけていた。
「御所様にお願いして一匹いただこうかな」
時房は、子犬達とたわむれながらのんびりと言った。
「儂は白雪にしようかな。久米に似て一等の別嬪じゃ」
「父上、それは白珠です。というか、全員雄ですから」
「違うぞ、太郎、それは白露だ、憂いがちで儚げな風情をしているだろう?白珠の方はもう少し瞳が大きいこっちだ。白雪は、雪玉のように少しふっくらしている。白雲は、やや目つきが細い感じがたなびく雲のように見える。白波は、やや上がり目で、よく見ると額の辺りに波のような小さい筋がある。それぞれの特徴を踏まえてそれに合った名前を御所様がつけられたんだ」
「こんなにそっくりなのに、よく間違えませんね」
「儂も全然見分けがつかんぞ」
正確に指摘する時房に泰時と義時は唸るように言った。
穏やかな時間が流れている御所とは裏腹に、鶴岡八幡宮のある部屋の中では、暗雲が立ち込めていた。薄暗い部屋の中、公暁は、確実に自分の駒となって動く屈強な体格をしたわずかな僧兵たちを前に、燃えたぎるような憎しみを瞳に浮かべて計画を練っていた。
右大臣拝賀の儀式が行われる鶴岡八幡宮は、同八幡宮の別当である公暁の管轄領域であり、己の庭のようなものだった。前年の左大将の儀式の際に、一行がどのような行動をとったのかについての情報もすでに入手している。警備が手薄になる時間と場所も分かった。
仏に仕えることを余儀なくされた公暁は、大規模な独自の軍を持っておらず、叔父実朝のように命令一つで兵を集めるだけの力も人望もない。事前の情報漏洩には細心の注意を図らなければならなかった。めのと一族である三浦に事前に決起を促したとしても、実朝に忠誠を誓っている義村が公暁に従うはずがないことは分かり切っている。側近の白川義典を伊勢神宮の奉幣使の名目で立たせ、ことが成就した時に備えて、西国の寺社の縁者と連絡を取る、公暁が打てる布石はせいぜいそれくらいだった。
極めて不安定な精神状態にある公暁は、もうどうにもならないところまで追い詰められていた。公暁が決して手に入れることのできないものを持っている叔父実朝。たとえ、公暁自身がすべてを失ったとしても、叔父のすべてを奪ってしまいたい。右大臣拝賀という鎌倉でこれまでにない最も華やかで重要な儀式の最中に、叔父のすべてを壊して、人々を地獄に陥れる。唯一それだけが、今の公暁にとって、己を開放して楽になれる方法だった。
右大臣拝賀の日の数日前。御台所倫子の兄、大納言坊門忠信が京から鎌倉にやって来た。倫子が久方ぶりに兄と語り合った後。妻と寝所で二人きりになった実朝は、翡翠の数珠を手に持ったまま、妻を抱きしめて言った。
「御台は、京が恋しい?」
夫の問いに、倫子は少し考えてから答えた。
「生まれ故郷ですから、懐かしくないと言えば嘘になります。けど、今も、これからも、御所様がおられるところが、私のいる場所です」
実朝は、翡翠の数珠ごと妻の手を強く握りしめた。
「私が京に行ったのは、一度だけだ。それも、とても幼かったから、ほとんど覚えていない。今となっては、はっきりと覚えているのは、数珠をとりかえっこした小さな女の子だけだ。大御所になって、少し重荷を降ろすことができたなら、今度は御台と一緒に、もう一度京へ行ってみたいものだ」
倫子は夫の手を握り返して、微笑んだ。
「御所様と御一緒なら、私はどこへでもお供いたしますわ。九州だって、からの国だって、天竺だってついて参ります」
「ありがとう、御台。もう少し待っておくれ。そうしたらきっと……」
その夜、実朝はそのまま、愛する妻と二人、押し寄せてくる内なる波に流れを任せたまま、夢の国へとたどり着いた。
右大臣拝賀の日の当日。実朝と倫子は、御所の庭で、降りしきる雪の中で咲き誇る梅の花を共に眺めていた。
倫子がそっと紫水晶の数珠を懐から取り出した。
「綺麗だ」
そう言って、実朝は、紫水晶の数珠ごと妻の手を握りしめ、うっとりとしたような表情を向けたまま、妻に口付けた。
「それなら、とりかえっこしましょう」
倫子が微笑んで実朝に言葉を返すと、実朝もまた懐から翡翠の数珠を取り出した。
「帰ったら、またとりかえっこだ」
実朝は笑って、さっきよりも深く妻の唇を吸った。
暗闇の銀世界の中、あちこちに松明が掲げられていて、鶴岡八幡宮の中は何とも神々しい雰囲気があふれていた。
「このように、目が弱くなって、立派な右大臣様のお姿を目にすることができないとは」
老臣大江広元は、若い将軍の晴れの日に感激して涙を流していた。
「赤ん坊の時以来泣いたことがないと言われる大官令の涙を拝める日が来ようとは」
茶化すような実朝の言葉に、広元は、ますます涙を流して言った。
「きっと、素晴らしく立派なお姿なのでしょうな」
「それはもう。我ら自慢の鎌倉の右大臣様ですから!」
義時は、いつになく誇らしげな顔で答えた。
鶴岡八幡宮の中門にたどり着いた頃、急に義時の顔色が悪くなったのに実朝は気づいた。
「いかがした、叔父御」
心配そうに声をかける実朝に、義時は、面目なさそうな顔で答えた。
「この寒さで冷えたのと、大事な儀式で失敗でもしたらと緊張したせいか、ちと腹具合が悪くなってしまって、震えがとまりませんわい」
「それはいかんな」
実朝が心配して叔父のそばへ駆け寄ろうとしたところ。
「ワンワン!!」
雪の中を紫色の首紐を巻いた飛梅が、大声で吠えながら走って来た。
「飛梅。お前、こんなところまでついてきていたのか!」
実朝は呆れたように言った。
周り一面雪景色の中、白い犬が一匹行列の後を追いかけてきたとしても、保護色に隠れて誰も気づかなかったか、気づいたとしてもそれほどたいして気にとめるほどのことでもないと思ったのだろう。
「忠犬殿も、ご立派な右大臣様のお姿をこの目に焼き付けておきたいのでしょう」
義時は目を細めながら言った。
なおも、寒さでぶるぶると震えながらしぶり腹をさすって堪えている義時に実朝はさらに気遣いように言った。
「今夜は特に冷える。ここは仲章に代わってもらった方がよかろう」
「大事な時に、本当に申し訳ございません、御所様」
恐縮しながら言葉を返す義時に対し、実朝は首を軽く横に振って明るく笑った。
「留守番だと言ったのに、仕方ない子だね。お前もここで、しばらく待っていなさい。それではな、叔父御、飛梅。行って参る」
それが、若い甥と義時とが交わした最期の言葉となる。実朝は、闇夜の銀世界を先に進んで行った。
実朝と京からやって来た公卿、文官達とわずかな供しかいない静まり返った空間。そこに、若い男と数人の僧兵たちが突然押し寄せてきた。
「おのおの方、早く逃げられよ!」
異変を察知した実朝は、そう叫んで、武家の棟梁らしく、毅然としたまま、恐怖で震える殿上人達を先に逃がした。
白い頭巾をかぶった若い男が、実朝に刃を向けて攻撃してきた。実朝は、それを持っていた笏で防ぎながら、文官らしき男を目で追い、「そなたも逃げよ!仲章!」と叫んだ。
源仲章らしき男は、一瞬の隙をつかれて、僧兵に斬られた。
実朝に太刀で向かって来た若い賊の男は、仲章の顔を確認した後、「しまった!義時ではなかったか!」と叫んだ。
その声に、実朝は聞き覚えがあった。甥の公暁だった。
「お前らは、我が父の仇だ!」
狂ったように叫んで歪んだ顔を向ける甥を見て、実朝は全てを理解した。心を閉ざしてしまった甥の様子を義村から聞いていた実朝は、いつかこんな日がくるかもしれないと心のどこかで感じていた。
父頼朝を始めとして慈愛に満ちた大人たちに囲まれ、成長してからも、辛く悲しいことの連続であったが、妻倫子を始め多くの者に支えられて生きて来れた自分とは違い、この子は本当に一人ぼっちだったのだ。皆にはすまないと思うが、この子の怒りの刃をそのまま受け止めてやる。それだけが、きっと今の自分が寂しいこの子にしてやれる唯一のことなのだ。実朝はそう思った。
「ととさま!ととさま!」
必死に泣いて父を求める幼い善哉に、父頼家は冷たく言い放つ。
「お前のような軟弱者は、我が子にあらず!とっとと朽ち果てて死んでしまえ!」
公暁の脳裏に、父頼家の声が繰り返し聞こえてくる。
公暁は、叔父に向かって再び刃を向けた。歳の変わらぬ若い叔父は、雪の中で綻ぶ紅梅のように静かに優しく笑い、今度は抵抗することなく、公暁の刃をそのまま受け止めた。実朝が懐にしまっていた、愛する妻から預かった紫水晶の数珠が切れて、パラパラと白い雪の上に零れ落ちていく。
実朝は、甥を抱きしめるかのように、両の手を広げて、最期の言葉を吐いた。
「善哉、お前はよい子だ」
それは、公暁がとうに捨てたはずの名だった。
「ああ!!」
絶叫した公暁は、叔父の首を掻き切った。やっと、本当の仏の首を手に入れた、これで自分は解放される、そう思った公暁は、実朝の首を頬ずりして抱きしめながら、大音声で叫んだ。
「源頼家が遺児、阿闍梨公暁。親の仇を取った!ただいまから、我こそが大将軍なり!」
寒さで震える義時に、飛梅は毛皮で覆われた体をくっつけるようにして寄り添っていた。
「忠犬殿は温かいな」
義時と飛梅は、共に主人の帰りを待っていた。
どれくらいの時間がたったであろうか。一面の雪景色の中、人間の耳には聞こえぬであろう不穏な音を飛梅は耳にした。それは、遠くから聞こえるキーンという金属音と若い男の叫び声だった。
「どこへ行くのだ!」という義時の声を無視して、飛梅は、突然走り出して、主人が向かった先に一目散にかけていった。
飛梅が見たのは、首のない主人の遺体だった。血の匂いを嗅いで主人であることを確認した飛梅は、クーンと主人に甘えるような声でないてみたが、主人は何も答えてくれない。飛梅の主人を殺害した犯人はもうその場にはいなかった。
飛梅は、大声で吠えたてながら、中門の方へ走って行った。義時のもとへかけて行った飛梅は、怒りを隠せぬように吠え続けた。やがて、義時のもとに、将軍が公暁に討たれ、公暁とその手下らが逃亡してその場を立ち去った旨の報告がもたらされた。
頭が真っ白になり、放心状態の義時は、目の前で何が起こったのか全く理解できないままだった。義時がはっきりと理解できたのは、異常なほどに吠えたてて何かを伝えようとする犬の声だけだった。
「父上!父上!」
泰時が、義時の体を強くゆすぶっても、義時は、焦点の揃わぬ両目で空の闇をぼんやりと見つめて何の反応も示そうとしない。泰時は、父に代わって、逃亡した公暁一味を追うようにとの指示を飛ばした。
義時は、いつの間にか自分の屋敷に戻っていたが、どうやってここまで戻って来たのかまるで記憶がなかった。
左大将の直衣始めの儀での失態と息子の暴行事件の責任を取って、このたびの儀式の参列を遠慮して自分の屋敷にとどまっていた三浦義村のもとに、突然公暁の使者だと名乗る僧兵が、公暁が将軍を討ったことと、公暁が東国の大将軍であるから、三浦はそれに従うようにと言って来た。
義村は、我が耳を疑った。心を閉ざし、精神状態が不安定だった養い子が、まさか本当にこのような恐ろしいことをしでかしてしまったというのか。
(嘘だろう!嘘に違いない!)
そう思った義村は、公暁の使者だという僧兵をその場で直ちに切り捨てた。同時に、切り捨てた僧兵の言ったことが本当だったらどうするのか。義村は、もたらされた報告が嘘であってほしいと願いながら、北条義時の屋敷に使いを出した。
義時は、自分の屋敷に戻っても、相変わらずぼんやりと虚空を見つめているだけだった。衝撃が大きすぎて、現実を受け入れるのを心が拒否しているに違いなかった。
やがて、義時の屋敷に三浦義村からの報告がもたらされた。使者を寄越した主人の動揺そのままに、三浦の使者もまた相当動揺していた。
思考が止まった義時は、一言も発せない状態のままだった。やっとのことで、何か重大事が起こったらしいと認識した義時は、ぽつりと言った。
「御所様にお伝えしなければ」
「父上!父上!しっかりしてください!その御所様が、謀反人公暁に討たれて亡くなられたのです!」
義時は、息子が何を言っているのか分からないと言った表情をしていたが、やがて、暗闇の空を見上げて泣き叫んだ。
「儂が御所様を殺したようなものだ!あの方は、儂の罪をすべて一人で背負って逝かれてしまった!」
目を真っ赤にして涙を堪えている泰時は、気力を振り絞って父に言った。
「父上、今は泣いている場合ではありません。謀反人公暁を討つように、直ちに三浦に指示を出されますよう!」
義時は、ぎゅっと固く目を閉じて開けた後、意を決したように、謀反人公暁を討つべしとの命を発した。
三浦に送った使者がなかなか戻ってこないことに痺れを切らした公暁は、実朝の首を抱えたまま、少数の僧兵を従えて、三浦の屋敷に向かった。その途中で、義村の兵が公暁らを出迎えた。三浦の追手を全力で蹴散らした公暁だったが、多勢に無勢だった。
「御所様は、あなた様の叔父君は、皆の希望だった!そのお方を討った謀反人に、まことに皆が従うと思われたのですか!若君!」
耐えられないといった悲痛の表情で養い子に問いかける義村に対し、公暁は叫んだ。
「俺は、叔父上とは違っていつもずっと一人だった!叔父上のようになりたくてもなれぬのに、叔父上のような立派な人間になれと言われ続けた俺にとって、それがどれだけ苦しいものだったか。お前には決して分かるまい!壊れた俺には、こうすることしかできなかった!」
義村は、養い子のことを何一つ分かっていなかったことを心から悔いた。せめて、最期は自分がと思った義村は、「若君、御免!」そう言って、公暁を自ら討とうとしたが、どうしてもできなかった。
その様子を見た公暁は、狂ったように笑いながら、「俺こそが、将軍、源実朝だ!」そういって、公暁を押さえつけていた義村の家来たちを渾身の力で押しのけて、再び反撃を開始し始めた。
「情に流されますな!三浦殿!」
公暁は、そう叫んだ長尾定景によって討たれた。義村は、公暁の討たれた首を抱きしめ、長い間泣き続けた。
降り積もる闇夜の雪の中、三つか四つくらいの幼児(おさなご)がうずくまって一人で泣いていた。
「ととさま、ととさま」
幼子は必死で父の名を呼ぶが、父は幼子をなかなか迎えに来てくれなかった。
そこに、一人の若い貴公子がやってきた。
「ととさまが、いないよう」
貴公子は、目に涙をいっぱいためて泣きじゃくる幼児に視線を合わせ、その手を握って、涙をぬぐってやってから、ぎゅっと懐に抱き留めた。
「寒い中、一人で寂しかったであろう。善哉」
善哉は、小さな手で縋りつくように叔父に抱きつき返した。
実朝は、幼い甥を抱き上げて闇夜の中を進んで行く。そこに、善哉と面影の似通った別の若い貴公子が現れた。実朝の兄で、善哉の父頼家だった。
実朝に抱かれている善哉が「ととさま!」と小さく呟いた。
頼家は、善哉の方をぎろっと睨んだ。それを見た幼い善哉はびくっとなって、叔父の腕の中で再び泣き出してしまった。
幼い甥を優しくあやしながら、実朝は、兄の方に近づいて行く。
「一人で立ち上がれぬ軟弱者は、我が子にあらず!勝手に朽ち果ててしまえ!」
頼家は、善哉に向かって怒ったように叫んだ。
「善哉が弱虫だから!ととさまは、善哉のことが嫌いなんだ!」
容赦ない実父の言葉に善哉はますます泣きじゃくった。
「相変わらず、天邪鬼の意地っ張りであられる。可愛い我が子に、心にもないことをおっしゃいますな、兄上」
そう言って、実朝は、善哉を抱き上げたまま、そっと頼家の腕に手渡した。頼家は、不貞腐れたような顔で、実朝から善哉を受け取って抱き上げた。
「心配させおってからに!」
善哉を懐に抱いた頼家は、ぼろぼろと涙を流した。
「ととさま!ととさま!」
善哉はやっと探し求めていた父の腕の中で初めての安らぎを感じていた。
その姿を実朝は慈愛に満ちた顔で見つめていた。
七
将軍実朝が亡くなった後、御台所倫子は直ちに髪をおろした。
実朝を慕う多くの御家人達もまた、髻を切って亡き主君の死を悼んだ。その中には大江広元の息子の長井時広、安達景盛、二階堂行村らの他、実朝の和歌仲間の塩谷朝業らも含まれている。実朝の命で宋へ渡るため博多で待機していた葛山景倫は、主君の訃報を聞いて直ちに引き返したが、鎌倉に戻ることなくそのまま高野山に入った。
実朝という支柱を失った後、鎌倉も京も混乱状態に陥った。
政子や義時らは、実朝の意思を継ぐべく、院に親王の下向を要請した。
しかし、実朝亡き後、その混乱に乗じて様々な武力紛争が生じやすい状況となっていた。信頼する実朝を失った院の怒りは大きく、危険な場所に親王を送って国を二分するようなことはしたくないと言って、院は鎌倉方の要請を拒否した。
妥協の結果、摂関家出身のまだ襁褓もとれていない数え二歳の三寅が鎌倉へ送られることが決まった。それと入れ違うように実朝の御台所倫子は京へ戻ることになった。
御台所倫子が京へ戻る日の前日。
尼御台政子が、やってきてある物を倫子に手渡した。それは、実朝が倫子から預かって懐に大切にしまっておいた紫水晶の数珠だった。
「雪の中必死で探させたのですが、どうしても百八つ揃わず。中には欠けているものも多くて。後から作り直させたのですが」
「御所様と、とりかえっこのお約束をしたのに。それはかなわないませんでした。ですから、母上様にこれを」
そう言って、倫子は懐から、翡翠の数珠を取り出して、政子の手に握らせた。倫子のもとに紫水晶の数珠が戻り、実朝が受け取るはずだった翡翠の数珠は母のもとに戻っていった。
「あなたは、どこにいても私の娘ですよ」
そう言って、政子は倫子を抱きしめて送り出した。
親王推戴の内諾が決裂し、摂関家出身の三寅が実朝の次の後継者と定まっていく過程の中で、阿野全成の息子の阿野時元、頼家の四男で公暁の弟の貞暁などの源氏の男系も粛清されていった。
実朝の死後、朝幕関係は悪化の一途をたどっていく。
そして、承久三年、西暦一二二一年、ついに院が義時追討の院宣を発した。後に言う承久の乱が勃発したのである。
和歌などの交流を通じてつながりの深かった貴種の実朝とは違い、院にとって義時は無礼で粗野な田舎者にしか思えなかった。義時とて、自ら進んで朝敵となりたいわけではなかった。
承久の乱は、尼御台政子の鼓舞のもと、一致団結して立ち向かうことを決めた幕府軍の圧勝に終わり、院は隠岐に流 された。
戦後の処理で京にいた泰時は、和田合戦で行方不明となっていた和田義盛の孫の和田朝盛が朝廷方として参戦して捕らえられたが、隙を見て逃亡したとの噂を耳にした。
袂を分かったかつての同僚は、亡き主君実朝を守れなかった北条に対しどのような思いを抱いていたのだろうか。院に忠誠を誓った実朝が生きていたならば、今のこの状況をどう思っていただろうか。泰時の脳裏には様々な想いが駆け巡った。
承久四年、西暦一二二二年春。
義時は、実朝が愛した御所の梅の木の近くの石塚に静かに手を合わせていた。そこには、頼家の愛犬だった白梅、紅梅、実朝の愛犬だった雪、飛梅、久米と鎌倉殿の代々の忠犬達が眠っていた。
飛梅は、主人である実朝の最期を目撃した衝撃で食を受け付けなくなって衰弱死した。飛梅の妻久米も、その半年後に夫の後を追うように静かに逝った。
梅の木の下では、飛梅と久米の子である五匹の白い雄犬達が、小弓を持って向かってくる幼い三寅から必死に逃げ回っていた。三寅は、先日初めての犬追物を見て以来、犬を追いかけ回すのにすっかり夢中になってしまっていた。
「待て待て!待て待て!」
「これこれ、若君。そのような無体なことをしては、犬達が可哀そうではありませんか」
そう言って、義時は三寅を抱き上げた。
義時に抱かれたまま、三寅は実朝が愛した菅原道真ゆかりの梅の木を見ながら無邪気に言った。
「ねえ、執権。梅のお歌を作って」
「これは、困りましたな」
義時は、うーんと考えながら、やがて、歌を一首口ずさんだ。
「いでていなば、ぬしなきやどと、なりぬとも、のきばの梅よ、春を忘るな」
「菅原道真公の真似ですか。それにしても下手ねえ」
それを聞いた姉の政子が茶化すように言った。
「悪かったですね!」
ムッとなった義時に対して、政子は五匹の犬達を撫でながら答えた。
「でも、右大臣殿だったら、きっと喜んでくれるんじゃないかしら」
「ワンワン!ワンワン!」
飛梅の息子達も同調するように嬉しそうに吠えて、梅の木の周りを走り回っている。
鎌倉右大臣源実朝が愛した梅の花は、懐かしく親しい人達に春を告げるかのように咲き誇っていた。
貞永元年、西暦一二三二年。
泰時は、最近できたばかりの式目を片手に、海を眺めていた。
和賀江島。それは、泰時が式目と同様に実朝の意思を実現しようと新設した人工の港である。由比浦の東にできたこの港のおかげで、巨舟の出入りの煩いがなくなり、実朝が考えていたとおり、今後はより交易が盛んになり、鎌倉の活性化が進むであろう。
「なかなかに、よき眺めにございますな、執権殿。右大臣様がご覧になられたら、さぞお喜びになられることでしょう」
三浦義村が目を細めながら、懐かしそうに話しかけてきた。
「それにしても、この式目な何じゃ!悪口で流罪、軽くて入牢とは!あの説教ばかりで、口うるさい若年寄の右大臣様でさえ、もっと軽い処分で、最後には笑って許してくれたもんだ!」
「そうですよ、兄上!たかが、色恋沙汰で所領の半分を没収というのはどうみてもおかしいじゃありませんか!」
そこに、長沼宗政と泰時の弟の朝時が口を挟んできた。
(かつて馬鹿なことをしでかした奴らが何を抜かすか!)
堅物の泰時は眉間に青筋を立てながら、皮肉気に言い返した。
「聖人達がおわした古(いにしえ)の時代には、その徳をもって世を治めることができたから、厳格な法というものは必要がなかったのだ。右大臣様は、まことに徳が高く、度量の広いお方であった。しかし、私には、右大臣様のような器量はないから、言いたい放題やりたい放題の馬鹿者に対して、厳格な法が必要となるのだ!」
「こんなんだったら、若年寄の時代の方がよっぽどよかったよな!」
「さよう。若年寄の時代が懐かしい」
朝時と宗政は、それでもまだ不満げな様子で軽口をたたいた。
世の中に麻は跡なくなりにけり心のままの蓬のみして
(右大臣様は、いつだって、麻のようにまっすぐと立って、皆を導いておられた。今の世は、好き勝手やりたい放題の馬鹿な蓬のような奴らばかりだ。右大臣様は、こんな連中相手に、最後は笑って許しておられたが、私はとてもそんな心境にはなれそうにないな)
泰時は盛大なため息とともにそう思った。
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
漁師が小舟の綱を張って渚を漕ぐ、そんな日常の風景が愛しいと感じられるように、世の中もこのように常に穏やかなものであってほしい。家臣と民を心から慈しんだ鎌倉右大臣源実朝の歌である。泰時の目の前には、実朝が愛した海といくつもの船がどこまでも続いていた。
文永十一年、西暦一二七四年の秋も深まった頃。西八条禅尼と呼ばれる高貴な老尼僧が静かに息を引き取った。
「倫子、倫子」
「御所様、ずっとお会いしとうございました」
夫も、自分も、最後に会った若い時の姿のままだった。
実朝と倫子は手をつないで、はしゃぐように海辺を走って行く。
「見てごらん、私たちの船だよ。さあ、どこへ行こうかな」
「御所様と御一緒ならどこへでも」
実朝と倫子は笑い合い、大海原に旅立って行った。
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