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「お兄様ー!」
 
「どーうした妹よ!」
 
 打つ手を失くしたエメラルドの一手はいつだって同じ。
 いつだって兄頼り。
 
「私、ルビー様とダイヤモンドって平民嫌いー」
 
「なんだって?」
 
「だってー、オニキス様、二人のことばっかり見てるんですものー。きっと二人とも、相手にされない私を見て陰で笑ってるのよー」
 
「いやまさか。平民のことはよく知らないが、ルビー様に限ってそんな」
 
「絶対そうなのよー!」
 
 ペリドットとルビーは、決して面識が多くはない。
 ただし、公爵家の中で、ルビーの性格が苛烈なことは周知の事実。
 魔法学院入学前に、突然性格が変わったという噂が流れ、実際にあったペリドットも昔と異なる印象を受けたのも事実。
 それを加味して、ペリドットにはルビーが陰でこそこそと笑う性格には思えなかった。
 苛烈さは収まったものの、自分の意思を前面に出して真っすぐ行動するのは変わっていない。
 
 だからこそペリドットには、エメラルドの発言が嫉妬というフィルターに染まって見えた架空の現実であることが分かった。
 ペリドットは、馬鹿ではない。
 一方で、ペリドットは愛情過多だ。
 誰かに愛情を向け続けなければ、生きていけないほどに。
 婚約者の決まっていない現時点では、愛情全てが家族に向けられ、深すぎる愛情に耐えられたのはエメラルドのみだった。
 
 それゆえ、ペリドットは決してエメラルドを悲しませない。
 たとえ、自身も架空の現実に染まることになろうとも。
 
「そうか」
 
「そうなのよー」
 
「それで、エメラルドはどうしたいんだい?」
 
 ペリドットの言葉を待っていましたと言わんばかりに、エメラルドは不敵に笑う。
 
「ルビー様とダイヤモンドを、学院から追い出し欲しいなーって」
 
「……エメラルド、自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
 
「えー、もちろんー。私の恋を邪魔する人たちにー、鉄槌を下して欲しいなーって」
 
「…………」
 
「そうだー。ねえ、こういうのはどうー?」
 
 エメラルドは自慢げに、嫌がらせの方法を挙げていく。
 それは、ゲームにおいて、悪役令嬢エメラルドが主人公ダイヤモンドに対して行った嫌がらせの羅列。
 エメラルドの頭の中に、ネールが悪役令嬢サファイアのゲームの行動を代替し、結果オニキスとルビーの手によって成敗されたという記憶は残っていない。
 どこまでも楽観的で単純。
 一度他人が失敗した嫌がらせを、もう一度やる意味が分かっていない。
 同じ公爵家に対して嫌がらせすることが、どういうことか分かっていない。 エメラルドの世界は、いつだってエメラルドにとって都合よく回る。
 
「よし、兄に任せなさい! 必ず、エメラルドの恋の邪魔をする二人を、なんとかしてみせようじゃないか!」
 
「やったー! お兄様大好き!」
 
「すべて、この兄に任せておきなさい!」
 
 なぜならペリドットが、エメラルドに代わって世界を都合よく回すから。
 
 
 
「……っ!?」
 
 翌朝、ルビーの机は、刃物によってずたずたに切りつけられていた。
 ルビーよりも早く通学した生徒たちがその惨状を見つけ、ルビーが教室に入るより早く対処をしようとしたが、間に合わなかった。
 
 机を見たルビーの感想は一つ。
 これゲームで見たやつ、だった。
 
 この世界ではネールの件と共に終了しているはずの、悪役令嬢によって主人公が嫌がらせを受けるワンシーン。
 ルビーもまさか、自分が嫌がらせの対象になるとは考えもしていなかった。
 
「ル、ルビー様、すでに私たちが来たときにはこうなっており、私たちは何も」
 
「大丈夫、わかってるから」
 
 ルビーは怯えた声で話しかけてくる生徒たちに、疑っていないことを示したうえで、自身の机を触る。
 デコボコとした感触が、ルビーの掌に伝わってくる。
 ルビーの心当たりは一人、いや二人。
 エメラルドとペリドットだ。
 
「わー。ルビー様ー、どうなさったのですかー? その机はいったいー?」
 
 教室中の視線が、エメラルドへと向く。
 ルビーの視線も、エメラルドへと向く。
 
「さあ、今朝来たらこうなっていましたの。私にも、何が何だか」
 
 何を白々しいと憤りそうになる感情を押さえ、ルビーは平然とした表情で言った。
 一瞬だけ、エメラルドの表情が不服そうに変わったのを、ルビーは見逃さなかった。
 
「そうなんですかー。きっと、公爵家を嫉む者の仕業でしょうねー。平民とかー。明日には、私が標的になるかもしれませんー。恐いことですー。ルビー様、私にできることがありましたらなんでもおっしゃってくださいねー」
 
 エメラルドはルビーの手を取って、ぎゅっと握る。
 私は知りませんと、エメラルドの顔にはっきりと書いてあった。
 
「……ええ、ありがとう」
 
 ややひきつった顔で、ルビーは答えた。
 エメラルドはニコッと微笑むと、自席へと戻っていった。
 
 ルビーは、エメラルドに握られた手をじっと見つめる。
 手には、エメラルドの体温のぬくもりが、まだ残っていた。
 
「あんな人外にも、人のぬくもりってあるのね」
 
 あまりにも不快な気分を、ルビーは誰にも聞こえない声とともに吐き捨てた。
 
「ルビー様!? これはいったい!?」
 
「ダイヤ、貴女はそのままでいてね?」
 
「え? あ、はい」
 
 直後にダイヤモンドが教室に入ってきて、ルビーの安らぎになったのは、ルビーにとって幸運なことだ。
 
 
 
 この時点で、ルビーは自身への嫌がらせがすぐに終わると思っていた。
 公爵家の人間への嫌がらせなど、誰もが注目せざるを得ないため、すぐに証拠が挙がるだろうと。
 しかし、一か月もする頃には、自身の考えを撤回した。
 
 ペリドットは、上手かった。
 振る舞いこそ露骨ではあるが、証拠を決して残さない。
 嫌がらせをするタイミングはランダムで、標的を分散させて目的を撹乱する。
 
「思い返せば、『暴緑の令嬢』でエメラルドの悪事がバレたのは、エメラルドが暴走したからだっけ。ペリドットの証拠は、最後まで描かれなかったわね」
 
 改めて、ルビーはペリドットという存在の恐ろしさに気が付いた。
 ルビーの精神は、じわじわと締め上げられていた。
 
「し、白髪……」
 
 体に、拒絶反応がでる程度には。
 
 
 
「……オニキス様」
 
「なんだ?」
 
「恥を忍んでお願い申し上げます。ペリドット様に、嫌がらせを止めていただくようにお願いできないでしょうか?」
 
「証拠はあるのか?」
 
「……ありませんが」
 
「では無理だ。力になれなくてすまない」
 
「いえ、ご無理を言って申し訳ございません」
 
 申し訳なさそうにするルビーの表情は、疲労が隠せないでいた。
 貴族の令嬢たるもの、常に美しくあらねばならない。
 ルビーは毎日、ルベライトによって完璧な化粧と服装をされる。
 しかし、化粧や服装では隠しきれないほどの疲労がたまっていた。
 
 オニキスはそんなルビーを見つめ、自身の無力感に襲われていた。
 オニキスは既に、ペリドットのもとへ嫌がらせを止めようと抗議に向い終えていた。
 しかし、証拠がなければ抗議も無意味。
 ただただ、エメラルドとの婚約を前向きに考えてくれるようになったのかと、期待の言葉と瞳を受けて終わっていた。
 
「おはヨウございます、オニキス様、ルビー様ぁ……」
 
「ダイヤ!?」
 
 なお、ルビーと同時に、ダイヤモンドも嫌がらせを受けていた。
 貴族社会を生き抜き、ちょっとやそっとでは動じないルビーでさえ白髪が生えるほどの負担だ。
 平民のダイヤモンドは、ルビーの比ではないほど疲れ果てていた。
 
「ちょっ!? 顔色が! 大丈夫なの?」
 
「ヘイきです。ルビィ様こそ、おかげん大丈夫デスかぁ」
 
「ちっとも平気そうに見えないんだけど!?」 
 
「えへへ……へええぇぇぇ」
 
「ダイヤー!?」
 
 ダイヤモンドは何もない床に躓いて、そのまま転倒して気を失った。
 
「いかん! 急いで医務室に!」
 
 焦ったオニキスがダイヤモンドを担ぎ上げ、医務室へと走る。
 その後ろを、ルビーがふらつきながら追う。
 
 幸いにもダイヤモンドに外傷はなく、転倒時に頭を打ったことで気を失ってしまったというのが、医者の見解だった。
 一先ず、安どの表情を見せるオニキスとルビー。
 そして、次に湧いてきたのは怒りだ。
 ペリドットはやりすぎた。
 
 証拠など、待っていられない。
 
「このままでは被害が広がる。どんな手を使っても、ペリドットを止め」
 
「どんな手を使ってもとおっしゃいまして?」
 
 怒れるオニキスの言葉を、さらに怒れるルビーの言葉が潰した。
 
「ルビー?」
 
「オニキス様、ここは当事者の私にやらせてください。大丈夫です、どんな手でも使いますから。私の立場が危うくなったら、助けてくださいね?」
 
 ルビーは、苛烈に笑っていた。
 触れるだけで火傷しそうなほど、笑っていた。
 
 烈火の令嬢。
 オニキスは、ルビーの二つ名を唐突に思い出した。
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