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獣人の国
216:賢者に会う
しおりを挟むマイクとディランは、
家の近くの樹に馬をたずなを括り、
私と一緒に賢者の家の扉の前に立った。
マイクが扉をノックしようとしたけれど、
そのマイクの手を押し返すように
ディランが先に扉を叩く。
何を張り合ってるのかと、
自然に笑いが漏れた。
扉はすぐに開いた。
「やぁ、いらっしゃい」
穏やかな声だ。
顔をあげて賢者さんを見た。
茶色いふわふわの髪をしている。
黒……よりは、少し茶色い円い目が
可愛い、と言えそうな印象だけど、
どうみても40代……もしかしたら
40代後半ぐらいだろうか。
甘い顔立ちの男性が、立っている。
「賢者殿でしょうか。
我々は……」
と今度はマイクがディランよりも
先に挨拶をしている。
が、私はそんな声も聞こえない程
賢者さんを見つめてしまった。
……知ってる、ような気がする。
この人のことを。
でも、どこで見たんだろう。
こんな人は、知らない。
でも、優しく笑う目元も、
ふわふわの髪も、知ってるような気がする。
手を引かれて
背中に手を添えられて。
私は家の中に入り、
テーブルに座らされたけれど、
賢者さんから視線を離せなかった。
気になる。
でもなぜ?
この人は、だれ?
「ユウ、大丈夫か?」
耳元でディランに声を掛けられ、
私はようやく我に返った。
「え? あ、ごめん、なに?」
「どうされました? ユウさま。
あの賢者になにかあるのでしょうか」
私はいつの間にか3人で一緒に
リビングみたいな場所のテーブルで
席についていた。
食事用のテーブルのようで、
近くにキッチンらしいものが見える。
賢者さんはそこでお茶を淹れてくれているようだ。
部屋を見回すと、
あちこちに沢山の本が積み上がっている。
本棚が無いのか、ソファーのようなものが
見えたけれど、その上にも、
そのソファーの前にあるであろう
テーブルも、本で隠されて見えなかった。
この家で使えるテーブルは
唯一、ここしかないのかもしれない。
でも、こんな部屋の様子も
どこか知ってる……懐かしい感じがした。
懐かしい?
なんで?
ぼんやりしていると
「どうぞ」と目の前にカップが置かれた。
「一人で住んでいるので
同じカップはないんですよ、
申しわけない」
と賢者さんは笑う。
確かに、私の前に出されたカップは
可愛らしい花の形をしたカップだったけど
ディランやマイクの前に置かれたカップは
普通の、それこそ100円ショップで
売っているようなマグカップだった。
私だけ、特別扱い?
そっと賢者さんを見ると、
優しく、懐かしそうに目を細めて
賢者さんは私を見ていた。
どくん、と心臓が鳴る。
居心地が悪い気がして、
私は、いただきます、と頭を下げて
カップを持つ。
一口飲むと、
甘い……ミルクの味がした。
私は賢者さんを見た。
「お口にあいましたでしょうか」
「はい」
私は頷く。
「珍しいお茶だな」
ディランが私の右隣で言う。
「そうですね。
このような風味のお茶は
初めて飲みました」
と左横でマイクも言う。
お茶?
ミルクでしょ?
それとも、
私だけ……とくべつ?
「おもてなしはできませんが、
飲み物だけは贅沢させてもらってます」
賢者さんは笑う。
「私は食事はどうでもいいのですが、
飲み物だけはこだわっておりまして」
知ってる。
そう思った。
その言葉も、甘いミルクの味も。
でも、そんなわけがない。
ありえない。
「それで、この国のことに
詳しいと言う賢者は
あなたで間違いないのか?」
ディランが慣れない口調で
敬語を話そうとしている。
そのことに、頭の中にいる冷静な自分が
驚いたり、笑ったりしているが、
表情には出ない。
そんなことよりも
目の前の賢者から目が離せない。
「そうですね。
そう呼ばれていますが、
私は別に、賢者ではないのですよ」
と、賢者さんは笑う。
「けれど、名前は今は名乗れません。
これも申し訳ない」
「名乗れない?
それは何か名乗ると不都合なことがあるのでしょうか」
マイクの言葉に、賢者さんは首を振った。
「いえ、純粋に私には名前がないのです」
「名前が無い? どういう意味だ?」
ディランがさっそく敬語を無くした。
「そのままの意味です。
誰も私に名を付けてくれなかったので。
ですが、名を与えて貰えば
その名が私の名前になります。
あ、お気遣いなく。
名を与えてくれる者は、
この世界でただ一人、決まっておりますので」
賢者さんはさらに言葉を続ける。
「それに名前など無くても、
ここでは一人で暮らしていますし、
さほど苦労はありません。
そして王宮から来た使いの方にも
伝えていますが、
私に協力できることはもちろん
協力させていただきます。
もちろん、内容は口外無用で」
最後は揶揄うように、
片目をつぶって笑う。
不器用なウインクで、
片目だけではなく、もう片方の
瞼も動いている。
私は思わず立ち上がった。
「ユウ?」
「ユウさま?」
両隣の二人も驚いて立ち上がるが
私は二人を見ることができない。
賢者さんは、
いたずらが成功したときのような、
嬉しそうな顔をした。
「僕の可愛いお姫様。
おいで」
手を差し出される。
無条件で、掴みたくなる手だ。
「ここには誰もいないから
秘密にしなくても大丈夫だよ」
と、賢者さんは優しく笑う。
「ごめんよ、君に全部押し付けた。
もっと違う方法もあっただろうに。
寂しくさせてしまった。
その償いをしたいんだ。
それとも私はもう君の……
親、失格だろうか」
「「親!?」」
両側で様子を見ていただろう2人が
大声を出す。
でも、そんなの気にならない。
「親……ですか?」
私は手を取らずに、
椅子から離れて
賢者さんに一歩近づいた。
「うん。僕は君の親だ。
君はそう思ってはいなかったかも
知れないけれど」
私が手を取らないからか、
賢者さんの笑顔が、歪む。
私は首を振り、
差し出され続けていた手を
じっと見つめるだけだ。
泣きわめきたくなって。
今更なんだと、言いたくて。
ずっとこの手を掴みたくて、
でも、それができないように。
私が伸ばした手を、
先に突き放したのは、
目の前の、この人だ。
なのに、私はこの手を求めて、
ずっと、ずっと……。
不意い腕を掴まれ、引き寄せられる。
わめきそうになった口が、
賢者さんの胸に押し付けられる。
痛いほど、抱きしめられた。
後悔と、会えた喜びと。
そして私を慈しむ想いが伝わってくる。
女神ちゃんから与えられた『力』で
感情が伝わってきたのだ。
なんで、と思う。
今更だ。
もし私のことを大切だと
思ってくれていたのなら、
何故私を突き放したのか。
なんで、と。
私は賢者さんの胸を叩く。
もっと早く、知りたかった。
本当にこの人に愛されていたのなら、
もっと前に。
そのことを知りたかった。
私は苦しくて、
何をいまさら、と賢者さんの
胸を叩いて、わんわん泣いた。
でも。
私の心の奥底にあった心の錘は、
この時確かに、軽くなったのだ。
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