令和百物語 ~妖怪小話~

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漆拾壱 犬の亡霊

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 妻が死んだ。
 不治の病だった。
 
「私だと思って……」
 
 ペットの犬を残して。
 
 夫は、妻のいなくなった世界で嘆き悲しみ、残された犬にもぞんざいな扱いをしていた。
 餌をやらないのは当たり前。
 時に怒鳴りつけ、時にひっぱたいた。
 
 しかし犬は、ずっと夫に寄り添ってきた。
 叩かれようが外に放り出されようが。
 夫を慰めるように寄り添ってきた。
 
 その姿を見て、夫は次第に妻の言葉を思い出す。
 妻を思い出す。
 自分を思い出す。
 
 泣き崩れて犬を抱きしめ、妻と、犬のために生きようと誓いなおした。
 
 
 
 数週間後、犬が死んだ。
 交通事故だった。
 
 夫は、今度こそ抜け殻になった。
 
 何もない。
 夫の世界には、何もない。
 妻はいない。
 犬もいない。
 思い出は何もない。
 
 毎日を、死んだように生きた。
 
 仕事もやめた。
 外に出るのもやめた。
 二十四時間流しっぱなしのテレビが、時計の代わり。
 
 そんな時に偶々見つけたのが、犬の亡霊(いんのもうれい)。
 深い夜、山の中から死んだ犬の鳴き声が聞こえる場所。
 
 会いに行こう。
 
 理屈も現実も捨てた結論を、夫は思い立った。
 何故だかわからないが、そこに犬がいる気がしたのだ。
 
 最低限の荷物を持って、片道分の旅費と食費を持って、夫は犬の亡霊へ向かった。
 新幹線と電車とバスとタクシーを乗り継いで、人里離れた山へとたどり着いた。
 タクシーの運転手からは、自殺を何度も疑われた。
 しかし夫は、未来へ希望溢れるようなキラキラとした笑顔で「違います」と答え、すんなりと見逃された。
 
 
 
 深夜。
 山の中に霧が充満する。
 四方八方から、犬の鳴き声が聞こえてくる。
 
 夫は目を瞑り、ペットの犬の声を聞き分ける。
 
 違う。
 
 違う。
 
 これも違う。
 
 一時間以上も目を瞑り続け、ついに一つの鳴き声を見つけた。
 目を開けて、鳴き声のする方へと進む。
 
 ワン。
 
 ワン。
 
 ワン。
 
 泣き声は、徐々に大きくなっていき。
 
 ワン。
 
 ペットの犬を見つけた。
 
 夫は涙を流し、犬へと抱き着く。
 
「ああ……ああ……」
 
 声にならない泣き声で、抱きしめ続ける。
 
 そんな夫の頭を、妻が優しく撫でる。
 複雑そうな、嬉しそうな、表情で。
 
「早すぎるわよ……」
 
 妻の声に、夫は手を伸ばす。
 妻と犬を抱きかかえる。
 
「長すぎたよ……」
 
 夫は妻の言葉に、泣き笑いで返した。
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