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3章 疑惑の夜会編

9 伯爵令嬢は火事場に取り残される

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何でだろう…。

クラリスとリード殿下が元々は婚約が内定していた事なんて、この国の人なら皆知っている事なのに…何でモヤモヤするんだろう。

その時、コンコンと控えめなノックと共に、返事を待たずにコーエンが入室して来た。

「セリーナ嬢、こちらに戻られていたのですね。探しました…。」

深く考え込んでいたセリーナは、突然聞こえたコーエンの声に、まるで悪い事が見つかったかの様にビクッと肩を震わせた。

「あらコーエン、久しぶりね!元気そうで良かったわ。ところで…この塔のエレベーターは鍵が無いと動かないはずだけど?」

何か言わないといけないのに、動悸がおさまらず言葉の出ないセリーナの代わりに、クラリスがゆっくりとソファーから立ち上がった。

「クラリス様もお元気そうで何よりです。エレベーターでしたら、もちろん鍵を使って動かしてきましたが?」

「淑女の部屋に突然現れるなんて…変態ね。職権濫用もいいところだわ。」

「変態とは随分ですね。人の大切なパートナーを勝手に連れ出す方に言われたくありません。」

幼馴染の久しぶりの再会とは思えないような舌戦が繰り広げられ、セリーナは益々口を挟む隙が無くなった。

え…?クラリスとコーエン様ってこんな感じなの…?
幼馴染って聞いてたけど…何か、想像と違う。

自己中心的とも言えるリードを、クラリスとコーエンが諫めながらも優しくサポートしている…そんな3人の関係を勝手に想像していた。

セリーナの中では、ほんわり優しいクラリスと、キビキビしながらも優しいコーエンなのだ。
2人が大切な人に独占欲を剥き出しにするタイプだと言う事を計算に入れ忘れたイメージではあるが。

「大切なパートナーが聞いて呆れるわ。コーエンが外していたせいで、セリーナがルイーザ アーサフィスに睨まれてたじゃない。」

あっ…その事は…コーエン様には知られたく無かった…。

セリーナがそう思ったのは、クラリスが勢いよくコーエンに言い放った後だ。
それぞれの意味で呆然とするセリーナとコーエンには、クラリスがアーサフィス侯爵令嬢を呼び捨てにしている事にもツッコむ余裕もなかった。

「ルイーザ嬢が…。本当ですか?」

最後の言葉はセリーナに向けたものだと分かったが、何と返していいかも分からず、セリーナはコーエンから視線を逸らせた。

コーエン様は…何て思ってるだろう…。
付き合う前の…ましてや、出会う前の男女関係に口出しされて気分のいい男性が居るはずない。
面倒を引き起こしたと、舌打ちの一つでもされるのでは….とセリーナはコーエンの方を見れない。

そんな2人の様子に、クラリスはふーっと息を吐いた。

「私は今日は失礼するわ。明日、迎えの馬車を送るから我が家に遊びに来てね。占いはその時にしましょ。」

突然のクラリスの言葉に、セリーナは縋る様にクラリスを見た。

「でも…」

ここで帰ってしまうと言うのは、火事の現場に更に大量の油を撒いて帰ってしまうのと同じではないか…と、そんな心境だった。

「占いの前にコーエンとゆっくり話し合った方がいいと思うの。コーエンは…ちょっと変態で、いけすかない所はあるけど、悪い奴ではないわ。幼馴染の私が保証する。セリーナにはゆっくりと向き合ってみて欲しいの。それでもし傷付けられるような事があれば、私が全力でとっちめるわ!」

変態にも、いけすかないにも、今ひとつ共感は出来ないけど…、彼が悪い人でない事はセリーナも知っているつもりだ。

小さく頷けば、クラリスはまた明日ね!と言い残し、現れた時と同じようにニコニコ笑顔で去って行った。

「あっ…クラリスを送らなきゃ…。」

彼女がエレベーターに乗り込み、姿が完全に見えなくなってからセリーナはその事に気付いて慌てた。

夜も更けて来たこの時間に、まさか隣国の王子妃となるご令嬢を一人で帰した…なんて、あってはならない。

今日何度目かのやらかしに、セリーナが慌てて駆け出そうとすると、コーエンが彼女の手首を掴んでそれを阻んだ。

「大丈夫です。塔の周りにこれでもかと言う程沢山のミルワード第二王子殿下の私兵が居ましたから。」

そのせいで私も塔へ入るまでに何度も足止めを食らいましたから…と補足するコーエンに、セリーナはホッとした。

「そう…良かった。」

そう言えば、クラリスも彼女がここにいる事は公爵家も、王子殿下も知っていると言っていた。

「それよりも…ルイーザ嬢に何をされたんですか?お怪我はありませんか?」

コーエンが掴んだままのセリーナの腕をグッと自分の方へ引き寄せ、心配そうに顔を覗き込んだ。

ルイーザ嬢…。

コーエンがアーサフィス侯爵令嬢を下の名で呼ぶだけで、あの時想像してしまったお似合いの2人が並び立つ姿がすぐに思い出された。

「お二人が深い仲なのは社交界では周知の事ですわ。」

あの時、彼女達が声高に唱えていた深い仲とはどういう仲なのだろうか。

自分がどんな表情をしているのか分からず、覗き込まれた顔を無理矢理背けた。

「セリーナ嬢…。セリーナ、お願いだからこっちを向いて。」

コーエンの切実な声が頭上から聞こえる。
自分の名を呼ぶその必死さに、セリーナは思わず顔を上げそうになって、慌てて首をフルフルと横に振った。

きっとコーエン様は甘い言葉を尽くして、私を慰めてくれるのだろう…。

でも、セリーナは自分が泣きたいのか、怒りたいのか、何にここまで心を揺り動かされているのか、その答えさえわからないのだ。

頑なに拒否の姿勢を貫くセリーナに、コーエンは掴んでいた腕をゆっくりと解放した。
そしてセリーナはコーエンの温かい体温に包み込まれるのを感じた。

…抱き締められてる。

両親以外に抱き締められた経験などないセリーナは、コーエンの見掛けよりもずっと逞しく身体付きに、そしてその温かな体温にざわめいていた心が落ち着いていくのを感じていた。

「離れるべきでは無かった…。セリーナをそんなに傷付けたなら私の責任だ。本当にすまない。怒っているなら私を責めて欲しい。泣きたいのなら、どうか1人では無く私の前で泣いて欲しい。」

いつの間にか敬語は無くなり、呼び方も変わっているが、嫌な気はしない。
むしろ彼の言葉の温かさに、セリーナは何を言っても許されるのだと分かった。

「アーサフィス侯爵令嬢が…。」

セリーナはコーエンの胸にギュッと自分の頭を押し付けて、ゆっくりと喋り始めた。

「うん。」

セリーナの変化を感じたコーエンも、彼女を更にギュッと抱き寄せた。

「アーサフィス侯爵令嬢がコーエン様と深い仲だと言ってたわ。」

何とか絞り出した言葉を受け止めコーエンは、ため息を吐き出した。

「セリーナ…私はセリーナだけが」
「深い仲って何?」

セリーナはここでコーエンの言葉を遮り、初めて彼を見上げた。
彼の腕の中に居るのだから、その距離はセリーナが想像していたよりもとても近かった。

「セリーナ…、落ち着いて聞いて。確かに私は…爵位を得る為に結婚をする必要があったから、何人かのご令嬢と親しくしていた。でも全てはセリーナに出会う前の話だから。」

コーエンの表情が悲しそうに見えるのは嘘では無いのだろう。
セリーナだって、本当はこんな話は終わりにして、今日の夜会でのダンスが楽しかった話や、久しぶりに友人と会えて嬉しかった話がしたい。

でも、今聞かないと…今後一緒にいる時にずっとモヤモヤするのだ。

「親しくって…?2人でお茶をしたり?手紙や贈り物をしたり?」

セリーナの瞳に強い意志を感じて、コーエンは諦めたように答えた。

「そういう事もした…。」

「夜会でダンスをしたり?」

「あぁ。」

「こんな風に抱き締めて、君だけだと言った?」

「過去の…セリーナと出会う前の事だ。」

あぁ…。

セリーナはぽっかりと心に穴が開くのを感じていた。

自分で聞いておきながら傷付くなんて…。

「じゃあ…それ以上の事は?」

「…。」

長い沈黙は肯定と同じだ。

「同じ事を…私にもして…。」
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