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本編

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袖を通した淡いグリーンのドレスは、説明されずとも高級だと一目でわかる総絹の仕立てだった。

「うん。悪くないね。サラサは気に入った?」

満足気に言うウォルター様に慌てて体全体を使って拒否を伝える。

「いえ、この様な高価な物…。」

「値段の話じゃなくて、気に入ったか、どうかを聞いてるんだけど。」

「それは…とても素敵ですけど。」

「じゃあ決まりだ。これを頂くよ。このまま着て出るから、支度を頼む。」

ウォルター様が笑顔で店のスタッフに伝えるので、先程より更に慌ててしまう。

「ですから、買ってもらう訳には…。」

「夕食に行くのに、自分の格好がおかしくは無いか…って言い出したのは君だよね?俺はそのままでも十分だと思ったけど、折角の君との夕食に、君が自分の服装を気にして、食事や会話を楽しめないのは嫌だと思ったから、ドレスを贈る。理由はそれで十分でしょ?」
 
確かに山から降りて、これから行くというレストランの店名を聞かされた時に、自分の装いに不安を感じたのは本当だ。

でも、こんな高級ブティックに連れて来られて、総絹のドレスに袖を通す事になるなど、想像もしていなかった。

「ですが、ウォルター様に買って頂く理由がありません。」

ふーっとウォルター様の呆れた様な溜息が聞こえた。

「俺は君に婚約を申し込んでいて、君にドレスを贈りたいと思っている。俺が君の事を口説いているから…それ以上の理由が必要?くだらない事言ってないで、早く支度しておいで。俺はあっちで待たせてもらうから。」

言いたい事だけ言って去っていくウォルター様を茫然と見送る。

こんな人目のあるところで…婚約を申し込んでいるだの、口説いているだの言われて取り残されたのだ。

キャーっと勝手に色めき立つブティックのスタッフ達に、居心地の悪さを感じる。

「さぁ、あちらでお支度を致しましょう。フィールズ公爵にあそこまで言われて、お幸せですねぇ。」

そう言って背を押すブティックのスタッフは、私の身元まではわかってないようだが、ウォルター様の身元はバッチリ掴んでいるらしい。

流石は筆頭公爵…。
これではプライベートなどあってない様なものだろう。

「いえ…私達はそういう関係では。公爵ともなると女性にドレスを贈る機会も多いでしょうし…。」

ウォルター様の手慣れた様子を思い出し、口にしたその言葉は、予想外に自らを少し落ち込ませる物で、ドレスを贈られた事に舞い上がっている事にそこで気付かされた。

ウォルター様が人目を気にせずに、私に気がある様な素振りをするせいだわ。

割と早い段階で婚約者の決まった私は、恋愛経験がゼロだ。
女性に言い寄られる事も多く、手慣れた公爵に掛かれば簡単な相手なのかもしれない。

そんな私の考えを全部読み取っているかの様にブティックのスタッフがクスクスと笑い出す。
周りのスタッフ達より少し年上の落ち着いた雰囲気の女性だ。

「私どものブティックでは紳士服も取り扱いがありますので、フィールズ公爵はそれこそ前公爵夫妻がご存命の頃からご贔屓にして頂いてますが、この様に女性をお連れになるのは初めての事ですよ。ましてや、どなたかに婚約を申し込まれているなど、初めて耳に致しました。」

デートでドレスを選びにくるカップルを持ち上げるなど、慣れたもので造作もないのか…そうは思っても、先程より少し気分が高揚する事を思えば、ブティックのスタッフの思う壺なのだろう。

「ですが…婚約のお話も、私には分不相応なのでお断りするつもりなのです。なので、この様なドレスを頂くわけにはいきません。」

それでも何とか自分が舞い上がってしまわないように言い訳を考える私をよそに、髪型がアレンジされ、化粧が直されていく。

高級ブティックは、スタッフのメイクやヘアアレンジの技術も一流らしい。

「では…殿方とは、美しく装った女性を連れて歩きたいと思うのものです。フィールズ公爵はそのお考えに則り、お嬢様にドレスを贈られ、お嬢様はそのお返しにフィールズ公爵が満足されるくらいに美しく装う…と思われてはいかがですか?」

もちろん、ドレスを買わせる為の接客技術も一流だ。

「…わかりました。」

それ以上何を言っても、逃れる術はないだろう。

鏡越しに、髪をアップスタイルにした自分が、美しいドレスに身を包む姿をみれば、諦めるしかない。

それに…先程までの自分とは別人のようだ。

美しくなって嬉しくない女性など居ないように、私もワクワクとした気持ちになっている事に気付き、自分の単純さに苦笑する。

「さぁ、あちらでフィールズ公爵がお待ちかねですよ。」

そう促されて歩いた先では、公爵がソファーに腰掛け何かの本に目を通している。
ティーテーブルには紅茶が用意されている事を見れば、待つ側への対応も一流のブティックの様だ。

「ウォルター様…。」

声を掛ければ、ウォルター様が本から視線を上げ、そのまま私の姿を捉える。

「…悪くないね。」

ドキドキと待つ私の耳に届くその言葉に、舞い上がっていた気持ちが一気に落ちていくのを感じる。

「ウォルター坊ちゃん、その様な言い方ではいけません。本当に要らない口は良く回るのに、肝心な言葉が言えない様では女性に嫌われますよ?美しいと思っているなら、美しいと。好きならば愛していると、ハッキリ言わなければ女性には伝わりませんよ。」

私の後方に控えていた先程のブティックのスタッフが、ウォルター様を咎めるように一歩前へ出た。

「レディ イザベル…。もう坊ちゃんはやめてくれ。」

「レディ イザベル…?」

苦笑いでウォルター様が呼ぶスタッフの名を思わず繰り返す。

贔屓にしていると言っていたけど、そこまで、親しい間柄だったのだろうか?

「あぁ、サラサのヘアメイクをしたレディ イザベルは、このブティックのデザイナーの1人でね、生前は母のドレスをいつも仕立ててくれていた。今、君の着ているドレスも彼女のデザインだ。」

「ウォルター様のお母様の…。」

レディ イザベルの顔を見れば、優しく微笑まれる。

「えぇ、前公爵夫人はいつもウォルター坊ちゃんが結婚して義理の娘が出来たら一緒にドレスを選ぶんだって楽しみにされてました。今日は私がその代わりをさせて頂き、本当に楽しい時間でした。」

「私は…そんな…。」

慌てて否定したのは、ウォルター様と婚約する気もないのに、レディ イザベルの思い出をを踏みにじってしまった様な気がしたからだ。

そんな私に、レディ イザベルは気にしなくてもわかっているという様子で優しい笑顔を向けた。

「ウォルター坊ちゃん、話を逸らされましたが、まだ大切な事を言ってませんよ。」

まだ十分に年若いレディ イザベルに坊ちゃんと呼ばれるウォルター様は、確かに普段より少し幼く見えた。

「…。サラサ、よく似合っている。その…美しいよ。本当はこのまま夜会に連れ出して、ダンスを申し込みたいくらいだ。」

レディ イザベルが満足そうに口の端を上げているのが横目に見えた。

でも、今の私はそれどころではない。
ウォルター様の言葉と、こちらを見つめる真剣な表情に、心臓が煩いくらいに騒ぎ立てている。
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