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第二部 2章 未来を、語る

第9話 実家

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 その後、ユースケはユズハに「あんた人の家のもの勝手に飲み過ぎよ」と怒られた末に家から追い出された。渋々自分の家に戻ると、リビングの方から「お帰りーっ」というユリの声が聞こえてきた。
「ただいまーっ!」
 ユースケは今度こそという気持ちを抱きながら廊下を一目散に駆け抜け、リビングに辿り着く。リビングでは、すっかり大人っぽくなったユリが「お帰り、お兄ちゃん」と記憶に違わぬ声音でもう一度言ってくれた。アカリのような童顔ではないが、幼さを残しつつもさっぱりとした顔つきは精神的に成熟した感じが現れており、大きい黒目も悪目立ちせずどこか妖艶である。それなのに上も下も、ピンク色で統一された寝間着のようなもこもこした可愛らしい服に包まれており、そんな状態でソファの上でだらっとしているものだからどうしても間の抜けた印象が拭えない。しかし、ユースケにとってはそんな間抜けな状態ですら妹が可愛くて仕方がない。
「ユリー、夏はごめんなあ、変な先生が意味わかんねえ課題出してきやがってそれで帰れなかったんよ~」
 齢二十一にして身長百八十を超える男性が、ソファにしがみついて妹に泣きつく姿はみっともなく滑稽である。ユリもすっかり慣れた様子で、冷めた目を向けながら「はいはい」とソファにしがみつくユースケの手を撫でて宥めていた。母親に至っては久し振りの帰省だというのにユースケに目を向けすらせずに台所で作業している。
「お帰りユースケ。弱音吐いて戻って来たんじゃないだろうね」
「んなわけねえだろって。バリバリ研究生活よ」
「おおー聞かせて聞かせて」
 そんなに長い間ユズハの家でお世話になっていた覚えはないのだが、ユリと母親はすでに夕食を食べ終えたらしく、ユースケは一人で夕食をいただきながら、ユリに研究室での生活を話した。久し振りに食べる母親の料理の味に舌鼓を打ち、ユリの穏やかで柔らかいニコニコ顔を眺めながら話すのは何とも贅沢な時間のように思えた。ユリは毎回、ユースケが帰省してくると学校での様子を聞きたがる。兄の機嫌を取ろうとしているのか、それとも本心なのか、ユリはユースケの話にいちいちはしゃいだようにリアクションをするものだから、気持ちよくなってユースケの口もべらべらと良く回る。
「え、お兄ちゃん彼女出来たの?!」
「いや、その、まだ正式に付き合ってるとは言えてないというか……でもご飯は何度も一緒に食べてるというか、街にも遊びに行ったりしたというか……」
「いやいやいやいや、それを彼女と言わずしてなんだって言うの!」
 もはや逆ギレしてるユリの勢いに加えて、ユースケも途端にフローラとの関係のことになると弱気になるものだから、すっかり身を縮めて情けなくおどおどし始めた。ユースケとしては、研究室の話よりもフローラとの関係についての方がテンションの上がっているユリを見て、何だかんだ女の子なんだなあとしみじみと感じると同時に、全くショックを受けていないどころか寧ろバリバリにくっつけさせようとする興奮っぷりに少しだけ寂しさを感じていた。
「ねえ、妹としてちょっとショック受けるとかないの? なんでそんなにテンション高いの?」
「いやいやいやいや、私が『お兄ちゃん取られちゃうの嫌だ~』とか言うタイプだと思ってるの? むしろぼうっとして間抜けそうなお兄ちゃんと結婚してくれる人なんてレア中のレアに決まってるんだから必死になるよ! 絶対逃がさないでよ」
 そう言ってユースケを睨みつけるユリの剣幕は、さりげなく織り交ぜられた罵倒とも合わさって兄ながらユースケも怯むほどであった。しかし、ここで言われっぱなしでは兄の名が廃ると、ユースケは気を奮い立たせる。方やテーブルの席に着いたままで、方やソファから離れずにだらっとしている二人の言い合いを、母親はとっくに無視して風呂の準備を始めていた。
「いやあ、その人と結婚するのはちょっと、なんて言うか、俺がきちんと研究成果をあげてからじゃないと……て思っちゃって、研究者って何かしばらくは生活貧しいみたいな話聞くし。そんな不安定な生活に巻き込めないよ」
「……だからだよ、お兄ちゃん」
「え?」
 それまで必死な形相だったユリの表情が再び和らぎ、穏やかで、それでいてどこか慈愛すら感じる優しい顔つきになっていた。その表情にどこか既視感がある気がしたが、ユースケは何かが引っ掛かっただけで正体は詳しく分からなかった。
「お兄ちゃんが頑張り屋なのはもうよく知ってるよ。それに根性というか頑固だから、最後まで続けるだろうって……でもさ、そんな生活をずっと一人でしてたんじゃ、身体も心も持たないよ。お兄ちゃんの傍で誰かが支えるべきなんだって、私は思うよ」
「……なる、ほど」
「そう、そういうこと……本当は私やアカ……お母さんたちが傍で応援するのが一番だろうけどさ、でも、私の身体はここからちょっと行けそうにもないししさ」
「……ありがとうなユリ。なるほど、そういう考え方もあるのか……」
 ユリの説明にユースケは神妙な面持ちになって、テーブルを睨みながら考え込む。そんなユースケの姿を、ユリはソファのひじ掛けに顎を乗せて、優しく見守った。
「……それでもすぐに、結婚するか!ってならないで悩むなんて、その人よっぽどお兄ちゃんに想われてるんだね。その人、きっと幸せなんだろうなあ」
「お、妬いてるか?」
「うんうん、妬いてる妬いてる」
 ユリは適当に返事するが、相変わらず優しい眼差しでユースケのことを眩しそうに見つめていた。ユースケはそんな視線に気づかず、愚直にユリの言ったことを検討しながら、フローラのことについて頭を悩ませていた。しばらくして、廊下の先から「風呂沸いたわよー」という母親の声が飛んできた。
 ユースケの風呂に入る順番になって、湯船に浸かりながら鼻歌を歌っていると、ユリが「早く上がって続き聞かせてよー」と風呂の外から話しかけてきた。風呂の前でいられるとおちおち鼻歌も出来ないような気がして、ユースケは分かったからとユリを風呂の外から追い払う。その最中、「やっぱりブラコンじゃないか」とユースケは思った。

 大学校に入学してからというもの、地元の商店街には大学校の長期休暇期間にしか訪れないため、ユースケが帰省する度にその景観は少しずつ変わっていっていた。まだ勉強に真面目に取り組まずにサボり先として常習的に通っていた店主の猫もユースケが二年生になった冬前に亡くなり、店主もどこか覇気がない様子だったが、ユースケたちが訪れると、当時を思い出すのか、あのときと変わらない人を食ったような笑みを向けてくるのであった。皆との待ち合わせ中、はりきりすぎたのか真っ先にやって来ていたユースケは、猫を飼っていた店主の店が見えるベンチに座って、いつ店主が自分に気づくのかを待ちながら、皆のことを待っていた。店主はユースケの気配のけの字も察していないようで、暢気に店先で箒を持って枯葉を払っていた。その姿はいくらか寂しそうで、ユースケは話しかけに行きたくなる衝動に駆られるが、変な意地を発揮して向こうが気づくまでは自分からは話しかけないと決めていた。どうしたら向こうが気づくかと考え、ベンチの上で寝そべってみたり、靴を脱いで立ち上がったりしてみる。
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