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第一部 3章 それぞれの

第21話 卒業答辞

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 最後の朝の会は、約一年半ぶりに全員が揃った。久し振りに全員揃った教室は人一人ひとりの息吹が空気に溶け込み、カチッと何かがハマってようやく元の姿に戻ったような、正しさと活気のある空気が出来上がっていた。卒業の段取りについて話す先生の声もどこか声を低く、教室にいる皆もその温もりに静かに浸かりながら、朝の会は粛々と行われていた。しかし、家を出るときには緊張していたユースケはすっかり慣れたのか、勉強は出来るようになっても相変わらずマイペースで、窓の外に目を向けて、校門の前に並ぶ葉桜の並木道を眺めて物思いに耽っていた。
 その後、先生の指示に従って体育館へと向かう。全校生徒を合わせても人数が少ないこの学校では、全学年が卒業式に出席する。ユースケも、ときにはタケノリたちとサボって商店街の猫を飼っている店主の店へ遊びに行ったりもしていたが、それでも参加していたことはあるので何となく卒業式の雰囲気は知っていたが、それでも今度はとうとう自分が主役となって出席するとなると、何だか現実味の無いふわふわした出来事のような気がして、不思議な気持ちになった。
 体育館でも何人かの先生が話をした後に、座ったままでいる六学年の生徒たち一人ずつに担任の先生が卒業証書を配っていく。ユースケも受け取ると、卒業証書には決まりきった文言に続いて、最後に「望遠大学校への進学おめでとう」と書き添えられていた。ユースケはそれを脇に抱えて顔を上げた。
 ふわふわとした感覚のまま卒業式は容赦なく進んでいき、在校生代表の送辞が始まると、卒業生皆の空気感もいよいよ静粛な気持ちに包まれていた。その在校生と見知っているのか、それともお決まりの台詞ですら心を揺り動かされているのか、そこかしこから洟を啜る声が上がり始め、中には昨年まで卒業式に参加して「退屈だな」と感じていた自分を恥じる者までいたが、卒業生の中でユースケだけが他の何人かの在校生と同じように暢気そうな表情を浮かべ壇上をじっと見ていた。
「それでは続いて、卒業生代表による答辞です。卒業答辞、お願いします」
 その先生の声に立ち上がったのはユミだった。背筋をまっすぐに伸ばし、迷いも何もない足取りで壇上へと上がっていくユミの姿は、スーツだということも相まって、普段見せていた刺々しさが上手い具合に凛々しさへと昇華されており、まさに卒業生を代表するに相応しい立派な佇まいだった。先生に代わって前へ出ると、ユミはちょうど卒業証書と同じぐらいのサイズの用紙を取り出してそれを眺めながらマイクに近づいた。それからすっと、顔を上げてユースケたちを見渡した。初めに自分の名を名乗ってから、自分がいかに学校生活を送って来たか、その日常の中で感謝してもしきれない友人や先生がおりその人たちにこの場を借りて感謝の言葉を述べたい、と卒業式と言えばこれ、というような話を続けていった。友人の話のところから、ユースケと同じクラスの何人かがすすり泣くのが聞こえてきた。
 ふと、ユミの話が詰まった。それまでは練習してきたことが窺えるほどすらすらと話を進めていたことから、その不自然な間に一瞬生徒たちはざわついた。しかし、ユミはそれに動じることなく、手に持っていた用紙を置くと、凛とした眼差しで生徒を改めて見渡した。
「……皆さんは、将来をどう歩むつもりでしょうか?」
 ユミの問いかけるような話し方に、今度は先生たちがざわつく気配があった。練習と違うのだろうか。しかし、ユミはなお一層堂々としていた。生徒たちも、ユミの問いかけに動揺していた。
「このご時世ですし、きっと不安に思っている人が多いことかと思います。自分に自信がないと、将来が怖く感じるかもしれません。もしそう思っている人がいるならば、私も気持ちは分かってあげられると思います。私も…………将来が怖くて、一心に、ただひたすらに学校生活を勉強に捧げてきました。その甲斐あって、私は首席でここを発つことになりました」
 ただの嫌味か、とユースケは鼻をふんと鳴らし、もう話は聞かなくて良いかとタケノリにでも目配せしようときょろきょろさせたときだった。
「私はもちろん、ここまで熱心に勉強して、身に着けてきたものを誇りに思っています。ここで得られた物が、これから先の私の人生を支えてくれるだろうと信じています。しかし……これは決して私にしか身に着けられない物ではないのだと……人は、そこまで大して違いはないのだと、教えてくれた人がいます」
 話の雲行きが、少なくとも自身の思っていたものと違う空気に変わり、ユースケは興味を惹かれてもう一度ユミの方を見上げた。ユミは変わらず、まっすぐに生徒たちの方を眺めていた。
「人に、そんな大した能力の違いなどありません。あの人はあんな能力を持っているからその道に進めば大丈夫だとか、あの人は頭がいいからどこでもやっていけるだとか、そんなことはありません。人は、心から望めば変われる生き物だと……本気で挑めば自分を変えていくことの出来る生き物なのだと……私の得た物も、私が生まれつき頭が良かったからとかではなく、私が心から望んだから得られた物だったのだと、ある人が私に証明してくれました。もし皆さんが将来を怖く思い、それでもどうにかしたいと思うのなら、皆さんに必要なのは、能力や環境ではなく……まず一番に必要なのは、変わりたいと願い行動する勇気です。本気で望み、夢中で挑んだのならば、私や、その人のように、きっと何かを変えられます。あの頃の私……この先をどうやって生きれば良いのか分からず未来に脅えていた、幼かったあのときの私に必要だったのは、頭の良さよりもまず最初に、本気で人生をどうにかしたいと願う気持ちだったのだと、最近になってようやく理解しました」
 ユミはそこで息を深く吸い込んだ。ざわついていた体育館もいつの間にか皆静まり返り、ユミの話の続きを待っていた。
「私たちは今日を以て卒業します。きっと、将来を不安に思ったり迷ったりしている人が多いかと思います。そんなときは、今日の私の言葉を……私に大事なことを教えてくれたその人のことを思い出して、勇気を出して一歩を踏み込んでみてください。皆さんが本気で望めば、きっと、暗い将来を今より良い何かへと変えていけるはずです。皆さんが私たちと同じように、明るくここを旅立てることを願っています」
 そこでユミは一歩下がって、深々とお辞儀した。真っ先にユースケたちの担任の先生が拍手して、それから一気に体育館中が拍手の音に包まれた。ユミはその拍手の音に送り出されるように壇上を後にしていった。脇腹を突かれる感触にようやく我に返ったユースケも、皆に遅れて拍手し始めた。
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