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第2章
Reflect : 分け合いたい
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食堂。
少し早いけど昼にしようということで、敷地内の真ん中の広場の手前にあるシックな建物に入る。
室内全体が焦げ茶の木材で統一され、窓際のテーブル席からは外の広場が支柱の遮りなく一望できる。あの奥にある西洋風の建物は何だろう。
「おー、うどんを食べる姿みんな様になってるよ。撮りがいがあるねー」
「いいからさっさと食え。冷めるぞ」
「んー、やっぱり僕もそれにしたらよかったかな。なんかおいしそうに見えてきた」
「じゃ何で天丼にしたんだよ」
「全員一緒じゃつまんないと思ったから。でもそのお揚げいいなー。じーっ」
「ガン見してもやんねぇよ。きつねうどんからきつね取ったらただのうどんじゃねぇか」
「じゃあ僕のえび天あげるから、天ぷらうどんにすればいい」
「ならお前は油揚げ丼か?まぁいけなくもなさそうだが。ってだからやらねぇって」
「むー、だったらせめて鳴門ちょうだい。って何で言った途端食べるの!」
「でかい声出すな」
「あー、佐々蔵。俺のだったらまだ箸つけてないけど、いる?」
「やったー!恩に着るよー累人君」
「累人、別にこいつを甘やかす必要ねぇぞ。いい加減このガキっぽさからは脱してほしいからよ」
「そう言う伊志もケチっぽさから脱するべきだと思うけど。ねー柳っち」
「ああ、そうだな」
「すげぇどうでもよさそうな顔だな」
賑やかな食事風景。
だがそれは一か所のテーブルだけで、他はがらんとしている。他の客の目線や気配がないのは気楽だが、こうも誰もいないとかえって落ち着かない気もする。
何か大きな枠組みから外れて取り残されてる、みたいな。
「この後はガラスの館に行こうと思う。広場の左側に城っぽい建物あるでしょ?あそこ」
「城なのに館なのか」
「何があるの?そこに」
「それは入ってからのお楽しみ。あそうだ、その前に広場見てこっか」
広場。
4つの建物に囲まれた四角い空間。
真ん中には大きな噴水。その周りを囲む4つの円。それらの円の周囲をレンガ道と芝生が囲っている。
円の中央には円形の台座、その周囲の窪みには水が張られている。まるで海に浮かぶ孤島。水の底には色とりどりのガラス玉が敷き詰められ、日光を受けてキラキラ光っている。
台座の上にはガラス細工が置かれていた。人や動物など様々な形を模している。4つある円のそれぞれがおとぎ話の一場面を表現しているらしい。
オレンジのレンガ道を歩き、一つ一つを見て回る。
これが不思議の国に行く話で、これが空を飛んで夢の国に行く話。これは、木の人形が動く話か。
あとこれは……何だろう。船があって、魚がいて、あれは人魚っぽいな。じゃあ人魚姫とかそんな感じかな。
しかしよくできてる。
あんな手のひらサイズの人形をガラスで作るなんて。服の装飾も細かい。いや、大きいものの方が大変なのかな。島とか船とか。屋根がなくて雨風にさらされてるだろうに、きれいに残ってる。子供の時にこれを見たら、さぞテンション上がっただろうな。
ただ、水の中に小銭が落ちてるのはよく分からない。お賽銭のつもりだったんだろうか。神社でもないのに。
「どう?かわいいでしょー、これ」
円の外側の柵に肘を置きぼんやり眺めていると、佐々蔵がやってきた。
「僕が来てた頃は音声ガイドみたいな機能もあったんだよ。そこの台のボタンを押したら、物語のあらすじを読んでくれるの」
「へぇー、すごいね。もしかしてあの台座も回ったりとか?」
「そう、よく分かったね。でももうさすがに動かないみたい。この細工だって、まだ撤去されてないのがすごいくらいだよ」
「そうだよね。何年も置かれてるわけだから」
そうか。もうすぐこれらはこの場所から移されるのか。
撤去されて、その後どこに行くのだろう。
「ねぇ累人君。君は、こういう場所好き?」
顔を上げ、佐々蔵の方を向く。
その視線の先にあるのは、高さ3メートル程の噴水。水瓶みたいな像の頂点からちろちろと水がこぼれている。節水なのか不具合なのか分からないくらいの申し訳程度の水量。
その周囲の柵にもたれて何やら話している伊志森と柳。あの組み合わせは普段なかなか見ないが、今は風景と割とマッチしているように感じる。
「こういう場所って、いわゆる西洋的な風景がってこと?」
「それもあるけど、何て言うのかな。人の少ない所っていうか、寂れた場所。かつては大勢の人がいたけど、時代が移り変わって、訪れる人が減って、忘れられてしまったような場所。ここみたいに」
「あぁ……流れに置いていかれて、留まっているみたいな」
「そう。君にも分かる?伊志にはわけ分からないって言われたけど」
まぁ、言いそうだな。
「ここには面白いものとかきれいなものとかがたくさんある。でもね、それだけじゃないんだ。僕が最初に来た時から他のお客さんがほとんどいなかった。だからいつも自由に走り回ってたんだ。この広い空間を独り占めできてるみたいで、それがすごく楽しくて。あ、妹もいたから2人占めか」
「確かに、それは楽しいかもね」
「子供の頃はわくわくする場所だった。今は、安心する、かな」
「安心?」
「流れに置いていかれるって君は言ったよね。それは時には不安なことかもしれない。でも、止まることのない流れに押されて、ひたすら進み続けるのはしんどいよ。そんな時にこういう場所にいるとね、ほっとするんだ。止まってもいい、少し休んでもいいって言ってくれてる気がするから」
「止まってもいい、場所……」
未来への流れが途絶えた世界。止まった時間。自分も、その一部になったかのよう。
時々、無性に1人になりたくなる。誰の顔も見たくない。声も聞きたくない。
そんな時、誰もいない空間、古びて寂れた場所にいたら。きっと気が楽になるのかもしれない。
声のない叫びを、ただ静かに受け止めてくれる。
「伊志が聞いたら、要するに現実逃避したいだけだろとか繊細さの欠片もないようなこと言うんだろうなー」
「誰が何つったって?」
いつの間にか2人がすぐそばに来ていた。
伊志森の隣に立つ柳の表情を見るに、さっきより少し不機嫌度が上がった気がする。何かあったのか?
「別に何もー。さ、行こうか。あそこに」
と、佐々蔵はそばにあるどっしりと構えられた建物を指差した。
ガラスの館。
一昔前のRPGに出てくるような、いかにもな城。それ以外の感想が思いつかない。
「ほんとに城なのに館なんだな」
「ぶっちゃけガラスの部分も疑わしいけどね。入ったら壁も天井も床も透明、なんてことはないから」
「それはそれで見てみたいかも」
自動ドアを通って中に入る。
佐々蔵の言った通り全てが透明ではなかった。が、足元を見ると正方形のタイルが敷かれている。透明なものが擦れたのか元からなのか、どれも白く濁ったような色。
「じゃあ一応順路あるから、それに沿って行こうか」
「なんか博物館みてぇだな」
右側の小部屋から入り、続いて2階へ上がる。
建物の半分程は見て回った。だが、いまいちコンセプトの分からない内容だった。
暗い部屋の中にライトアップされた噴水があったり、天井に星座の描かれた空間があったり、壁に西洋の城の絵画が掛けられていたり。
傾いた部屋があったり。
「わーい斜めだー」
「何だこれ、歩き辛」
「こ、これって、何のためにあるんぐへっ」
勢い余って壁に衝突する。
短い階段を上がったすぐ先が、下へ傾斜した床になっている。部屋そのものが30度くらい傾いているのか。
「子供の頃は何の疑問も持たなかったけど、今考えると不思議だねー。この部屋を作った人は何がしたかったのかな。その意図が分かるような大人に将来なってほしい、みたいな」
「だとしたらえらい難問を押し付けられてるな、俺ら」
分かったところで別にいいこともなさそう。
何とか斜め部屋から脱出し、先に進む。
次に見えてきたのは、少し不気味な空間だった。
高い天井まである鏡の壁。ここからでは分かり辛いが、途中で何本もの道に分かれているのだろう。照明はかなり落とされ、全体が薄暗くなっている。
「出ました、鏡の迷路」
「どこ向いても鏡か。気味悪そうだな」
「あ、これ競争ね。最後にゴールした人が後で飲み物おごる」
「唐突にそれかよ。てか経験者のお前が断然有利__」
「よーい、スタート!」
真っ先に駆け出していく佐々蔵の後を追って、伊志森も迷路の中に入っていく。元気だな2人共。
「じゃあ、行くか、柳」
「ああ」
今更走ったところで追いつけない。歩いて通路の中に踏み入る。
暗いが、鏡に映った自分の姿がはっきり見える程度の明るさはある。
「柳は、こういう体験型の迷路とかやったことある?」
「いや」
背後から返事がくる。
進む速度は自然とゆっくりになり、恐る恐る足を踏み出す。
……なんかこれ、結構怖いかも。
どこを見ても自分がいる。
合わせ鏡になっているから、同じ像が延々と続いている。動きに合わせて像も動く。当然だ、鏡なんだから。
でも、もしその中で、一つだけ違う動きをしていたら。
目の前の呆けた顔が、突然笑ったら。
「お、俺はあるよ。確か昔行った科学館でさ」
こういう時に限って余計な想像力が働く。何も考えるな。
「ダクトみたいな四角い狭い通路を進むやつでさ」
あまり周りを見るな。
「あれが意外と難しくて」
早く出ろ。ここから。
「何度やっても」
早く。早く。
「行き止まりに」
…………あ。
通路がどのような構造になっているのか分かりにくい。それが鏡の迷路の特徴だろう。どこで折れ曲がり、どこで途切れているのか、目の前に来るまで判断がつかない。
だから。
「ああ、行き止まりだな」
柳が言う。
「引き返すか?」
「…………あ、うん。えっと…………柳?」
「何だ」
「いや、その…………何で、そんな怖い顔……」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
語気が強められる。
「それとも、こっちから問い質してやろうか。俺の気が済むまで」
突き刺ささらんばかりの鋭い目つき。
「問い質すって…………一体、何を」
「名神。前にお前は言ったな。誤魔化されても追求すると。俺もそれに習う気になった」
「そんなこと……言った、かもね」
ゆっくり後退る。
それに合わせて柳も前に踏み出す。
でもここは行き止まりだ。逃げ場なんて__
あれ。えっ、これって。
周りを囲む6面の鏡。
その全てに映った像が、止まっている。
すでに3歩程後ろに下がったのに、こちらの動きと連動しない。鏡の中の俺、そして柳も数秒前の姿勢、位置のまま固まっている。
鏡像と本体が完全に切り離されている。
「…………お前の仕業か、柳」
「ああ。意外に冷静だな」
「そうだね。自分でも驚いてるよ。あまりの驚かなさに」
こういうことに対する精神的耐性は、別にいらないんだけどな。
「で、何これ。時間でも止めてるの?」
「外側と比べて少し遅いくらいだ。ひとまずこれで邪魔は入らない」
「なるほど。俺は閉じ込められたってことね」
後退する足が阻まれて止まった。
手が、背中が鏡に触れる。
ひどく冷たい。このまま凍り付かせてやるという程の冷気が全身に浸透する。
「それで、どうするつもり」
「言っただろ。お前が話さないなら、俺から問う」
「俺は今脅されてるの?」
「そう思うなら話は速い」
目の前の真っ直ぐな瞳がこちらを見る。
「何があった。あの銀髪と」
「分かってるんじゃん。俺が地学室で桐塚と話してたって」
「話だけで終わったなら、何で死にかけた顔で座り込んでいた。何があった。何を言われた」
「……質問に質問で返して悪いんだけどさ、柳は知ってたの?自分の父親が霊感、同じ力を持っているって」
「……あいつがそう言ったのか」
「可能性の話だったけどね」
「ちっ、あのクソ無神経。……まぁ、知っていたと言えばそうだ。“見える”とか直接言われたことはなかったが、向こうも多分知っていたはずだ。息子である俺も、自分と同じ側の人間だと」
「じゃあ、あの事件が呪いによって成されたっていうのは、本当なのか」
途端、柳の表情が歪む。
刃を突き立てられた痛みに耐えるかのように。
「…………父親の持つ力がどれくらいのものだったのか、よく知らない。だが事件が起きて、その詳細を聞いて、あれは呪いによるものだと分かった。何かに取り憑かれたか、精神に過度な負担がかかって暴走したか、恐らくそのどちらかだ」
__人体を物理的に破壊する程の強力な呪い。あの一夜君の父親というのなら、それ程の力を有していても不思議ではない。
桐塚の言葉が頭の中で再生される。
「父親に何があったのか、何も知らない。事件現場へも近寄らなかった。ただ事実から逃げたくて…………父親と向き合えてなかった罪悪感から目を背けたくて。家族なのに…………もっと踏み込んでいれば……」
「…………ごめん」
「何でお前が謝る」
「辛いことを、また思い出させるような話しちゃったなって。今更蒸し返したって、俺もお前も苦しいだけなのに」
「……知りたいと思うのは、当然のことだろ。お前にとって、大切な存在だったなら」
目を伏せながら言う言葉は、どこか虚しい色を帯びている。
大切な存在。それは柳にとっても、同じだったんじゃないのか。
「でも、知りたいからって、そんな自分だけの都合で柳にまで辛い思いを__」
「だから黙ってたっていうのか。それこそお前の都合だろ。この話をしたら傷つけることになるかもしれない、自分のせいだと責めさせるかもしれない。そんなものは全部お前自身のための言い訳だ。気遣いだか優しさだか知らないが、俺はそんなものは望んでない。お前だってそうだろ。だからしつこく俺に絡んできた。合わせる顔がないと何度突き放しても懲りずに関わってきた。違うか」
一気にまくし立てられ、数秒程フリーズする。
「…………しつこいは余計だと思うけど」
「妥当な表現だ。それで、奴は配慮の欠片もない話をしてその後どうした」
「へっ。あ、別に……その……」
「ついでに実験の手伝いをしろとか言って、力を使って無理矢理“接続”でもしてきたか」
すげぇ、ほぼ当たってる。
「ま、まるで見てきたみたいな言い方だな」
「……ほとんど当てずっぽうだったんだが、本当なのか」
「えっ、はめられたのか俺」
「あのな、何でそう頑なに隠そうとする。まさか奴に肩入れしてるわけじゃないだろうな」
「それはない。いやでも、だって柳絶対怒るだろ。倍返ししてやる、くらいの意気込みになるだろ」
「俺を何だと思ってんだ。100倍返しはする」
「想像以上の桁違い!」
「はぁ…………名神」
溜息を吐き、目線を足元に落としながら近寄ってくる。
黒い前髪が鼻先に触れそうな程の距離。囁き声がすっと耳に入ってくる。
「俺だって…………怖いんだよ。もし、お前がいなくなったらと思うと。だから隠そうとするな。独りで抱え込むなと言ったのはお前だろ。お前が全部受け取るというなら、俺だってそうする。でないと釣り合わないだろ」
「…………うん、そうだね」
「あと、俺のいない所で勝手にピンチになるなよ。いつもすぐ駆けつけられるわけじゃない」
「それは、難しい相談だな。俺だって好きでピンチになってるわけじゃないんだけど」
「今までよく大事にならなかったな」
「入院は大事に入らないのか。まぁ、それだけ色んな人に助けてもらってきたってことだ。迷惑ばっかかけて情けないよ」
「そうかもな。だが、それだけ多くの人間に大切に思われているってことでもあるだろ」
「大切に…………」
背後の鏡に張り付いていた左手に、柳の手が触れる。
温もりがじんわり染み込んでくる。そっと絡んでくる指の感触が何だかくすぐったい。
っ…………これは……なんか…………。
「や、柳」
「何だ」
「いいこと言ってるけど、場所と距離感が合ってない気がするよ」
「何か問題あるか」
「大ありなんだけど。特に後者については」
「こうでもしないとお前から話さなかっただろ」
「まぁ、否定はできないかな。これからはちゃんと話すよ。もうこんな尋問室並みにおっかない場所に引き込まれたくないから」
「内と外から出入りできないだけで害はない」
「あってたまるか。ていうか一生閉じ込めるつもり?」
「そうされたいなら、してやろうか」
と、真正面からじっと見つめてくる。
深緑の瞳に吸い込まれそうになり、慌てて横に目を逸らす。
すると、同じ姿勢で立つ自分と目が合った。鏡像が連動している。
ということは、元に戻ったのか。
「冗談だ。本気にしたか」
気付くと手は離れ、柳は数歩下がった所に立っている。
「……お前の冗談は趣味が悪い」
「それは悪かった。そろそろ行くか。あいつら待ってるだろ」
淡々とそう言って、先に進む。
もやもやした気分のままその後を追う。
……目は本気だったくせに。言動が合ってねぇよ。
少し距離を置いて行こうとしたが、全方位鏡という空間への恐怖心が再び湧き上がり、慌てて柳の隣に駆け寄る羽目になった。
少し早いけど昼にしようということで、敷地内の真ん中の広場の手前にあるシックな建物に入る。
室内全体が焦げ茶の木材で統一され、窓際のテーブル席からは外の広場が支柱の遮りなく一望できる。あの奥にある西洋風の建物は何だろう。
「おー、うどんを食べる姿みんな様になってるよ。撮りがいがあるねー」
「いいからさっさと食え。冷めるぞ」
「んー、やっぱり僕もそれにしたらよかったかな。なんかおいしそうに見えてきた」
「じゃ何で天丼にしたんだよ」
「全員一緒じゃつまんないと思ったから。でもそのお揚げいいなー。じーっ」
「ガン見してもやんねぇよ。きつねうどんからきつね取ったらただのうどんじゃねぇか」
「じゃあ僕のえび天あげるから、天ぷらうどんにすればいい」
「ならお前は油揚げ丼か?まぁいけなくもなさそうだが。ってだからやらねぇって」
「むー、だったらせめて鳴門ちょうだい。って何で言った途端食べるの!」
「でかい声出すな」
「あー、佐々蔵。俺のだったらまだ箸つけてないけど、いる?」
「やったー!恩に着るよー累人君」
「累人、別にこいつを甘やかす必要ねぇぞ。いい加減このガキっぽさからは脱してほしいからよ」
「そう言う伊志もケチっぽさから脱するべきだと思うけど。ねー柳っち」
「ああ、そうだな」
「すげぇどうでもよさそうな顔だな」
賑やかな食事風景。
だがそれは一か所のテーブルだけで、他はがらんとしている。他の客の目線や気配がないのは気楽だが、こうも誰もいないとかえって落ち着かない気もする。
何か大きな枠組みから外れて取り残されてる、みたいな。
「この後はガラスの館に行こうと思う。広場の左側に城っぽい建物あるでしょ?あそこ」
「城なのに館なのか」
「何があるの?そこに」
「それは入ってからのお楽しみ。あそうだ、その前に広場見てこっか」
広場。
4つの建物に囲まれた四角い空間。
真ん中には大きな噴水。その周りを囲む4つの円。それらの円の周囲をレンガ道と芝生が囲っている。
円の中央には円形の台座、その周囲の窪みには水が張られている。まるで海に浮かぶ孤島。水の底には色とりどりのガラス玉が敷き詰められ、日光を受けてキラキラ光っている。
台座の上にはガラス細工が置かれていた。人や動物など様々な形を模している。4つある円のそれぞれがおとぎ話の一場面を表現しているらしい。
オレンジのレンガ道を歩き、一つ一つを見て回る。
これが不思議の国に行く話で、これが空を飛んで夢の国に行く話。これは、木の人形が動く話か。
あとこれは……何だろう。船があって、魚がいて、あれは人魚っぽいな。じゃあ人魚姫とかそんな感じかな。
しかしよくできてる。
あんな手のひらサイズの人形をガラスで作るなんて。服の装飾も細かい。いや、大きいものの方が大変なのかな。島とか船とか。屋根がなくて雨風にさらされてるだろうに、きれいに残ってる。子供の時にこれを見たら、さぞテンション上がっただろうな。
ただ、水の中に小銭が落ちてるのはよく分からない。お賽銭のつもりだったんだろうか。神社でもないのに。
「どう?かわいいでしょー、これ」
円の外側の柵に肘を置きぼんやり眺めていると、佐々蔵がやってきた。
「僕が来てた頃は音声ガイドみたいな機能もあったんだよ。そこの台のボタンを押したら、物語のあらすじを読んでくれるの」
「へぇー、すごいね。もしかしてあの台座も回ったりとか?」
「そう、よく分かったね。でももうさすがに動かないみたい。この細工だって、まだ撤去されてないのがすごいくらいだよ」
「そうだよね。何年も置かれてるわけだから」
そうか。もうすぐこれらはこの場所から移されるのか。
撤去されて、その後どこに行くのだろう。
「ねぇ累人君。君は、こういう場所好き?」
顔を上げ、佐々蔵の方を向く。
その視線の先にあるのは、高さ3メートル程の噴水。水瓶みたいな像の頂点からちろちろと水がこぼれている。節水なのか不具合なのか分からないくらいの申し訳程度の水量。
その周囲の柵にもたれて何やら話している伊志森と柳。あの組み合わせは普段なかなか見ないが、今は風景と割とマッチしているように感じる。
「こういう場所って、いわゆる西洋的な風景がってこと?」
「それもあるけど、何て言うのかな。人の少ない所っていうか、寂れた場所。かつては大勢の人がいたけど、時代が移り変わって、訪れる人が減って、忘れられてしまったような場所。ここみたいに」
「あぁ……流れに置いていかれて、留まっているみたいな」
「そう。君にも分かる?伊志にはわけ分からないって言われたけど」
まぁ、言いそうだな。
「ここには面白いものとかきれいなものとかがたくさんある。でもね、それだけじゃないんだ。僕が最初に来た時から他のお客さんがほとんどいなかった。だからいつも自由に走り回ってたんだ。この広い空間を独り占めできてるみたいで、それがすごく楽しくて。あ、妹もいたから2人占めか」
「確かに、それは楽しいかもね」
「子供の頃はわくわくする場所だった。今は、安心する、かな」
「安心?」
「流れに置いていかれるって君は言ったよね。それは時には不安なことかもしれない。でも、止まることのない流れに押されて、ひたすら進み続けるのはしんどいよ。そんな時にこういう場所にいるとね、ほっとするんだ。止まってもいい、少し休んでもいいって言ってくれてる気がするから」
「止まってもいい、場所……」
未来への流れが途絶えた世界。止まった時間。自分も、その一部になったかのよう。
時々、無性に1人になりたくなる。誰の顔も見たくない。声も聞きたくない。
そんな時、誰もいない空間、古びて寂れた場所にいたら。きっと気が楽になるのかもしれない。
声のない叫びを、ただ静かに受け止めてくれる。
「伊志が聞いたら、要するに現実逃避したいだけだろとか繊細さの欠片もないようなこと言うんだろうなー」
「誰が何つったって?」
いつの間にか2人がすぐそばに来ていた。
伊志森の隣に立つ柳の表情を見るに、さっきより少し不機嫌度が上がった気がする。何かあったのか?
「別に何もー。さ、行こうか。あそこに」
と、佐々蔵はそばにあるどっしりと構えられた建物を指差した。
ガラスの館。
一昔前のRPGに出てくるような、いかにもな城。それ以外の感想が思いつかない。
「ほんとに城なのに館なんだな」
「ぶっちゃけガラスの部分も疑わしいけどね。入ったら壁も天井も床も透明、なんてことはないから」
「それはそれで見てみたいかも」
自動ドアを通って中に入る。
佐々蔵の言った通り全てが透明ではなかった。が、足元を見ると正方形のタイルが敷かれている。透明なものが擦れたのか元からなのか、どれも白く濁ったような色。
「じゃあ一応順路あるから、それに沿って行こうか」
「なんか博物館みてぇだな」
右側の小部屋から入り、続いて2階へ上がる。
建物の半分程は見て回った。だが、いまいちコンセプトの分からない内容だった。
暗い部屋の中にライトアップされた噴水があったり、天井に星座の描かれた空間があったり、壁に西洋の城の絵画が掛けられていたり。
傾いた部屋があったり。
「わーい斜めだー」
「何だこれ、歩き辛」
「こ、これって、何のためにあるんぐへっ」
勢い余って壁に衝突する。
短い階段を上がったすぐ先が、下へ傾斜した床になっている。部屋そのものが30度くらい傾いているのか。
「子供の頃は何の疑問も持たなかったけど、今考えると不思議だねー。この部屋を作った人は何がしたかったのかな。その意図が分かるような大人に将来なってほしい、みたいな」
「だとしたらえらい難問を押し付けられてるな、俺ら」
分かったところで別にいいこともなさそう。
何とか斜め部屋から脱出し、先に進む。
次に見えてきたのは、少し不気味な空間だった。
高い天井まである鏡の壁。ここからでは分かり辛いが、途中で何本もの道に分かれているのだろう。照明はかなり落とされ、全体が薄暗くなっている。
「出ました、鏡の迷路」
「どこ向いても鏡か。気味悪そうだな」
「あ、これ競争ね。最後にゴールした人が後で飲み物おごる」
「唐突にそれかよ。てか経験者のお前が断然有利__」
「よーい、スタート!」
真っ先に駆け出していく佐々蔵の後を追って、伊志森も迷路の中に入っていく。元気だな2人共。
「じゃあ、行くか、柳」
「ああ」
今更走ったところで追いつけない。歩いて通路の中に踏み入る。
暗いが、鏡に映った自分の姿がはっきり見える程度の明るさはある。
「柳は、こういう体験型の迷路とかやったことある?」
「いや」
背後から返事がくる。
進む速度は自然とゆっくりになり、恐る恐る足を踏み出す。
……なんかこれ、結構怖いかも。
どこを見ても自分がいる。
合わせ鏡になっているから、同じ像が延々と続いている。動きに合わせて像も動く。当然だ、鏡なんだから。
でも、もしその中で、一つだけ違う動きをしていたら。
目の前の呆けた顔が、突然笑ったら。
「お、俺はあるよ。確か昔行った科学館でさ」
こういう時に限って余計な想像力が働く。何も考えるな。
「ダクトみたいな四角い狭い通路を進むやつでさ」
あまり周りを見るな。
「あれが意外と難しくて」
早く出ろ。ここから。
「何度やっても」
早く。早く。
「行き止まりに」
…………あ。
通路がどのような構造になっているのか分かりにくい。それが鏡の迷路の特徴だろう。どこで折れ曲がり、どこで途切れているのか、目の前に来るまで判断がつかない。
だから。
「ああ、行き止まりだな」
柳が言う。
「引き返すか?」
「…………あ、うん。えっと…………柳?」
「何だ」
「いや、その…………何で、そんな怖い顔……」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
語気が強められる。
「それとも、こっちから問い質してやろうか。俺の気が済むまで」
突き刺ささらんばかりの鋭い目つき。
「問い質すって…………一体、何を」
「名神。前にお前は言ったな。誤魔化されても追求すると。俺もそれに習う気になった」
「そんなこと……言った、かもね」
ゆっくり後退る。
それに合わせて柳も前に踏み出す。
でもここは行き止まりだ。逃げ場なんて__
あれ。えっ、これって。
周りを囲む6面の鏡。
その全てに映った像が、止まっている。
すでに3歩程後ろに下がったのに、こちらの動きと連動しない。鏡の中の俺、そして柳も数秒前の姿勢、位置のまま固まっている。
鏡像と本体が完全に切り離されている。
「…………お前の仕業か、柳」
「ああ。意外に冷静だな」
「そうだね。自分でも驚いてるよ。あまりの驚かなさに」
こういうことに対する精神的耐性は、別にいらないんだけどな。
「で、何これ。時間でも止めてるの?」
「外側と比べて少し遅いくらいだ。ひとまずこれで邪魔は入らない」
「なるほど。俺は閉じ込められたってことね」
後退する足が阻まれて止まった。
手が、背中が鏡に触れる。
ひどく冷たい。このまま凍り付かせてやるという程の冷気が全身に浸透する。
「それで、どうするつもり」
「言っただろ。お前が話さないなら、俺から問う」
「俺は今脅されてるの?」
「そう思うなら話は速い」
目の前の真っ直ぐな瞳がこちらを見る。
「何があった。あの銀髪と」
「分かってるんじゃん。俺が地学室で桐塚と話してたって」
「話だけで終わったなら、何で死にかけた顔で座り込んでいた。何があった。何を言われた」
「……質問に質問で返して悪いんだけどさ、柳は知ってたの?自分の父親が霊感、同じ力を持っているって」
「……あいつがそう言ったのか」
「可能性の話だったけどね」
「ちっ、あのクソ無神経。……まぁ、知っていたと言えばそうだ。“見える”とか直接言われたことはなかったが、向こうも多分知っていたはずだ。息子である俺も、自分と同じ側の人間だと」
「じゃあ、あの事件が呪いによって成されたっていうのは、本当なのか」
途端、柳の表情が歪む。
刃を突き立てられた痛みに耐えるかのように。
「…………父親の持つ力がどれくらいのものだったのか、よく知らない。だが事件が起きて、その詳細を聞いて、あれは呪いによるものだと分かった。何かに取り憑かれたか、精神に過度な負担がかかって暴走したか、恐らくそのどちらかだ」
__人体を物理的に破壊する程の強力な呪い。あの一夜君の父親というのなら、それ程の力を有していても不思議ではない。
桐塚の言葉が頭の中で再生される。
「父親に何があったのか、何も知らない。事件現場へも近寄らなかった。ただ事実から逃げたくて…………父親と向き合えてなかった罪悪感から目を背けたくて。家族なのに…………もっと踏み込んでいれば……」
「…………ごめん」
「何でお前が謝る」
「辛いことを、また思い出させるような話しちゃったなって。今更蒸し返したって、俺もお前も苦しいだけなのに」
「……知りたいと思うのは、当然のことだろ。お前にとって、大切な存在だったなら」
目を伏せながら言う言葉は、どこか虚しい色を帯びている。
大切な存在。それは柳にとっても、同じだったんじゃないのか。
「でも、知りたいからって、そんな自分だけの都合で柳にまで辛い思いを__」
「だから黙ってたっていうのか。それこそお前の都合だろ。この話をしたら傷つけることになるかもしれない、自分のせいだと責めさせるかもしれない。そんなものは全部お前自身のための言い訳だ。気遣いだか優しさだか知らないが、俺はそんなものは望んでない。お前だってそうだろ。だからしつこく俺に絡んできた。合わせる顔がないと何度突き放しても懲りずに関わってきた。違うか」
一気にまくし立てられ、数秒程フリーズする。
「…………しつこいは余計だと思うけど」
「妥当な表現だ。それで、奴は配慮の欠片もない話をしてその後どうした」
「へっ。あ、別に……その……」
「ついでに実験の手伝いをしろとか言って、力を使って無理矢理“接続”でもしてきたか」
すげぇ、ほぼ当たってる。
「ま、まるで見てきたみたいな言い方だな」
「……ほとんど当てずっぽうだったんだが、本当なのか」
「えっ、はめられたのか俺」
「あのな、何でそう頑なに隠そうとする。まさか奴に肩入れしてるわけじゃないだろうな」
「それはない。いやでも、だって柳絶対怒るだろ。倍返ししてやる、くらいの意気込みになるだろ」
「俺を何だと思ってんだ。100倍返しはする」
「想像以上の桁違い!」
「はぁ…………名神」
溜息を吐き、目線を足元に落としながら近寄ってくる。
黒い前髪が鼻先に触れそうな程の距離。囁き声がすっと耳に入ってくる。
「俺だって…………怖いんだよ。もし、お前がいなくなったらと思うと。だから隠そうとするな。独りで抱え込むなと言ったのはお前だろ。お前が全部受け取るというなら、俺だってそうする。でないと釣り合わないだろ」
「…………うん、そうだね」
「あと、俺のいない所で勝手にピンチになるなよ。いつもすぐ駆けつけられるわけじゃない」
「それは、難しい相談だな。俺だって好きでピンチになってるわけじゃないんだけど」
「今までよく大事にならなかったな」
「入院は大事に入らないのか。まぁ、それだけ色んな人に助けてもらってきたってことだ。迷惑ばっかかけて情けないよ」
「そうかもな。だが、それだけ多くの人間に大切に思われているってことでもあるだろ」
「大切に…………」
背後の鏡に張り付いていた左手に、柳の手が触れる。
温もりがじんわり染み込んでくる。そっと絡んでくる指の感触が何だかくすぐったい。
っ…………これは……なんか…………。
「や、柳」
「何だ」
「いいこと言ってるけど、場所と距離感が合ってない気がするよ」
「何か問題あるか」
「大ありなんだけど。特に後者については」
「こうでもしないとお前から話さなかっただろ」
「まぁ、否定はできないかな。これからはちゃんと話すよ。もうこんな尋問室並みにおっかない場所に引き込まれたくないから」
「内と外から出入りできないだけで害はない」
「あってたまるか。ていうか一生閉じ込めるつもり?」
「そうされたいなら、してやろうか」
と、真正面からじっと見つめてくる。
深緑の瞳に吸い込まれそうになり、慌てて横に目を逸らす。
すると、同じ姿勢で立つ自分と目が合った。鏡像が連動している。
ということは、元に戻ったのか。
「冗談だ。本気にしたか」
気付くと手は離れ、柳は数歩下がった所に立っている。
「……お前の冗談は趣味が悪い」
「それは悪かった。そろそろ行くか。あいつら待ってるだろ」
淡々とそう言って、先に進む。
もやもやした気分のままその後を追う。
……目は本気だったくせに。言動が合ってねぇよ。
少し距離を置いて行こうとしたが、全方位鏡という空間への恐怖心が再び湧き上がり、慌てて柳の隣に駆け寄る羽目になった。
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