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大切な人

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「それから途中でダミアーノの子飼いの兵士に足止めされたけど、ディルクが引き受けてくれたおかげで私とジャンは地下牢まで来たんだ。ヴィクトール様まで怪我をしていると思わなかったけど、ダミアーノの仕業で合ってる?うん、じゃあ多分それも映っていたと思うよ」

移動しながら瑛莉はここまでの経緯を簡単に説明しておいた。

ヴィクトールがいるので、どうやって噴水に地下牢の光景を映し出したのかということついては適当に誤魔化したが、当のヴィクトールの顔色が悪くそれを気にするどころではないようだ。まあ自業自得と諦めてもらうしかないだろう。

「ディルク様はジャン様を信用なさったんですね」

割と容赦ない言葉を掛けたのはエルヴィーラで、ジャンは一瞬居心地の悪そうな表情を浮かべた。

「……その節はお手数をお掛けしました。エリー様、ディルクさんと合流したら裏の通用口から脱出しましょう。正門はかなりの騒ぎになっているでしょうから」

木漏れ日が差す明るい空間に出れば、タイミングよくディルクもこちらに向かってきているところだった。

「エリー、無事か。……王太子殿下、怪我をしたと伺いましたがご無事で何よりです」

胸に手を当て小さく礼をするのは、あくまでも敬意を払うためだけであり忠誠を誓う騎士のものではなかった。淡々とした態度だが嫌悪感を示すこともないのは、フリッツを背負っているからかもしれない。

「エルヴィーラ、先に擬態を解いてくれ。万が一聖女の顔を知っている者がいれば、混乱を招きかねない」

ヴィクトールやジャンか見えないように魔石を手渡したディルクの意図を把握したエルヴィーラは、物陰に身を隠して擬態を解く。

「神官長は殿下の護衛によって既に捕らえられています。こちらでお待ちになりますか?ご不安でしたらジャンを残しておきますが」
「いや、大丈夫だ。だが……申し出に感謝する」

若干視線を逸らしながらも礼を言うヴィクトールに、ディルクは目を丸くした。ヴィクトールの態度の変化に瑛莉も驚いていたが、死にかけて人生感が変わったということなのかもしれない。
ジャンがフリッツを受け取ると、ヴィクトールは瑛莉の前に立ち頭を下げた。

「私の配慮が足りず本当に……済まなかった」
「……もう過ぎたことですから」

今回の件も含めてあっさりと許せることでもないが、先程からの様子を見る限りヴィクトールはきちんと反省し変わろうとしている。であれば瑛莉からこれ以上告げることはない。

「王太子殿下から離れろ、魔女め!」

突然の怒声に顔を上げれば、そこには面変わりしたオスカーの姿があった。貴族らしい上品な装いや自信にあふれた態度はどこにもなく、どこか荒廃した雰囲気と野犬のようにギラギラと光る眼差しに本能的な恐怖を感じる。

「止めろ、オスカー!命の恩人である彼女を貶めることは許さない。それに騎士の任を解いたお前にこの場にいる資格はないだろう」

瑛莉を睨んでいたオスカーの視線がヴィクトールに逸れる。束の間落ち着いたかと思われたその瞳に暗い光が灯ったように感じた。

「貴方も騙されてしまったのですね……」

不穏な呟きの直後にオスカーが動いた。

「エリー、逃げろ!」

間近でディルクの声が聞こえて、重い物がぶつかり合う音がした。

「エリー様、こちらです」

ジャンから手を引かれてようやく我に返った瑛莉は、慌てて移動するものの剣を振るう二人の姿から目が離せない。

「ディルクさんは大丈夫ですよ。オスカー殿と剣を交えたことはありますが、負けたことはありません。何より訓練ではない実戦であの人に敵う相手など限られています」

断定するジャンから気休めではない口調を感じ取って、不安が少し和らいだ。だがそれでも刃と刃がぶつかり合う鋭い音や間合いの近さにハラハラしてしまう。

そんな中で起こったのは一瞬の出来事ではなく、ドミノが倒れるようにいくつかの出来事が重なっただった。

「王太子殿下、ご無事ですか!?」

王太子付きの護衛達が駆け寄ってきて、ヴィクトールが状況を説明するため少しだけ離れた。同じぐらいのタイミングでフリッツが目を覚まし、エルヴィーラが怖がらせないように声を掛けていた。そしてジャンは王太子付きの護衛を警戒して瑛莉を背後に隠し、そちらに注意を向けていた。

そしてディルクを見ていた瑛莉だけが気づいたのだ。


ガキンと鈍い音を立てて、剣が宙に舞いディルクが倒れたオスカーの首元に剣を突き付けている。

「――くそっ、平民ごときが邪魔をするな!!」

暴言を吐きながら憎しみに染まった表情のオスカーをディルクは静かに見下ろしていた。

「ディルク、後ろ!」

どこに隠れていたのか小柄な従者の姿をした青年が、思い詰めた表情でディルクに向かっていた。その手にきつく握りしめているのは短刀だ。
瑛莉の声と同時に気づいたディルクが身を捩ろうとしたところで、剣が肩に突き刺さるのも構わずにオスカーがディルクの足にしがみ付いた。

大丈夫なのかもしれない、余計なことかもしれない。そんなことを考えていながらも声を上げた瞬間に身体は自然と動いていた。
飛び出した瑛莉に従者の少年は驚愕の表情を浮かべながらも、勢いを殺すことができず瑛莉とぶつかった。

衝撃に体勢を崩した身体が力強い腕にしっかりと受け止められたことに安堵する。胸のあたりがとても痛くて熱いけど、咄嗟に反応した自分を褒めてやりたい。

「エリー!!おい、しっかりしろ」

意識が飛びそうになるが、必死に呼び掛けるディルクの声に目を凝らす。

(ちゃんと見とかなきゃ……)

多分これが見納めになる、そう当たり前のように考えている自分がいた。
どくどくと血液が溢れる辺りに手を添えてみるが、やはり上手くいかない。ヴィクトールの傷は思いの外深くて、治癒を終えた後は身体がかなりきつかった。

ソフィアの治療をした後と同じぐらいかそれ以上の負担を感じていたため、恐らく今日はもう癒しの力は使えないだろうなと思っていた。
だからこそディルクが危ないと思った時に、何とかしなきゃと思ったのだ。怪我をしても癒せないから。

「エリー……力が使えないのか?」

強張った表情と掠れた声がディルクの動揺を表しているようで申し訳なくなる。

(ごめんね……でも大切な人が傷つくほうが嫌だったんだ)

するりと自然に零れた思考に、瑛莉は思わず苦笑してしまった。今更気づくなんて遅すぎる。

医者の手配を求める声やエルヴィーラが泣き叫ぶ声が聞こえる中、ディルクは必死に傷口を押さえている。それでも血は止まらず真っ赤に染まる手を見て、助からないんだろうなと思った。

「ディル、ク……」
「――っ、喋るな!……頼むから」

どうしても伝えたいことがあるのに、やっぱり駄目なんだろうか。最期に伝えられても迷惑なのかもしれないし、きっとディルクは気にするだろう。

(告白、してみたかったけど、ディルクは優しいから困らせるだけかな……)

「エリー!!」

別の声に霞みかけた意識が少しだけ浮上する。

「エーヴァルト、どうにか出来ないか!このままではエリーが――」

感覚が鈍くなった手を握ったのはエーヴァルトだろう。顔を動かすのも億劫で視線だけ動かせば、泣きそうな顔のエーヴァルトと目が合った。

「エリー、駄目だ。君は……幸せにならないといけないんだよ」

動揺しているせいか、制御できるようになったはずのエーヴァルトの魔力がぶわりと溢れた。神殿内なのに大丈夫なのだろうか。

(あれ……でも何か……)

エーヴァルトが触れているほうの手が温かくなった気がして、指先に力を込めれば微かに動いた。

(初代聖女は魔王の魂の欠片を与えられた……ああ、だったらそれは)

遠ざかりそうな意識の中、声にならない声でエーヴァルトに訴える。それが上手くいったのかどうか、暗闇に意識を呑まれた瑛莉には分からなかった。
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