Besides you 上

真楊

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 翌日、悠哉の気持ちとは打って変わって清々しいぐらいの晴天だった。あれから熱も下がり、体調も回復したためいつも通り悠哉は学校へと向かっていた。その際に「もう体調大丈夫?」と陽翔にしつこいぐらい聞かれたが、やはり昨日のことがあったせいなのかなんとなく二人の間には気まずい雰囲気が流れていた。陽翔も昨日言われたことを気にしているのか、こちらに気を遣っているように悠哉には見えた。
 教室へ向かう途中、彰人に鉢合わせるんじゃないかと悠哉は気が気でなかった。つい最近まで気にもとめずに平気な顔をして学校生活を送っていた日々が嘘のように胸がざわついて落ち着かない。しかし、悠哉の不安は的中することもなくいつもと変わらず平和な日常が過ぎていく。
 いつの間にか放課後になり、悠哉はなんだか拍子抜けした気分だった。今日一日彰人、そして難波にすら会わなかったのだ。彰人なら教室に押しかけるぐらいの図々しさを持ち合わせているものだと思っていた悠哉はずっと気を張っていたのだが、それすら馬鹿らしくなってきた。
 悠哉はカバンを手に取り、陽翔の机まで歩みを進め「帰るぞ」と声をかけた。悠哉の声に反応した陽翔は顔を上げると、困ったような笑みを浮かべている。悠哉は「なに?」と不信げに陽翔に問いかけた。
「実は僕、サッカー部のマネージャーすることになったんだ」
「…はぁ?!」
 自分でもこんな大声久しぶりに出したなと思うほど、悠哉の口からは驚きすぎて大きな声が漏れた。「うおぉっ、声が大きいよ…」と陽翔も悠哉の声に驚いている。
「どういうことだよ?!」
「サッカー部にマネージャーが足りないから手伝ってくれないか?って昨日慶先輩に頼まれてさ、僕部活にも入ってないし放課後暇だから丁度いいと思って」
 悠哉は「はぁ~~…」と思い切りため息をつく。頼まれたことを断れない陽翔の性格が心底嫌になってしまう。
「なんで今更言うんだよ、朝でも昼でも言うタイミングあっただろ?」
「あはは、いつ言おうか悩んでたら放課後になっちゃった…」
「お前…」
「ということで今度から僕一緒に帰れなくなる、ごめん」
 陽翔は申し訳なさそうに謝った。別に謝ることでもないのに律儀に謝るところが陽翔らしい。しかし謝られたところで今の状況が変わることは無いので逆にこっちは困ってしまい、悠哉は何も言えなくなってしまった。そのまま陽翔は「また明日ね」と言い教室を出ていった。
 一人取り残さた悠哉は呆然と立ち尽くす。一人で帰るのは一体いつぶりだろうか。なんだかんだ言って小学校から登下校は陽翔と共にしてきたため、悠哉にとっては一人で帰っている記憶が遠すぎて朧気だった。
 ずっと陽翔がそばに居てくれたから悠哉は一人にはならなかった。しかしこれからはどうだろうか。今みたく陽翔との時間が減ってしまったらまた自分は一人になってしまうのではないか、そんなのは嫌だ。陽翔を解放してやらないと、と思っているのに陽翔に離れて欲しくない、ずっとそばにいて欲しいという気持ちが悠哉の中に強く存在している。これでは完全に矛盾してしまっていた。
 悠哉が一人立ちすくんでいると「おい」と誰かに声をかけられる。その声に悠哉の身体はいち早く反応し、素早く声のする方へ振り返ると案の定そこには彰人が立っていた。彰人は「一人でなに突っ立ってるんだ。」と教室へずかずかと入ってくる。
「何の用」
「陽翔は今日から部活だろ?だから一緒に帰ろうと思って」
 悠哉は思わず「は?」と目を見開く。なんで彰人がその事を知っているんだ、と困惑した。
「陽翔から聞いたのか?」
「いや、慶から聞いたんだ」
「…お前と難波って知り合いだったの」
 悠哉の言葉に、今度は彰人が目を見開き驚いている様子だった。
「陽翔から聞いてなかったのか?俺と慶はそれなりに付き合いも長いしなんならお前がこの学校にいるのだって慶経由で知ったんだぞ」
 知らなかった、彰人と難波が友人同士という話を悠哉は陽翔の口から一度だって聞いたことはなかった。そういえば昨日『お前は陽翔が慶の名前を出してもイラつかないのか?』と彰人が言っていたのを思い出す。あの時は気持ちが昂っていて気が付かなかったが、陽翔が難波と付き合っていることも知っているような口ぶりだったし、あの時点で彰人と難波が知り合いだったことに気づけたのかもしれない、と悠哉は考えた。
「陽翔も悠哉にあまり俺の話をしたくないんだろうな。まぁそれはいいとして、早く帰るぞ」
「帰るって…お前と?」
 悠哉の問いかけにさも当然のことを話しているかのように「そうだ」と彰人は肯定する。
「なんでお前と帰らないといけないんだよ」
「なんだ?まだ昨日のこと怒っているのか?」
「別に怒ってねぇけど、ただお前とこれ以上関わる意味がないと思ってるだけだ」
 彰人の横を早足で通り過ぎ悠哉は教室を出た。これ以上彰人と関わってもまた言い合いになるだけだろう。
 悠哉が廊下を歩いていると、一人分の足音が後ろから聞こえてくるのがわかった。歩く速度をあげると足音も同様に速くなっていく。痺れを切らした悠哉は「なんで着いてくんだよ!」と後ろを振り向き彰人に対して怒鳴った。
「一緒に帰ると言っただろ?」
「俺は一緒になんて帰らないって言ったんだけど」
「俺は帰りたい」
 彰人は全く引く気がないようだった。ダメだこいつ、全く話が通じない、もう何を言っても無駄だと判断した悠哉は彰人を無視して歩き出した。
「家まで来るとかほんと有り得ない」
「お前の家が俺の家の通り道にあるんだ。だから仕方ないだろ」
 結局彰人は家まで着いてきた。彰人はこう言っているが本当に彰人の家がこの先にあるのかも悠哉からしたら不明だった。
「まさか家に上がり込もうとか考えてないよな…?」
「まさか、流石にそこまではしないさ。昨日お前に散々怒られたしな」
「ならもういいだろ、お前も早く家に帰れよ」
 家の鍵を開け、悠哉は扉に手をかけると背後から彰人の気配を感じた。すると彰人の右手が扉を開けようとした悠哉の右手に重ねられる。
「俺のことが嫌いか?」
「…っ、」
 彰人は悠哉の耳元で呟いた。吐息が耳にかかってしまうほど彰人の顔が近くにあり、悠哉は突然の出来事に固まってしまう。身体は石のように動かないのに何故か心臓だけはバクバクと激しく鼓動していた。
「俺の事を嫌いだと言うなら殴ってくれ。そうしてくれたらお前への想いも諦められるかもしれない」
 彰人は重ねている右手に力を込め、悠哉の右手をぎゅっと握った。一回りは大きい彰人の手に重ねられた悠哉の右手は体温を上げ、冷たい彰人の手にまで体温をわけてしまえそうなほど熱くなっていた。
 どのくらいの沈黙が続いたのか分からないが、突然パッと彰人が離れた。
「虐めすぎたな。でもこんな反応じゃ勘違いされてもしょうがないぞ」
 半ば呆れているような彰人を見て悠哉はハッと我に返った。慌てて「なにすんだよっ!」と彰人に向かって声を上げる。
「お前はいつもそうなのか?口説かれたら何も言えずに赤くなるなんて隙だらけでこっちが不安になる」
「急なことで驚いただけだ…っ、それに俺を口説く物好きなんてお前ぐらいしかいないし…」
「ふっ、そうか。まぁお前の反応も新鮮で面白かったぞ。いいものを見れた」
 顎をさすりながら彰人はニヤついた笑みを見せた。悠哉は最悪だと思った。彰人といると変に動揺してしまったり言葉が上手く発せなくなるのは何故だろうか、悠哉には分からない。まだ心臓の音がバクバクと悠哉の頭の中に響いている。しかし悠哉自身、このような感情を抱いたことは彰人が初めてではなかった。
 やはり彰人を見ているとあの人の影がチラついてしまう。悠哉は自分の父親にも同様に今のような感情を抱くことがあった。悠哉の父親も彰人と同じように青い瞳、そして金に近い髪色をしていた。顔が彰人とそっくりという訳ではないのだが髪型や体型などのパッと目にした雰囲気が似ており、悠哉の中で未だに二人を重ねてしまっている。だから嫌なのだ、彰人のそばに居ることが。彰人といる事で嫌でもあの人の姿が目に浮かぶ。そして何より、三年前のトラウマを思い出してしまうことが悠哉にとって一番の恐怖だった。陽翔のおかげで薄れつつあったあの人への恐怖心も彰人と関わっていくことでまた思い出してしまうのではないだろうか、だからこの三年間彰人の事だって忘れようとしていたのに…この男は俺のことを放ってはくれない。また彰人を傷つけてしまうことへの恐怖、そして自分が傷つくことを恐れていた悠哉は本音としてこれ以上彰人とは関わりたくなかった。彰人のことは嫌いでは無いけれど、過去のトラウマのせいで忘れてしまいたかった。結局自分は逃げようとしている、いつまで経っても弱い自分のままだった。
 
 陽翔がサッカー部のマネージャーになってからというもの、悠哉は陽翔とともに行動する時間が極端に減った。朝、放課後ともに部活があるため登下校も別々となり、唯一昼食だけは一緒に食べているといった感じだった。
 今日も今日とて陽翔には部活があるため一緒に帰ることは出来ない。憂鬱な気持ちに加えこの暑さ、一か月前と比べ本格的な暑さに入り夕方だというのに日差しがじりじりと肌に突き刺さってくる。悠哉は肌に汗をつたわせながら、熱いアスファルトの上を今日も代わり映えしない景色の中足を進めていた。
「もうすぐで夏休みだな」
「…そうだな」
 そして今、悠哉の隣には彰人がいる。あれから放課後になると彰人は悠哉のクラスに来て一緒に帰ろうと誘ってくるのだ。断っても全く引かないためこちらが折れるしかなかった。結局悠哉は彰人のことを拒めないでいた、それは三年前の後悔からきている罪悪感からなのか、はたまた陽翔がいない今一人になることを恐れている自分自身の弱さからなのか、悠哉には分からなかった。けれども今のところ彰人に対しての恐怖心はなかった。しかし彰人といると悠哉の気持ちはなんだか落ち着かなかった。
 今日もそわそわとした気持ちで彰人の少し前を平然を装って悠哉は歩いている。そんな時、信号待ちで赤いライトをボーッと眺めていると、珍しく彰人が話しかけてきた。
「夏休みの予定はあるのか?」
「別にないけど」
「そうか、だったら一緒に慶の別荘へ行かないか?」
「別荘…?」
 聞きなれない単語が彰人の口から発せられ、思わず悠哉は聞き返す。
「あいつの親は一流企業の社長だから金持ちなんだ。別荘の一つや二つ持っていてもおかしくないだろ」
 難波の金持ちぶりを知っていた彰人は、難波が別荘を持っていることに対して何も不思議ではないとでも言うように平然とした態度でいる。しかし悠哉は彰人のようにはいかなかった。今の今まで別荘を所持している人間に出会ったことなどないのだから、悠哉の反応は当たり前だろう。驚くなと言う方が無理な話だ。
 それにしても別荘を持っているなんて、一体難波慶という男は何者なのだろうか。容姿、運動神経、学力、それに加え経済力まで持っている、本当に完璧ではないか。どれか一つだって難波に勝てる要素がなくて悠哉は思わず顔をしかめてしまう。
「そんなに慶のことが嫌いか?」
「ああ、嫌いだ」
「あいつは良い奴だぞ、きっと慶なら死んでも陽翔を幸せにしてくれる」
 知ってる。難波が悪い奴ではない事など難波を見ていれば一目瞭然だった。実際に自分が難波と関わりがなくとも、難波の後輩達からの噂を聞いていればあの男が如何に好かれているのかが悠哉には見てわかった。だから気に食わないのだろう。自分には持っていないものを全て持っている、完璧するぎる難波慶という男を悠哉は好きになれないでいた。
「で、どうなんだ?これを逃したら別荘なんて行く機会ほとんどないだろ」
「なんで俺を誘うんだ?俺は難波とは親しくもないし誘うなら陽翔を誘うだろ」
「もちろん陽翔も誘っているさ。陽翔を誘ったうえでお前も誘っているんだ」
 悠哉はますます意味がわからなかった。陽翔を誘っているなら、彰人も自分も邪魔者だろう。二人で仲良く別荘で過ごせば良いものの、何故自分たちまで誘ってくるんだ、という疑問を払えない。
 信号が青になったことを確認し、彰人が歩き出す。慌てて悠哉はその後に続いて歩みを進めた。
「難波は何を考えているんだ?俺が来たって邪魔なだけだろ」
「それは陽翔に聞いてくれ、慶が言うには悠哉が行くなら自分も行くと言っていたそうだ。まぁ、三人だと気まずいだろうから俺も誘われたんだろ」
「は?陽翔が?」
 まさか陽翔からの提案だったとは、悠哉の頭は尚のこと混乱した。陽翔は難波のことが好きではないのだろうか、確かに陽翔の口から好きだという言葉を悠哉は聞いたことがなかったが、最近の二人の仲は以前よりも親密に見える。まだ二人きりで別荘に泊まるのは気まずいのか、だから自分を誘ったのか、悠哉は陽翔のことがまるで分からなかった。
「陽翔が考えていることは俺も分からないが、これはいい機会だと思うぞ?二人の姿を間近に見れば陽翔への想いも諦めがつくんじゃないのか?」
 黙り込んでしまった悠哉を見て彰人は優しく微笑んだ。確かに彰人の言うことも一理あるのかもしれない、と悠哉の心は揺らいだ。いっその事幸せな陽翔の姿を見てしまえば自分の気持ちにも諦めがつくのではないか。
「確かにお前の言う通りかもな、諦められるもんなら諦めたいけど、でも俺難波とまともに話した事ないしすげぇ気まずいと思うんだけど」
「そんなことはない、あいつのコミュニケーション能力は底を知らないから心配ないだろう。お前もすぐ慶と打ち解けられる」
 彰人はそう言うが、難波だって自分の事をあまり好意的に見ていないだろうし本当に大丈夫なのかと悠哉の心に不安がよぎる。
 そんな悠哉の気持ちを察した彰人は「大丈夫だ、俺もいる」と悠哉の肩に手を置き優しい微笑みを向けた。
「…っ、またお前はそうやってすぐ人を口説く…」
「今のは口説いたつもりは無いんだが、むしろ励ましたつもりだった」
 彰人はきょとんとした表情で悠哉を見た。全く紛らわしいやつだな、と悠哉は心の中で舌打ちをする。
「…あとこれだけは言っとくけど、陽翔のこと諦めたとしてもお前を好きになるわけじゃないから勘違いするなよ」
 彰人が自分を好意的に別荘に誘ったのも陽翔への気持ちを諦めさせて自分へ気持ちを向かせようとするためなのだろう。たとえ陽翔のことを諦められても彰人を好きになることは無い、けれどこの男なら勘違いせざるを得ないと思い悠哉は釘を指しておいた。
「わかっているさ」と答える彰人の顔がなんだか嬉しそうで、本当にわかっているのか悠哉は些か不安に思ってしまう。
「だけど陽翔のことを諦めたら俺を好きになる確率も上がるだろ?」
 やはり分かっていなかったようだ。こちらに向けてニヤッと微笑む彰人の姿がなんだか腹立たしかった。
「俺の陽翔への気持ちをバカ呼ばわりしてたけど、お前も人のこと言えないぐらい馬鹿だよな。ほんと諦めが悪い」
「ひどいな、一途だと言ってくれ」
「他の人を好きにはならなかったのか?恋人だっていたんだろ?」
 悠哉にとって純粋な疑問だった。彰人の容姿だったら恋人を作ろうと思えばいくらでも作れるだろうし、実際に恋人だっていたと言っていたはずだ。自分のことを愛してくれない人間より、愛してくれる人間の方が恋人として最適なはずだろう。
「ならなかったな。他に恋人を作ったとしても逆にお前への想いが強くなる一方だった。まぁ恋人といっても中途半端な付き合いしかしてこなかったしな」
「最低だな」
「おい、本気で引くなよ。それほどお前への想いが強かったってことだ」
 悠哉が冷たい視線を送ると、彰人は本気で引かれたと思ったようで慌てて弁解した。
 悠哉は今の話を聞いて、彰人と付き合った人間を気の毒に思ってしまう。付き合った人間の中には本気で彰人のことを好きだった人もいただろうに、当の本人は違う男のことしか考えていない、なんて悲しいのだろうか。自分の存在が会ったこともない他人を不幸にしてしまった事実に悠哉の胃はずっしりと重くなる。
 そんな価値自分には無い。他人にここまで愛されるような人間では決してないのに、なんで彰人は自分のことを未だに想い続けてくれるのだろうか。
「お前が気にすることじゃないぞ。俺が酷い男だから恋人になった人間を愛してやることが出来なかったんだ」
 ついネガティブな発想をしたせいで浮かない気持ちが顔にまで出てしまっていたらしく、悠哉の異変に気づいた彰人はすかさずフォローするようなことを言った。それでも悠哉の気持ちは晴れることなく、嫌な暑さが身体にまとわりついて足取りがいっそう重くなった。
 
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