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番外編

僕達の綺霊な居場所づくり

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 下駄箱で靴を履き替え、外に出る。
 そろそろセーターをたんすから出した方がいいだろうか。10月に入ってからというもの、昼間でも空気がひんやりしている。
 駐輪場へ向かおうと歩き出したところ、
「よっ、裁間。今日は旦那は一緒じゃねぇのか」
 寺田島が体操服姿でやってきた。
「部活か?お疲れ。つかその表現やめろ」
「だって戯堂のやつ、いつ見てもお前にくっついてるだろ。寄生虫みたいに」
「それも却下」
「じゃあ守護霊」
「却下」
「ならコバンザメ」
「まぁそれなら」
「お前の基準分からん」
 それから校舎前でしばらく寺田島と雑談する。
 今日は日曜日。授業はなく、俺は期限を1週間以上延滞していた提出物を出しに来ただけ。
 だが寺田島の認識としては俺と戒が片時も離れず共に行動しているようで、俺一人が学校に来ていることが大層意外らしい。いくら何でも会わない日くらいあるわ。
 ……まぁ、この後用事はないし、帰りに家に寄るのもありか。
「そうだ裁間。今暇か?だったら体育館覗いてこうぜ。今日バレー部が練習試合やってて、県内トップの強豪校が来てんだって」
 ワクワクした顔で提案してくる。
「今やってるのか、試合」
「ああ。すんごい白熱してるらしいぞ」
 少しだけなら、と言う前に腕を掴まれ連行された。
 開け放たれた扉から体育館の中を覗き込む。入口付近や2階にいる生徒はギャラリーだろうか。
 おっしゃあああ!と、中央に設けられたコートから気合の入った声が上がる。たった今点が入ったようだ。
「手前のコートが対戦相手か?」
「そ。去年の全国大会で準々決勝まで残った七森荒神ななもりこうじん高校。で今前衛の真ん中にいるのが2年のエース、辻宗つじむね天哉あまや
「詳しいな。お前テニス部だろ」
「この前ニュースで特番やってたぞ。全国優勝目指して励む学生達に密着、って」
「へぇ。観名崎って強さ的にどうなんだ」
「うちは県内ベスト8が精一杯って国河が言ってた。全然レベルちげーよな」
「だな」
 喋っている間も得点が動き、7点差で七森荒神がセットを取り終了する。スポーツには尽く疎い目からしても、相手チームの動きが洗練されているように見えた。
 試合は一旦休憩に入り、寺田島も部活に戻っていった。さて帰るかと踵を返す。
 すると、
「あ、ねぇ君」
 声をかけられた。
 振り向くと、ついさっきまで試合で活躍していたエースが目の前にいた。背高い。
「えっと……辻宗、だっけ」
「僕のこと知ってる?」
 と、驚いて目を丸くする。強面な感じは全くなく、どこか抜けた雰囲気が漂う。
「まぁ、さっき聞いた。俺は裁間」
「サイマ君。んー、やっぱり似てるかも」
「似てる?何に」
「僕の4つ下の弟に。眼鏡かけてもっとふにゃって顔したら」
 それどこが似てるんだ。
 わざわざそれを言うために話しかけてきたのかと内心呆れていると、辻宗は不意に神妙な表情になって、
「あのさ、サイマ君。君って__」

「もしかして、幽霊だったりする?」

 乾いた空気が流れる。
 戒や寺田島が言ったことならセンスのない冗談だなとスルーするが、初対面の相手のため一応取り合う。
「いや、違うけど」
「そっか。……でも、すごく絡まってる……。じゃあ、ここ最近悪魔みたいなやつに魂売った?」
 真顔で何言ってんだ、こいつ。
 訝しむ心境は十分伝わっているはずだが、相手に撤回する素振りはない。
 辻宗、と後方からチームメイトが呼ぶ。それに今行くと返し、再びこちらに向き直って、
「もし何かやばいことに首突っ込んでるなら、今すぐやめた方がいい」
 屋上から身を投げようとする人間を引き止めるように、ひどく緊迫した表情でそう言った。
 何か言い返す前に辻宗が立ち去ったため、俺は無言でその背中をじっと見つめる。
 幽霊とか悪魔とか、結局何が言いたかったんだ。やばいことに首突っ込むって、そんな自覚はないし、そもそも初対面のお前に何が分かる。
 今度こそ帰ろうと体育館を後にする。だが歩いても歩いても、気分は一向にすっきりしない。
 ただの戯言だと頭では分かっている。なのに、胸の中のざわめきが収まらないのはなぜだろうか。



 風が強い。
 時折正面から押し寄せる空気の塊に目が開けられなくなる。雲も広がってきたせいか、段々と肌寒さが増している気がする。
 赤信号の手前で自転車を止め、道路の反対側に目を向ける。
 緑色の看板の本屋。1階にはゲーセンも入っており、たまに学校帰りに戒と遊んだり新刊を見繕ったりしている。
 立ち寄ろうか一瞬迷ったが、今日はやめておこうと思い直す。
 先程学校の駐輪場で携帯を確認した時、母からRINEのメッセージが届いていた。

『朝言い忘れてたけど、用事済んだらすぐ帰りなさいよ』

 なんでわざわざ。以前悪天候の中無断で山に行った挙句死にかけた前科があるとは言え、母は元来俺に関してさほど心配性ではない。
 りょーかい、と返信したところでふと理由に思い至った。
 数日前に他県で起こった強盗殺人事件の犯人複数名が車で逃走中、今日この市内に入ったことが防犯カメラで確認された、というニュースが昨晩食卓で流れていた。いくら市が広いとは言え、自分達が今いるこの町にいつ逃走犯が来てもおかしくない。不安を漏らす両親を横目に小骨だらけの焼き魚と一人格闘していたのを思い出し、自分の関心の低さに呆れる。
 危機感というのは、どうすれば持ったことになるんだろうな。
 青になった信号を渡ってそのまま帰路につく。
 人通りのほとんどない道を走っていると、公園が見えてきた。敷地が広大で緑が多く、昔から戒とよく鬼ごっこや虫捕りをして遊んだ。
 休日は普段子供で賑わっているが、中は閑散としていた。あのニュースの影響だろうか。
 公園の入口前に差しかかったところで、思わずブレーキを握っていた。公園の内部にじっと視線を向ける。
 確かに、見間違いじゃない。
 自転車を降り、入口から入ってすぐの木の下に停める。鞄は背負ったままざくざくと乾いた砂の上を歩いていく。
 ラクダや亀の色あせた像を通り過ぎ、塗装の剥げた鉄柵に囲まれた遊具の前に立った。

 4つ並んだブランコの端の一つに、戒が座っていた。

「何やってんだ。こんなとこで」
「……ゆき。おかえり」
 ぼんやりとした目がゆっくり見上げる。
 顔がはっきり判別できる距離ではなかったが、なぜか確信が持てた。他の人間に対してだとそうはいかないのに。
「学校に何しに行ってたの」
「課題出しに。ついでに20分近く説教された。期限を守るのは最低限の努力だとか何とか」
「忘れてたのは仕方ないよ」
「仕方ないで済まされないのが人間社会だ」
「ふぅん。そっか」
 興味のなさげな顔を逸らす。
 口がへの字に曲がり、声のトーンがいつもより低い。明らかにご機嫌斜めだ。
 鉄柵の内側に入り、すぐ隣に立つ。
「どした。気に入らないことでもあったか」
「うん……。あのさ、ゆき。家の中に気持ち悪いのが入ってきたら、どうする?」
「何だそれ。蚊とかGの話か?」
「まぁそうかな。いわゆる害虫みたいな」
「そんなのがいたら殺虫スプレーかティッシュで即時討伐だ。誰だってそうするだろ」
「すぐに殺すってこと?」
「聖職者でも坊さんでもないんだ。虫の殺生にいちいちこだわるか」
「そっか…………うん、そうだよね」
 すると、前方に振れる勢いに任せてブランコから飛び降りる。そして両腕を空に突き上げ、
「よし、さっそくやろう!やっぱり自分の居場所は、きれいにしとかないとね」
「部屋掃除か?ま頑張れ」
「ゆきこそ物をすぐ床に散らかす癖直したらー?」
 それは言い返せない。
 帰ろっかと振り向く戒に短く応じる。機嫌は直ったようだ。
 公園の出口へと一歩進んだところ、ふと思い至って、もう一度戒に向き直る。
「あのさ、戒。今更な気もするんだけどさ」
「ん?なに」

「お前がここにいて、周りの人間に影響とかってないのか」

「……誰かにそう言われた?」
 言葉足らずだったかと思ったが、戒はすっと目を細めて尋ね返す。
 というか、なんで分かったんだ。
「やっぱりそうなんだ。あまり君の思考らしくないからね。それで、そいつは僕がバケモノだって見抜いていたの?」
「いや、そうじゃない。むしろおかしいって言われたのは俺の方なんだ。やばいことに関わってるなら、やめた方がいいって。だから、別にお前のことを指して言ったとは__」
「でもそのやばいことに当てはまるのが僕だと、君は思った。だから訊いてきたんでしょ」
 声が冷たい。
 言葉が発せられる度に、凍てつく海の大波を頭から被っている気分になる。
「君の言う影響は、悪い被害ってことでいいのかな。あるかないかは僕が訊きたいくらいだ。ここ10年間で、君の周りで何かよくない出来事はあった?」
「それは…………ないなんて言い切れないけど。でもそれって、運が良くないのを占いのせいにするのと同じだろ」
 大昔の伝説や言い伝えじゃないんだ。根拠のない因果関係を決めつけるのは間違っている。
 すると戒は少しだけ意外そうな顔をして、
「それもそうか。僕自身、信仰の廃れた落ちぶれの神様という自覚はある。いるだけで自分の周りに影響を出すような力はないよ。……これからはそうもいかないだろうけど」
「これからは……?」
「今は被害なんてないように見えても、このままじゃいつか大きく崩れていく。確か、シロアリは木材を食べて家を少しずつ壊していくんだっけ。立派な害虫だ。きっと僕も、そうなんだ」
「戒……それは、違う」
 自分の声が、あまりにも頼りない。
「違う?じゃあ」

 キィ…………

「何もかも手遅れになった後でも」

 キィ…………

「君はそう言えるの?」

 キィ…………

 すぐ横から金属の軋む音がする。
 気になって顔を向けると。

 並んで吊るされた4つのブランコが、振り子のように揺れている。
 誰も座ってないのに。
 周囲の木々が風にあおられざわめく中、一人きりの寂しさに怯える子供のように、小さく喚きながら揺れている。
 そんな光景を前に、心臓が冷蔵庫に投げ入れられたように一気に冷えた。

「ねぇ幸守。答えて」



「君はもう、僕と一緒にいたくない?」



 言葉がぐるぐると体の中を巡る。
 そして、すとんと底に落ちた。
 ……………………。
 しばらく沈黙が流れた後、地面に落としていた目線を眼前の仮面のような顔に向ける。
 そして、真っ直ぐに目を見据えて、言い放った。



「馬鹿か、お前は」



「っ、はぁ?」
 大きく意表を突かれたように、戒は表情を歪ませる。
「何言ってるの」
「聞こえなかったか。ならゆっくり言う。お前は、馬鹿なのか」
「違う。なんでそう言うのって訊いてるの」
 怒った顔で詰め寄ってくる。
 自分の中でさっきまで充満していた焦りや恐れは既に凪いでいた。代わりに、沸々とした感情が底から湧き上がってくる。
「戒。お前は人の話を聞いてないことがよぉーくあるよな。いつも仕方ない奴と流してたが、今回は我慢ならない」
「僕が何を聞いてないって」
 
「何のために、お前に好きだって言ったと思ってる。お前と、ずっと一緒にいるためだ。お前はそう思ってないのかよ!」

 精一杯張り上げた大声。
 戒はビクッと肩を震わせ、こちらを睨んだまま萎縮する。
「…………思ってるよ。僕だって。でもゆきは、自分や周りの人間が僕のせいでひどい目に遭うのは嫌なんでしょ」
「俺のことはどうなったっていい。それに、お前がここにいられないなら、俺も一緒について行く。それなら問題ないだろ」
「ついて行くって、僕の実家に?祠しかないよ?」
「それは…………何とかなる。多分」
「自信なさげだね。でも、ゆきが嫁いでくるなら毎日楽しいだろうなぁ」
「とっ…………そ、それは語弊があるぞものすごく」
 動揺する俺にくすっと笑いを漏らし、すぐ真面目な顔になって、
「ゆき。疑ってごめん。もうあんなこと訊かない。だから…………怒らないで」
「もう怒ってない」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「ほんとにほんと?」
「しつこい」
「やっぱ怒ってるじゃん」
「それはまた別だっつの」
 頬を膨らませる戒に思わず溜め息を吐く。今日はよく機嫌が変わる日だ。
 仕方ないな。
 一歩前に踏み出し、両腕を広げて抱き締める。温かくもどこか儚さを感じる体を。
「ゆき……」
「さっき、怒鳴って悪かった。これで勘弁してくれ」
「……今回だけね」
 戒も背後に腕を回し、ぎゅっと力を入れる。
 とめどなく揺れていたブランコは、いつの間にか静止していた。




 翌朝。
 …………だる。
 全身が鉛でできているかのように重い。風邪引いてはないよな。考えつつリビングの壁に寄りかかり、歯ブラシを動かす。
 ここ2か月くらい、朝起きてからひどい疲労を感じることが時々ある。前日に重労働をしたわけでもないのに。決まって戒に具合を訊かれるし、あまり気をかけさせたくないのだが。
 テレビではちょうどニュースをやっている。目を向けようとすると、
「おはよー、ゆき。遅くなってごめん。あれ、また具合悪い?」
 制服姿の戒がリビングに顔を出す。一目で分かる程顔に出ていたのか。
「おはよ。若干だるいだけ。あとは平気」
「そっか。……慣れてきたんだね。て、まだ支度できてないの?もう行かないと遅刻するよ。それに1限目は英語の小テストなんだから。ちゃんと勉強した?」
「した。けどもう覚えてない」
「抜けるの早過ぎ」
 すると、戒はすぐ目の前に立ち、俺の襟元に手を伸ばす。
「何だよ」
「ボタン止めるから動かないで」
「はぁ?別にいいって」
「時間ないんだよ。ゆきは早く歯磨きして。僕がネクタイつけるから」
「いいっての。……ったく」
 恥ずかしさよりも遅刻回避を優先し、抵抗を諦める。
 その間テレビで流れていたニュースは全く頭に入らなかった。





「__今日午前4時頃、『車内で人が死んでいる』と住民からの通報があり、警察官が駆けつけたところ、灰ヶ山麓の車道に停まっていたワゴン車から男性3人の遺体が発見されました。死因はいずれも頸動脈切断による出血性ショックで、現場の状況から自殺の可能性が高いと見られています。
 被害者の身元は不明ですが、警察が車のナンバーを調べたところ、現在指名手配中の強盗殺人事件の容疑者らが逃走に使っていたものと一致することが分かりました。警察は、亡くなった3人が逃走中の容疑者らと同一であるとみて、確認を急いでいます__」

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