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番外編

生真面目な王子の側近は今日も頭を悩ます 前編

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目の前で政務に励みながらも、ふと寂しそうに考え込むエリオット殿下の様子に胸が詰まる思いだった。

先日、サラサ嬢から婚約を断られてから、度々今のような様子をお見掛けする。

私の力が及ばなかったばかりに…。

フィールズ公爵とサラサ嬢の正式な婚約が発表されたのはつい昨日の事で、それを思えば、殿下の執務があまり進まないのも仕方ないと思える。

フィールズ公爵とサラサ嬢の婚約発表は、社交界に波紋を呼んだ。

数週間前に、エリオット殿下のパートナーとして夜会に出ていたご令嬢が、筆頭公爵であるフィールズ公爵の婚約者として発されたのだ。

今やサラサ嬢は稀代の悪女として、その名を社交界に知られる事となった。 

本来の彼女を少しでも知る者であれば、そんな話はただの噂だと笑い飛ばすところではあるが、私は個人的な感情からやはり彼女の事はよく思えない所があり、その噂には口を閉ざす事にしていた。

そして、その噂を消そうと動かれているのが、エリオット殿下の兄君である皇太子殿下だった。

皇太子殿下は今回のサラサ嬢の一件では、やたらとフィールズ公爵の肩を持っている。 

まぁ、将来的に自分の治世を支えるであろうフィールズ公爵に気を使う気持ちはわからないでもないが、それが実の弟であるエリオット殿下の不利に働く事もわかっていたはずだ。

「呼び立てて悪いな、ユーリス。エリオットの様子はどうだ?」

我が主であるエリオット殿下より、幾分鋭い目元の皇太子殿下がこちらを向き直った。

「はい。エリオット殿下はやはり憂い多きご様子で、ご政務も滞っております。」

どなたのせいとお思いか…。

そんな思いが言葉の響きから漏れたのか、皇太子殿下が目を細められたので、慌てて頭を下げた。

「今回の事はエリオットには申し訳ない結果となった。だが、あのまま無理に縁談を進めれば、どこかで無理が生じただろう。ユーリス、苦労を掛けてすまないが、エリオットの婚約者の選定を再開してくれ。」

「かしこまりました。」

言われずとも、そのつもりだった。

エリオット殿下をお支え出来るご令嬢を、何としてでも探し出す。

以前は誰でも良いと思っていたが、今となっては、そうはいかない。

器量が良く、見目麗しく、殿下をお支え出来る…サラサ嬢以上の女性を見付けなくてはならない。

エリオット殿下の執務室に戻ると、仕舞い込まれている見合い相手の肖像画の束を取り出した。

既に目を付けている女性がいる。

マリー コリンズ公爵令嬢。

我が国に三家ある公爵家のご令嬢で、年の頃もエリオット殿下の5つ年下とお相手とするのに無理のある年齢ではない。
そして、その美貌と優秀さは社交界に知られる所だ。

数多くの縁談が舞い込んでいるようだが、それをことごとくお断りになっていると聞く。
その理由がマリー嬢の気の強さが原因である事も合わせて知られている。

公爵令嬢ともなれば、多少我儘で気の強いのも仕方がない。
その程度であれば、エリオット殿下が上手く諫めるだろう。
気の強さに関しては、寧ろ諍いの少なくない王宮では、殿下の助けとなるかもしれない。

マリー嬢の肖像画を取り出して、中を確認する。

やはり…このご令嬢しかいないだろう。

実は以前、マリー嬢とエリオット殿下のお見合いをセッティングしようとした事がある。
結局、サラサ嬢との出会いなどがあり、実現はしなかったが、その際にマリー嬢からは色良い返事を貰っていた。

きっと再度声を掛ければ、喜んで縁談を受けてくれるに違いない。

そう考えていた私は、数日後にコリンズ公爵家から届けられたお断りの手紙に心底驚かされた。


「エリオット殿下、本日は日中に少し外しますので。」

とにかく、断られた理由を確認しなくては…。

「あぁ、別に急ぎの用もないし、構わないよ。でもエリオットが執務中に外すなんて珍しいな。何かあった?」

「実はエリオット殿下の見合いの件で…コリンズ公爵家へ行ってまいります。」

エリオット殿下の見合いの件だと伝えれば、殿下はキョトンと目を丸くした。

「見合いの件なら…まぁ、いい。好きにしろ。」

やはり、失恋の痛手から立ち直るには時間が掛かるのだろう。殿下の返答は渋い。

きっと、見合いの件なら今は受ける気はないと言おうとして、ご自身の立場を思い返して、甘んじて受けることに決められたのだろう。

そんな殿下の為にも、必ずマリー嬢にイエスと言わせてみせる。

「全て私にお任せ下さい!」

私のお辞儀を、エリオット殿下は苦笑のまま片手を上げて制した。


殿下への宣言通り、コリンズ公爵邸を訪れたのはその日の午後すぐだった。

家令にサロンへ通されると、数分後に見るからに不機嫌なマリー嬢が現れた。

訪問する事と訪問理由は事前に伝えていたが、正直、親や代理の者を立てられるのではと考えていたので、不機嫌ながらも本人が出て来てくれた事は私にとって好都合だった。

「本日はお時間を頂き、ありがとうございます。」

「王子の側近ともあろう人が無礼の意味もご存知ないようだったので、教えて差し上げようと思っただけよ。」

マリー嬢は口元を覆う扇子の奥で、ふんっと鼻を鳴らす。

「急な訪問である事はお詫び致します。先日頂いたお見合いの返事について、お断りの理由を伺いたく参上しました。」

「あら?わざわざ理由を伝えなくては理解いただけなくって?」

マリー嬢がこちらを見る瞳は、明らかに非難の篭った物だ。

流石、公爵家のご令嬢というべきか…威圧的ではあるが、言葉遣いや振る舞いなどがマナーに触れる事はない。
王子妃に迎えるに当たっては心強いとさえ思える対応だ。

「ええ。以前のお誘いの時はご快諾頂けたのに…今回の返答は恐れながら納得致しかねます。」

パタンっと扇が閉じられれば、彼女の形のいい唇がゆっくりと開いた。
その口元には笑みさえ浮かんでいる。

「わざわざ説明を…などと仰るから、前回の事はすっかり忘れられていると思っておりましたわ。前回は、そちらからのお召しにも関わらず、王子殿下に想い人が現れたからと一方的に断られ、それがダメになったらまた私に声を掛けるなど…無礼そのものですわ。」

言い終わったマリー嬢は視線を外して紅茶で喉を潤している。
彼女の周りだけ、今しがた、こちらを痛烈に批判したとは思えないような穏やかなティータイムの様だ。

これが…世に聞く女性の戦いと言う物だろうか…。
確かに、こんな穏やかな雰囲気から先程のような舌戦が繰り出されるのだとしたら、令嬢方の茶会ほど怖い空間はないだろう。

「その節は…申し訳ございません。ですが、今となっては、殿下のお相手にはマリー嬢しか考えられません。家柄、美貌、器量の良さ…どれを取っても貴女の右に出る者は居ないと社交界ではもちきりです。」

説得に思わず熱が入る。
実際に対面してみると、殿下に相応しいのはマリー嬢しかいないという気持ちが高まる。

「では、改めてお断り致しますわ。何故私が穀潰しと呼ばれるような無能な王子に嫁がなくてはいけませんの?」

「なっ…!エリオット殿下は無能などではありません!」

テーブルの上の茶器がガシャっと音を立てて、思わず興奮した私を諫めた。

今のは完全にマナー違反だろう。
マリー嬢を窺えば、再び扇で口元を覆いながら、冷たい目でこちらを見ている。

「ユーリス様も、私の事は家柄、美貌など、社交界で有名だからお声掛けになったと仰いましたわ。私はエリオット殿下にお会いしたことも数えるほどで、同じく社交界での噂を当てにする他ありません。その頼りにならない噂と言うものを理由にお断りすると言っているのです。そちらのやられている事と何か違いますか?」

王子の側近として、これまで数々の難題を切り抜けて来たはずなのに、咄嗟に反論の言葉が出ない。

マリー嬢に完全に言い負かされたのだ。
自分より4歳も年下の女性に…だ。

やはり…彼女にエリオット殿下を支えてほしい。

負けを認めてしまえば、私の取るべき行動は一つだけだ。

「大変申し訳ございませんでした。」

マリー嬢に向かって、深く頭を下げる。

「そちらの非を認めて下さるの?」

「はい。噂によって…などと、さぞ気を悪くされた事でしょう。お詫び致します。しかし、私は噂話ではなく、今こうして貴女と言葉を交わし、やはりエリオット殿下のお相手はマリー嬢しか居ないと確信しております。どうか…一度だけチャンスを頂けませんか?マリー嬢にも噂ではなく、直にエリオット殿下とお会いになって、殿下を見定めて頂きたいのです。」

会ってさえくれれば、賢いマリー嬢の事だ。エリオット殿下の優秀さはすぐに伝わると信じている。

決意を込めてマリー嬢を見れば、初めて彼女の瞳が動揺したように微かに揺れた。

「…わかりました。お会いしてからお断りする事も認めて下さるのであれば、王子殿下とお会いしますわ。」

扇を閉じたマリー嬢は、困ったような笑みを浮かべていた。
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