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第二部 1章 気になるあの子

第1話 望遠大学校にて……

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 じりり、と目覚まし時計がけたたましく鳴る。意識は目覚めたものの、目を閉じたままでも分かる陽光の眩しさにユースケは目覚まし時計を乱暴に止め、ふかふかの毛布を深く被り直す。人の体温で程よく暖められた布団の中は心地よく、再び夢の世界に入り込めそうになったところで、よくできたスヌーズ機能によって再び目覚まし時計が鳴る。毛布に包まったまま手だけを伸ばして再び目覚まし時計を止める。
 そういうやり取りが五回ほど続き何度も夢の世界へ没入するのを阻む目覚まし時計を忌々しく思い始めた頃、今度は部屋の扉がどんどんと叩かれる音が聞こえ始めてきた。さしものユースケも危機感を覚え始めるが、その危機感も毛布の温もりの心地良さに僅差で負けて起き上がる気力が湧いてこない。完全な真っ暗闇ではない毛布の中で、実家にいた頃は何故あんなに素直に起きることが出来たのかと思わずにはいられなかった。ユースケは怒りの籠った扉の叩かれる音を聞き、朝が来るたびに郷愁に駆られていた。
「お前の目覚ましうるせーんだよ! 早く起きろよ!」
 とうとう怒鳴り声まで聞こえてきたときには流石のユースケも「扉の前ででけー声で叫ぶな」と言い返しながら飛び起きた。
 晴れて望遠大学校に入学が決まり、事前に行われた入学説明会にて為された寮生活の説明、もっと言えばいかに寮生活が魅力あふれ煌めいているのか、という教員側の宣伝もとい誘惑にユースケはまんまと嵌まり、その当日に寮生活の申請を行っていた。しかし蓋を開けてみれば、寮はユースケのような浅墓で頭空っぽの学生を朝なんとしてでも起こして授業をサボるようなことを許さない檻の中であったと、入寮してから一か月後に気がついた。早く起きないとせっかく提供してくれている寮のご飯にありつけないし、稀にナオキのような突然変異種が生真面目に中々起きない隣の住人を怒鳴りつけに来るのだ。
 さっと顔を洗って、寝間着のままユースケは扉を開けた。ナオキの仏頂面が待ち構えていた。
「ったく、目覚ましもう一個増やすように寮長に打診してやろうか」
「それは勘弁してくれ」
 実家にいる頃は、このように朝を急かしてくるのはユズハの役目だった。あの頃もいささか煩わしさは感じていたものの、こうやっていざ寮生活が始まりその役目が男にすり替わると、ナオキのことは好きではあるのだが、なんとも、華がなくなったなあとユースケはしみじみと感じながら、まさかユズハを恋しく思う日が来るとはと信じられない気持ちだった。
 感慨に浸っているとナオキが「なんだよ、文句あるのかよ」と不機嫌な声で尋ねてくる。ナオキも低血圧でユースケほどではないにしろ朝に弱い。ユースケは慌てて「文句は、ないよ」と答える。
「文句は、て。じゃあ他に何かあるのかよ」
「あるって言うか、強いて言うなら、華もない、だな」
「気色悪い奴だな。そういうの求めてるなら今からでも一人暮らしにしろよ」
 ナオキが呆れたようにため息をついて「くだらねえこと言ってねえで、ほれ飯没収されるぞ」と言ってさっさと歩いて行ってしまう。寮のご飯は白米のお代わりが自由であった。食い意地の張ったユースケとしては嬉しいことこの上ないが、むわっとする白米の匂いに度々実家周辺の緑豊かな情景や体の弱いユリのことを思い出してしまうこともあった。きっとそんな学生がここには何人もいるのだろうとユースケは想像して勝手に同族意識を持っていた。夏休みも必修科目の課題のおかげで満足に帰省することも出来なかったユースケは、圧倒的なユリとの戯れ時間不足でついつい実家のことを思い出し悶々としながらも、ユースケを置いて行かんとばかりにずかずかと先に進むナオキの後を追いかけた。

 日の光に弱い化け物のように、地上に容赦なく降り注ぐ陽光を鬱陶しそうにしながらユースケはとぼとぼと工学府棟に向かっていた。朝叩き起こしたくせにナオキは「俺一限ねえからもう一回寝ようかな」と言ったときには喚き散らすところであった。今日は雲一つない晴天であった。
 学生寮から出てすぐのところの広場では、男女のグループがユースケとは対照的にわいわいと曲芸のようなことをやって盛り上がっていた。授業がないからと二度寝を決めるナオキといい、和気あいあいとたわむれあっている学生たちといい、ユースケはナオキや広場で騒ぐ学生に嫉妬(?)していた。ユースケと同じように寮からやってくる他の学生も眠そうに欠伸をかみ殺している者が多かった。
 ユースケのいる学生寮は望遠大学校の中でも一番大きなもので、大学校の中心に位置していた。その学生寮の周りを泉だか湖だかがぐるっと囲んでおり、橋を渡ってその湖を超えていくと放射状にそれぞれの学府棟や教員寮、一年次の教養科目の授業やサークルの活動場所として利用される総合館、一階に食堂がある巨大なショッピングセンターが展開されていた。それらの建物を超えてさらに進むと、牧場や農場、二つずつある広々とした図書館や運動場が見えてきて、そこから先は完全な自然環境となり、森林や平原が無駄(?)に広がっている。それらの自然の中に隠れ家のように、ユースケのいるのとは違う学生寮も存在しているらしい。
 大学校に入学したてで目に映るすべてが新鮮だった頃、タケノリやユズハに誘われてその寮を探しに行こうと試みたのだが、田舎育ちで方向感覚にも自信のあった三人であったにもかかわらず帰り道が分からなくなるほど迷い、泣く泣く諦めることになったのでユースケは未だにそれらの寮がどこにあるのかも知らない。同時に、この大学校はどれだけ敷地が広いんだと逆ギレしそうになっていた。
 医薬学府棟を通り過ぎて工学府棟に着き、地元で通っていた学校よりも長い廊下を延々と歩いて教室に到着する。実家から学校に通っていたときとさほど変わらない距離のはずなのに、ユースケはいつも来るのも一苦労といったような気分になり、教壇から遠くも近くもない席に着いて深く息を吐く。間もなくしてチャイムが鳴り、白髪交じりの髭を生やしたソウマ先生が壇上に上がる。ユースケは寝惚けた頭で授業を聞く準備を進めながら、喋るたびに上下に動く髭を睨みつけるような目つきでじっと見つめていた。
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