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第二部 2章 未来を、語る

第5話 精一杯の告白

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 フローラがふと、顔を上げた。長い睫毛に、いつかのときと同じように、涙がついていたが、決して弱った顔はしておらず、すべてを話してすっきりできたような、清々しい表情をしていた。その表情にユースケは、フローラの生きる力の強さと、その執念とを感じ取っていた。
 ユースケは一瞬、結婚という案がぽんっと思いついた。突飛な発想ながら、それならばフローラが仕事を休まなくちゃいけないだとかこの環境を手放したくないだとかいったことを気にせずに生きていけるのではないかと、本気で思った。しかし、どうしてもユースケはそれを口にする勇気が出なかった。研究という、大成するかどうか分からない仕事を持つ自分に付き合わせることで、再びフローラに貧しく苦しい生活を強いらせてしまうという万が一の可能性を考えてしまうと、とてもそんなことは恐ろしくて言葉にならなかった。自分としては大成するつもりだし、自分がその道で苦しむ分には構わないつもりだったが、過酷になる可能性のある生活に、凄惨で悲運な背景のあるフローラを巻き込ませるわけにはどうしてもいかなかった。
 それでもユースケは、何とかフローラの涙を止めたくて、フローラの指をちょこんと握る。大体ががさつでテキトーで、それでいて行動力の塊とまで呼ばせてきたユースケなのに、こんなときに限って繊細過ぎるほど繊細であった。
「フローラ、惑星ラスタージアに一緒に行こう」
「惑星……ラスタージア……?」
「ああ、俺が宇宙船を作るのも全部、皆が希望の星だって言ってる惑星ラスタージアに行くためなんだ。だから、そこへ行くことが出来たときには……その、結婚、して欲しい。本当はもう、俺が学生終わったらすぐにでも結婚して欲しいんだけど、俺の研究生活にフローラを付き合わせるわけにもいかないから、だから惑星ラスタージアに行った後なら大丈夫だと思うから。そうすれば、フローラもそんな不安を抱える必要なんてないはずだから」
 それが、ユースケにとっての精一杯の告白だった。そんな控えめな言い方だったのに、ユースケは顔が沸騰したように熱くなり、胸の鼓動も激しく心臓が胸を突き破って飛び出してくるのではないかと思うほどであった。そんな真っ赤のユースケを、フローラはきょとんと見つめたかと思うと、急にその顔をクシャっと歪めて、涙をぽろぽろと零し始めた。涙を止めたくて勇気を出したのに、余計に泣かせてしまう結果になってユースケは慌てふためき、しどろもどろになって何か言うが言葉を為していない。それがフローラの涙を余計に誘った。
「ユースケって、本当おかしな人ね。惑星って、すっごい遠くにあるんでしょ? そんな場所にあたしたち行けるの?」
「行けるね。俺が行くって決めたんだから、絶対行くね」
「ふふっ、そうなんだ。行けるんだ。へえっ、そうなんだっ」
「そうだぜ、だから行けたら、結婚しよう。俺、フローラには幸せになって欲しい」
「へえ。あなたがっ、しあわせにしてくれるんだっ、へえっ」
「当たり前だろ。そのつもりでしかないからな、俺」
 フローラはそれからずっと、「へえっ」だとか「ふうん」といった言葉を繰り返しながら笑い泣きしていた。溢れ出る涙を片手で拭いながら、ユースケに握られたもう片方の手は、強く握り返したまま決して離れようとはしなかった。ユースケは空いているもう片方の手でハンカチを取り出そうとするが、こんなときに限ってポケットにはティッシュしか入っていない。仕方なくそれを取り出してフローラに差し出すと、フローラはまた笑った。二人の手は、フローラが泣き止むまで繋がれたままだった。

 明日から冬休みに突入という日に、ユースケはユキオと共に川のほとりに来ていた。土手の上でユースケは適当に石を投げているが、ユキオはぼんやりと水面を見つめているだけだった。
 大学校を出て栄えた街並みを突っ切っていくと大きな川が出てくる。景観のためか、不自然に真っ直ぐに整えられた川を挟んだ向こう側には、望遠国の昔ながらの伝統を象った街並みが見られ、その街並みがこれまた見る者の心を落ち着かせる淑やかで美しい風景と評判だった。そのためこの川は学生や近隣住人にとってのデートスポットになっていたが、ユースケは男二人で来ていた。リュウトとチヒロが来られないということで、ユースケが「二人はデートで来られないんじゃね?」と読んで、二人と偶然を装って遭遇しようと来たのだが、どうやら来ていないらしい。
「ユキオはこの冬は帰るのか?」
「ううん、僕は今年も帰らないよ。だからユースケ君が途中までいてくれるのはちょっと嬉しいかな」
「まったくしゃあねえなあ、ユキオのためにも研究室でやることちゃっちゃと済ませて遊んでやるよ」
 ユースケはふざけて言ったつもりだったが、ユキオが素直に「ありがとうね」とお礼を言うので、ユースケも若干罪悪感に駆られる。もちろんユースケとしては言った通り研究室でやるべきことを終えたらユキオと遊ぶつもりだったが、ユキオのあまりの純朴さにユースケの邪気(?)もすっかり当てられていた。
「ユキオはこの冬はなにするんだ? 去年は確か、川下りだっけか?」
「そんなことしてないよ。去年は普通に勉強してたけど、今年は研究室に通おうかな」
「うおっ、すげえ~。俺のとこの先輩が冬休み帰省しなかった奴いるのかって思ってたぐらいこの冬に研究室通うのはレアらしいぞ」
 ユースケはすっかり感心して、早口にレイの言っていたことをそのまま繰り返すが、ユースケのテンションに反してユキオは「そうなんだ」とまるで関心がなさそうであった。それっきりユキオは何も言わず、さっきまでと同じように川の水面を眺めていた。ユースケがもう一度石を投げると、何回か水面で石が跳ね、波紋を作りながら反対岸まで辿り着きそうなところで沈んでいった。デートスポットであるらしい川であるが、ユースケとしては、こんな変わり映えのしない普通の川のどこが良いのかと常々思っていた。飽きて街の方へ遊びに行こうと立ち上がる。
「なあユキオ。将来宇宙船作ろうぜ」
「え? う、宇宙船? どうしたの急に」
「急じゃない。俺は最初から、惑星ラスタージアに行くための宇宙船を作る研究がしたくて、大学校に来たんだ」
「そう、なんだ……って、え、それで、僕なの?」
「ああそうだぞ。ユキオは機械工学なんだろ? 実際に宇宙船作る人ってそういう分野の出身の人なんだろ? だったらユキオは適任じゃねえか」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。そんな、急だよ」
 ユキオは慌てて立ち上がるも、何かに引っかかったのか足を滑らせ尻餅ついていた。それを恥ずかしがるように呻きながら、ユキオは何度も「僕には無理だよ」と弱音を吐き続けている。そんなユキオに、ユースケは手を伸ばす。ユキオも初めは吃驚したようにユースケの顔を見上げていたが、やがて諦めたようにその手を取って、何とか立ち上がる。
「とにかく、俺はユキオに作ってもらわなきゃ困るからな。ユキオ以外に適任はいねえよ、うん」
「そ、そんなあ。僕より賢い人なんていくらでもいるよ……」
「あのなあ、賢い奴がいくらいたってなあ、信頼できる奴じゃなきゃ意味ねえっての」
 ユースケはユキオの背中を叩いて、そのまま土手を上がっていく。ユキオも困ったように弱音を上げながら、ユースケの後を追った。
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